一面の偽世界 その四
かまくらの入り口には中から鉄兵の大盾で蓋をし、天井と壁には雪緒の刀で空気孔を開け、床にはブルーシートを広げた。
凛と雪緒が四足の獣の毛皮にくるまり震えているそばで、千登勢は子供のようにウキウキしながら厚い革袋の中身に指をつっこみ弄っていた。
鋼太郎が不思議そうに見ているのに気付き、千登勢が手のひらに広げた袋の中身は親指の爪よりも大きな色とりどりの宝石だった。
早く早くと凛が急き立てた。
「じゃあ」と言って千登勢が選んだのは、ルビーのような、ジェリービーンズのような、燃えるような真っ赤な石だった。
それをつまんでタイルの床に置いて山刀の柄で砕くと、火が生まれ、暗く寒いかまくらの中にオレンジ色があふれた。
「はい、どいたどいた! はぁ生き返るぅ」
凛と雪緒は鋼太郎を押しのけ燃える宝石に手をかざし、温めた手で太腿を摩って温めた。
割れた石の断面に火が燃えていた。
これに驚く鋼太郎であったが、色々と説明を求めるよりも今は芯まで冷えた身体を温める火を渇望してやまなかった。
輪になって燃える石を囲んで目をつぶると、服を着たまま風呂につかっているような気分に誰もがうっとりとした表情でしばし温もりにひたっていた。
「いつまでここにいる予定ですか?」
「雪が止むか携帯が使えるようになるか……いずれにしても果報は寝て待て、交代して休息を取りながらゆっくり待つさ。だがその前に――」
「ねー、お腹すいたー」
凛が不機嫌な声を出すのに対し、千登勢はニコニコしながらバックパックを探り、
「なんと!」
「なんと?」
「お餅があります!」
ビニール包装された切り餅を取り出した。
おお! と声を上げる鉄兵がたずねた。
「醤油は?」
「あります!」
「砂糖は?」
「あります!」
「それから……」
「肉があります、椎茸に人参、だしの素があります!」
「きな粉は?」凛は期待の眼差しを向けた。
「それがあっるんだな~♪」
「ひゃっほう!」
「持ってきてるのか……」雪緒は呆れて顔をしていた。
「たたたたた隊長、一大事です!」
千登勢は敬礼ポーズをしながら言った。
「テンション高いね。それでどうしたの?」
「ミツバがありません、どうしましょう?」
「ミツバも京人参がなくとも雑煮っぽいものは作れるさ。リンコはきな粉餅、ほかに食べたいものある? 味噌と砂糖はあるから焼いた餅に塗ろうかと思うんだが」
「僕はなんでも大丈夫です」
「雪緒ちゃんは?」
「任せる」
密かにぐぅと腹を鳴らし、ぜんざいが食べたいとは言えない雪緒であった。
網がないので切り餅に鉄串を刺し味噌・砂糖・日本酒を溶いたものを塗って火であぶる鉄兵のかたわらで、千登勢がクッカーとガスバーナーで雑煮を作り始めた。
香ばしい香りに自然と涎が溢れてくる。
もちろんきな粉餅を忘れてはいない。
クッカーの蓋に広げたきな粉に焼き餅を乗せてまぶす――凛は待ちきれないようだ。
雪の降る不思議な迷宮の奥底で食べられる雑煮としては極上の逸品、それを等しく分けて冷えきった身体を温めれば、自然と笑顔が溢れた。
海苔がなかったのは残念だったが五平餅もどきも絶品で、喉が渇けばダシ汁を飲んだ。
デザートのきな粉餅では飽きたらず、秘蔵の黄桃の缶詰めを開けてこれも等分に分けた。
男たちは残りのシロップを三人娘に譲るも、凛がほとんどを平らげた。
しかし誰も文句を言うことはなく、それで良かった。
異形がはびこり罠が待ち受け不思議な現象の起きる迷宮において、脆い雪の外皮に覆われたこの空間はひとつの聖域だった。
千登勢の結界により不可侵性は確固たるものとなっていた。
数日このままでもいいかなと思わせるほど楽しくゆったりとした時間が流れ、一ゲームだけのババ抜き――ときどき雪緒が刀に手を伸ばすが勘違い――に笑顔は絶えず、雑煮に缶詰にカードにかまくらといった具合に千登勢は携帯電話で写真を撮っていった。
活気と熱気に汗ばむほどで、かまくらの内壁は溶けてつやつやと輝いていた。
しかし凛の大きなあくびに宴は終わりを迎えた。
鋼太郎・雪緒・鉄兵の順の三交代で雪の降り具合を監視ししながら敵の襲撃に備え、女は毛皮にくるまり男はポンチョの重ね着で暖をとって体力の温存につとめた。
空気孔から見えるのは黒、運良くそこを通り抜けた雪片はかまくらの中に遊びに来るもすぐに溶けて消えた。
聞こえるのは風と寝息と僅かな衣擦れだけ。
石より生まれた火をみつめ耳をそばだてる、三交代の長い長い孤独な戦いが始まった。
あの日以降、品川駅は物騒になった。
あの日とは、飲食店従業員が殺され突如現れた幼児が姿を消した日だ。
混み合う雑踏の中で人が倒れ、見れば背中にナイフが刺さっていたり銃弾を撃ち込まれたりするような事件がたびたび起きた。
それはまだおしとやかな方で、慈悲があった。
ある飲み屋では男がちょっとトイレに行くと席を立ってそのまま帰ってこず、様子を見に行くと男は便器に首をつっこんだ状態で見つかった。
首をつっこんでいるのであって頭ではない――
行方不明の頭部は後日異臭を放つコインロッカーから見つかったりした。
覆面の襲撃者によって蜂の巣にされたり、頭をショットガンで吹き飛ばされたりもした。
公衆の面前で、だ。
公衆の面前といえば道の両端を飲食店などで彩る人通りの多い場所で自治会と交戦をすることもあったが、互いに一般人を巻き込むことをよしとせず戦闘はうやむやになり、襲撃者は店に飛び込み厨房や従業員専用口を通り抜けて逃げおおせた。
自治会が追跡を断念するのはそこが聖域だったからだ。
ならば逃走に手を貸す店をしょっぴけば良いかというと、話はそう単純ではない。
そこが単なる小規模商店だからといって強気に出ると、その店で食事ができなくなるだけでなく同業者意識から入店おことわりが連鎖してモノを買うことができず食にありつけなくなり、自治会といえどもつまはじきにされてしまうからだった。
一部の『無能力者』を敵に回すことは駅での生活おいて致命的な行為のひとつであり、駅の秩序と平和を乱すことがない限り自治会は手出しできなかった。
もちろん強力なコネや通行料を払う場合はこの限りではない。
そのため自治会の一部はこの襲撃事件の首謀者についておおよその見当をつけていたが、手を出すことなかった。
理由のひとつは自治会の大口出資者であること、他の理由として襲撃者の死体はおろか拘束もできず、有力な手掛かりも証拠もなく、過去の事例からの推測でしかなく関係性が立証できなかったからだ。
べつの理由として、この襲撃事件に便乗して気に入らない奴を殺そうと躍起になる個人または組織が火に油を注ぐ形で品川駅を舞台に乱痴気さわぎを始めたからだった。
これに乗じて盗人や詐欺師や禁制品を扱うディーラーが動き出すことで自治会のリソースがこれらに割かれ、襲撃者たち――『ガーデン』は再び活性化するのだった。
僕らはといえば、連日逃げるようにして電車に飛び乗った。
鉄兵さんは騒動から僕らを遠ざけた。
まるで迷宮の方が安全であるかのように……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます