グラスウォール その六

 辞める辞めると言っていた同僚が上司の首をしめたある日、僕はいつもの帰り道をはずれ、飲食店街のある階層へと足を向けた。


 結局店先に並べられたメニューと客引きを遠巻きに眺めてぶらぶらするだけ、お持ち帰りを頼むこともなく飲食店街を後にした。


 人もまばらになってしばらくしたところ、閑散とした通路の中央で一人の女の子を取り囲む男たちに出くわした。

 

 その子は大事そうに茶色の紙袋を抱えていた。


 どこの高校かは知らないが、白いワイシャツに青いリボン・双頭鷲のワッペンをつけたブレザーにチェックのスカート・つやつやと輝く長い髪は鳶色、それ相応の歳にしても商売として着ているわけではなさそうで、本物の高校生に違いないと思った。


 なんてところに出くわしたのだろうと、正直僕は道草した自分を呪った。

 

 女の子を囲む五人の男たちはチラリとこちらを見たもののそれは一瞬のことで、僕のことを五秒ほどの時間さえ割く価値のないものと判断したようだった。

 

 僕は自然と目をそらし、通路の端へと身を寄せた。



 普段と違う行動をするということは、日常に潜む何気ない厄介事スペシャルと必然的に出会ってしまうものなのだ。


 

 そうこうしている内に中断していた押し問答が始まった。


「そこをどいていただけませんか」


「そいつはできねえ相談だ」 煙草をふかしながら男は言った。


「求めるところは何ですか?」


「何度も言ってるじゃねえか。大した時間はとらせねえからさ、ちょっと俺たちと『プロレスごっこ』でもしないか?」


「プロレスですか……」


「いやいや、あくまで『ごっこ』だから全然痛くないって。そんな心配すんなよ、俺達が暴力的な男に見える? なあ小一時間ほどで済むからさ、ちょっと付き合えよ?」


「せっかくのお誘いごめんなさい。でももう行かないと」


「そう言わずにさあ」


「すみません。肉まんが冷めてしまいますので」


 女の子は頭を下げ足早に去ろうとしたが、男の一人が大手を広げそれを遮った。


「そんなに心配なら俺の春巻きでお嬢ちゃんのニクマンを温めなおしてやるよ」


「ホーケーはだまってろ。だいたいお前の言う肉まんは上の二つなのか下のなのかわかんねーよ。まあ俺はどっちでもいいけどさ」


 男たちは大爆笑した。


 見た目どおりの下品で、低能な、テンプレート的ゴロツキのバカ笑い。

 

 どうも女の子は何がおかしいのかわかっていないようで、キョトンとしているのが救いだった。


「ではこうしましょう。涙を飲んでこのピザまんを差し上げます。『通行税』です」


「んー、俺はピザまんより肉マンが好みだな」


 男は唇を曲げ上を向いて考えるフリをしてるだけで、あからさまに千登勢の豊満な胸を好色じみた目で見ていた。


「肉まんですか」


「そう。肉マンは肉マンでもこっちのな」


 チンピラの一人は制服ごしに千登勢の乳房をつかんだ。


 あまりの出来事に身体がすくんでしまったのか、女の子は無反応のままだった。


 ゲラゲラと笑うチンピラたちと端で小さくなっている僕――情けない。


「そのでっかい肉マン二つとおまんまんをくれよ。そうしたら通してやってもいいぜ」


 乳房を掴んだ男は手のひらの匂いを嗅ぎ、仲間に嗅がせては笑い転げた。


 次にどういう行動に出るのかと道の端で彼らを盗み見ていると、以外にもその子は莞爾にっこりと笑って言った。


「頭が悪いんですね」


「なにい?」


 男たちのふざけた空気は、一瞬にしてかき消えた。


「一度掴んだものをそんな簡単に手放すなんて、それでは迷宮で生きていけませんよ」


「ああん?」


「いいですか? 迷うくらいなら最初からやらない。一度やると決めたなら貫き通すのです。でも失敗しても大丈夫。誰かが優しく頭を撫でてくれますよ。さあ恐れず突き進みなさい」



