グラスウォール その八
打ち合わせどおりに千登勢と遅めの食事をとってからと思い、カフェバー・グリーンドルフィンに凛が到着すると、期せずして全員が集合する形となっていた。
「遅えよ。言い出しっぺが遅刻とはどういうこった? まあいいや。飯食おうぜ、腹減った」
鉄兵はライダースジャケットにジーンズとラフな格好、千登勢はバックパックを背負わず手荷物だけ。鋼太郎もそれにならい軽装ながら拳銃だけは携帯していた。雪緒はどこへ行くにも愛刀を手放すことなく、セーラー服に革のすね当てといういつもの戦闘態勢であった。
千登勢を睨んでみてもキョトンとしており、雪緒を睨んでみるが頭にクエスチョンマークを浮かべるだけで昨晩のことを盗み聞きしたわけではなさそうである。
誰の顔を睨んでみても集合をかけた人物を割り出すことはできなかった。
店に入ると、いつものように吾郎が爽やかに一行を迎えた。
さて今日は思いもよらなぬ臨時収入があると知った鉄兵は、あれやこれやと頭で計算しながらも、豪華な食事をすることに思い切った。
三つの大皿にそれぞれ違う種類の山盛りパスタ、ハーフアンドハーフのピザ、冷凍物の温野菜でドレッシングは自家製スのペシャルなやつを和洋中、肉は鳥のもも肉――迷宮内で見ることができる三つ目の死肉を食うやつじゃなく――かつては鶏だったもので皮がパリッとした塩焼きだ。
「俺はいらねーから。酉年なんでね」
そんな鉄兵の不粋な遠慮がまかり通ることはなく結局ひとり一本づつを食べることになったのだが、物欲しそうにしている凛に手付かずの部分の肉と残しておいた胡椒とハーブのきいたパリッパリッの皮を切り分けてやったのだった。
「しっかり食べてる?」
吾郎がオーダーの合間にやってきた。
手入れの行き届いた顎髭、黒いエプロンを巻き、汗かく銀色のポットを傾け優雅な動作で次々とレモン水を注いでいった。
女の子らしさからは遠くはなれた豪快なアクションでもも肉にかぶりつく千登勢に、吾郎は微笑んだ。
「うん、いい食べっぷりだ。あとはあれがなければ……」
店の正面を飾るウィンドウに張り付く男がいた。
呼吸をするたびガラスが白く曇り、イモリかヤモリのような格好で張り付くのは千登勢のストーカーである優一だ。
「おお。前々から気になってたがこの店の余興のひとつじゃなかったんだな」
「あんなの見て誰が喜ぶんだ、冗談はお前の顔だけにしろ。みんなが店に入ってすぐのご登場で本当に申し訳ないんだが、それも今日で最後と思えば……」
「涙が出てくるってか?」
鉄兵は意地悪げに言ったが吾郎は喜々として答えた。
「ああ、本当に。嬉しくて涙がでるよ。なんにしても頼むよ凛之助。鍋いっぱいの金貨はもうすぐだ。ところで……追っ払う秘策はどんな感じ?」
「企業秘密。あえて言うならなんもしないよ、向こうが勝手に自滅する感じ?」
「へえ、なんか剣豪みたいなこと言うね」
「うーん、なるようになるっていうか、勝負は始まる前から決まってるのよ。それじゃ行こっか千登勢ちゃん、用意はオーケー?」
「はーい」
千登勢は舐めていた塩味のきいた指をおしぼりできれいに拭くなり、すっと立ち上がった。
「ちょっと待った。なぜ千登勢がついていく? 鉄兵か?」
ドスの利いた雪緒の声に、鉄兵は喉をつまらせながらも潔白であることを目で訴えた。
「いやいや滅相もございません。むしろそれは俺の台詞で、おい、リンコどうなってる?」
「まあいい。千登勢が行くというなら――」
雪緒は椅子に立てかけていた刀を手に取り立ち上がろうとしたが、
「ハウス! 雪緒ちゃんハウス!」
ビクンと電極につながれたカエルの足のように痙攣し、中腰のまま雪緒は凍りついた。
しかしハッとするなり再び腰を上げるも、
「ハウス!」
指をさされての号令に「ぐぬぬ」と唸り、どういうわけか椅子に腰を下ろした。
「よしよし、いい子いい子」
などと、にこやかに千登勢が頭を撫でることで狂犬をなだめることに成功した。
「リンコ、大丈夫なんだろうな?」
そんなアホくさい寸劇を目の当たりにしながらも、雪緒を黙らせる千登勢に尊敬の眼差しをむける鉄兵はたくましい腕を組んで凛と向き合った。
「あいつは見ての通りアブナイやつだけど、用意はしてあるし」
平然という凛はシグザウエル・P239のスライドを引いてチャンバー内の弾薬を確認するとジャージのポケットにつっこみ、パステルカラーのちっこいポーチを肩にかけるように、ウージーサブマシンガンの負い
「うーん……」
不安げに顎をさする鉄兵がちらと見ると、千登勢が得意げに胸を張るのが見えた。
