自動販売機

「ありがとうございます」


 雪緒は店の扉を日本刀を持つ手で押さえ、先を促した。

 

 朱塗りの鞘におさめられた日本刀に興味をひかれながら鋼太郎は頭を下げて礼を言うと、軽やかな鈴の音と鋭い雪緒の視線を背に促されるまま店を後にした。


 店の外に出ると後ろを振り返り、店を囲むガラス面の上からかぶさる緑色の幌に書かれた文字群を見つめた。


 しかし当然ながらそれらを解読することはできず、自分だけが読めないのではないかと不安になったが、どうやら誰もその文字群を読めないらしいことを教えてもらった。


 ぼんやり幌を眺める鋼太郎の背中に、千登勢は声をかけた。


「大丈夫ですか? なにか困りごとでも?」


「えーと、いえ……ちょっと考え事をしていただけです」


「そうですか。わからないこととか何でも聞いて下さい、なんでも相談にのりますよ」


「ありがとう……ございます」


 莞爾(にっこり)と笑う千登勢であったが、それ以上積極的に話しかけようとはせず、とぼとぼと歩き出した鋼太郎に歩調を合わせ並んで歩いた。


 鋼太郎は頭の中から既に文字群はすっぽりと抜け落ちており、そういえば奢ってもらった飲み物に全く口をつけていなかったな、と冷たくなったカップの感触を思い出した。


 それもすぐに霧散し、漠然とした不安を抱え前を歩く三人の踵を追った。





 鋼太郎は店での会話を思い返してみた。


 これから向かう自動販売機の『飲み物』を飲めば迷宮探索に必要な『適性』を得ることができるというが、どうもピンとこない。

 

 RPGのゲーム開始時イベントもこんな漠然として安易な展開だったなと思うが、『飲み物』から得られるものはランダムで、あくまで適性の域を出ず、芽が出るかどうかは本人の努力次第という。


 しかも本人の性格や装備品等の影響で行動スタイルは多岐にわたるそうで、


 雪緒さんは『侍』――攻撃特化だろうか。

 

 鉄兵さんは『タンク』、つまり敵からの攻撃を引きつけるパーティーの盾役なのだろう。


 あくまで『戦士』・『盗賊』・『魔術師』・『僧侶』の四類型が基本であとは無限の可能性。

  

 拾ってもらった恩を返すと誓い、どんな『適性』であっても何らかの形で貢献しようと心に決めた。


 それらの気持ちに嘘はない。


 問題は果たして自分にそれが出来るのであろうか――不安は拭えない。


 迷宮探索では化け物との戦闘を避けることができないという。


 あれら醜い化け物たち――焦点が合っていない狐目、黄色く濁った乱杭歯、野生動物のように発達した筋肉、人間と似ているようで全く違う異形の化け物。


 無人電車を降り、階段を駆け上って出会った時のことを思い出すと、身体が震え始める。


 すくんで重くなった自由のきかない身体、思考の空白感、そして股間の湿り気。


 あんな異様な存在と戦うことなんて出来るのだろうか。


 十分に戦えるだけの『適性』を得られるのだろうか。


 あれらの化け物を殺すことが出来るのだろうか。


 そもそもこれは本当に現実なのだろうか。



 鋼太郎は堂々巡りの不安を抱え、ひたすら四方をコンクリートで囲まれた通路を進んだ。





「さてと着いたぞ」


 連れて来られた場所――そこは自動販売機が二つ並び、その間にゴミ箱があるほかは何もない静まり返った駅構内のような通路。


 ここも他の場所と比較してこれといった特徴はなく、変化に乏しい景色が広くがっていた。


 目の不自由な人のため床に埋め込まれた黄色いブロックの列、蛍光灯の寒々しい白、光を反射する無機質な壁や床の灰色のタイル、文字化け・バーコード・QRコード・ブロックノイズで構成された壁広告。


 どれも均一で、清潔で、冷えきっていた。


 かすかに自動販売機が身を震わせるブーンという低い振動音が聞こえる。


 透明なアクリル板で覆われた商品サンプルを照らす光がやたらと眩しく、誰もが長く凝視しようとはせず、自動販売機から適度に目を逸らした。


「これは……」


「自動販売機だ。一度くらい見たことあるだろ、どんな田舎でも国道沿いにひとつぐらいは置いてあるはずだ。そうか鋼太郎君はあれか――群馬県出身? それとも自動販売機のない世界からやってきた異世界人? もしくは過去からタイムスリップしてきたご先祖様とか?」


