コミュニティ

 ざわめきと光から遠く離れ、再び鋼太郎達は冷たく暗い通路を進んでいた。


 天井から吊り下げられた剥き出しの蛍光灯の光量に問題はなかったが、反響する音とコンクリートの壁が長いトンネルを思わせた。


 ヒールが床を叩くリズミカルな音の中、桜子は沈んだ声で言った。 


「ごめんなさいね」


 鋼太郎は周囲へ目をやるも、灰色のコンクリートの壁があるだけで、何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。

 

「気付かなかったか?」


 鉄兵は振り返ってたずねるも、鋼太郎は頭を横に振るだけであった。

 

 雪緒がみかねて答えた。


「視線だ。よそ者に対する敵意まるだしの視線。私達を警戒している」


 なぜ・どうして・まさか――という表情の鋼太郎を見た鉄兵は歩みを止めた。


「ここにいる人間の殆どがいわゆる『無能力者』だ。迷宮で戦う能力はない、戦う奴をサポートする能力もまたない。ここはそういった人間が集まってできたコミュニティのひとつだ。彼等は無能力故に迷宮関係でスコアを稼ぐことができず、働き口にあぶれた人々だ。ある一人の能力持ちの奴は言った『あいつらはお荷物だ』ってな。人間何もしていなくとも時間が経てば腹が減る、だけど食い物を買うための『スコア』がない。ときには施しを受けられることもあるが、人の善意にも限界がある。『無能力者』は喉の渇き・空腹から盗みを働く。盗みだけならまだマシだ、茶碗一杯の飯でときには殺人にまで至ることもある……」


「だったら誰かが先頭に立って、弱い人たちをみんなで、こう、ケアっていうか、みんなで助けあうようなルールなりを作っていけば……ここは……」


 ――ここは日本じゃないのか。


 喉まで出かかった言葉を鋼太郎は飲み込んだ。



 電車の内装・外観、緑と灰色の公衆電話、地下駅の柱や階段の構造、視覚障害者誘導用ブロック、飲食店街のようなフロアー、見慣れた顔立ちの人々、人々が口にする言語……。


 不思議な文字列の看板や壁広告、襲いかかる化け物、中世ヨーロッパ風の騎士や対テロ特殊部隊のような格好をした男女、フィンガースナップひとつで踊りだす缶ジュース、ワープを可能にする携帯電話の特殊機能……。


 どれも日々の生活で、日々の通勤通学で見られる光景であるはずなのに、常識を覆す異分子たちの存在が煌めくここは日本ではないのだ。


 これまでの日常と決定的に異なる存在・現象を目にしてもなお、見知った言語・モノ・風景が、ここが異世界であることの認識を惑わせる。


 努めて理解しようとしても、自分に言い聞かせても、未だ心の片隅で認めようとしない何かがあった。



「――確かにそういうことを目指した人間は過去にいた。だけど私達も含め、誰もが他人の面倒をみるような余裕を十分に持ってはいないのが現実。そして他人に投資するより自分に投資した方がはるかに見返りがあることに誰もが気付いてしまったんだ」


 雪緒は壁に背を預けて腕を組み、伏し目がちに言った。


 その傍らで座り込む凛に千登勢が話しかけている――小さな身体の凛に疲労が見られた


「前に言ったかもしれないが、ここから『脱出』できるんだ。あるんだよ、このクソみたいな世界からおさらばする方法が。その方法は一定額の『スコア』を持っている状態で『自動改札機』を通る、だ。覚えてるか? あるとき上手いことを言った奴がいたんだ。『これはババ抜きと同じだ。条件さえ整えば誰でも『イチ抜けた』を宣言できる。他人なんか気にせず自分がアガリを迎えることに専念すべきだ、大事にババを手許に置くやつははバカを見る』ってな。だから自分のスコアの足しにならないようなことをする奴は少ない……」


 遠い目をした鉄兵は逞しい顎を撫でながら話を続けた。


「駅をひとつを国とみなして法や規則をつくろうと奔走した奴もいたが上手くいかなかった。いつでもどこでもウマいことやる奴が出てくるもんさ。バラバラだったモノやサービスの価格を揃えたり、迷宮探索者の住生活を整備したりと商才やカリスマに長けた奴が現れ、その勢力を伸ばしていった。自動販売機の飲み物を飲まないでも、みんな何かしらの才能を持っているってことだな。それでなんやかんやとやってる内に、貧富の差が目に見えて現れ、持つ者と持たざる者が明確に区別されるようになった。迷宮探索関係で『スコア』を稼げない人間は、そういった各勢力の下働きをして日々の食事や寝床をかろうじて得ていたんだが、合う合わないってのもあるし、単純に働き口が足りなくて仕事にあぶれる奴も出てくる。いくつかの勢力がある中でここはそういった人々を受け入れてくれコミュニティのひとつだ」


