コーヒーブレイクミーティング

「はい、おまっとうさん」


「おーそーいー」


 鉄兵が焦げ茶色のプレートを手に姿を現すや、凛は開口一番文句を言って頬を膨らませた。

 

 大きな木製の丸テーブルに雪緒と凛が千登勢と鋼太郎に向かい合う形で座っており、鉄兵は凛の隣に腰を下ろした。


「悪かったな、吾郎の話が長くてさ。お詫びってことでケーキ貰ってきたから許してくれよ。お子様たちにどうぞだとさ、あとで礼を言うんだぞ」


 お子様じゃないし、と言いつつも凛は早速カップケーキに手を伸ばしパクついた。


 千登勢は腰を上げ飲み物を各自へ振り分けにかかりカップケーキのひとつを差し出すが、鋼太郎は首を横に振ってそれを拒んだ。


 鉄兵も同様であったので千登勢はそれを差し出すと、凛は喜んでそれを受け取った。


 雪緒はエスプレッソを静かに口許へと運びつつ、自分のカップケーキを凛の方へと寄せた。


 思いがけず転がりこんできたカップケーキとしばし睨めっこをしていた凛は、その内のひとつを千登勢へと差し出した。


 雪緒へ目配せするがわずかに首を振るので、礼を言って千登勢はそれを受け取った。

 

 鋼太郎はそれらのやり取り見ず、ただただテーブルの木目と向かい合っていた。





「さてと、それで、話はどこまで進んだのかな?」


 ホットコーヒーに口をつけて一息ついた鉄兵に、雪緒が応えた。


「一通り、おおまかには」


「そうか、暗い顔をするのは無理もない。だがそれはみんな同じ、誰もが経験していることだ。かつての俺もそうだったからよく気持ちは解るよ……」


 鉄兵の向かい側に座る鋼太郎の表情は暗く、置かれたカフェモカには一切口をつけようとはせず、手許のカップに視線を落とした。


「一度聞いただけで『はいそうですか』とはいかないだろうから、俺からも説明しよう」


 鉄兵は一旦そこで言葉を切ってコーヒーを一口含み、舌を濡らした。


「……ここでは不思議なことばかりだ。


 公衆電話の受話器を誰かが取ればそこへワープできる、映画『マトリックス』みたいに。

 

 マトリックスと違うのは、これが首に電極をつっこまれて見る夢じゃなく、現実だってこと。

 

 誰もが思う――これが夢であればと。

 

 だけど一向に目は覚めず、腹は減り、喉は渇く――んなもんで誰もが生きていかなきゃならないってことに気付く。

 

 選択を迫られるわけだ――目の前に選択肢が出てくれば気も楽なんだがそうはいかない。


 だから君はいまから俺が話す内容をよく聞き、自分で身の振り方を考えなければならない」

 

 鋼太郎はカフェモカの泡が弾けるのをじっと見つめているだけでなんの反応も示さなかった。


「泡を数えるのもいいが聞いておいて損はないぞ。しかしどっから話したもんか――」



 鉄兵はとうとうと語り始めた。


 カフェモカの泡立たせた白いクリームは薄茶けた色へと変わっていくつもの虹色の気泡が縁に身を寄せており、味わうには温くなり過ぎていた。


 話を聞き終えた鋼太郎が口を開くことはなく、手許のカップに目を落としたままであった。


 やっと顔を上げ震える唇を開きかけたのもつかの間、すぐにカップへと目線を戻した。


 凛がわざとらしく溜息つくのを咎めると、鉄兵は優しく声をかけた。


「時間はたっぷりあるわけじゃないが、少しの間考えを整理するといい」


 そしてゆっくりとコーヒーカップを傾け乾いた舌を濡らすも、すっと目がすわり、値踏みするように鋭い視線を注いだ。



 鋼太郎は気付いた、話の内容のどれもが荒唐無稽としか言いようのないことばかりであるが、それらを信じていないのは自分だけであることを。


 手遊びをしてつまらなそうにする幼い凛でさえ、時折見せる眼差しから様々な事柄を読み取ることができた。

 

 それはこの現実に対する憤り・武器を手に取り戦うことへの恐怖・過酷なこの世界で生きていかなければならない悲しみ――そしてこの世界に迷い込んできた鋼太郎への憐れみといったものである。

 

 程度の差こそあれ、それが鋼太郎を除く四人に共通した。

 

 

 