 おどけた調子で話をする鉄兵をよそに、雪緒は咳払いをした。


「あー、えーと、外見は君も知っているとおりの物だが、中身の売り物はまったくもって異次元の代物だ。さっきの店で話したとおりだ。非常に安近短なものだが誰もがこれの世話になっている。『マトリックス』観た? キアヌが赤と青の薬を選んで飲んだろ、あれみたいなもんさ。こいつを飲まないと物語は始まらない、オーケー?」


 腕を組み、壁に背を預けた姿勢の雪緒は突き放すように言った。


「ただし残念なことに映画と違ってこれを飲んだからといって『本当の世界』は見えてこない。『ここ』がその本当の世界、これは現実、目に映るすべてが本物だからだ」


 まるで心の内はお見通しだとの言い方に、鋼太郎はごくりと唾を飲み込むも、それを誤魔化すように自動販売機に並ぶ商品サンプルを眺め平静を装った。



 彼らと行動を共にし恩返しをするのだと誓ったはずなのに、これは夢なのではという疑念が心の奥底でくすぶっていることを見透かされ、心の内で激しく身悶えた。


「……にらめっこしても中身は変わらないぞ。何が出てこようと俺達の態度は変わらない。助力を惜しまず出来る限りのことをするつもりだ、だから君も力を貸してくれないか」


 鉄兵の方を向き、鋼太郎はゆっくりと頷いた。


 そうでもしなければ涙がこぼれてしまいそうだったからだ。





 鋼太郎はいま一度自動販売機に視線を戻した。


 ずらりと並ぶサンプルに規則性はなく、季節に関係なく『あったかい』の赤と『つめたい』の青のラベルが半々であった。


 炭酸飲料、コーヒー、緑茶、紅茶、汁粉、コーンポタージュ、栄養ドリンクにスポーツドリンク。容器の種類も様々でアルミ、スチール、細長いロング缶、レギュラータイプ、樽のようなでっぷりとした缶、500ミリ缶、ペットボトルも250ミリのものがあった。


「ねー、まだ~? いい加減疲れたよ、ちゃっちゃと決めてくんない?」


 耐えかねた凛は不満を漏らした。


「凛ちゃん、そういうことは言わないの。いまこの瞬間が大事なの」


 ぶうっと頬を膨らませた凛は、壁を背にして座り込むと、千登勢も同じようにして座るためにバックパックを下ろした。


「どうしても決められないなら私が決めてやろう。結局自分が選んだ道を進むしかない。他人が選んだものでも文句のひとつも言いたくなるのが人間、不満を漏らしてもいいが、四六時中文句を垂れるようなら直ぐに叩き出してやるから覚悟しておけ。さあて、どれにしたもんかな」


