グラスウォール その三
「ねえねえオニーサン。なにが楽しいのか知らないけど、すっごく迷惑してる人がいるの、知ってる? 飴玉あげるから二度とここに来ないでくれると私嬉しいな」
ジャージのポケットに隠した拳銃の先をウインドウに張り付く男の背中に狙いを定める凛は、人懐っこい笑顔で声をかけた。
「鉛でできたやつしかないんだけどさ、どう?」
突然の険のある言い方に、へばりついていた男は静かにウィンドウから離れ向きなおった。
「あらイケメン」
ジャケット姿のその男は背がスラリと高く目鼻立ちの整った二十代半ばの好青年で、すこし乱れた頭髪はファッションモデルを思わせた。
一見しただけではウィンドウにへばりつく奇行をするような人間には見えなかった。
はりつけていた左頬は赤くなっているが、見事な男前に凛はしばし見惚れていた。
しかし彼の形の良い唇からつむがれるその言葉に悪寒が走るのだった。
「凛ちゃん――だね? ちょっと頼みたいことがあるんだけど、どうかな?」
「ひぃっ?! なんで私の名前知ってる?」
えも言われぬ不安に思わずポケットより取り出した銃を構えると、通行人はぎょっとするもすぐに何事もなかったように立ち去った。
「そんなに警戒しないでも大丈夫だよ」
怯える凛に両手をあげてなだめる彼は、人を安心させるやわらかな笑顔で言った。
「僕は――ただ千登勢さんのことをもっと知りたいんだけなんだ。他はどうでもいい」
どうでもいいと言うときの目つきと声の変わりようは完全に異常者のものと見た凛は、素早く後方へ跳び退いた。
「だからそんなに警戒しなくても大丈夫だから。えーと、そうだな、こういうのはどうかな? 千登勢さんの情報を買いたい」
「大事な仲間を売れるか!」
「別に大した内容じゃないんだ。たとえば好きな食べ物とか花とか、どんな本を読むのかとかそういう些細なことでいいんだ。ほかには歯を磨くときは上から? それとも下から? つぶあんとこしあんどっちが好みかな、僕はどちらでもいけるんだけど……。そうだ、使わなくなった万年筆とか小銭入れなんかをもってきたら、ボーナスをあげよう。まずは手付け、この置き物はその銃が四、五本買えるだけの価値があるらしい。落とさないようにね」
青年が手を伸ばす先のそれを、銃を構えて用心深く近づく凛は、ひったくるようにして掴むなりジャージのポケットに詰め込んだ。
「今日も素敵だ……」
ウィンドウの向こうの千登勢を見つめる青年は熱っぽく言うなり歩き出した。
「に、逃げるのか?」
広い背中の真ん中に照星を置く凛の声は震えていた。
見た目こそまともながらも中身は完全な異常者に嫌悪感はメーターを振り切っての限界マックス、千登勢に忍び寄る危機は確実ながらも、どうすることもできなかった。
なにかしら攻撃してきたなら、正当防衛ということで通りすがりを巻き込んでとっちめるつもりだったがあては外れ、凛は歯噛みしながら後ろ姿を見送った。
「ちょっと、名前ぐらい言えよ」
「優一。それじゃ頼んだよ、二日後のこの場所この時間に」
そう名乗った彼は微笑む白い歯の輝きを残し、遠くの人混みにまぎれて姿が見えなくなった。
凛がポケットの中の包みを開いてみると、中にあったのは瀬戸物の蛙の『御守り』だった。
『御守り』は迷宮探索者にとっての必須アイテムのひとつだ。
徘徊する化け物や罠からのダメージを代わりに引き受けてくれるもので、瀬戸物のほか万年筆やカルタにビー玉にイヤリング等々カタチは様々で一貫性はなく、手に取れば神々しく光っていたりと普通のものではないとすぐ判別できた。
中古自動車ぐらいの値段がするそれを、惜しげもなく初対面の相手に渡すその軽率ぶりというよりも、なりふり構わなぬその大胆さに、凛は震えた。
人目はばかることなくウィンドウに張り付くイケメン優一は、千登勢に思いを寄せるストーカーだった。
「やるじゃないか。結構気を揉んだがまさかこうなるとは」
吾郎はあご髭をさすりながら驚きの表情を浮かべ、少し疲れた顔の凛をしげしげと見つめた。
