一面の偽世界 その三
滑り出しは良かった。
見覚えのある雪の小山とまだ見分けのつく五人分の足跡を辿っていけば、迷うことなく確実に第三階層に続く階段との距離を縮めていった。
しかし落下傘部隊による大攻勢のようなドカ雪によって間もなく見失ってしまうのだった。
さらに真南を指差すポニーテールが右へ左へと揺れ始めついには縦横無尽に暴れ始めると、雪緒はすまなそうな顔をして立ち止まった。
ならばちょうど真南を向いているのこのまま状態で突き進めばよいと思うのであるが、迷宮は捕まえた獲物をそう簡単に逃そうとはしない。
ここを確かに通ったと思われる小山と小山の間の道を降り積もる雪が塞いでいた。
膝下ほどの新雪を蹴散らし通ることができないのは、ここが迷宮であり、そこに罠が仕掛けられている可能性があったからだ。
ならばと見える範囲でそれを迂回し元来たルートを南下しようとしたところ、妙な違和感に鋼太郎が突然四つん這いになると、右から左へ左から右へと新雪に手を這わせ始めた。
迷ったときのためにとヘンゼルとグレーテルのように空薬莢を落としてきたのであるが、それを見つけることができなかった。
まさかと思って範囲を広げてみても時間の無駄でしかなかった。
迷宮には真鍮製の薬莢を食う鳥がいるのかと悪態をついてみても同様であった。
目配せに対し首は横に振られ、頼みの綱であった千登勢の渡り鳥なみの方向感覚が期待できないことを知ると、鉄兵は灰色から黒に変わりつつある天井を見て唸った。
「ねー、ちょっと立ち止まってないでさー、どーすんの?」
「うーん。結構やばいかも。なんとか知恵を絞って第三階層まで行くか、それともどこかでキャンプをしてこの寒さをやり過ごすかだ」
「もーどっちでもいーからははは早く、早く」
凛は自らの腕を抱き、せわしなく足踏みしていた。
「じゃあキャンプしましょう! んー、場所はこれから占いまっす!」
千登勢はフォールディングナイフを手にすると、雪緒の制止を無視して自らの髪をひとつまみ切り取り、なにをするのかと思えばそれを宙に投げた。
無慈悲に吹き荒ぶ雪風にさらわれ、あっという間もなく千登勢の髪は闇に溶けた。
「なるほど……右です!」
「い、いまの左でしょ?」
凛は凍った鼻水を貼付け、おふざけは十分だといった具合に強く自信満々の千登勢の袖を引っ張った。
「右だよ」
不思議な絶対的強制力をもったニコニコ顔に、凛はぶつくさ文句を言いながらもまわれ右をして千登勢に背中を押されるがままに歩き始めると、それに他の者も続いた。
「もー、引き返してほかの道探せばいいじゃん」
鋼太郎が罠の有無を調べる間、凛はせわしなく足踏みをすることで四つん這いになってぶりぶりと振る尻を蹴りたくなる衝動を紛らわせた。
ほんの短時間ながら降る雪は景色を変えて小山は背丈を大きく超えて両脇をかこむ壁となって立ちはだかり、見慣れたコンクリートではなく雪と氷でできたダンジョンとなって行く手を阻んだ。
とりあえずは千登勢の占いに従い右方向に曲がるも、ぐねぐねとした道を歩かされたあげく袋小路に行き当たった。
その袋小路の壁には亀裂があり、手のひらほどの隙間から覗くと向こう側に開けたスペースを見つけた。
これだと思った鋼太郎はその亀裂に手を入れそっと雪をかき出し始めた。
砂山に立てた枝を倒さないようにといった棒倒しの要領で削り取り除いていくと、くるぶしの高さに黒く細い紐が横に渡されているのを見つけた。
かじかむ手でそれをたぐっていくと壁の中に事務机が埋まっており、正面の大きなひきだしの下方に、グロテスクな機械を見つけた。
