秘密の会話

 装備品および訓練の代金決済をすませた鉄兵は、桜子と言葉を交わすも下ネタひとつ出すことなく終始淡々としたものであった。


 桜子とふざけあっていた時は別として、明らかに雰囲気が変わってしまった鋼太郎を見て、これはしてやられたと鉄兵は訓練延長を了承したことを後悔した。


 逞しくなったと言えば聞こえは良いが、引き締まった顔つきに帯びる、ほの暗いかげりが目を引いた。


 かつてのおどどとした様子はなく、笑えば年相応、初めて会った日に見せたものと大して変わりはないようにみえた。


 しかしふとした折りに見せる表情はそうではなかった。


 心ここにあらずといった様子で、なにか尾を引くものがあるらしく、鋼太郎の眉間に皺が刻まれていた。


 これは何としても桜子から引き離し、これ以上このコミュニティと関係させまいと鉄兵は心に誓った。





 桜子のはからいにより、帰途は気の滅入るような暗所の迷路を練り歩くことを避けることができた。


 だがこいつは借り作るころになる。のちのち面倒事を頼まれるのかと思うと胃が痛くなるよ、と鉄兵は腹を擦りながら冗談めいて言った。


「そのときは僕が……」


「俺達は仲間なんだ。一人に面倒事を押しつけるようなことはしない。みんなで無い知恵を絞って逃げ回ろう、姐さんの頼みごとはロクでもないものばかりだからな」


 熊のような大男は、柔らかな微笑みを逞しい顎の上に浮かべた。


「しっかし、ここのエレベーターは相変わらずトロいな」


 コミュニティの本拠地施設と上層を繋ぐエレベーターはゆっくり上へ上へと上昇している。


 聞こえてくるモーター音の割にさして上昇している感覚がなかった。


 厚手のコートを着たような両肩にのしかかる重量感はなく、階数を表すアラビア数字が思い出したかのように光る一瞬だけが、下層から遠ざかっていることを思い出させた。


 二人の視線が合わさることはなく、互いに黙したまま階数表示の電飾を眺めていた。


「鉄兵さんは……以前、このコミュニティに属していたんですよね」


「んー、まあな。とは言ってもここの出入り業者の一人に過ぎない。懇意な付き合いがあったお陰で多少顔はきくが、いまは部外者だからな、あんな奥まで行くには構成員の誰かが必ず必要になる程度でしかないんだよね」


「――午前中、鉄兵さんが迎えに来るまでの間、『儀式』に参加しました」


 鉄兵は変わらずエレベーターのカゴに背中を預けてポケットに手を突っ込み、電飾を眺めたままでいた。


 その隣で同様の姿勢をとる鋼太郎は、鉄兵の横顔を真剣な表情で見つめていた。


「……そうか、あれに参加したのか。それでもなお俺達のことを選んでくれた、こんなに嬉しいことはない、本当だ。スカウト、されたんだろ?」


「断りました――というより桜子さんは予めこうなると踏んでいたようですけど。正直言えば、グラつきました、けれどやっぱり筋は通さないといけませんから」


「義理堅いのは結構だが、それを利用して足許すくおうとする連中もいるからな。気をつけるんだぞ」


「鉄兵さんは何故ここまでしてくれるんですか? 見ず知らずの僕に……」


「……出入り業者だったころの名残だ。俺もこのコミュニティの理念に賛同し、身を捧げた一人だからな」


「コミュニティの秘密、秘密の儀式、儀式に必要な大量のスコア……」


「実のところ、コミュニティの中でも儀式を知ってるのはごく一部だけだ。秘密にしなければならないのは、それだけじゃないんだけどな」


「もっと事を上手く運ぶ方法ってないんでしょうか? ここの方針を公表するだけでも違うんじゃないでしょうか。有志はもっと集まるでしょうし、色々とやりやすくなるんじゃ――」


「それだけは絶対に駄目だ。人身売買が公然と行われることになりかねない。ただでさえ銃火器の売買で儲けてる組織として過去に何度か襲撃されてる。そこに大量のスコアも加わってさらに――後戻りはできないんだ、方法はもうあれ以外にないんだ」


 部外者であると言いいながら、まるで自分のことのように話す鉄兵の表情は険しく、ばりばりと奥歯が鳴る音が響いた。


「あの『儀式』に参加するまで、コミュニティがあんなことをしてるとは想像もつきませんでした。部外者にとことん厳しいはずです。『無能力者』を集めてるのも隠れ蓑だったなんて……」


