中間報告会
ギャフン!
「あー、誰か噂でもしてんのかな」
桜子は正面に座る鉄兵にむかって、ショットガンのような特大のクシャミをお見舞いをした。
鉄兵の顔へ飛んでいったのはテーブルを彩るイタリア料理。
迷宮探索者たちが苦心して集めた食材たち。
桜子の唾液と高価なボトルワインの混合物も添え、バードショットの如くフルチョークで撃ちだされた。
本日のディナーはモッツァレラチーズをのせたトマトのサラダ、真ダコとシュリンプのマリネ、オリーブとアンチョビのペンネ、ローズマリーとガーリックオイルでマリネした仔羊のグリル。
今日の鉄兵は運が良い。
これが本物のショットガンであれば飛び散った脳漿は壁を彩る現代アートのひとつとなったか、変態人肉愛好家たちによって灰色の脳みそはフォアグラの代わりにパンに塗りつけられるところであった。
「――ったく汚えな、色々飛んだぞ。くしゃみ・せきは手で口をふさげって小学校で教わんなかったか?」
「大昔のことで覚えてないわ。うぃーーっくしっ!」
言っているそばからの二度目の咆哮。
桜子は目を瞬き、鼻や額に皺を寄せては伸ばし、鼻の下を長い人差し指でこすった。
最後に鼻を大きくすすり、ニコリと笑いかけた。
その女性らしからぬ仕草の数々に半ば呆れ顔の鉄兵は言った。
「美人が台無しだ。嫁のもらい手がいなくなるぞ」
「片方はよく言われるわ」
「……どっちを」
「美人の方」
「それはそれは。それで鋼太郎君のことなんだが――」
「あら。ちょっと見ないうちにホクロが増えたみたいよ」
「はあ?」
桜子は二の句を待たずにそっと手を伸ばし、鉄兵の頬に触れた。
「お弁当つけてどこいくのかしら――って、私の口から飛んだやつかな? 失敬失敬。ふむ、これはオリーブかしらん?」
そう言ってつまんだ指先の黒い欠片を舐めとった。
「ああ、俺の貴重な初体験が……」
「なんの話?」
「ほら、よくあるだろ? ほっぺについた米粒を幼馴染の女の子が取ってそれを食べるシチュエーション。男だったらちょっとは憧れるイベントのひとつなんだよ。それを、それを……姐さんみたいな年増に穢されると思わなかった」
「ああ、あれね。育ちの悪さを見せつけてどうしたいのかしらね。そうそう、年増は余計よ、年増は」
桜子は微笑みながらもテーブルの下でささやかな復讐を開始する。
「わかった、わかったからヒールで蹴らないでくれ。それで……どうよ?」
桜子はフォークに突き刺したプチトマトの表面に映る光沢を眺めて言った。
「あと一週間、預ける気ない?」
鉄兵はフォークの先の仔羊の肉を口へ運ぶ手を止めた。
「そりゃまたどういう風の吹き回し?」
桜子はフォークの角度を様々に変えてプチトマトの光沢に映る自分の姿を楽しんでいた。
「私こう見えても中途半端って嫌いなのよ」
桜子はプチトマトを歯で挟むとフォークを抜き、見せつけるようにして白い歯の間の赤い玉を甘咬みしたまま笑いかけた。
「――まさか! 姐さんまだ童貞狙ってんのか?」
「それもある」
桜子はとぼけた顔をして口の中でプチトマトを転がした。
酸味のきいた溢れる果汁で目が覚めていくように、桜子のとぼけた表情は薄れていった。
「頼まれた通りに『盗賊』を講師としてつけてある――そのロスを埋めたい」
「なるほど。ちょっと欲張りすぎたか。『さわり』だけと思っていたが、もっと時間をかけてあげるべきだったかもしれんな。――それで本当のところは?」
後ろめたいことでもあるのだろうか、桜子はあからさまに目を逸らした。
「……惜しい」
「惜しい?」
「いま彼を手放すのは非常に惜しい」
顔を上げた桜子がむける眼差しに冗談めいたものは一切なく、そこには商売人の冷徹さと教育者の期待が混在していた。
「彼の体格をみれば体力がないのは予想通り。毎日装具を持たせて走らせてるけど短期間で体力作りができるとは思ってない。でもやって損はないはずだから欠かさずやらせている」
桜子はワイングラスを手に取り、揺れるワインの中で屈折する光をしばし眺めていた。
