女の部屋
「もー、歩くのやだー」
凛は不満を漏らしたが、桜子は気にするふうでもなく歩き続けた。
また色々な場所を引きずり回されるのかと思ったが、そうではなかった。
確かに長い通路を歩いたり階段を降りたりと移動を続けたが、桜子の歩みに迷いはなく最短距離を進んでいるようであった。
照明は明るく、歩みは常に一方向へと進み、コミュニティの構成員達と度々すれちがった。
すれ違う普段着姿の男女や武装した保安隊に、桜子は気さくに声をかけた。
皆一様に笑顔で桜子へ挨拶を返すが、すぐに表情は硬くなり、程度の差こそあれそれぞれ射るような視線を鋼太郎達に向けた。
結局のところパスケースを首にかけるまでの道のりは、外部の者にこのコミュニティの規模や拠点の構造などを知られないようにするための防衛策であり、それ故に足許のおぼつかない暗所や迷路のような機械群を通り抜けさせたのだった。
また数人の保安隊とすれちがい、鋼太郎は堪らず口許を歪めた。
武装した人間への目はとにかく厳しく、手に持つ銃のグリップを握り直し、頭の天辺からつま先まで素早く視線を這わせ警戒を怠らなかった。
それは戦闘要員でない人間も同様であり、詰襟学生服を着ているにも鋼太郎にも全身スキャンを執拗に浴びせた。
雪緒や凛のような年端もいかぬ女の子に対して向ける、保安隊の警戒感と敵意は滑稽の一言であった。
彼らは何を恐れているのか、それを直接聞くわけにもいかず、鋼太郎は黙って歩いた。
歩き始めて十分ほどのところで桜子は足を止め、革製の小さなキーケースをポケットから取り出したところで、聞き覚えのある声が鋼太郎達の背中越しに聞こえた。
「よう、間に合ったか」
鉄兵は片手を上げ、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「話は済んだの?」
「知り合いに挨拶しただけだからな。大した話じゃない」
「そう。さあ入って入って。ちょっと散らかってるけど気にしないで。遠慮はいらないからね」
桜子は扉を開き中へ入るよう促し、最後に足を踏み入れた凛に続いて自らも部屋へと入った。
「靴は入り口で脱いでって。フローリングは板張りだから滑るかも、気をつけて」
桜子は笑顔で鉄兵達を自室へと招き、部屋の照明をつけた。
女性らしいといえば女性らしい、確かにそう言えなくもない部屋であった。
しかし平均値を抽出したものではなく、現実の等身大の女性のサンプルの内、相当なレアケースを見事引き当ててしまったといっても過言ではなかった。
「わあぁ……」
桜子以外の誰もがそのように声を漏らした。
『わあぁ』という感嘆を現す言葉にも色々あることを思い知るのであった。
背の高さが揃わない本がならぶ書架、ロングコートも楽々収納できそうな半開きの洋服箪笥に下着やTシャツを吐き出す背の低い洋服箪笥、3メートルはある細長い木製のテーブル、それを囲むように配置されたソファには山のような洗濯物が鎮座しており、背もたれにはブラジャーやジャケット等が掛けられていた。
その他には大きなテーブルと間をあけて壁沿いに設置された頑丈そうな作業机とキャスター付きの肘掛け椅子があるだけで、流し台やベッドらしきものは見当たらなかった。
「さあ遠慮しないで。そうそう、そっちのソファに座ってちょうだい。洗濯物は隅の方にでもブン投げといて。しまったな、飲み物どうしようかしら……」
桜子は携帯電話を取り出すなり手早く操作しはじめた。
「あー、姐さんよぉ。飲み物以前の話だと思うぜ、これは……」
鉄兵はソファの傍らに立って言った。
「鉄兵、適当にスペースつくってみんなを座らせて――もしもし? あ、私、いま暇? ちょっと欲しい物あってさー、そう、メールで送るから人を寄越してくんない? はーい、お願いしまーす」
「姐さんよぉ、これどうすんだよ?」
「まだ立たせたままにしてるの? ちょっとメールするから適当にやってて」
桜子は入り口の扉の方へ進み鉄兵達に背を向けると、独り言を口にしながらメールを打ち始めるも束の間、携帯電話が鳴り響いた。
「ったく、相変わらずどうしようもねえな」
俺が言いたいのはそうじゃないんだよと思いながら、鉄兵はソファの上に我が物顔で寝ているソレを床に下ろそうと身を屈めた。
「……なんだこれ、FG42か?」
鉄兵はソファに横たわるそれを両手でかかえ、慎重に床へ置いた。
「こいつはどうするんだ?」