 雪緒は自動販売機に近づくと腕組みしたまま物色し始めた。


「決めました、決めました。このペットボトルのスポーツドリンクっぽいのにします」


「ふむ、いいんじゃないか」


 そう言う雪緒だが能面をかぶったような表情に大した変化は見られなかった。


「それで申し訳ないんですけど、お金を少し貸してもらえませんか。どこを探しても現金が1円もなくて……」


「そのセリフを待ってたぜ! ここで『円』は通用しない、『スコア』こそが通貨として機能する。『赤いカード』持ってるだろ、これからはそれが財布代わりだ」


 鋼太郎は学生服の右ポケットに手を入れた。


 最初に指先が感じたのは、丸札のついた鍵のギザギザであったが、手触りに覚えのないツルツルとしたカードを取り出した。


「まずは自販機のボタン押す、そうだ、お次はその読み取り部分へ『カード』をかざす……」


 軽快な電子音が響き決済が完了したことを知らせた。


 一拍置いたのち、ガタゴトと音を立てて自動販売機は身体を揺すった。


 鋼太郎は出てきた飲み物を取ろうと手を伸ばした。


「……噛まれないように気をつけるんだ」


 雪緒が一喝すると、鉄兵は子供のようにいたずらっぽく笑った。


 ふふっと笑い声を漏らした鋼太郎を見て、鉄兵は満足そうにニンマリと微笑んだ。


 取出口に手を入れた鋼太郎は眉をひそめた。


 その手に握られた物は、焦げ茶のビンであった。


 鋼太郎は思わず顔を上げ、手の中のビンを鉄兵に見せた。


「あまり気にしない方がいい。他にももっと不思議なことはある」


 雪緒も鉄兵をまるで気にしていないようだが、鋼太郎は納得いかないようで、取り出したビンを色々な角度から眺め回した。


「……これをそのまま飲めばいいんですか? 味とかで『適性』が分かるものなんですか?」


「いや、それはない。行ったり来たりで悪いんだが、これから『鑑定屋』のとこへ行ってそれを鑑定してもらってから飲んでもらう。その次は適性に合った装備品を買いにいく予定だ」


「アイツは苦手だ……」


 雪緒はぶるりと身体を震わせ、苦々しく言った。


「そんなこと言うなよ。世話にってるし、アイツは悪い奴じゃないよ。」





 『適性』に『自動販売機』、次は『鑑定屋』――


 流石にうんざりしてきた鋼太郎は焦げ茶色のビンを天井の灯りに透かして見ていると、その背後で大声が上がったのを聞いて振り返った。


「ちょー! ちょ、ちょ、ちょっ、当たり、当たる、当たった? 当たった! 当たったよ!」


「リンコォ、だから拾い食いはやめろとあれほど言っただろうが……」


「そういうの、いらないから……」 雪緒はうんざりとした表情で流し目をくれた。


「いつでも心にゆとりをってやつさ。それで、リンコは何を騒いでいるんだ?」


 雪緒のツッコミを軽やかにかわした鉄兵は自動販売機の方へと向き直った。


 いつの間にか自動販売機のカード読み取り部分のあたりを食い入るように見る凛と千登勢の頭越しに、鉄兵は怪訝な表情でそれを覗きこんだ。


 八の字に並ぶ電飾の中心から、花開くようにして放射状に広がる煌きがそこにあった。

 

 電飾全体が花火のように華やかに明滅し、緑色の電飾は光り輝きながらメビウスの輪を何度も何度も駆け巡っていた。



 やったやったと凛の手を取り飛び上がる千登勢、対して凛は呆然と自動販売機を眺めてつぶやきを漏らした。


「本当に当った……」


「ほらほら!鋼太郎くん、押して押して!」


 千登勢にされるがまま、鋼太郎は適当に選んだ青白く光るボタンを押した、


 自動販売機は再びガタゴトと身体を揺らし、取出口の中へ『当たり』の品を吐き出した。


 鉄兵は取出口から当たりの品を取り出すとそれを鋼太郎に手渡した。





 鋼太郎は受け取ったスチール缶を左手に持ち、右手のビンと見比べた。


 どちらも覚えのある形・色・手触りだった。


 しかし商品名やパッケージデザインはどれも歪んだいた。


 様々な言語の文字化けや安売り広告が雑多に組み合わされた、カラフルなブロックノイズのコラージュ。

 

 それらの集合は輪郭をぼやけさせ、境界を曖昧にしていた。


 鋼太郎は、見せて見せてという千登勢にふたつを手渡し、浮かんできた疑問を口にした。


「もしふたつとも中身がダブっていたら……」


「そのときは売るなり手許に置いておくなりは任せる、どちらも君のものだからな。どう処分するかは自由だ」


 雪緒は変わらず淡々と疑問に答えた。


「いやあしかし『当たり』なんて久々に見たな。これで二度目か……」


「一生分の幸運を使ったかもね」


「そういうこと言うなよ雪緒ちゃん」


「ははは……」


 鋼太郎は乾いた笑いを漏らしたが、当然に本心は笑ってはいなかった。


 手に入れた奇妙なパッケージの飲み物、これらふたつの有効な活用法は皆目見当もつかず、ひとつだけ手に入れていればもっとシンプルに物事は進んでいたのにと、鋼太郎はこの現状を少し煩わしく思った。


 もし本当に一生分の運を使ってしまったら――と考えると不安で仕方がなく、鋼太郎は己の幸運を呪わざるを得なかった。

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