「まあ、なんだかよくわからんが千登勢ちゃんにすべて任せるよ」
「なっ?! いったい――」
テーブルを叩き立ち上がろうとするも『ハウス』の予感に雪緒は押し黙り、再びぐぬぬと唸って凛と千登勢の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「――鋼太郎君」
「はい」
「二人の後をつけて、これはと思ったらあの男を撃て」
「え? でも、さっき任せるって」
「いいから。とにかく撃ったら身を隠すんだ。『自治会』のお世話になりたくないだろ?」
「そんな殺生な……」
鋼太郎が泣きそうな顔をしているので、鉄兵は指を折り曲げて注意をひくと、顔を寄せてそっと耳打ちした。
「こうでも言わないと雪緒ちゃんによって八つ裂きにされちまう。そんな情けない俺の姿は見たくないだろ? とにかくいざという時は頼んだぞ」
バンバンと鋼太郎の背中を叩いて、後をつけるように促した。
大股を開いて貧乏ゆすりをする雪緒と緊張した様子の鉄兵を残し、鋼太郎はへっぴり腰で尾行を開始した。
しかし尾行というにはあまりにもむなしい距離、店を出た凛と千登勢は、ウィンドウに張り付く男と話をし始め、どこかへ行く気配はまったくなかった。
挙動不審の鋼太郎は入り口のドアの前でうろうろし鉄兵たちの方を返す返す見るも、雪緒は犬を追い払うように手を振るだけでじっと千登勢を見つめていた。
「本当にここでいいの?」
千登勢は凛に耳打ちした。
「肝心なのは場所じゃないでしょ。それより合言葉は覚えてる?」
「覚えてるけど、やっぱり必要ないよ」
「念のため。みんなを困らせたいの? 身の危険を感じたときの合言葉は?」
「えーと、『キャーチカーン』でいいんだよね?」
「そう。それでこいつは穴だらけ、無事ハッピーエンドをむかえるって寸法」
「この人は、そんな人じゃないよ凛ちゃん。目を見ればわかるもの」
「あっそ。まあいいや。それじゃ向こうにいるから
凛は千登勢と優一を残してひとり歩き出した。
二人のいる場所はカフェバー・グリーンドルフィンの正面、優一がトカゲのように張り付いていたウインドウの前、優一の奇行によってガランととした店内からみれば窓枠に仕切られて二人が向かい合う姿は青春映画の一シーンのようだ。
「こんにちは、初めましてじゃないですけど名乗ります。千登勢です。以前は危ないところ助けていただきありがとうございました」
千登勢は深々とお辞儀をした。
「まさか僕のことを覚えていてくれるなんて……、ああ、ええと優一といいます」
その台詞より先はもう聞こえない。
浅い角度の対角線の先、とある店の軒先で寄りかかる凛はつまらなそうに二人を眺めていた。
おしゃれなカフェバーの店先で若い男女がお互い照れながら会話をするのは、妙な画だ。
なんとなしにヘアスタイルを直す仕草も、もじもじと恥じらって身体を揺らし、頭を下げる角度もタイミングもシンクロしている。
唇の動きとその反応からどうでも良いことばかり述べているのは明白で、あえて本題に入ることなく触れようともしない素振りの連続はなんとも歯痒く、コテコテの青春ドラマのようで鼻につくものであった。
凛はフンと鼻を鳴らしてせせら笑いを浮かべた。
とくに可笑しいのは店内でおどおどとする鋼太郎の姿だった。
千登勢と優一からは見えないだろうが、凛の位置からはすべて丸見えだった。
「あいつはなにやってんだ?」
やることなすことが気にくわない、あの新入りは。
雪緒ちゃんは別として、鉄兵と千登勢ちゃんはやたらと目をかけ、スコアをつぎ込む。
この前だって、右だって言ってるのに左を撃つし、何もないところで盛大にすっ転ぶし、荷物は落とすしで困ったにもほどがある。
どういう気なのか知らないけれど鉄兵は『いいよ、いいよ』で済ます。
気にくわない。
凛は口をとんがらせ、ウィンドウの向こう側の、屁っ放り腰で会話の盗み聞きを試みる鋼太郎を睨んでいた。
またしてもシンクロしてお辞儀をしあう二人に気づき、凛は組んでいた腕をほどき背を伸ばすと、爽やかな笑顔の優一が余裕のある速度で近づいてくるのを、まさかという緊張した面持ちで待っていた。
にこやかに手を振る千登勢に頭を下げる優一に言った。
「ちゃんと好きって言えた?」
「ちゃんとお礼を言ったよ、初めて出会ったときの気持ちをしっかりと伝えられたと思う」
「はあ? あのさあ、これでもちっとは苦労してるんだよ。なにやってんのさ」