「俺も同じだ。初めてそのことを知ったときはかなりショックを受けたよ」


「銃火器で儲けた大量のスコアを――『子供達の脱出』につぎ込んでいたなんて」


「コミュニティの維持運営にはある程度入れてはいるが、そのほとんどは子供達に使用される。年端もいかない子供達は『スコア』を稼ぐ能力がない。庇護者たるべき大人のほとんどは自分の身が一番。だから子供達の守護者となるべき人・組織が必要となる、それが――」


「それがこのコミュニティなんですね、通称『ガーディアン』」


「モンスターを撃退する銃火器を与える迷宮探索者の守護者として、誰もが『ガーディアン』と呼ぶがそれは表向きのもの。中の連中は『庭』か『ガーデン』って呼んでいる。事実、陽の光があたるわけでもないのに、小規模だが緑地がここにはある。見せてもらえたんだろ?」


「下草が生え、木々が生い茂り、果実が実る――地下であんな光景が見られるなんて」


「大勢の子供がいて、木々が生い茂る庭がある――ここは『幼稚園キンダーガーデン』だ、誰が言ったか知らないが上手いこと言ったもんさ――無能力者を騙し、人の抗争を煽る武器を売買し、襲撃に備えて大量の銃火器で武装した歪んだ楽園」




 僕が『ガーデン』に参加しない理由は恩返し。


 鉄兵さんが支払う金額以上の装備品と訓練を『ガーデン』は提供している、と桜子さんは言った。


 才能がある、という一言だけで実のところなぜそこまでしてくれるのか、はじめはその理由がよく分からなかった。


 子供の自分にはわからない。

 

 大人達のそろばん勘定によるものであることは読めた。


 しかし何をさせたいのかは分からなかった。


 コミュニティの一員に組み入れたいということだけは、薄々気付いていた。


 モノ・労力・期待の全てを無駄にされたとき、彼らは一体どんな顔をするのかと心の奥底でほくそ笑んでいた自分が恥ずかしい。


 よくよく考えてみれば『ガーデン』に対しても大恩があるのは確か。


 彼らなりの思惑があったにせよ、ここまで鍛えてくれたのだから。



 撃って撃って撃ちまくり、銃をもって駆けずり回る。


 訓練相手に叩きのめされ、せっかくの食事を全て吐き出し、それに顔を埋める。


 絵本を読み、歌を歌い、緑に触れ、子供達と一緒に遊び回る。


 迷宮探索に必要な『魔術師』としての技能獲得の為の訓練と称したオリエンテーション。


 そして打ち明けられた真実と提案。



 理不尽極まるこの世界で子供達の護り手にならないか、と。



 買っているのは戦闘能力だけじゃないとも言ってくれた。


 義理と人情ならば話は早いのだけれど、人情と人情の板挟み。



 ――それでも僕は決めたのだ。



 見ず知らずの僕を拾ってくれた彼らの恩義に、まずは報いる必要がある。


 いずれコミュニティと行動を共にするのことは明白で、そう遠い話ではないはずだ。


 彼らはそれを期待しているし、そうなることを知っている。


 僕は彼らの恩義にも報いなければならない、そう約束したからだ。


 そうでなければ、いまこうやってエレベーターには乗ってはいないだろう。


 僕も鉄兵さんと同じ『出入り業者』になった。


 コミュニティに属する人間でさえ行動が制限され、不審な点があれば徹底的に調べ上げられ、ときに死が訪れる。


 秘密を知ってもなお生きて出入りができる数は限られている。


 僕は特別な人間の一人となった。


 それはつまり――。





「つまりそこなんだよ、俺が『ガーデン』を抜けたのは――って聞いてた?」


「……えーと、すいません。ぼーっとしてました」


 先ほどまでの重苦しい雰囲気は一切なく、鉄兵はいつもの調子で振る舞った。


「だからさ俺がここに出入りしてたときはよぉ、酷いもんだったんだ。身の回り品は全部取られて軟禁状態、雑用その他の労働を強いられるわ、食事は簡素そのものだわ、上層部の派閥争いに巻き込まれるわでさ」


「――派閥争いって、そんなのあるんですか?」


「あるどころの騒ぎじゃないんだこれが。一番揉めるはスコアの分配。構成員の生活がままならんと目的が果たせないからもっとよこせ派、一人でも早く子供を脱出させたいから黙ってろ派、同業者を潰して事業拡大・権力拡大したいよ派とかでゴチャゴチャなんだよね、実は」