「光るものがある、それは確か。素直で、熱意があって、常に復習を怠らない姿は健気。辛い状況でも時折見せる笑顔が良い」
「問題は?」
「『マジックショット』がでない。魔力は弾丸に乗ってるのは確実、そこは安心していい」
「意識したからってそうそう出るもんじゃないだろ。重要なのは一発逆転じゃなくて、銃の扱い方と迷宮探索の技術だ」
「ベテランとは思えない台詞ね。腕立てやって、そこらをぐるぐる走って、怒鳴られて、銃をバラして組み立てての生活の中でとことん負荷をかけ、毎日毎日何百発と銃を撃たせて一度も出ないのよ……」
桜子は一息おくと、渋い顔をしながら眉間を揉み始めた。
「『戦士』や『僧侶』に銃を撃たせてるのとはわけが違うの。確率が低くとも、ここぞというときの一発がでないのは『魔術師』として片手落ち。それじゃあ迷宮のモンスター相手には特に分が悪い。彼の言葉を借りるなら、彼はまさしく『半端者』よ」
「……ダブルスキルの弊害か」
太い腕を交差させる鉄兵は低く唸ると天井を見上げた。
「『マジックショット』の出る確率を高めようと試行錯誤試してるけど、なかなか上手くいかないのが現状。さてさてどうしたもんか……」
桜子はグラスに残ったワインを飲み干した。
「どうやって確率を上げるんだ?」
「忘れたの? ヒントは木製ストック」
「与太話はもういい。それは単なる姐さんの趣味じゃないか」
鉄兵はうんざりした顔で言った。
「それじゃあ、なぞなぞ。銃火器類の中で迷宮向けじゃないものはなーんだ?」
「……重機関銃、迫撃砲、火炎放射器、対戦車ロケット関係とスナイパーライフルだ」
「そう、スナイパーライフル。特に木製ストックのものは確率を上げるのにバッチリ。発射速度を極端に落として一撃に全てを集中させる訓練を続けると、飛躍的に確率は上がって『マジックショット』が発生する――はずなのに彼の場合は全く出ない。マジックショット発生の感覚を鍛えるのに最適な練習法なんだけど出ないのよ。全くどうしていいものやら、頭が痛いわ」
桜子は両のこめかみを、円を書くようにして指で揉みながらうつろな目で鉄兵を見つめた。
「あんまつまらないことに時間を割かないでくれよ。とくにスナイパーライフルなんて本当に使い途がなくてさ、特殊な状況じゃないと使えないんだから」
「それぐらい承知しているわ。ご注文は『迷宮探索における魔術師基礎技能の習得』でいいんでしょ? そこはちゃんとしてるわ」
桜子はワイングラスの柄を持って傾け、底に残るワインをつまらなそうに眺めた。
「ならば結構」
鉄兵は空のグラスにワインを注ぐと、桜子は別段グラスに口をつけるでもなく、ぼんやりとした表情でグラスを回し、中身がこぼれ出すか出さないかのギリギリを探っていた。
「ダブルスキルの弊害かー。実際のとこどう思う? やっぱあれかなー童貞だからかなー。知ってる? 童貞のサックスプレイヤーが女を知ると、音が変わるってやつ」
アンチョビと唐辛子も相まって、飲み込むペンネにむせた鉄兵は、急ぎワインで喉のつまりを洗い流した。
「ッ? なんだそれ、都市伝説にも程があるだろ」
「音に艶が出るんだよねー、これが」
「一発キメてんのか、それ?」
「一発キメたいんだけどさー、彼ってばガード堅くって。訓練終わるとバタンキューで寝ちゃうんだもの」
「あー待て待て、話を戻そう。訓練期間の延長はオーケーだ。もし彼がグダグダ言うようならスコアの心配はするな、とだけ言って欲しい。それから戻ってくるのをみんな待っている、とも」
「わかったわ。装備品の残額と訓練の延長料金は、メールしとくわ。支払いは訓練最終日にウチにきた時で」
「御意」
「――あ、それで思い出した。あなた、私の部屋から手榴弾を盗んでったでしょう?」
「そりゃ誤解だ。確かに雪緒ちゃんは一個失敬した。だが俺は借りただけだ、使ったらちゃんと返すつもりだったんだ」
「あっそう。返してくれるならいいわ」
いいのか?