 まずい相手に声をかけてしまったな、とばかりにゴロツキたちは口を閉ざして顔を見合わせた。


 しかしその娘の容姿も乳房も上等であることは間違いなく、彼らは一瞬の危惧をリセットし、本能の赴くままに行動することにした。



「なに言ってンのかわかんねーけど、その誰かがいない場合はどうすんだよ」


「んー、どうしましょう。誰も見ていない所で一人泣くのも悪くはないですよ」


 ゴロツキに囲まれているにも関わらず、その女の子は舌をちょこんと出して照れ笑いをした。


「じゃあ代わりに頭を撫でてくれよ。頭は頭でも亀さんの方だけどよ」

 

 とゲラゲラ笑う男たちに隠れ、一人の男が静かに少女の背後に周るや、羽交い締めにしようと構えた。

 

 見るからに醜悪なあくどい顔をして、灰褐色の色の悪い舌で舌なめずりした。


 

 ――そこで僕の中のなにかが弾けた。


 

 気がつけば駆け出していた。

 

 内なる何かが爆発し、もう止まれない。


 僕の細い腕――太くはないけれど倉庫整理で鍛えた筋繊維の束――はするりと蛇のように絡みつき大回転、一人、二人、三人、四人と、次々にゴロツキたちを床に叩きつけた。

 

 強制的に肺の空気をすべて押し出され、踏み潰されたカエルのような鳴き声を上げたのち一人も起き上がることはなかった。


 五人目が短剣を抜くと同時にそれは閃き、僕の前髪がはらはらと舞った。


 だけど舞う髪が床に落ちるより早く、疾く僕の腕は巻きつき、男の腕を捻りあげて冷たい床に顔面から叩きつけると、折れた歯のカラカラ転がる音が閑散とした通路に響いた。


 前歯のないゴロツキの身体が遅れてドスンと床に倒れると、僕の前髪だったものが地につくことなく再び宙へと舞い上がった。


 

 

 

 ヒロインのピンチに駆けつけるような性格ではない自分の行いそれ自体よりも、またたく間に体格に勝るゴロツキ五人をのしてしまう『内より溢れる力』の発現、全身にひろがる衝動と充足感に膝が笑う。

 

 震える指先。

 

 繰り返し開いては閉じる手は間違いなく自分のもの。

 

 これは現実であることを再確認、この異世界にいる自分は夢の住人ではないのだ。



 これが現実なのだ。



 震える僕に彼女は言った、抱える紙袋をガサゴソと鳴らしながら。


「これは?」


「勝者に報酬はない? まさか?! はい、肉まんをあげます。もちろん助けてくれたお礼です」


 薄紙に包まれたそれは、冬の寒い日にはしゃぐ女子中学生のように、白い息を吐いていた。


 差し出されるそれを見てドギマギする僕に、完璧な角度で、彼女は首を傾げた。

 

 桃色の唇がキュッと細まって笑顔をつくり、つぶらな瞳に広がる小宇宙に僕は吸い込まれた。


 意識が奪われるか奪われないかの心地よい境目で、ふっと覚醒した僕は、ひったくるようにそれを手に取ると、一息でそれを口に詰め込んだ。


 小顔の彼女の半分はあろうかという大きさのその肉まんを無理矢理口に詰めた僕は、あまりの苦しさに拳をつくって胸をなんども叩く。


 それを見て目をまんまるにして驚く彼女がクスクスと笑った。


 とても可愛いらしかった――涙目で滲んでしまっていても最高の笑顔だった。


「――だけどどういうわけか、僕はその場から逃げ出したんだ」


「あっそ」


 空の缶ジュースを片手に、凛はすこし伸びた爪をつまらなそうに眺めていた。

 

 

 


「はあ。やっと話が終わったか――って、お前か、私の肉まん食べたのは?!」


 伸びをする凛は突然大声を上げ、アルミ缶をぐしゃりと潰すなり優一に迫った。


「え?」


「思い出したぞ。助けてくれた素敵な人にお礼としてあげたとかって千登勢ちゃんがグチグチ言うから諦めたけど……相手がオマエなら話は別だ、肉まん返せ!」


「それは無理だよ。千登勢さんが触れた肉まんは僕と一体となったのだから」


「なにぃ?! 食べたものはウンコになって出てくるんだよ。お前は出てきたウンコを常に食う循環エコシステム野郎なのか?」


「女の子がそんな言葉遣いしちゃ駄目だ。いつまでもそんなのだと、千登勢さんみたいに美しくならずにちっこいままだよ」


「絶賛成長中だバカやろう。だいたいなんなんだお前は? 突然グダグダと身の上話はじめやがって。まさかワンチャンあると思ってる? そんくらいの出来事で千登勢ちゃんがお前にべた惚れすると本当に思ってんのか? いやだいやだ、これだから童貞殿はオメデタくて羨ましい限りだよ」


