第3話 ゴットフリートの家族事情

 それは雨期に近づいた7月頃だった。


 ペーベルの町を守る守衛は全部で60人。毎日交代式を行う程の人数はいないが、それでも昼の12時を知らせる鐘が、町の中心部にある古い教会から鳴り響く頃には立派に誇り高く行っている。 

 雨期になる7月末からは町の一大イベントになりうるこの行事はそれほど行われなくなり、変わりに豊穣祭が月末に開かれるのだが、この日はそんな毎日行われる昼の交代式は行われなかった。

「こんな、大雨じゃなぁ」


「隊長ぉー。今日は交代式中止ですかねー」


 そんな守衛隊長と部下の、のんきな会話が続くのはこの田舎の町である、ペーベルでは交代式が本来の意味から外れて、一種のイベント化している事が原因である。彼らは、この大雨の為に交代式が行われず、いつもより早く門の守衛についた。

 門は田舎の町にしては珍しく、レンガづくりの立派な物が取り付けられており、町のシンボルの一つでもある。


「しかし、ココんとこの大雨にはまいったなぁ」


「うちは農家なんで、家的には大歓迎なんですけどね」


「そういうけどなぁ……異常だよこの雨は」


「いや本当に、この大雨は異常ですな。雲の観測からも私の天候魔法からも今日は晴れの日だったのですが……」


「天候魔術士のブルーノ殿ではないですか。本日はなぜこちらに?」


 門番の2人の会話に挟み込むようにブルーノという、几帳面そうな研究者然とした中年が現れた。その眼鏡をかけてガリガリにやせている様子は鶏を思い浮かばせる。

 天候魔術士とは雲の動きを魔法で観測して天候を予測する者達で、魔術師というよりも学者肌の人物が多く、このブルーノも例に漏れない。


「うむ。私宛の手紙が来ていると伺ってな。籠っている研究室から、来たのだよ。とはいえ、寒い寒い。ここの暖炉使わせてもらうよ。私の外套が濡れてしまってな」


「はぁ、手紙は預かってますが」


 ブルーノはそういうと、門番用の兵舎へと向かおうとする。


「む?君たち、なんだと思う?」


「なにがです?」


「おい、伍長。持ち場を離れるな……、と誰か来たな」


 門番の隊長は部下の守衛としての自覚を説教しようかとも思ったが、遠くにうつる馬車の姿を確認すると、すぐに仕事人の顔に戻る。この大雨の来客に少し訝しめながらも、部下に適切な支持を放つ。


「伍長、馬を走らせて、当番の同僚を数名つれてこい! ……そうだな、10人は欲しい。伍長本人はそのまま城のペーベル子爵夫人に連絡をしてこい。」


「はっ! 了解いたしました!」


 シュビ! と聞こえるような王国式の敬礼をしたかと思うと伍長はすぐに自分の任を全うすべく、同僚のいる兵舎へと向かう。


「あれは、王国軍の紋章ですな。車輪も石畳の上を走るように出来ているようだ。ふむ……、王国軍人か、軍人貴族かのどちらかだな」


 守衛達がなかなかない緊張に顔を強張らせている中、例の天候魔術士は冷静に遠くに見える馬車を自前の望遠鏡でそう分析する。


「王国軍って本当ですか!? 最近、ここより北方にあるイェルマルク帝国という国と会戦したと聞きましたが、その関係ですかね?」


 守衛隊長はこの辺境では一代しか置かれていない「ラジオ」なる代物で放送を聞いた事を思い出した。


「その可能性が大であるな。たしか今朝の王立新聞でも言われていたしな。2日前のだが、ね」


 新聞もここ最近発明された代物で、この引きこもり研究者でも読んでいるが、ここのような辺境には新聞の情報が幾分か遅れることもある。


 そんな会話をしているうちに、先ほどの伍長に呼ばれた守衛達が続々と集まってきており、いつもは静かなこの町の門が、まるで都会のように騒がしくなった。





ーーーー


 その門の騒ぎようにいち早く異変に気付いたペーベル城の人物と言えば、ゴットフリートである。彼は、まだ完全にはおぼつかない足取りであったが、同年代の中では一番成長が早い。1歳と少しとはいえ、必死にユリアに伝えようと転びながらも廊下を歩いた。


「ははうえぇ(よかった、まだ廊下にいた)」


「うん? どうしたの? ゲッツ」


 彼は未だに廊下にいたユリアに話しかけようとしたが、なかなか言葉を話すのが難しい。このもどかしさにゴットフリートが悩んでいるなか、執事の一人がユリアを見つけ耳打ちする。