 鋼太郎は、雪緒と鉄兵の話を何度思い返すも受け付けようとしないこんがらがった頭をなんとか整理し、理解しようと努めた。


 ここで起きるすべての事象が『現実』であるということを大前提としなければ、どれもが映画・ゲーム・アニメに漫画の劇内設定でしか思えなかったからだ。



 これは現実。


 ここにいる人々のすべてが、どうやってこの場所へやって来たのか覚えていない。


 人々は駅を拠点として生活を営んでいる。


 その中で『スコア』と呼ばれる実体のない貨幣を介してモノの売り買いをして生活している。


 実体がないといっても、電子マネーのような電磁的記録の受け渡しをすることで貨幣と同様の役割を果たし、取引を完了している。


 『スコア』のやり取りは、各自が持つ『赤いカード』をもって行われる。


 『スコア』を得る方法はふたつ。


 ひとつは、物の譲渡、貸付、役務の提供を行うこと。


 平たく言えば、誰かと物の売り買いを行うことや、コーヒーを作ったり米袋を運んだりとする等の労働に従事することだ。貸金業のようなことをして利子を得る者もいるが、絶対数は少ないそうだ。


 もうひとつは、異形の化け物が徘徊する迷宮となった駅構内を探索し、所有権のない『スコア』が記録されたカードや武器防具に食料といったモノを見つけて持ち帰り、売りさばくことだ。


 この世界にとどまっている以上、誰もが生活する上で『スコア』は切っても切り離せない存在で、お金以上の役割を持っていることを誰もが知っていた。


 人の生き死にがより身近で、私利私欲がそこら中に満ち満ちている世界で、どの方向へ舵を取るかは――すべて自分次第。


 しかし四方をコンクリートで囲まれた地下駅で一生を過ごすのかといえば、そうではなく、この世界から抜け出す方法があるという。


 脱出する方法はただひとつ――



「『スコア』を貯めることだ。それしか方法はない」


 鋼太郎に色々と考えさせるにもこれ以上は埒が明かない、と考えた鉄兵は静かに言った。

 

「それも気が遠くなるような額を、だ。かなり危険ではあるが、俺たちは各駅に広がる迷宮とかダンジョンとか呼んでいる構造物を探索して『スコア』を稼いでいる。商売するにも元手がないとなかなか難しいし、大金稼ぐには相当時間がかかる。そもそも若いのが商売をするには色々と足りない。信用とか経験とか色々だ……」


 鉄兵はテーブルの上で両肘をつくと組んだ両手に顔を寄せ、鋭い目つきで鋼太郎を見つめながら言葉を続けた。


「とはいえ働き口を探すのは大変で、大抵人手は足りていているからコネがないとなかなか仕事に就くことができない。やっと見つけたはいいが、上に搾取されるなんてこともザラだ。生きるか死ぬかのギリギリの食い扶持をあてられ、そいつらのケツを舐めずには生きていけないように躾けられちまう。それでもだ――死と隣り合わせってのは割には合わないかもしれないが、俺達は迷宮探索を選んだ」


 鉄兵は椅子の背もたれに上半身の体重を遠慮なしに預け、頭をガリガリとかきながら含みのある言い方をした。


「――ここにはいろんなものを諦め、日々を無為に過ごす輩もいる。悪いやつばかりじゃないが、このお嬢ちゃん方を騙して売り飛ばそうとする輩なんかもいる。つまり人間良い奴もいれば悪い奴もいるってことだ。そういう輩から距離を取りたいがためにダンジョンに潜っている。ささやかだが、自衛の手段も学べる」


 とつぜん鋼太郎は顔をあげ震える声で言った。


「ここで死んだらベッドで目が覚めて――」


「どうだろうな。俺は試したことがないから分からん。ホームに入ってくる電車にダイブするのも、まあ、珍しくはない。オススメできないな」


 鋼太郎の問いに、鉄兵は不機嫌を露わにして答えた。


「来世を信じているなら――試す価値はあるかもしれない。でんでん虫になるのか、貴族のもとに生まれ変わるのかは積んできた善行次第、人の迷惑にならないようことを済ませるのがマナーだ」


 淡々と言う雪緒の目は刺すように冷たく、この会話に苛立っているようだった。


「これは……これは本当は夢じゃ――」


「もーおバカじゃないの? これが夢? じゃあ目が覚めたらこのケーキは馬糞だってこと?」


 鋼太郎の言葉を遮り一蹴する凛は、マグカップの底にたまったココアの三日月を見つめ、カップを揺らしながら言った。


「凛ちゃん、そんなふうな言い方しないで。みんな同じ……凛ちゃんはここへ来たときどう思ったの?」

 

 千登勢が凛を軽く叱りつけるもその問いには答えず、凛は頬を軽く膨らませて目を逸らした。



 

 

「鋼太郎君、私を見て。私の顔、髪の毛、制服の生地の縫い目、人の話し声、手の中のカップの温もり、コーヒーの香り……。夢の中のような曖昧さ、ある? ちょっと手を貸して」

 

