グラスウォール その七

「ところで凛ちゃんはしないの、告白」


「はああぁ? なんでそんなことストーカーにご報告しなきゃならないんですかぁぁ?」


 敵意むきだしで睨む凛は、さっきまでじゃれていた彼女とは全くの別人のように見えた。

 

 それでも優一は目に見える激昂をないものとして、平然と言葉を続けた。


「僕は君たちのことをずっと見てきた。長い間。最近行動をともにする新人も含めて」


「……忘れてた、そんなのもいたね」


 思いもよらない者の言及に驚いたのか少し険が和らいだようで、ジャージのポケットに両手をつっこむ凛は肩をすくめてとぼけた仕草を見せた。

 

 しかし腹あたりのデコボコは拳銃、撃たれることはないと分かっても優一はその膨らみに目が吸い寄せられてしまうのだった。


「……遠くから眺めていて気付いたんだ。僕の『同類』がいる――秘めた想いを胸に苦しんでいる人がいる、ってね」


「ほうほう」


「それが君だよ、凛ちゃん」


「はああああ? 私のどこがお前みたいな犯罪者と同じだっていうんだよ!」


「違う違う、凛ちゃんも僕と同じ――誰かに『恋してる』ってこと」


「べべっべべつに恋とか、なにそれオイシイの状態なんだけど、気は確か? ってかどうしたストーカー。妄想癖もあったのか、苦労するな」


「当たって砕けろだよ。そうだ! 凛ちゃんが先に告白してくれないか? 秘めたる思いを打ち明ける健気な少女、その勇気をわけてもらうんだ。それなら奥手の僕も千登勢さんに告白できるはず! そうだ、そうしよう! 我ながら名案だ! 凛ちゃんもそう思うよね?」


「待て待て、落ち着けこの野郎。お前さっきからテンション高すぎてうざい。ストーカーが告白する、自然の摂理として恋に破れる、ブロークンハートのショックであのお店から消える、それで万事解決なんだよ。他のことはどうでもいい、自分の心配だけしてな」


「何が問題なの? 自然の摂理って、なに?」


「はいはいこの話はもうおしまい。ちゃんとセッティングしてやるから報酬忘れんなよ」


 じゃあな、と言って凛はくるりと優一に背を向けて歩き出した。


「僕のみたところ……いや、なんでもない。忘れてくれ。ありがとう」


「なんだよ、気になるじゃないか」


 凛は足を止めて戻ってくるなり、高い位置にある優一の顔をうさんくさげに睨んだ。


「凛ちゃんも僕と同じく『壁』を感じてるんじゃないか? そいつは目に見えないけど確かに存在する。右へ行っても左へ行っても見えない壁は延々と続いて切れ目がない。叩いてもひっかいても無駄。もういいやと諦めても、ふとしたときに、それにぶつかる。それがなんであるのか知っているからこそ、壁の厚みと高さに心が折れてしまう。でも諦められない。壁は透けていて、愛しの人は見えているのに、決して近づくことはできないのだから――どう?」


「また何をグダグダ言うのかと思えば……どうしようもないたとえ話か。好きだね、そうやって語るの。たずねてもいない話を長々としゃべるのは友達いない証拠っていうけどホントぽいね。ただ、つーかなんだ、うん、まあ、そんな感じ」


 外国人のように両手を広げて馬鹿にしくさっていたジェスチャーの凛であったが、最後はしょんぼりとして完全にうつむいてしまった。優一のたとえ話が正鵠を射たようだ。


「ほら僕と同じ。だから凛ちゃんもいい機会と思って、告白しちゃいなよ。当たって砕けろ、だ。でも砕けるのは自分じゃなくて、邪魔な『壁』の方だ」


「フン、面白いこというね。あのね、私の『壁』はね、そっちみたいに安っぽくないの。ベルリンの壁より厚く、万里の長城よりも広大、突き破るのはほぼ不可能でチタン製の壁を割り箸でほじくるようなものなの。『ここ』にいるからこそチャンスはあるけれど、『ここ』にいるからこそ実現不能。だから恋するか弱き乙女は苦難に堪え忍ぶのが吉、と思うわけ。だから自分のことだけ考えな、ミスターストーカー。私のことは、別にいいんだよ」


 唇を尖らせたり真一文字にしたり、自虐的笑みを浮かべたかと思えばしょんぼりする――気持ちが揺れているのが手に取るように解った。

 

 だが最後には臭いものに蓋をするように奥へひっこめてしまった。

 

 それが優一をひどく苛つかせた。

 

 ついに『同類』を見つけ、それを本人が自覚していることさえ引き出せたのに、だ。


 だから優一はか弱い乙女をいじめたいという欲求に駆られ、つい実行してしまった。

 