バイポッド付きのラインメタルFG42自動小銃が置かれていたソファの向かい側、背もたれに掛けられていたジャケットなどを無造作に持ち上げるた。
桜子は相変わらず背を向けたまま、ぴらぴらと手を振るだけであった。
鉄兵はそれらをくしゃくしゃと丸めると、洗濯物の山に投げつけた。
「これでよし! 待たせたわね。おっと、これはどうしようかしら……」
桜子はトートバッグからL85を取り出し、どこへ置こうかと部屋の中をウロウロと歩きまわった。
鋼太郎と三人娘は部屋に入ってすぐの場所で立ち尽くしていた。
「ほら、若いんだから遠慮しないで」
「このタオルケットはどうすんだ?」
「あー、こっち投げて。ほらつったってないで、もう座れるはずよ。さあ行った行った」
ソファへ向かう凛達と入れ違いに、鉄兵が投げやすいように丸めたタオルケットは優雅に宙を舞い、その身をよじっては翻り、端々を蝶のようにヒラヒラとさせながら、なんとか桜子が伸ばした指先に到達した。
「なにか落ちましたよ……」
親切心から鋼太郎が床から拾い上げたそれは、桜子のTバックだった。
色は黒。
「ホッホッホこれは恥ずかしい。銃と一緒にそれも買ってく?」
「俺達にそんなもん買う余裕はないぞ。それに買うならもっと趣味のいいやつにしとけ。あとちゃんと手を洗っとけよ」
鋼太郎は横を向き、桜子へTバックを突き出した。
記念に取っとく? と桜子は耳元で囁いたが、鋼太郎は顔を赤らめて頭を振った。
桜子はカラカラと笑ってTバックを受け取ると、トートバッグから出した二丁の拳銃と一緒に洋服箪笥にしまった。
そしてタオルケットを無造作に丸めて直すと、洋服箪笥の上に置かれているアサルトライフルの上へと放り投げた。
桜子の話を信じるならば、半分くらいは売り物で、もう半分くらいは預かり物で、残りの僅かな品々が私物だというが、どのようにそれら判別しているのかは定かでなかった。
屈託なく快活に笑い時折子供のような表情をみせたかと思うと、卑猥なジョークを楽しむ桜子を、周囲の男達はどう思っているのだろうか。
すらりと背が高く、整った目鼻立ちにウェーブのかかった長い髪を揺らして颯爽と歩くこの大人の女を。
常に代案を用意して客の期待には必ず答え、大口には快く割引きに応じ、上客への贈り物を厭わないヤリ手のウェポンディーラー。
桜子の部屋はモノで溢れていた。
いわゆる汚部屋であるが、傾向にかなりの偏りが見られた。
部屋の至る所へそれらを立てかけ、乗せ、収納し、可能な限り積み重ね、足の踏み場もない。
ざっと部屋を見渡すだけで、誰もが閉口してしまう。
そして思う。
本当にここに人が住んでいるのだろうか。
ここは倉庫か物置部屋の類いではないだろうか、と。
黒・赤・黄・青と様々な色の鞘に納められた日本刀に西洋剣、チェーンメイル、三叉の銛、重量感のあるガラス製の灰皿、機関銃用のトライポッド、空の弾薬箱の山、迫撃砲照準器、座薬のような有翼砲弾、茶色いシミがついたマガジンポーチの数々、折りたたみ式スコップ、連結したいくつものカラビナ、紫色のブラジャー、十文字槍、出刃包丁、スコープが外された木目が美しいスナイパーライフル、ぴこぴこハンマー、シュモクザメのような先端の対物ライフル、緋牡丹のドス、フリッツヘルム、痴漢撃退用スプレー、飯盒に入れられた分離式ベルトリンク、モップ、分解途中のスライドがないオートマチックの拳銃、棒付き手榴弾、鞍、キャラメル色の迷彩を施したアサルトライフル、招き猫、木箱に雑然と入れられた弾薬、上下二連式ショットガン、グレネード・光学照準器・フロントグリップ・レーザーポインターなどがゴテゴテとついたアサルトライフル、琥珀色の液体が入った酒瓶と飲みかけのグラス……。
商売に相応しいといえばそれまでだが、百年の恋も一時に冷めるとはまさのこの部屋に立ち入った瞬間のことをいうのであろう。
座るスペースを作るため、桜子がモタモタしながらあちらこちらとモノを移動しては、鉄兵がそれを取り上げ整理する。
そうこうしている内に全員で部屋の整理をすることとなり、やがてそれは大掃除さながらの様相となっていった。
「……俺達なにしに来たんだっけ?」
視界の隅で揺れる雪緒と千登勢のスカートを横目に、バラバラのオートマチック拳銃を組み立てながら鉄兵は一人呟いた。
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