「これでいいんだ。よくよく考えてみたらやっぱり心に芽生えたのは感謝であって、恋心じゃなかったんだ。『ありがとう』の言葉を言えなかった後悔が僕を狩り立たせていたんだ。それに――いや、そもそも、君たちの中にも、千登勢さんの中にも、僕が滑り込むような隙間なんてなかったんだ。君たちを見ていてそう思うことが多々あった。だからこれで良かったんだ」
「なんだよ。なに言いかけたんだよ」
「……千登勢さんを長い間見てきたんだけど、隙間がないのは、すでに誰かがいるからなんだ」
「なぬ?」
「いや、忘れてくれ。恋に臆病な哀れな男の戯言だよ」
「ふざけんな! そこ、結構重要なんだよ! いいから言ってみ」
自然と大声になる凛に通行人が振り返り、優一はあたふたした。
鉄兵と千登勢――長い付き合いらしいことは聞いているが、男女のそれがあるからこそ長いのかと思いきやそんな素振りは結局のところ見つけることができなかった。
が、アイコンタクトだけで意思疎通をやってのけたり、妙に身体を密着ささたりと、どうもすっきりしない。
出会いはこっち、それだけはわかってる。
元の世界なら付き合い長いのか~そうなんだ~ぐらいで済む。
だけどここでは訳が違う。
迷宮探索をしていれば生死を分かつ事態に陥ることもあるわけで、日々生きるか死ぬかの状況を長年続けてナニもないのはやっぱり不自然で、セイシをわけ、分けるきっかけはアレしかないはずで、やっぱ二人はどっかみんなの知らないとこで付き、突き合ってるかもしれないわけででで――
「うわああああ」
「ど、どうしたの突然?」
頭を抱え二本のおさげを振り乱す凛に、優一はひどく狼狽した。
「おい、もったいぶらずに言え! 千登勢ちゃんの好きな人は誰だ?」
「そんな、わからないよ。誰かしらいるってだけで、それが誰かまではさすがに……」
「お前の目は節穴か? いままで何やってたんだ? ストーカーだろ?」
「ええと、たぶん……」
「たぶん? たぶん、なんだ?」
「だから元の世界に恋人がいるんじゃないかな?」
「なるほど」と言うも凛は字面どおりに納得はしていなかった。
「きっと千登勢さんのことだ、そうだ、そうに違いない! 再び愛しい人と会うため一途に慕い続け、毎日欠かさずお祈りしているに違いない。日々節約してコツコツとスコアを貯めているんだ。千登勢さんの胸は哀しみでいっぱいなんだ。健気な、なんと健気な。どうにかして応援できないものか、嗚呼――」
千登勢が毎夜寝る前に祈りを捧げる姿など見たことないし、食べられるときはドン引きするほどのドカ食いがあのデカパイの秘密で哀しみなんぞ詰まっているはずがない。
優一が盛り上がるにつれ凛のテンションはだだ下がり、なんでこんなのと一緒にいるのかと、アホくさくなってきた。
「さあ、次は凛ちゃんの番だよ」
「は?」
「あの大男――君たちのパーティーリーダー、アイアンソルジャー鉄兵のことが好きなら、ちゃんとその気持ちを伝えなきゃ。僕は『ストーカー』だからね、知ってるよ」
「あのさあ……」
ほんとうにアホくさくて凛は溜息しかでなかった。
なぜか一人興奮している優一はまくし立てた。
「ここは異世界だ。日本の法律も、どの国の法律もその手が届くことのない世界。モラルとルールはあるけれど、それは皆がより良い生活を送るための便宜的なもの。異世界だからこそ出来ることがある。もちろん出来ないこともある。だけど時空を超えても変らぬことがある。恋は人を強くさせる。異世界パワーも上乗せすれば、いまの凛ちゃんは無敵だ。恐れるものはなにもないんだよ。だから、さあ!」
見開かれた凛の大きな眼は、やがて泳ぎ始め、震える唇はうまく言葉を紡ぎ出せずにいた。
目に見えて顔が赤くなるがそれだけで、押し黙ってしまった。
ストーカーは決定的なその言葉を待つが、やはり出てこない。
前髪パッツンおさげの少女がやっとのこで絞り出した言葉がこれだ――
「忘れたのかストーカー? 『交換条件』だ! 千登勢ちゃんに告白もしていないのに、私がすると思うのか?! おめでたいストーカー野郎め、二度と姿を見せるなよ。私のウージーが火を噴くぞ!」
恋するか弱き乙女は人差し指と親指で銃の形をつくり引き金をひく動作を見せつけた。
頬を朱に染めるその色は瑞々しいリンゴの赤、哀しくも心惹かれる爽やかな笑顔だった。
ストーカー優一は、凛とは反対方向へ、晴れやかな気分でカフェバー・グリーンドルフィンから静かに立ち去った。
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