「まさか、そんな……」


「人がたくさん集まると、色々問題が起きるもんさ」


「……それで『ガーデン』を抜けた本当の理由はなんです?」


「嫌なこと聞くね。そうだな……ある時、俺は魔女からお告げを聞いたんだ。俺は勇者だから仲間を集め、迷宮に挑み、奥深くに眠る装置を砕き、この世界に閉じ込められた人々解き放てってな具合のやつだ」


「迷宮の奥にある装置っていうのは一体……」


「そうだな、この話はチンチロリンで相当負けが込んでいる時に、パッと思いついた話なんで、そう突っ込まれると困っちゃうんだよね」


「……」


「そんな怖い顔しないでくれよ、ちょっとした冗談じゃないか。そうだな、なんとかしてリンコ達を『脱出』させたいってのが理由だ。派閥争いに巻き込まれ色々と嫌になってた時、千登勢ちゃんと会って、雪緒ちゃん、リンコと続いて……やっぱり俺の手には余るからここに預けようかと思ったけど、みんな嫌がってね。要はモテる男はつらいよって話なんだけどさ」



 どうやらこれ以上ガーデンの話をしたくないようだ。



「――それで人手が欲しいって言っていたわけなんですね」


「誰でもいいってわけじゃない。信頼はもちろんのこと、この話ができる人間じゃないと駄目なんだ。俺達が稼いだスコアは、表向きは全員揃って『脱出』することに充てることにしている」


「裏はやっぱり――」


「そうだ。一人分相当額が貯まったら即リンコだけ『脱出』させるつもりだ。千登勢ちゃんと雪緒ちゃんの了解は取ってある。その後はどちらが続くかはまだ決めていない」


「……だから育てた新人が次々と抜けていくんですね」


「ぐ……。姐さんから聞いたのか」


「ガーデンの真似事をしていて、いざその話をするとトラブルになったりすると」


「それだけじゃないんけどな……おっとそろそろ到着か。そんな訳でだ、どうだろうか、俺に、俺達についてきてくれるか?」


「恩返しをすると決めたんです。それに僕はガーデンの理念に傾きました、例え真似事でも鉄兵さんの考え、もちろん賛成します。だからこちらこそよろしくお願いします」


「そうか、本当に嬉しいよ。俺が見込んだとおりだ」


「その根拠はなんですか? かなり自信があるみたいですけど」


 鉄兵は咳払いをするとそれまでの調子を改め、真剣な面持ちで口を開いた。



「男の勘だ」



 鉄兵はニコリと笑い、その大きな手を差し出した。


「女の勘と言われても困りますけど、他に言い方はないんですか?」


 鋼太郎は笑顔で応え、その手を強く握りしめた。


 そうだ、つとめて明るく振る舞わねば、気が滅入って死にたくなってしまう。


 その時、ガクリとはっきり体に感じられるほどにエレベーターのカゴが揺れ、チンという鈴の音と光る電飾が終点に達したことを知らせた。


「黙って強く抱きしめた方が良かったか?」


「やめて下さい。外にいる人達がびっくりしますよ」


 扉がゆっくりと開き始め、白い線が徐々に太くなり、ついには顔を覆わなければならないほどの光量に二人は包まれた。


 たっぷりと敵意を含んだ強い光に。


 エレベーターの終点で待っていたのは保安隊たち。


 一斉にフラッシュライトをエレベーター内に向け、ついでに銃口も向ける。

 

 灰色を基調とした都市迷彩を着込んだ武装した男女。


 そして叫ぶ声。



 ――両手を頭の上に上げて出てこい。



「……びっくりさせてやった方が良かったんじゃないか?」


「抱き合うのは嫌です。せめて素っ裸でいるとか」


 二人はゆっくりと頭の上に手を置き、鋼太郎はバックパックを足で蹴りだしながらエレベーターを降りた。


「……それもどうかと思うよ、俺は」


「こういう時はインパクトが大事ですから」





 怒号と罵声を浴びせかけらながらエレベーターを降りた二人は、さっそく保安隊に囲まれて乱暴にボディチェックを受けると、目隠しをさせられ、せっつかれるままに先へ進むよう背中を押された。


