第四幕

グラスウォール その一

 よくあるコーヒーチェーンやファミリーレストランのように、その店の前面もガラス張りとなって店内の様子を外から見ることができた。


 テーブルを囲むイスと客が対となって並び、食事や会話を楽しむ客と銀盆を片手に動きまわるウェイトレスの姿がガラスの向こう側にあるのは、この異世界でも現実世界と同様だ。


 もちろん客が鎧を着込んでいたり、腰に銃をさげているのを別にすれば。



 濃緑色の幌が目印のカフェバー『グリーンドルフィン』は通称であって、正式名称ではない。



 幌に店名らしきものが記されているのであるが、漢字・カタカナ・ラテン文字のほかキリル文字も混ざり、いわゆる文字化け状態となっている為に正しく読むことは不可能、これにブロックノイズが参戦したため解読不能に拍車をかけている。


 カウンターの端にあるレジの上やICカード読取り装置近くに、ブロンズや陶器のイルカの置物があるのを見つけた客が『グリーンドルフィン』と叫んだのが最初とも言われているし、店の名前がはっきりしないと不便だと話し合っていた際に、たまたまジャズ・スタンダードの『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』が流れていたのがその由来だという者もあるが、定かなことはわからない。


 さてその真偽について、現在この店を預かる顎髭をきれいに整えた色男――雇われ店長と自虐する『吾郎』氏に尋ねてみても、


「――さあね」


 と静かに微笑むだけで、拭いていたグラスを天井のライトに透かし汚れが残っていないかを確かめたのち、グラスを磨く作業に戻るのであった。


 口の端にちょっぴりいなせな笑みを作るだけで、議論に決着をつけるつもりはさらさらないようだ。

 

 もしかしたら彼も真偽の程はわからないのかもしれない。





 カフェバー『グリーンドルフィン』は、品川駅の商業区のある階層のうち、飲食店が軒を連ねる区画の大通りに面した十字路の角という立地に恵まれた場所にあった。


 その通りの往来は夜の繁華街のごとく量も密度もなかなかのものだった。


 通りを歩く者の大半は『迷宮探索者』で、他はといえば迷宮探索に関係するものから全く関係のないものなど様々である。


 たとえば流しの鑑定屋に道具屋、珍品や迷宮攻略のほか各勢力の裏事情に長けた情報屋、実入りの多い稼ぎに浮かれた『迷宮探索者』をねらう詐欺師・スリ師・娼婦に美人局のほかギャンブラーや恐喝を生業とする者等々肩書は様々だ。


 人の移動は欲望の移動――その立地を活かした店の経営は順風満帆で、出店を目指す者も、現に商売している者も、この店を欲しがった。


 しかし店主が代替わりする以前は恵まれた立地にもかかわらず、みすぼらしい構えの冴えない店で、銃やナイフを見せびらかすお定まりのゴロツキや悪漢、すね毛の生えた男か女か分からないような年増の娼婦が常にたむろするような場所であった。


 当然店構えに相応しく、この大通りも区画もかつては荒んでいた。


 いまでこそジャズからウエスタンまで様々なミュージシャン達の生演奏が聞けるちょっと品の良いバーとなっている地下は、以前は人身売買や麻薬などの禁制品を取り扱うブローカーなどの集まる会員制の店となっており、店の周囲もなにもかもが悪徳に染まっていた。


 あるとき行われた浄化作戦のゴタゴタの折に店の持ち主が代わり、次いで店長が吾郎に変わってからはそういった輩のほとんどがいなくなってしまい、周囲もそれに応じて健全化していった。


 全盛期の頃に比べればマイルドな連中が、この店の照明が乏しい奥のボックス席を陣取っているのはその名残りであり、何を扱っているのよくわからない佇まいの店が周囲にちらほらあるのも同様である。


 それでも現在は周囲も含めてだいぶまっとうな店が軒を連ねることとなり、日中――空を見上げることの叶わぬ異世界の住人たちが決めた時間帯――には女子供が店のカウンターで甘い紅茶や菓子をつまみながら、雇われ店長相手に七並べをすることが出来るほど平和だった。


「ひゃっほう! また私の勝ちぃ! いやぁ~苦しゅうないっす」


 千登勢は満面の笑みをもって参加者である雪緒・凛の皿からクッキーを一枚ずつ頂戴し、吾郎からは一枚余計に頂戴することが許されているため、チョコレートでコーティングされた二枚を徴収した。


「三連勝か……千登勢つよすぎ」


 ズビビ――と、湯のみのようにティーカップをつかみ中身をすする雪緒は、とにかく面白くなさそうな渋い顔をしていた。


 吾郎は二位である故の余裕なのか、それとも資本力の差からくる余裕なのか、それとも賭け金であるクッキーを取られるのが目的なのか、ただニコニコしながら集めたカードをひとまとめにすると手際よくヒンズーシャッフルを繰り返し、5回に1回の割合でリフルシャッフルを加えた。


 二連続のビリッケツでそろそろ癇癪をおこすかな――と雪緒は凛の顔をうかがっていたが、当の本人はぼうっとしながら吾郎の背後に並べられている色とりどりの酒瓶を眺めていた。