「若奥様! ここにおられましたか。実は先ほど門の方でーーー。」


「分かったわ。あなたはその来客をここへお連れしなさい」


「かしこまりました」


 彼女は事情を聞くとゴットフリートを抱き上げると彼にささやく。


「ゲッツちゃん。お部屋で静かにするのよ。何でもないんだから。アマーリエ、ゲッツちゃんをお部屋に。それと、クリスタ達も部屋に戻して」


「はい、わかりました」


(まてよ? これは俺の周辺の環境を知るチャンスじゃないか。)


 そう内心で思ったが、ゴットフリートは手近のメイドに一階の部屋に連れて行かれる。

 しかし彼はなにかただ事ではないと確信し、自分の取り巻く環境を知るチャンスとしていた。そのため、彼は部屋を抜け出し、こっそりと事の端末を知ろうと行動する。





ーーーー


「若奥様。お連れ致しました。」


「アヒム? アヒムじゃない! どうしたの?」


「あ、姉上! お久しぶりです。今日は大事な用事があって伺いました」



 執事が来訪者を紹介する前にユリアは良く知るその人物の名を呼んでいた。その人物はアヒムと呼ばれる、黒髪と翠色の目が特徴の青年であった。その青年はこの大雨の中、強行して来たようで、肩から息をしている。

 こっそりと様子を伺う、ゲッツにとってはこの一年で初めて見る家族以外の親族であった。


「ちょっとずぶ濡れじゃない。本当に何があったの? あなたは「白い街」にいたはずだわよね。」


「それは……」


「ちょっと待って。暖かくして、人払いしてから話しましょう。アヒムはもう少し自分の身を大切にしなさい。誰か! アヒムの世話を」


 アヒムは相当に疲れているようで、風呂に入り彼が大好きなコーヒーで一杯した後、ユリアと執務室に入った。


 ゲッツにはこれ以上こっそり見る事が出来なさそうだったが、以前彼がこの世界で目を覚ました時にいた、ピアノがあった部屋がちょうど執務室の真上だった事を思い出し、2階へ上がった。





「あ! ゲッツ! こんなとこでなーにしてんの? 母上にきつく叱られるぞぉ〜、こわいんだからな〜」


「それを言うならルディ兄ぃもね。大体、母上は今この町にいないんだから、怒られるもない気がするけど」


「あ……(ゲッ! ルディ兄上だ。それにフリッツ兄上も!)」


 にやり、とした顔を浮かべながら、最悪のタイミングでこちらに近づいてきた双子だったが、それよりもフリッツの言った「母上は今この町にいない」という発言にゲッツは疑問に思った。


「ははうえ、いない?(ここにいないってどういうことだ? それにユリア母さんは優しい人だよな)」


 そう、ゲッツはここ一年でユリアが怒った所を見た事がなかった。それゆえにルディのこわいという言葉に少し違和感を感じていた。そう言えば、この双子はどこかユリアに対してよそよそしいところがある。


「そうそう。どうやらゲッツは勘違いしてるようだけど、ユリア義姉さんは母親じゃなくて兄上の奥さんって奴だな。」


「もっとも、僕たちもその兄上をあんまり見た事がないんだけどね」


「……ええええぇぇぇ!!!(ま、まじかよ! 恥ずかしいじゃんか!)」


 ここ最近の出来事の中で一番の驚きだった。それよりもゲッツの中にはある種の恥ずかしさがあった。

 それは、今までユリアの事を子供らしく「ママ」だとか「ははうえ」だとかで呼んでいたからだ。

 だが、よくよく考えればゲッツがユリアのことをそう言った時、彼女は少し苦笑いのような表情を浮かべていたような気がする。

 そして、あえて訂正しなかったのは彼女なりの優しさだったのかもしれないと思うと、ゲッツは恥ずかしさで顔が赤く染まっていくことに気がついた。


「ちょ、静かにしろよ! 母上がいなくてもここには恐ろしいイレーネがいるだろ! 見つかるとヤバい」


「そうだね。ルディ兄ぃ。僕たちはここで逃げよう」


「そうだな」


 そう言うが早いか、双子は即座に廊下を走って彼らの部屋に戻った。

 対するゲッツは最近歩き始めたばかりだった為か、一人取り残されてしまう。


「あらあら? ゴットフリート様も歩き始めてから、いたずらっ子に育っているようですねぇ。困ったわ。私が治してあげましょうね」


「ひぃ(な、なんだこのプレッシャーは!)」


 ゴゴゴ……と聞こえるような錯覚を起こし、後ろをゆっくりと振り向くと、そこにはにこやかな笑顔を浮かべた彼の世話係が立っていたのであった。

 あの双子とは暫く口をきかない。そう思った夕方であった。


 一方その頃の1階執務室では2階の廊下とは違い、重い空気が流れていた。それは急いで故郷のペーベルに帰ってきたアヒムがもたらした情報によるものであった。


 ゲッツの、このままスローライフに突入しそうな人生はこの出来事から大きく変わっていくのであるのだが、当然まだ1歳児の彼は知る義もなかった。

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