第6話 ゴットフリートの初社交デビュー前夜Ⅰ

「4年か……やばいな、そろそろ……」


 丈二がゲッツ(ゴットフリート)として、この世界に転生してから、もう4年が経過した。

 双子やクリスタはもう寄宿舎に入学している。双子は今年の1月で3年生に上がっていて、来年の夏には一旦帰って来るみたいだ。



 その時間の移り変わりは早く、ゲッツはいつになく焦っていた。


 それは、間もなく幼年貴族園遊会が開催されるからだ。この国には、貴族の子供が5歳になると社交デビューを兼ねて園遊会が開催される、制度というか慣習が残っていた。 


 この国、特に貴族は非常に古くからの慣習を大切にする傾向がある。それは爵位が上がっても、元の先祖代々の爵位を名乗る者がいるくらいである。そしてさらに貴族には見栄っぱりが多い。


 これらの貴族の要素を掛け合わせると、園遊会が定期的に開かれることになる。そして子供が5歳の時にデビューさせておけば、寄宿舎入舎時にボッチにならずに済むという、親としては大変ありがたいものなのである。


 ちなみに庶民は貴族の子供とは違い、基本的に町内や都市区画内などのご近所づきあいがあるため、こういった事は必要ないのである。庶民万歳である。


 美味しい食事や親同士のつながりの確認、友達づくりや情報収集などなどいろんな意味を兼ねているこの園遊会。

 これには「当然、あなたのお子さんは貴族として当たり前の素質がありますわよね?」といった、謎のプレッシャーが貴族親子には背負わされる事になることも周知の事実である。


 ゲッツの兄の双子やクリスタもゲッツが生まれる前に、この試練を乗り越えているのである。


「いやだなぁ……」


 ゲッツがなぜこうも、この園遊会をいやがっているのか。それは未だに字を書く事を苦手としているからである。


 ゲッツがこの世界に転生してきたばかりの頃、彼は異世界転生の恩恵として翻訳機能があると思っていた。しかし実際にはそうはうまく行かない。


 確かに聞いて意味が分かるし、話しても意味が伝わる。だが、書くのが苦手。それは、手が勝手に翻訳した文字を書く、なんて事まで翻訳機能が完璧だという訳ではないということか。


「そもそも、あいつが翻訳機能をつけてくれた、と確信した訳ではないしな……」


 ゲッツはもう顔の幾何学文字の内容も忘れたあの、のっぺらぼうカミサマの事を脳裏に思い浮かべる。あいつはどうこうする権限がないと言っていた気がする。


 なので意味が分かる言葉の文字を書く事を学ぶという不思議な事をしなくては行けなくなった。

 一応意味が分かるので、書く事自体は容易であった。しかし筆記体の様に連結気味であるし、万年筆に似たようなペンで書く必要があることから非常に難航していた。


「こんなことになるなんて……、万年筆講座受けとけばよかった」


 後悔先に立たずである。そもそも転生前はネット社会に生きていたゲッツでは書くことも少なかった。高校での授業以外は機会がないし、年賀状すら書かないのであるのだから。


 とはいえ、年長の兄弟達はみな、年齢相応であったはずだ。たが、彼にも不思議なプライドというものがあった。あのまま、転生せずにいれば彼は今、20歳であるはず。肉体に精神が引きずられているのか、さすがにそこまで成熟している訳ではないが、彼の転生前の経験が変なプライドをつくる。要するに、恥ずかしいのだ。うまく書けなくて周りから温かい視線を投げられるのが。


 何度も何度も、ミミズが張ったような字を紙に書いて練習したゲッツだが、この紙が羊皮紙ではない事に気づく。羊皮紙と言えば、かつてゲッツは一度だけ博物館で触った事が会ったのだが、それとは全く違う。

 明らかに紙だと手触りでわかる。ただし、まあまあ高級品なのは変わりないので、紙を文字で埋めるように練習した。


 この国の言語は各地方ごとで方言があるが、文字体は数百年前から統一されてきているようだ。ただし、この国には様々な種族が共存する。そのため、都市部に住み着いている者以外の、部落を築いている一部の種族は全く違う言語を持っていたりする。


 このペーベルに住んでいる限りはそう言った者達には会わないのだが、とゲッツは不意に冒険心をくすぐられる。

 文字も転生前の英語を思わせるような形で、日本や韓国語とは違って、動詞が構文の2番目にきている。英語が苦手だったゲッツには頭が痛い問題だ。


 特に頭が痛いのは単語単語が非常に長くなる傾向にあるようで、話す時にはあまり使わない様な単語や外来語はその傾向が特に強い。


 ちなみに本来このレベルの議論は既に、幼年貴族を通り越して、この国の高級大学の神学部に行く程である。ゲッツは一度熱中すると、燃え上がる性質の様だ。





「よし!ようやくかけた!」


 ようやく、納得するような文字を書けたのは、ゲッツが5歳になった後で、野原に花が咲き始める頃。園遊会が執り行われる数日前である。


「んしょ! あにうえ、なにがかけたのー?」


 下の双子の男の子、ルカが不思議そうな顔で、机の上によじ上ろうとする。


「ん? これかい? はい、どうぞ。兄ちゃんすげえだろ!」


「わぁ! あにうえ、すごい!」


「そうだろ、そうだろ!」


ゲッツはルカのくすんだ金髪をわしわしと撫でる。ルカはえへへ、と嬉しそうに撫でられていた。


 いままであまり年下の人間と接する事がなかったため、はじめはどう接すれば分からなかったゲッツだが、ずっと一緒にいると可愛いものである。


 兄弟が増えまくる環境に最初はあまり好ましくはなかったのだが、なんだか人と接することでこの世界が小説のような世界ではない事をゲッツは再実感する。人付き合いよりネットを優先させ、妄想にふけっていたあの頃とは格段に笑顔が変わった。


「ゲッツ? ちゃんと頑張ってる? ルカは邪魔しちゃだめよ」


「坊ちゃま、たまには休憩も必要ですよ。はい、紅茶です」


「兄さまぁー。ご本読んでぇー!」


 義姉のユリア、世話役のイレーネ、下の双子の女の子のサーシャと3人ともがゲッツを心配して部屋に入ってくる。サーシャはお気に入りの本を読んでもらいたいだけみたいだったが。


 ゲッツには今のこの環境にとても満足していた。その点だけでも彼はあの、のっぺらぼうカミサマに一応礼はしている。


 さて、幼年貴族園遊会はもうすぐである。園遊会はこの辺りで大都市とされている、ローゼンブルク市内で開催される。そこへは当然のこと、汽車で移動するという事をゲッツは聞いていた。


 異世界にきて初めての外遊を、それも初めての大都市に行く事にゲッツは心なしかとても興奮していた。それは、小学校で初めての修学旅行を経験した時と似ていた。


 ゲッツはそれを心地よいものとして捉える事が出来た。文字が問題なく書けるようになった為か、マナーも一応今までイレーネに叩き込まれてきた為か、人付き合いが良く感じられるようになった為なのかはわからないが。



 楽しみに待つ、はじめての園遊会に心躍らせるゲッツだが、そこで意外な人物と出会う事はまだ知らない。

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