カウンターに頬杖をつく雪緒は冷めた様子ながらも、ウインドウの向こう側で行われたやり取りに興味があった。
「どうやって追い払った?」
「え? うん、あれ、やっぱ銃が効いたみたい。くわしくは企業秘密」
「なんにしても怪我しないでよかった。凛ちゃんお手柄!」
頭を撫でるのんきな千登勢が原因とはとても言えず、されるがままの凛は、とりあえずスツールになんとかして腰を据え、吾郎が用意した甘い紅茶を音を立ててすすった。
相手はストーカー――成り行きで取引に応じてしまったことなど、口が裂けても言えない。
とくに鉄兵と雪緒に知れたらタダじゃすまない。
トイレ掃除一週間はまず間違いないし、新しい銃を買ってもらう約束がさらに遠のくのは疑いようがない。
いやそれよりも二日後どうするか、だ。
違う、千登勢ちゃんに忍び寄る魔の手をどう断ち切るかだ。
「ともかくこれで今日の売り上げは若干持ち直せるか……。見た感じあれで根本的な解決じゃあなさそうだ、だから鍋の中の賭け金すべてを贈呈するわけにはいかない――だからどうだいお嬢ちさん方、フルーツパフェとか食べるかい?」
「三人分か? 一人分にしても金ならないぞ」
雪緒はカップを回して底に残った紅茶の三日月をつまらなそうに見ながら言った。
「一人前の半分を三人でならなんとか。ここ数日青果――とくに果物の流通が滞ってるって聞いたのでちょっと……」
千登勢が伏し目がちに言うのに対し、吾郎はみょうに浮かれた顔をしていた。
「いやいや、ここはおごりで。このまま奴がいなくなるなら万々歳、これくらい安いもんよ。どうした凛之助、今日一番のお手柄だろ? こういうのに真っ先に飛びつくはずなのに」
「わ、わーい嬉しいな」
凛は両手を上げて喜ぶふりをしたが、どうしても笑顔は引きつってしまった。
さて引くに引けなくなってきた。
どうしよう。
バナナパフェなりフルーツサンデーなりを一口でも食べたなら、あのストーカーをどうにかして排除しなければマズイことになる。
リンゴ一個で一万円! みたいなアホな価格になってる今、追っ払うのに失敗したならパフェ三つ分の代金支払いは絶対だ。
なんとかして断るか、せめてパフェはひとつにしてもらわないと――
「はい、三人分お待ちどうさん!」
「ちょ、早い!」
「光の速さで仕事したからな。喜べ、果物多めに盛っといたぞ。こんな凄いの、元の世界でも見たことないだろ?」
「おいふぃい!」 光の速さで生クリームのついたイチゴ三つを頬張る千登勢。
「ちょ?!」
「あ、ごふぇんね。ひぃんちゃんふぁ、ふぁひひはふぇるべひたよね」
「千登勢、かっこみながら喋らない」
そう口では言いながらも、目を輝かせる雪緒は細長い銀のスプーンでアイスクリームの山を豪快に切り崩していた。
こいつを喰ったら最後だ、まだ、まだ引き返せる。
どいつもこいつものんきにパフェなんか食って……。
いったい誰のおかげでごちそうにありつけると――違う、そうじゃない。
退散させたのではなく単にストーカーが欲を出しただけ、この店の不運の原因は千登勢ちゃんが可愛いからだ!
違う! 男が好みそうな特徴を兼ね備えているというふざけた理由からだ!
つぶらな瞳はおきらくのんきお花畑の星が千と輝き、デカい胸と尻がところかわまず男の目を釘付けにする。
口元のホクロはセクシーで、同じシャンプー使ってるのにどういうわけかニオイが違う。
純情ぶって無知を詫びるが、男の要望には三つ指ついてなんでも応えてくれそうな、頭のネジが一本抜けてる淫乱ピンク髪キャラ、それが千登勢ちゃんだ!
なんだか妙に腹が立ってきた凛は、細長い銀のスプーンを握りしめギリギリと歯ぎしりした。
千登勢と比較すればちんちくりんの自分と、そして何よりも見た目は良いが最高にキモいあの男とまた会わなければならない自分を呪った。
しかしパフェはたいへん素晴らしいもので大満足だった。
参考までに値段を聞くまでは……。
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