 鋼太郎は言われるがままに手を差し出した。


 千登勢は手相をみるかのようにじっくりとその手を眺めた。


 にこりと鋼太郎に微笑みかけると、その手を両手で包み込むようにして握り、やわらかな頬へとあてがった。


「どう、感じる? ……人の温もり」


 鋼太郎は突然のことに驚き、差し出したその手を引こうとしたが、千登勢はそれを許さなかった。


「ええ、まあ……はい」


 どうしていいものか分からず、鋼太郎は握られた手をそのまま千登勢に預けるほかなかった。


「羨ましい、すごく羨ましい! けしからん、実にけしからん!」


 鉄兵は心底悔しそうな声を上げた。


 真っ白くなるほどに両の拳を強く握りしめ、小刻みに震えていた。


「はいはい茶番はそこまでだ。いい加減本題に移れ」


 雪緒は溜息混じりに言った。


「おっとそれもそうだな。そんな訳で『ここ』に来ちまった以上は、鋼太郎君もそれなりに身の振り方を考えなきゃならん。そこでどうだろう、俺達と一緒に来るかい? ちょうど人手が欲しいと思っていたところなんだ」


「はーい、反対しまーす!」


 凛が挙手をし、鉄兵の提案に異議を唱えた。


「ようしこのスットコドッコイめ、話の腰を折るんじゃない。――ちなみに理由は?」


「新人を育てる余裕はないと思います。新人の装備を買い揃えるのにワタシの『スコア』を出すのが嫌だからです」


 千登勢が口を開きかけたところへ、鉄兵は間髪をいれずに言った。


「リンコと初めて会って、面倒見ることになって装備品を揃えようとした時、雪緒ちゃんも千登勢ちゃんも文句ひとつ言わなかったぞ。手が掛かる・スコアがすっ飛ぶからといって、見捨てる訳にはいかない。そうだろう? 『ここ』は厳しい世界だ、本当にウンザリする。だからこそ、お互いが出来る範囲で助け合わないといけないんだ。それにあんな場所で会ったのも、何かの縁さ」


 鉄兵は真剣な眼差しを凛に向け、諭すように言葉を続けた。


「だけどそれで……」


 凛が口ごもりながら言うのをみて雪緒が口を開いた。


「確かに凛の言うことにも一理ある。これまで犬猫のように拾っては大枚はたいて育てた。育てたはいいが、スカウトや意見の食い違いで離別したのも一人二人ではないのが事実。一時的にスコアを失うが人手があればそれを回収できる可能性があるのもまた事実。――そこで多数決を取りたいと思う。彼の参加を歓迎するものは挙手を」


 鉄兵と千登勢は手を上げ賛成したのに対し、凛は頬を膨らますことで拒否の意を示した。


「二対……二? 一?」


 千登勢は不満そうな顔をして雪緒を見つめた。


「……私は棄権だ。彼の意思を尊重する」


 そう言って雪緒は目を伏せた。


 その言葉を聞いた千登勢の顔がぱっと明るくなったが、凛はそうではなかった。

 

「ちょっとそれずるい! 賛成してるようなもんじゃない!」


「彼の意思を尊重すると言っている」


「だった多数決とる意味ないじゃないか!」


 凛がテーブルを叩いて抗議するのを軽くいなす雪緒、期待の眼差しを向ける鉄兵と千登勢、鋼太郎はテーブルの木目を見つめながらも唇は一文字に結ばれていた。





 これは夢でなく現実だという。


 剣や銃を振り回して醜い異形の化け物と迷宮で戦っている一方、現実世界と変わらず額に汗して働き日銭を稼ぐしかないというこの異世界で、何をどうしたら良いのか皆目検討もつかない状況での申し出。


 断る理由はなかった。


 身寄りは当然のこと、知り合いもいないであろうこの世界で、手を差し伸べてくれる者が誰であれその手を取らない理由はあるだろうか。


 むしろこの安全地帯であれば一人であってもやろうと思えば何でもできると言われ、放り出されでもしたらどうしようかと不安で満たされていた。


 全くの遠慮なしにすがりつくことに対し躊躇を覚えたことは確かである。


 鋼太郎は何をどうすれば彼らの役に立てるのか予想もつかなかったが、何であってもやってやろうという気概に溢れていた。


 見ず知らずの自分を拾ってくれるという恩義に報いるために。





「あの……鋼太郎です。何ができるか分かりませんが何でもやります。拾って貰った恩をなんとかして返します。だから、あの、よろしくお願いします」


 鋼太郎はただたどしくもそう言葉を連ね、頭を下げた。


「ようし、よく言った! こちらこそよろしくだ!」


 目が潤んでいるが決意に満ちたいい顔だ、と微笑む鉄兵はその大きな手を差し出し、半ば強引に鋼太郎の手を握った。


 自分の手を握り返す力強さに、鉄兵は満足そうに微笑んだ。


「同じ金物同士だ、仲良くやろうや」


 それを見た千登勢は嬉しそうに微笑み、次いで凛に何事かを耳元で囁いた。


 凛はそれを振り払うようにしてそっぽを向いた。


 まったく面白くないという表情で小さな顎を手の平に乗せ、凛は肘をついた。


 雪緒は小さなカップに残ったエスプレッソを飲み干すと、カップについた唇の跡を親指

の腹で拭うと、大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。

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