使用したら手榴弾は粉々、元通りにすることは不可能。
返しようがない。
使用した分だけ代金を払えば良いのか、それとも代わりのものを見つけて補充すれば良いという意味なのだろうか。
「まさか金で解決なんてないわよね? 使用後のバラバラになった手榴弾をどう返却してくれるのか、素晴らしい『とんち』を楽しみに待ってるわ」
桜子はいやらしいニタニタ笑いを見せるも席を立ち帰りの身支度を始めた。
「もう行くのか? まだ料理は残ってるのに」
「もう十分。寂しくて死んじゃうかもしれないから帰って鋼太郎くんの相手をしなきゃいけないし、片付けなきゃならない仕事もあるのよ。私って中途半端が嫌いだからさ」
「だったら中途半端に残ってる料理を一緒に処分しないか?」
「満腹になると動きが鈍るからダメ。書類だけが仕事じゃないの」
「姐さんが実技指導してるとは驚きだ。てっきり人に任せっぱなしだと思ってた」
「ある程度はいいんだけど、『訓練中の事故』が起きかねない。忘れたの? コミュニティはまた別の世界だってこと」
「……そうだったな。ともかく彼のことを頼む」
「仕事だもの、やるわ。それに――」
「それに?」
「ひっひっひ、何でもないわ」
「酷い顔してるぞ。彼の自由意思を尊重するように」
「モチのロンよ……昔こんな名前の怪獣がいたわね」
「どうだったかな」
「それじゃあ、行くわ。おやすみのキスは必要?」
「いらん。メシがまずくなる」
また連絡するわ――そう言って桜子は去り際に鉄兵の肩に手を置き肉厚の三角筋を揉むと満足そうな表情を浮かべた。
それが何を意味するのか、当の鉄兵にもよくは分からなかった。
しかし悪い気がしなかったことだけは確かであった。
店の出口へと軽やかに進む桜子の顔をみた誰もが、一瞬言葉を失った。
時に妖しく時に快活に笑う武器商人たる桜子が、夏休み前の子供のようにウキウキしながら口笛を吹き、腕を振って歩いていたからだ。
すれ違う客をふらつくステップで避け、知り合いと会えば腰に手を回して酔いにまかせタンゴのリズムで踊る。
カツカツと床板を叩くヒールにすらりとした長い脚・広く開けたシャツの胸元・臀部の形がはっきりと見えるスラックスにアクセントを加えるUSPコンパクト。
口笛をふいてはやし立てる酔漢たちに、女性特有の強く甘い香りと愛想をふりまき、桜子はテーブルの群れを通り抜けていった。
「何かいいことあった?」
銀盆に客が残した皿を乗せ、テーブルを拭いて配膳の用意をする吾郎は、爽やかな笑顔を向けた。
「んー、これからある――――かもね」
どんな酔った乱暴な客であっても、冷静に、適切に対応する柔軟性を持ち合わせている吾郎もこの時ばかりは面食らい、その整った顔立ちの均衡が揺らいだ。
来店客の帰りの無事を願い、店の出入口に取り付けられたベルが響き渡たった。
両腕を天井へと突き出して思い切り伸びをした桜子は、脱力の反動でよろめき、たたらを踏んだ。
思い出したかのように銃を取り出すと弾倉を抜いて残弾数を確かめ、スライドを僅かに引いて薬室への装填を確認すると、愛用のUSPコンパクトを腰のホルスターへと戻した。
雌の肉食獣を思わせる、しなやかな動きで歩き出した桜子の瞳が妖しく輝き、上唇の端から端へとピンク色の舌が走った。
「さあ、これからが生本番よ」
桜子はムフっと嗤うなり、ルンルンで帰路を急いだ。
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