 その悪意は弱火なれど、指で触れれば火傷するには十分な熱量をもっていた。

 

「つまりいつまでも行動できない凛ちゃんのその気持ち、結局はその程度なんだよ。『恋に恋して』つまりそんな感じさ。子供の頃にはよくある話で――」


 そこまで言いかけて優一は我に返った。

 

 目の前で恋するか弱き乙女が可愛らしい顔をくしゃくしゃに歪め、大粒の涙を流していた。

 

 優一はたっぷりと自己嫌悪にひたる時間をくれたことに感謝しつつ、ついに逆鱗に触れたことに、心のどこかでほくそ笑む自分がいることを実感していた。


「お前なんかに何がわかる?! ダサい戦隊ものみたいに突然現れて、命救われたら誰だって惚れるもんなんだよ! あんなにダサいのに。でも、どうしようもないんだ……どうしようもないんだよ。私は子供で……だから……」


「ごめん、ごめんよ」


 むせび泣く凛に手を伸ばすが当然に払われてしまい、優一は爪があたって白くかすれた手の平をしばし眺めていた。


 しかしそれでも優一は問わずにはいられなかったのだ。



 自分と『同類』であると確信した凛に迷いがあれば、それはきっと自分も迷っていることの証明、やふやなままで千登勢と正面切って向かい合うことはできず、思いを告げることなんてできるはずもない――と。

 

 

 だがこの問いが奥手な自分の励ましとなり、凛にとって『壁』を壊すきっかけになればと思ったものの、やはりそれは手前勝手の欺瞞に満ちた考え、涙を流す女子中学生を利用することにやはり胸は痛んだ。


 乾いた唇を濡らし、優一はゆっくりと口を開いた。


「でも、好きなんだよね? あの大男、鉄兵が」



 それは自分自身に問いかけているようで、その行為自体が自分の気持ちに偽りがあることの証左でしかないことに今更ながらに気付き、愕然とするのだった。


 『壁』どころの話ではない、縦横無尽に走るひび割れはなにもかもを砕き、崩落していく世界の欠片とともに落下する優一は虚無に飲み込まれつつあった。

 

 

「大好き」


 その台詞を言う自分が恥ずかしいのか、その言葉を口にするだけで心が高揚するのか、凛は――陳腐極まりない表現だが――茹でダコのように顔を真っ赤にさせていた。

 

 上目遣いのその目は潤み、目尻には光る粒がたまる。

 

 口元がグニグニと動き定まらないのは、への字口とはにかみを行ったり来たりしているからだ

 

 ただ問われてからの即答、彼女に迷いはなく、力強くひたすら純粋なその言葉・その思い・その姿に優一は心打たれた。


 それは雷撃、虚無につつまれ方向感覚をなくし彼を導く道標となった。


 清々しいほどの白、鮮烈な白に染まっていく世界――


 彼は救われたような気がした。


 そして決心した。


「……もう僕のことはいいから、凛ちゃん、君のためにできることをさせてくれないか? なんでもいい、なんでもやる、やらせてくれないか?」


「本当になんでもしてくれる?」


 凛は鼻をすすりながら目尻の玉を手の甲で拭い去った。


「もちろんさ」


 そう答える優一は心からの透き通った笑顔で輝いていた。

 

 彼がまとっていたかすかな陰鬱さは掻き消えていた。


 光る白い歯に胡散臭さはもうない。

 

「本当に?」


「本当さ」


「本当の本当?」


「本当の本当」


 優一はにっこりと笑って小指を差し出した。

 

 鼻につく古典的なものだが、こういう儀式にこそ契約に真実味が帯びるのである。


「じゃあ、えーとね……」


 ためらいがちに切り出した凛は身体をよじらせた。

 

 続く言葉は尻すぼみになってしまったが、やがてパッと晴れやかな笑顔で言った。


「じゃあもう千登勢ちゃんにつきまとはないで。あとあの店にも二度と寄りつかないで、セッティング報酬も忘れないように」


 さて、当然といえば当然の要求である。


 後ろめたさもなく毒気もない優一も流石に落差激しい即物的欲求とその正反対にある清々しいまでの笑顔に「うーん」と唸った。

 

 期待に輝く少女の瞳に映る自分はヒドイ顔をしていた。

 

 しかしそれでも快く承諾する気にはなれなかった。


「じゃあ僕がその――したら、凛ちゃんもするかい?」


「はああ? なにをするっていうのさ」


 ぶすっとした顔の凛に、恋するか弱き乙女の影も形なかった。


 それはいつもの調子に戻っているようでほっとするものの、本心を曝け出してのコミュニケーションはもう不可能であることの現れだった。


「だから思いを伝えるんだよ。好きって伝えるんだ」


 威嚇する犬のように目を三角にして唸る凛に対し、優一は微笑みを絶やさなかった。


「わかった。交換条件だ。ただ最初の約束どおり、千登勢ちゃんとのセッティングをする以上、報酬はもらうからな」


「ちゃっかりしてるなぁ」


 困り顔の優一は含み笑いを残して天井を見上げた。


 自分はどうなってしまうのか――漠然とした不安が眉間に現れた。


 さてそんなことは露知らず、凛はほくそ笑んだ。

 