 腕を組んで聞いていた桜子は、深い溜息をついた。


「ここは『無能力者』を受け入れることは確かよ。働かざるもの食うべからずってことで労働に従事してもらうのは当然のこと、コミュニティのルールに違反する者は制裁を下すし、ここから叩き出すこともある。だから勘違いしないで欲しいの……私達は博愛精神に満ち満ちた慈善団体じゃなくて、あくまで『無能力者』を取り込んだ互助組織でしかないの。彼等は私達を利用し、私達は彼等を利用する――それだけよ」


 桜子はそっけなく言った。

 

 しかしその表情は暗く沈んでいた。


 鋼太郎は狭い通路の弱い照明のせいだけとは思えなかった。


「それで……ここでは能力のない人達はどんな仕事をしているんです?」


 桜子の表情と沈黙に耐えかねて、鋼太郎はふと浮かんだ疑問を口にした。


 フッという軽い音が高い鼻から漏れ、少し困った表情をして笑った。


「忘れたのボクちゃん、あなたは何を買いにきたのか。互助組織と言ったけど、ここで働く人間はこのコミュニティの外へ出ることはできない。ここの秘密を売り飛ばそうとする恩知らず、邪魔な勢力を蹴落とそうとする輩が送り込むスパイが後を絶たないからよ。さあナゾナゾよ答えてちょうだい。そういったゴミ共を引き寄せ、人を惑わせ・かき乱す、ちょっと訓練すれば誰でも組み立てることができてちょっと訓練すれば誰でも指先ひとつで人殺しができる――――さて、これなーんだ?」


 桜子は両手の拳をそれぞれ腰に当て、胸を張るようにして言った。

 

 整った目鼻立ちがぐにゃりと歪み、唇のルージュが薄い弧を描く。

 

 先程までそこにいた綺麗な顔立ちの大人の女とは程遠く、妖しい笑みをうかべる桜子の禍々しい瞳の色に鋼太郎はすくみあがった。


「オネエサンは君みたいな子って大好物なの。だからヒントをあげる。手にほどよく収まって、黒光りして、ガチガチに硬くて、アレが先っぽからビュービュー出る、特殊な能力がないからって徒に人を虐げるゴミ野郎共を一瞬でお掃除できちゃう便利なモノ――これなーんだ?」



 鋼太郎は唾を飲み込んだ。


 当然に答えが分かったものの、それを答えてしまって良いのかどうかが分からなかった。



「正解は……」



 鋼太郎は辛うじて口に出すことはできたものの、首を絞められた人間が出すような掠れて消え入りそうな声であった。


「正解は?」


 桜子は禍々しい笑みを向けてたずねた。


「正解は……」


 鋼太郎は復唱することしか出来なかった。



 正解は『銃』だ、それ以外に答えはない。


 だがそれを答えてはいけないような気がしてならなかった。


 なぜあんなにも気味の悪い顔をするのか。


 なぜ桜子の右拳が、腰からわずかに浮いているのか。


 正解を答えてはいけない理由は一体なんなのか。


 そしてなぜ誰も間に入ってくれないのか。


 『これ』は何かの通過儀礼のひとつなのだろうか……。



 様々な思いが入り乱れ、鋼太郎の頭はパンク寸前であった。


 

 このナゾナゾに隠れる桜子が意図するものは一体何なのか。



「さあ、正解は?」



「正解は――――」



 心臓が肋骨を叩く音がやけにうるさく、鋼太郎は彼女が意図するものが何であるのか考えに考え抜いたが全く思い浮かばず、散々引きずり回された疲労からか身体がフラフラし、もう答えを言うほか選択肢はなかった。



「正解は、越後製菓!!」


 千登勢が大声で叫んだ。


 両手を高らかに挙げ、座った状態から勢い良く立ち上がって。


 遠くで木霊するのが聞こえる――セイカセイカセイカ、と。


 あまりにも突然の叫びに千登勢以外動く者はなく、誰も声ひとつあげなかった。


 やがて桜子がクスクスと笑い出し、大声をあげて笑い始めた。


 コンクリートに囲まれた冷たい廊下に響き渡った千登勢の声を聞きつけた保安隊がゾロゾロと現れ、銃を構えて鉄兵達一行を取り囲んだが、桜子が腹を抱え大笑いしているのを見ると二三声をかけ、やがてそろそろと引き下がっていった。

 

「え、円月殺法のおじさんのアレ? ひいぃ、ツボった……」


 なんとか笑いをこらえようと顔を赤くしてフーフー言う桜子に、千登勢は舌をチロリと出してデヘヘと笑った。


 その二人以外の誰もが呆然として二人の姿を見つめていた。


「……それで、姐さんは一体何がしたいんだよ?」


 鉄兵は苦々しく言った。


「あーちょっと待った。マジ無理……これは効いたわ。いやーそうくるとは思わなかった」


 桜子は目尻にたまった涙を拭きながら、息を整えようとするが、肩をヒクつかせては笑い声を漏らした。


「あー、もうナシナシ。気にしないで」


 桜子はピンク色の舌をちろっと出し、バツが悪そうに笑った。


 しかし鉄兵は冗談じゃないという表情になり、段々とその顔つきが変わり始めた。


「鉄兵、そんな顔しないで。……ちょっとした度胸試しみたいなものよ」



 反応できたのは鉄兵だけであった。



 それでも桜子のアクションを阻むにはあまりにも遠く、右手を中空で止めたまま鉄兵は動くことができなかった。



 クイックドロー



 まばたきよりも疾く、神速でホルスターより抜いたUSPコンパクトを構える桜子。

 