「なにか勘違いしてるね、ぜんぜん違うよ。僕はあのとき言えなかった『ありがとう』をどうしても伝えたいんだ。だけどどうも奥手でどうにかして邪魔というか、千登勢さんの苦にならないようなタイミングと場所で、いかに気持ちを伝えるかを僕はずっと探っていたんだけど、うん、なんかどうもね……」


「へ? なに? 単にお礼が言いたかっただけなの?」


 行動はまったくの異常者だが、意外と真っ当な動機に凛はキョトンとした表情を見せたが、


「あわよくばお付き合いしたい」


 と顔を赤らめる優一の言葉を聞きいて安心のため息を吐いた。

 

「なら話は簡単じゃん! 告白すればいいんだよ、当たって砕けろの精神だ!」


「やっぱりそれかな?」


 優一の顔がパッと明るくなった、まるで誰かに肩を押してもらいたかったと言わんばかりに。


「そうだよ。行動しなけりゃなんも変わんないよ」


「行動はしてる」


「ストーカー行為はノーカンっしょ。決定的な一撃をかまさないと。ガラスに張り付くのはインパクトあるけどね。やっぱ好きならさ、告白しないと。前には進まないよ。堂々巡りが人生か、違うっしょ?」


「そうかな?」


「そうだよ」


「そうか!」


 納得のいったとばかりに、優一はうんうんと頷いていた。


 一方の凛はといえば、女子中学生とは思えない、邪悪な笑みを浮かべていた。

 

 

 当たって砕けて再起不能になるがいい。

 

 ニコニコしながら遠慮なしのどぎつい言葉を浴びせる、それが千登勢ちゃんだ。

 

 雪緒ちゃんの突き放すようなのとは違う、重みがダンチなのだ。

 

 さっさと儚い恋に破れ、うだつの上がらない、繰り返しの日々に戻るがいい。

 

 そしたら吾郎からの臨時収入が入ってくるし、お仕事料としてストーカーからもいただき。

 

 そんでもっておニューの銃に交換して一件落着。

 

 そして私はこれまでどおり銃を撃ちまくってガンガン稼ぐんだ!

 

 いつもニコニコ笑う千登勢ちゃんがいて、いつも口うるさい雪緒ちゃんがいて、足の臭い鉄兵と、ひたすら迷宮探索する生活に戻るんだ。



「どうかした?」


「別に」


 内心とは裏腹に、凛はつっけんどんな態度をとった。


「告るっしょ? ならセッティングは任せといて、なんとかしてあげるよ」


「うん、お願いするよ。ありがとう。思い切って話してみて本当に良かった」


「別に。私はスコアが欲しいだけなんだ、勘違いしないで」


「知ってる……」


 そうつぶやく優一はどこか寂しげな目で遠くを見ていたが、コホンとわざとらしい咳払いをひとつすると、表情をあらためて凛に向き直って言った。


「ところで凛ちゃんはしないの、告白」


「はああぁ?」


 頭の後ろで両手を組み余裕しゃくしゃくで鼻歌を歌っていた凛の目がとつぜん険を増すや、みるみるうちに三角形となって鋭利な視線を発射し、頬の内側を苛立たしげに舌でなぞって怒りを露わにした。

 

 優一は一瞬怯んだものの、すぐに余裕のある大人の笑みを見せた。

 

 しかし輝く白い歯と端正な顔立ちがつくるハンサムスマイルに、凛は少しもなびくことはなく、むしろ眉間の皺を深めるだけだった。

 


 これはちょっとした小手調べ――ストーカー優一は真の逆鱗に触れようとしていた。


 それは凛が自分の『同類』であることを確認するための危険な行為。


 それでも『同類』同士の交流というものをしてみたかったのだ。

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