 十代の女の子にしては邪悪すぎる代物で、上を向く優一が気付くはずもなかった。


 

 ひっひっひ、ちょろいちょろい。


 誰が犯罪者との約束を守るものか。

 

 勝ち目なしの憐れな片思いに幕を下ろしてやるのだから、手数料ぐらいもらってもバチは当たらないってもんよ。


 危なくなったら『きゃー痴漢!』の魔法の言葉を使うだけ、だから――

 


「だから感謝しろよミスターストーカー」


「もちろん! この素晴らしい奇跡的なめぐり合わせにとても感謝してる。この異世界にきて初めて良かったと思える出来事だ。本当に」


「ちょっと大袈裟すぎない?」


「言葉がいくらあっても足りないぐらいだ」


「ふうん、ま、なんでもいいけどさ。じゃあ明日の一時にあの店の前で」


「え、でもまだ心の準備が」


「こーいう面倒なのはさっさと終わらせるに限るってわけよ。じゃあね。逃げてもいいけど二度と姿を見せんなよ」


 凛は手をひらひらと振るなり簡易休憩所を後にした。

 

 優一が声をかけても両耳に人差し指をつっこみ立ち止まることはなかった。


 結果がはっきりすれば優一は千登勢を諦めるだろうし、吾郎からの報酬はゲット、ついでにセッティング報酬もいただきとなる――なるわけなのだが、話をうまくまとめたにも関わらず凛はいまいちスッキリしない気分に、落ちていたサイコロ大のコンクリート片を蹴飛ばした。





「じゃあ、雪緒ちゃんには知られないようにしないとね」


 千登勢は凛にそう囁いた。


 時刻はといえばどこかの誰かが設定した夜の寝る時間、千登勢・雪緒・凛の三人が住む部屋にはベッドがふたつ、身体の小さな凛は代わりばんこでベッドを行き来するのである。


 今日は千登勢と寝ることにしたのだが、外から見れば怪しさバツグンだった。

 

 二人して頭から布団をかぶってゴニョゴニョしてるのだから、なにかしら良からぬことを企んでいるのは雪緒にバレバレの丸わかりであった。

 

 気にはなっていても除外されているのだからやむを得なし――と思いながらも横になる雪緒はじっと聞き耳を立てるのだった。


 

 雪緒ちゃんのことだ、妙な聞き分けの良さで詮索するようなことはしてこないハズ。


 でもたぶん拗ねてるだろうからアフターフォローが必要だ。

 

 面倒だけど。



 そんなことを思いながら凛はことの次第を千登勢に打ち明けた。

 

 セッティングと言ってもご大層なものではなく事のあらましを伝える、それだけ。


 もちろん雪緒に聞かれればご破算、結果撃退には至るのだろうが少なくともストーカーからの報酬はなくなってしまう。


 それだけは避けねばならない。


「それじゃあおやすみ」と言ったものの凛は悶々として寝付けなかった。



 告白したからといって、二人が付き合うことになるはずはない。

 

 絶対に、だ。

 

 たぶん。

 

 いや、天然入っている千登勢ちゃんのことなのだから、万が一も考えられなくもない。

 

 ないない、あり得ない――

 

 

 しかしそう思えば思うほど目が冴えて仕方がなかった。


 それもそのはず成り行きでこうなってしまったのだが、まさか自分があんなことを口走るとは――

 

 一連の流れを思い出して凛は自らのアホくささに頭痛がしてきた。


 しかしこうも考えていた。


 

 『立場が逆転したならば、どんな気分で夜を過ごすのだろうか』と。



 告白を明日に控える優一はいま何をしているのだろうか。

 

 密かにとった千登勢の写真を舐めたりしているのだろうか、それとも好き・嫌いと花占いにでも興じているのだろうか。

 

 写真舐めはあっても花占いはない――生花はとても高価なものなのだから。


 では自分が優一の立場になったらどのように夜を過ごすのかと考え始めると、急速に意識がかすみだしさっそく夢の世界へレッツらゴー、すべてがどうでもよくなってくるのであった。


「よくないけど……」


 そうつぶやくも凛を抱いて寝る千登勢は大口を開けて嫌になるくらい巨乳を押し付けてささやかなコンプレックスを刺激し、雪緒は後頭部を向けて寝返りひとつせず死んだように眠っていた。

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