 塩の効いた胡麻をまぶしたクッキーをボリボリと食べながら、雪緒が怪訝そうに凛の横顔を眺めていると、突然、


「ねえ、この適当に『ズマズマ』言ってるだけのこれは何を歌ってるの?」


 と凛は天井を指差し、店内のスピーカーから流れる曲についての率直な質問を投げかけた。



 流れる伴奏は単調な駆け足のリズムながらも心踊り、豊かなヴォリュームで伸びやかに歌う男性ボーカルは心地よく、古めがしいながらも素晴らしい曲だった。



「ラブソングだよ。ピッツェリアで働くお目当てのウェイトレスを見つめながら一人料理を食べる男の」


「あんな感じですか?」千登勢が指差す先には、店の奥で一人食事をする青年がいた。


「あそこまで重症じゃないが、まあ、あんな感じだ。人は彼を青春野郎と呼ぶ」


 青年が口まで持っていったパスタはそのまま、口を開けて惚ける彼の視線の先には、豊かなヴォリュームの胸を揺らし働くウェイトレスがいた。


「……いやらしい奴め」


 雪緒は軽蔑を込めて鼻を鳴らし、吐き捨てるようにいった。


「それは誤解だ。確かにアレにも魅かれてるんだろうが、もっと包括的に、彼女のことが好きなんだろう。直接話しを聞いたわけじゃないけどね」


「二人の間を取り持つキューピッド的な何かをしたりはしないんですか?」


 ティーカップを両手で包むように持つ千登勢は、上目遣いで吾郎を見上げた。


「しないよ。野暮だし、めんどくさい上に、業務外だからね。払うもん払ってくれるなら、『スコア』を頂戴できるなら話は別だけど……」


 吾郎は肩をすくめて言うなりカウンターの上にカードを配り始めた。



 『スコア』はJR山手線のような環状線を中心とするとてつもなく広大な迷宮世界に閉じ込められた人々における通貨であり、バケモノが徘徊するコンクリート構造体世界から脱出するための切符である。


 現実世界にもどるために十分な額の『スコア』をもって駅改札口を無事通過することで脱出するのであるが、人々の生活はモノの売買や斡旋・仲介のはか、肉体労働に従事したりと、異世界へ迷い込んでもやることに現実世界と大差なかった。


 しかしできることには差があった。


 剣や銃で武装して迷宮を探索することで稼ぐほか、犯罪行為に手を染めることで大きく稼ぐこともできた。 



「じゃあ、私が払いまっす!」


「こら、千登勢、やめなさい。店主、今のはなしだ」


 授業中の小学生のように手を上げて宣言する千登勢であったが、雪緒は強引にその手を下ろさせた。


 見ず知らずの男の色恋沙汰にむざむざ金をつっこむやつがいるだろうか――正気ではないと憤慨する雪緒のかたわらで、凛はずっと後ろを向いたままだった。


 青春野郎の方ではなく、店の外の方だ。


「ちょっと手助けしてあげるだけなのに」


 千登勢は頬を膨らませた。


「ああいうのは自然になんとかなる、周囲が騒いでどうにかなるものじゃない」


 そう言いきる雪緒に、深く感謝する吾郎であった。


 内心ほっとしており、まさか本当に名乗り上げるとは思ってもみなかったからだ。


 そもそも周囲にお膳立てされて成立した恋愛など長続きはしない――いや、それよりもこんなことでせっかく稼いだ『スコア』を受け取れるわけがない、吾郎はカードを配る手を止めて言った。


「一理あるな。あいつは放っておくのが一番だ。恋しているからこそ生きる望みを捨てず迷宮からなんとか還ってこられると思えば、ああやってせっかく作ったパスタを無駄にされるのも悪くない」


「それは違います。一緒にゴハン食べたり、手をつないだり、時々チューしたりする方が断然良いに決まってます」


「経験者は語る?」吾郎は意地悪そうな笑みで、器用に片眉を上げてたずねた。



 ――微妙な間、彼らの周囲も聞き耳をたてているかのように店内に静寂が訪れた。



「そうしたいものです」


 千登勢はちょんと舌を出すと、照れくさそうに笑った。


 肺の中身をすべて搾りだすような長い長い雪緒の溜息に、吾朗はひどく楽しそうだが、


「凛ちゃん静かだね? どうかした?」


 会話に一切絡んでこない凛が後ろを向いたまま、店の外ばかり見ているのに気付いた。


「あれは何?」


 店の前面を覆うガラス張りのウインドウを凛が指さすと、振り返った雪緒は危うく紅茶を吹き出しそうになった。


「どれどれ~?」


 千登勢はチョコレートが渦を巻くツートンカラーのクッキーを両目にあてて振り返った。


「……あれか。人は彼をイモリまたはヤモリと呼ぶ」


 吾郎のトランプを並べる手が震えていた。


「吾朗さんは何て呼んでるんですか?」


 千登勢は純然たる疑問を口にした。


「営業妨害の――クソ野郎だ」


 吾郎は手札を握り潰そうとする衝動をなんとか堪えることに成功した。


 が、これまで顔にこそ出さなかったものの、腹の底でぐらぐらと煮えたぎっていた憤懣たる思いが口をついて出てしまった。


 子供を前にした大人としても、雇われとはいえ店を預かる者としても、あるまじき行為だ。


 絶対に追っ払ってやると誓いを立てるも、それに成功した者は彼も含め誰一人としていなかった。


 凛の小さな指がさし示す先には、ウインドウに張り付く男がいた。


 パントマイムをしているかのように上下段違いに腕を広げ、左足を持ち上げての片足立ちの姿勢、顔を強く押し付けているために頬の肉が潰れて広がり、男が息をするたびにガラス面が白く曇った。


 当然に男が張り付くガラス前は空席――その周囲も同様――男の視線の延長線上にあることごとくの席が空席だ。


 カフェバー『グリーンドルフィン』の雇われ店長の頭を痛める悩みの種のひとつだ。


 綺麗に手入れをした顎髭をなでながら、延長線上の端にいる吾郎は、敵意まる出しでウインドウに張り付く男を睨みつけていた。

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