 細い人差し指は引き絞られ、撃鉄が落ちるまでにトリガーの遊びは寸分もない状態に、鉄兵は息を飲んだ。


 鋼太郎はまぶたが落ちるまでの刹那の間に、コマ送りで腰に手を回す桜子の姿を確かに目にしていた。


 まぶたを開いたときには視界の左上に黒い影が映り、額にジリジリという疼きと脳味噌に氷柱が突き刺さしたような冷気を感じ、何度もまばたきをして初めて、桜子が銃を向けているのだと知った。


 USPコンパクトのライフリングに誘われ、銃口の奥へと吸い込まれていきそうな奇妙な感覚に鋼太郎の身体はグラグラと揺れ始めた。


 視線を黒い穴から桜子の顔へと移した。


 桜子は、銃口の延長線上にある鋼太郎の顔を見ているとも見ていないともいうような曖昧な、虚ろな表情をしており、わずかに開いた唇の間に白い歯をのぞかせた。


「ここでは私達も含めていろいろな集団がいるわ。肩を寄せ合い生きていけばいいものを、それぞれの思惑や利害から争い事に発展することもしばしば。争い事には『銃』がよく使われるわ。迷宮の化け物に向けられるべきものが、同じ人間に向けられている。鋼太郎くんは銃を手にして、何をする? あなたが手にするものは何なのかをよく考えて」


 やがて桜子は焦れったいほどに緩慢とした動きで銃口を下げ、レバーを『安全』の位置に戻すと、静かに銃を腰のホルスターへと収めた。


「――ふぅ」


 桜子は大きく息を吐いた。


「ふぅ、じゃあねえんだよ! そういうのは銃を突きつけてする話か? そもそもだなぁ――ってなんだよ?」


 鉄兵は顔を真っ赤にして声を荒らげたが、桜子が顎をしゃくって先を促し、鉄兵の胸を叩いて歩くよう示した。


「悪い、鋼太郎君の様子をみてくれないか。ちょっと姐さんと話をしてくる」


 怒りがおさまらない鉄兵に千登勢が頷いて応えた。





 鉄兵が渋々歩き出すと、桜子はその横につき、小声で言った。


「いいもん拾ったじゃない。あれは磨けばイイ男になるぞ~」


「犬猫を拾ったような言い方はやめてくれ。もうマジで勘弁してくれよ、ニヤニヤしてないでさ、本当に、冗談抜きで。姐さんの男の趣味なんかどうだっていいんだよ。で、なんなんだ?」


「そんなにトゲトゲしくしなくたっていいじゃんさ~。私と鉄兵の仲じゃん」


「なんなんだよ急に。気持ち悪いなぁ」


 桜子は満足そうな表情で話し始めた。


「――さっきのアレどう見る?」


「どうって、流石だよ。抜きの早さはピカイチだよ、たぶん雪緒ちゃんも勝てないと思う。迷宮ではあんま役に立たないけどな」


「ヌキヌキするのは得意なんだよね」


 桜子はバトンを掴むようにして指先を丸め、舌を出しながらその手を上下に振った。


 鉄兵が苦々しい顔をしたのを見て、桜子はよりいっそう顔を輝かせた。


「あの子、ほんの極々わずかだけど、狙いを外したよ。成長したら私の方が組み伏せられちゃうかも」


 桜子は身体をぶるりと震わせたが、顔は熱を帯びていた。


「そうは見えなかったんだが。実際にどれくらい外した?」

 

「抜きのタイミングも何もかも完璧で、あの子の後頭部は綺麗に吹き飛ぶはずだった。だけど軸をずらした――頭の左半分が吹っ飛ぶぐらいで済んだと思うわ」


「どっちにしても吹っ飛ぶんじゃねえか。これ以上は冗談に付き合ってられん。ここに来る前にちょろっと言ったと思うが、何日か預けるからちょいと基礎を叩き込んでやってくれないか?もちろん弾代も含めて授業料払うからさ」


「その入れ込みようは何? ま、なんでもいいけど。商売だもの、やるわ。それに若い子が成長するのを見るのは好きだからね。お望みならウチのエリート部隊並に仕上げてあげる、どう?」


「彼にクソみたい仕事をさせるつもりは一切ない。基礎だけでいい、迷宮探索に必要なのは――対人テクニックじゃない」


「あっそ。まあいいけど。それよりひとつだけ確認しておきたいことがあるから、彼に聞いといてくれない?


 それまでの砕けた雰囲気は霧散し、桜子は真剣な眼差しで鉄兵を見た。


「……いいぜ、何を聞くんだ?」



「あの子って童貞かな?」



「知るかよ!」


 鉄兵は馬鹿らしくて何も言う気になれなかった。

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