グラスウォール その二

 カフェバー『グリーンドルフィン』の木目の美しいカウンターの上で七並べに興じていた三人は、ある青年の姿に目を奪われた。


 勢い良く壁にぶつかったカートゥーンキャラクターのようにウィンドウに張り付く青年。


 息をするたびにガラスが白く曇った。


 一体いつまであんなのを放っているのか、むしろいつからあそこにいたのか――雪緒はカップのミルクティーをすすりながら、青年をにらむ吾郎を見上げた。


 注文を受けに行ったり後片付けしに行きやすいようにカウンターの端で七並べに興じていたのであるが、雇われ店長に動く気配はない。


 営業妨害のクソ野郎と罵るわりになにもしないのは腑に落ちない、ならば自分が――と雪緒が愛刀に手を伸ばすのと同時に、体格の良い大男が歩み寄ってきた。


「今度こそ俺のものだぜ」


 大男は少し左に曲がった鼻の下を人差し指でこすりながら自信満々で言った。


「頼んだよ、と言いたいとこだが怪我しないようにな。あと一応決まり事なんで――」と言うなり、吾郎の姿がカウンターから消えた。


 よっこらせの掛け声と同時に再び姿をあらわしたときには、両脇に取手のある深底鍋を手にしており――結構な重量があるのか――慎重にそれをカウンターの上に置いた。


「わかってるって」


 吾郎が鍋の蓋をあけると、大男はポケットより取り出した『金貨』数枚をほうりこんだ。


「銃が使えたら一発なのによ」


 大男はセイウチのような巨漢で太くたくましい腕にギョロリとした目をもつが、人懐こい笑顔をみせニンマリと笑った。


「『自治会』に目をつけられて、ささやかな資産を根こそぎ取られますよ」


「この二本の腕が残りゃあ大概なんとかなる。だいたい『自治会』はああいう輩こそしょっぴくべきなんだよ。銭ばっか追いかけやがって」


「皆さんそう言うが、じつに楽しんでるふうに見えるのはなんなんでしょうね?」


 へっ、と言うなり男は指の関節をペキポキ鳴らしながら出口へと向かっていった。

 

「なにが始まるんだ?」


「見てればわかるよ」


 吾郎は高速でシャッフルされるトランプの絵柄を読もうとするだけで、雪緒の目を見て話そうとはしなかった。


 雪緒の鷹のような鋭い目は何が起こるのかお見通しという具合で、トラブルを賭け事につかうそのやり方が気に食わんとばかりに、サーベルのごとく目を細めた。


 一方の吾郎はそんな視線に気づかない風を装い、カードを手早く配り始めたが、


「ほら……始まるぞ」


 口元に笑みを残してぼそりと呟いた。


 はっとして雪緒が店の入口に目を向けたのは、セイウチのような大男がウィンドウに張り付く青年の肩をがっしと掴んだその時であった。


 大男が口をパクパクさせて喋っているが、店内に流れる音楽もあって、何ひとつ聞こえない。


 相変わらずウィンドウは青年の呼吸にあわせて晴れたり曇ったりを繰り返し、密着させた顔は無様に歪んでいた。


 大男が身体のなりに見合った大きな溜息をついたその瞬間、かれは自慢のたくましい筋肉質の腕を中心に回転し、姿を消した。


 あるのは青年の後ろ姿だけになった。


 やがて彼は何事もなかったように、ふたたびウィンドウに張り付いた。


 イモリのように両手を広げる彼の足元では、大男が大の字になってのびていた。


 鮮やかにもほどがある高速で切れの良い投げ技に、目を大きく見開く雪緒は、手にもつカップの中身をこぼしそうになるほど唖然としていた。


 吾郎はカードを配る手を止め、しずかに台布巾へと手を伸ばした。





「ちょっとしたお遊びさ、参加者側にとってはね」


 鮮やか極まりない見事なその投げ技に、目を奪われる雪緒のポニーテールへ吾郎が話しかけるも応答はなかった。


「店側としてはとにかく消えてもらいたいんだが、俺の腕っぷしは情けないことにどうもイマイチでね……。冗談ではじめた賭けが膨らんでいまはこのとおり、料理鍋いっぱいの賞金になっちまった。だけどアイツを追っ払うことができるめどは立たないし、最近は挑戦者がめっきり減ってるしで困ってる」


「見せて!」 賞金という言葉に、凛が飛びついた。


 結構な人数分のシチューが作れる大きな鍋に、金貨がなみなみと入っていた。溢れかえるのも時間の問題だ。



 金貨――ときどき迷宮で見つかる金色に光る円板状のもの。


 ぴかぴかと金色に光るが、材料はゴールドではないらしい。


 ダンボール箱につまったこの金貨を見つける幸運の持ち主がいるものの、この異世界における経済活動を支えるだけの量は流通していない。


 個々人がもつ『赤いカード』の中の電磁的記録の『スコア』は、ICカード読み取り機などの端末をとおして決済されるが、『帳簿係』なる特殊な技能をもった人間の仲介がなければホストコンピュータへのアクセスはできず、取引は成立しない。


 読み取り機を持っているだけでは駄目なのだ。


 そこで個人間取引のできない『スコア』のやりとりに不便を感じる者が、便宜的に使うのがこの『金貨』である。


 使用されるのはもっぱら少額取引だけで、これを大量に抱え込むものはいない。


 なぜならばレートはそのときの気分で、『スコア』への換金可能性は著しく乏しいからだ。


 『子供銀行券』と大してかわりのないこの金貨を扱わない店も当然におり、全く通用しない駅もあれば、これが通過として利用されている駅もあった。



「わぉ、すごい量!」千登勢は目を輝かせて鍋の中身を両手ですくった。


「これでだいたいいくらになる?」


 吾郎は雪緒に応えた。


「さあ? 『スコア』でこれを買うやつはいないからなあ。いつから始まったのやら、これで勘定しようとするぐらいには広まってるが、こいつ自体に価値はないから……うまく捌いてモノに交換、さらにそれをうまく捌いて『スコア』に交換すればそこそこの額になるよ。うちで使うなら、そうだなあ、一週間ぐらいは毎日がクリスマスパーティーだ」


 カウンターの上で古代ギリシャ神殿の成れの果てのような柱を乱立させてはしゃぐ凛と千登勢をよそに、雪緒はそれに触れようともせず、ただただ疑いの目を向けていた。


「しかしそんなものが流通するものなのか?」


「おはじきやメンコみたいなもんだよ」


「よくわからん」


「ジェネレーションギャップだねぇ」


 吾郎は柱の一枚をひょいと掴むなり親指で弾くと、BGMの合間のしずけさに、小気味よい金属音を響かせた。


 落ちてきた『金貨』をうまく左手にのせ、かぶせた右手をそっとどけると、まるくなって自らの尾を飲む邪竜と目が合った。


「裏か」


 誰が言ったかは知らないが、表は若い女の横顔のレリーフがある方だ。


 さてこれが不吉の兆しをあらわすものであるのかどうかは不明だが、はっきりしているのは、裏面のそれが竜であるのか蛇であるのか決着がついていないということだけだ。


 吾郎の顔が曇った、一抹の不安を覚えたからだ。


 が、遅かった。


「ま、なんにしても、これって稼ぎ時ってやつだよね」


 脚の長いスツールから飛び降りた凛は、うーん、と背を伸ばした。


 二本のおさげを揺らしてニーソックスの丈を直すと、細い太腿がパチンと鳴った。


 次いでレッグホルスターのシグザウエル・P239のスライドをめいいっぱい引いて弾薬をチャンバーに送り込んだ。



 スライドが閉じる金属音に店内は静まり返った。



 しかしそれは一瞬のこと、すぐにざわめきが舞い戻った。


 客達は荒事に慣れていた、そして彼らの大部分は興味をもたなかった。


 女子中学生が銃を扱うのは珍しいといえば珍しいことだが、これも異世界の日常のほんの一コマで、下手に年少者に関わるとろくなことにならないので自然とその存在を無視した。


 いずれにしてもろくな事にならぬと危ぶんだ吾郎は、慌ててカウンターから飛び出した。


 戯れのコイン占いが当たってしまったからだ。


 もちろん邪龍の輪が『裏』で『不幸の象徴』であるならば――


「ぐわっ?!」


 カウンターから飛び出した吾郎は盛大にコケた。


 車に轢かれたカエルのような姿勢で床に這いつくばる彼の傍らで、一枚の金貨が騒々しく踊っていた。


 やがて静止したそれと再び目が合った。


 浅い角度からみるそれは、邪龍がいやらしく微笑んでいるようにみえた。


「失礼、脚が長くて――」


 すました顔の雪緒が冷ややかに見下ろしていた。


 吾郎は、鉄兵の苦労がすこし解ったような気がした。


 カランカランと入り口の鐘が鳴るのを聞いてそちらへ目を移すと、ちいさな後ろ姿――二本のおさげを揺らす前髪パッツンの女子中学生は、ジャージのポケットに両手をつっこみ鼻歌を歌っていた。


 ポケットの膨らみはシグザウエル・P239、いたずらを思いついたにしては不敵な笑みを漏らす小悪魔の頭は、金勘定でいっぱいだった。

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