それはべっとりとした黒い油で汚れたいくつもの部品が組み合わさったトースターに似た箱で、二列のスリットの中には食パンではなくギラギラとした円板状のものがこちらを覗いていた。
優しく紐を引っ張るとトースターはキイキイと鳴いた。
仕掛けが動き出さないようにビクトリノックス・キャンパーPDで紐を無事切断し終えると、袖や膝はもちろん背中や額は緊張にぐっしょりと濡れそぼっていた。
なにが盗賊不要論だ、と鋼太郎はぼやいた。
中腰に屈んで通れるほどの穴を抜けるとそこは正面と左側の二方向を切り立った大雪に囲まれた広い空間となっており、絶えず降る雪が強風に舞い上げられていた。
上方を見れば凪ぐ風が削り取った表層が乏しい明かりにきらきらと光り、都会にいては決して目にすることのできない幻想的な光景を目にすることができた。
降るぼた雪と舞う粉雪で視界はますます悪くなり、突き刺さるような冷たい風はもはや豪雪地を駆け抜ける吹雪の様相を呈していた。
鉄兵は決断した。
「これ以上は危険だ。千登勢は場所の選定を。鋼太郎君は俺とキャンプの用意、残りの二人は警戒にあたってくれ」
「ど、ど、ど、ど……」
凛は漫画の効果音のような言葉を発しながらエンジンのように小刻みに震えていた。
「こんな風でどうやってキャンプを?」
さすがの雪緒もこの寒さはこたえるようで白い太ももさらに白くさせ擦り合わせながら早くしろ射るような視線を向けていた。
わずかに鼻水が垂れているのを指摘しないのは優しさというものであった。
鉄兵はニヤニヤしながら言った。
「千登勢ちゃんならどうする?」
「かまくら!」
千登勢が元気よく指差した方向に都合よくかまくらが存在するわけもなく、風と雪がますます勢いを強める中鋼太郎は折りたたみスコップを、鉄兵は大盾を使って汗だくとなって指差した場所に雪をかき集め始めた。
千登勢は震えながらも大きくなる雪山に目を輝かせ、凛と雪緒は自らの腕を抱き肩をすくめてただただ寒さに耐えていた。
そこへ装備品はおろか着衣や皮膚さえも根こそぎ剥ぎ取るような強烈な風が吹き、彼らの全身に容赦なく氷のつぶてが叩きつけられた。
凄まじい痛みに誰もが悲鳴を上げたが、それさえも風は奪い去った。
聞こえるのは風という名の凶獣の哄笑と全身を打ちつけるつぶてが砕ける音だった。
しかしながら悪いことばかりではない。
効果は抜群だ。
狂風にあおられる紺地と赤いチェックのスカートの中の神秘が男達の疲れも寒さもふっ飛し、三倍の速さと効率でかまくらを完成させるに至った。
「あ、あとはけけけ結界ははは張るだけだ」
「けけけけ結界ってなななんですか?」
「げげ玄関におふお札貼ったりするだろ? と、とにかく見ればわかる」
凛と雪緒がさっそくかまくらの中へ飛び込む一方、千登勢は極寒の中寒さを感じていないかのように一心に念じながら膝をつくと種を植えるように雪の中へ何かを埋め、それを山刀の柄頭で叩き割った。
それはかまくらの四隅で行われた。
決まりきった約束事にそって行なわれる一連の所作は、ひと言でいえば儀式だった。
しかしながら雪化粧した長い睫毛を伏せ静かにつむぐ唇の動きは、雪に跪くこともあって、魔法を使役するというよりもこの忌々しい迷宮にお伺いを立てているようにも見えた。
その一方で原始の人間が棍棒を使って木の実の硬い外皮を割るように、破壊から創造へ、何か新しいものを生み出そうとしているようにも見えた。
「ご苦労さん。出来具合は?」
「ばっちりです!」
千登勢は鼻をすすりながら満面の笑みでVサインをくりだした。
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