第一幕 おまけ

第一幕 おまけ コーヒー豆の錬金術士

「そういえばさっきの会計ちょいと高くなかったか? 豆、ケチらないでくれよ」


「いつまでもあると思うな親と金って言うだろ? 物価は常に変動する。それにこちとら水商売だ。豆やアルコールの割合が変わるなんてよくあることさ」


 吾郎は悪びれもせず、時々によって規定分量を誤魔化してるいることを告げた。


「吾郎さんよ、そりゃおかしいだろうが」


「そう言うなよ。電気・ガス・水道は安定してはいるが、コーヒー豆・アルコール・肉・野菜・調味料なんかはダンジョンで掘り出されなければ出回ることはない、知ってるだろ? 食い物の本当の供給者はオーナー連中じゃなく、お前たち迷宮探索者だ。みんなが食いっぱぐれないよう俺達は調整しているだけだ」


「なかなか面白いこというじゃないか。こっちは命張ってるんだ、薄めるなら薄めるで見合った値段設定にしろよ」


「それはお前らがふっかけてくるからだろう」


「おたくらが買い叩くからだろ?」


 自分の主張は間違っていないとお互いに譲ろうとはせず、しばしの睨み合いは吾郎の横の機械から発せられる電子音によって破られた。


「……鳴ってるぜ」


 吾郎は作業に戻り、小刻みに揺れて唸る機械を慣れた手つきでなだめた。


 バルブから勢い良く蒸気が吹き出し、短いながらもシュッシュッと勢い良く息を吐いた。


 バルブをカップに入れ中の牛乳をスチームで熱する。


 金属製のひしゃくのようなものにコーヒーの粉を山盛りに入れ、それを木べらで平らにならし、上から押して圧縮させた。


「そういえば一人見かけないのがいたな。あいつはどうした?」


「……ああ、あいつね。突然どっか行っちまったよ。いやいや、困ったもんさ、マジで」


「おい、もしかして投資した分は――」


「もちろんパーだよ、パー。」


 鉄兵は大げさに両手を広げて降参のポーズをとった。


「お前これで何人目だ、また懲りずに新人育てるつもりなのか? お人好しが過ぎるぞ。お前が苦労するならそれはお前の勝手だが、お嬢ちゃんたちがかわいそうだ」


 熱した牛乳をココアの粉末が入ったマグカップに注ぎながら、吾郎は木べらでゆっくりとかき回した。


 薄い木べらがマグカップの中を一回転する度に優しく甘い匂いが漂った。


 吾郎はマニュアルにはない一手間を加える――加えるといっても大したことではない。


 ココアに軽くシナモンを振って香りをつけるだけ。


 たったそれだけのことだが吾郎は真剣な面持ちで小瓶を傾けた。




 

 マグカップに描かれたウインクをする耳の長い犬と目が合った鉄兵は、吾郎とは目を合わそうとはせずショーケースに入ったドーナツを見ていった。


「……見解の相違ってやつだ。死んじまったわけじゃないから、まあ、良しとするさ」


「さてと、無駄話をしてたらおそくなったな。注文は以上でよろしいでしょうか?」


 突然店員らしい口調で語る吾郎は、湯気が立ち昇るカップが並んだ焦げ茶色のプラチック製のプレートを差し出した。


「こんなもん頼んだ覚えはないんだが?」


 受け取ったプレートには五つのカップ以外に、四つの小さなカップケーキが添えられていた。


「お子様連れへのサービスだよ」


「だから値段が高かったのか、セコいことしやがって。いや、口止め料か?」


「純然たるサービスだ。頼むから言いふらすなよ、面倒なことになるからな」


「どっちだ、飲食店業の闇の方か?」


「さあな、任せる。……鉄兵、パーティー内で起きる不和はお前が理由だよ」


「モテる男はつらいぜ。誰かさんがウチに来てくれるといいんだが……」


 そう言って鉄兵はプレートを持ち、時折見知った顔と短く挨拶を交わしながら店の奥へと進んでいった。





 吾郎は天井を見上げた。


 なんてつまらないことを言ってしまったのだろうか、と後悔でいっぱいだった。


 強張る身体を解きほぐす為にゆっくりと鼻から息を吸い、口をすぼめてゆっくりと息を吐く。


 自虐的な気分にゆっくりと浸っている時間はないようだ。


 客の注文に頷き、復唱する。


 客が精算を終えるのを待つ間、吾郎は儀式前の準備運動を開始した。


 こわばる指先を伸ばしては縮め、縮めては伸ばしを繰り返してほどよく感覚が戻ってきたことを確認すると、手の平を擦り合わせて気合を入れる。


 容器から魔法の粉を取り出す――ただし規定量プラスアルファ。


 焦げ臭い粉を可愛らしい銀の釜に入れ、まじないをかける。


 それを機械に放り込みタールのような液体を抽出、白無垢の小さなカップを黒で汚していく。


 微振動を繰り返すバルブを調整し、ドラゴンの荒々しい鼻息のような白い蒸気を吐くノズルにタオルを当ててなだめる。


 準備ができたならばミルクを入れた容器にノズルをあてがい、吹き出す蒸気で温める。



 ――そう、気分は錬金術士。



 マニュアルにはない、誰に頼まれたわけでもない、余計なこと実行する。

 

 例えば風味を良くするために少量のシナモンをココアに振りかけたりがそうだ。


 計量カップなんて使わない、目分量こそが大事だ。


 煎る前の豆の色や重さ、煎った後のものもよく見て、鼻を寄せて確かめる。



 最高の一杯をご馳走してやるぞ。


 

 特に顔色が冴えない客や涙をこぼす客――時には怒り心頭で周囲に噛み付く客にもだ。

 

 客の顔をみて味の濃さを変え、オススメの品を提案する。


 こいつを飲んで気分をリフレッシュして欲しい。


 悲しいこと・腹が立つこと・嫌なこと全部を、この一杯を飲んだ後に出る一息とともに身体から吐き出させ、一瞬でもいいから忘れてくれればと切に願った。


 心をこめてやっているんだ、文句を言うやつには目にもの見せてやる。


 とはいえこちとら雇われの身、色々と規定以上に使い込んでいるのがオーナーにバレたらまずいことになる。


 それにその時はその時でどうにかなるだろう、承知の上だ。


 いまはやるべきことがある。


 商売用だの、うそ臭いだの、薄っぺらいだのと言われても構いはしない。


 最高の笑顔でもって最高の一杯を届けることが出来れば、こんなに素晴らしいことはない。


 なんのヒネリもない月並みな文句。


 だがその意なくして美味いコーヒーを淹れることはできない。


 オマケなんて小賢しいことをしてしまったが、あの大男と仲間達には届いただろうか。


 一見すると普段と変わりはないように見えるが、昏い眼をした彼と彼女等に。


 しかし吾郎はすぐさま気持ちを切り替えた。


 新たに受けた注文の品を復唱し、頭に術式を浮かべる。


 白いカップに注ぐのは香り立つコーヒーだけ、昏い気持ちまで淹れるつもりはない。

 

 たかだかコーヒーの一杯。


 それでも吾郎は真剣な面持ちでフラスコの黒をカップの白へと注いだ。

 

 このクソッタレな現実をふっ飛ばす最高の一杯のために。

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