 鋼太郎だけは銃を携帯していたので念入りに調べられ、歩かされている間はそれらを取り上げられた。


 せっかく買ってもらったMP5と餞別のグロックを没収でもされたらどうしようかと考えていた鋼太郎は、腹立たしさと同時に彼らへの同情を禁じ得なかった。


 彼らがどこまでこのコミュニティの内情を知っているのか分からないけれども、立場が違っていたならば、自分も同様に厳しく扱っていただろう。



 『ガーデン』に属するということはそういうことなのだ。



 『出入り業者』として働いていた鉄兵さんも――つまりはそういうことなのだ。


 冗談好きの、人懐っこい笑顔を見せる精悍なこの大男が、かつて歩んできたその道を考えると不思議でならない。


 本当は派閥争いに巻き込まれたというのは方便でしかないだろう。


 鉄兵さんも属していた『ガーデン』の一部門に、僕も所属することになっていた。


 桜子さん的には、所属させるために訓練していたと言ったほうが正しいのかもしれない。


 『子供達の護り手』とはひとつの言い方、これも方便だ。



 ――その正体は強襲奪還部隊。



 無力な子供を売買する下賤の輩、醜い我欲を剥き出しにし、涎を垂らして貪り食らう不埒な輩どもを撃滅し、子供達を保護することを目的とした部隊。


 仲介者や運び屋ももちろんのこと、同じ悲惨な末路を辿ることになる。


 そうなるに値することをしたのだから、同情の余地は一切ない。


 まさかそんな、という気持ちで一杯であった自分も、この目で直に襲撃の一部始終を目撃し、細い手足の少年少女が大きなトランクから出てくれば、大いにショックを受け、信じざるを得ない。


 常識は打ち砕かれ、ついでに心の均衡も崩されてしまう。


 それが昨日の『実地訓練』の内容。


 そして今日の『儀式』へと繋がる。



 僕は狂っているのだろう。



 強襲奪還部隊に誘われた時、大いに喜び、居ても立ってもいられなくなった。


 そういう能力があることを認められ、一緒に遊んだ子供達との日々を思えば、彼らの一助となるならばこれほど嬉しいことはない。



 だが僕にはまず通すべき筋がある。



 だから『ガーデン』の専属とはならず、過去の鉄兵さんと同じ『出入り業者』となった。


 そうなる為に尽力してくれたことを桜子さんに感謝しなければならない。


 昨日の襲撃を目にし、今日の儀式に参加し、いつかは襲撃作戦に加わることを約束しなければ、こうして生きて『ガーデン』の本拠地から外へ出ることはできなかっただろう。





「どうよ、シャバの空気は?」


「……あまり変わりはないような気がします」


 そう冗談めいて言ったが鉄兵さんも知っていたはずだ、むしろ『ガーデン』の外の方が、肺を満たす空気が濁っていることを。


 当然それは『ガーデン』の奥深くに緑地があるからではない。


「行こうか、みんな待ってる」


 本当に待っているのだろうか。


 ほんの数時間しか顔を合わせていない、中途半端な『魔術師』と『盗賊』の能力を持つ金食い虫の僕を。


「……本当に待ってくれてるんでしょうか」


「当たり前じゃないか。今日までずっと鋼太郎君の話で持ちきりだったよ。リンコなんて大はしゃぎだよ」


「それは……意外ですね」


「舎弟ができたとか、予備の弾を持たせようって魂胆だからぬか喜びも程々にな」


「……ですよね」


「そんな顔すんなって、大丈夫さ。俺とは違って、年も近い同じ十代なんだからすぐに仲良くなれるって……いや、やっぱ駄目かも」


「前言撤回が早すぎます。もうちょっとこう余韻をですね――それより駄目な理由を教えてください」


「……分からないか?」


 鉄兵は人差し指で自分の鼻を軽く叩いた。


「鼻?」


「まあ、案外本人には気づかないもんかもな。エレベーターの中で気付いたんだが、話がシリアスになったから言いそびれてたんだ。なにか身体に染みこんでるんじゃないか?」


 血臭? 襲撃は昨日ことで、着ているものは異なっているのに――。


「俺が姐さんに預けた理由はプレイボーイでもなければ暗殺者になってもらうことでもないんだ。まったくどいつもこいつも……まだ分からいないか? 臭いだよ、臭い。姐さんの臭いがプンプンするぞ」


 そんなはずは、と鋼太郎は袖や肩口に鼻を近づけて確かめる姿が妙に可笑しく、堪らず鉄兵は笑い声を上げた。


「いいじゃないか、話の種になるぞ。女ってのはそういうのに敏感だ、覚悟しておけよ、何言われても泣くんじゃないぞ。おっと、ほっぺたに口紅がついてるぞ」


「えっ? あの時はそんなことしてないはず……」


「ハッハッハー、冗談だよ。つーか二人ともナニしてたんだよ」


「迷宮探索者になるための……訓練です」


「まあまあ、そんな怒りなさんな。そうだな、鋼太郎君はもう少し笑ったほうがいいな」


 バシッと肩を叩くと鋼太郎に太い腕を回し、鉄兵は大口開けて笑いながら三人が待つカフェバーへ向かった。

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