ハクシャクトテンシ
今じゃない時、ここじゃない場所。
朝は明るくて夜は暗くて、水がおいしかったのは、
かなり昔になってしまった世界のお話。
そこにハクシャクという名の、完全無欠の恐ろしい吸血鬼がいました。
ハクシャクは、とてもとても長い歳月を生きているドラキュラです。
「いやバンパイアだから、ドラキュラは人名で正しくはバンパイア、覚えて」
そのうえ蝙蝠に姿を変えたり、
野生の動物を従えたり、
姿を霧に変えたりと、
たくさんの強力な能力を持っていて、
若い女性の血を吸う恐ろしい怪物なのです。
「怪物は止めてくれないかな? 他に、この私に相応しい美しい表現があるだろう。
さて、今日は美しい月夜だからね、こんな夜には特別なディナーを楽しもう」
恐ろしい怪物のドラキュラは、
寒い言葉を残して夜の街へと舞い降ります。
「夜の眷属バンパイア!」
とかとか言って始まる物語は、始まった頃から既に長い年月が過ぎていた。
それは本当に何の変化も無いまま、あたしの目が覚めなくなって、
かれこれ100年が経ちます。
何をやっても裏目に出てしまう。
そんな出来損ないのあたしが首を吊ろうとした時、オチコボレの吸血鬼に助けられました。
それが100年前。
出会った時には血を吸えなかったハクシャクに、あたしが自分の血を吸わせることで、
彼を血が吸える真っ当な吸血鬼にすることが出来たのです。
などと呑気に解説しているあたしが何をしているのかと言うと、
もうずっと『神様の判決待ち』です。
そう、あたしは吸血された結果、死んでしまったのです。
あたしの魂が体を離れて程なくすると、死神の姿が見えました。
死神は「お客さんが天国へ行けるか、地獄に落ちるか微妙」そう言いやがりまして……。
ドラパキュラのハクシャクに血を吸わせてあたしが死んでから百年、
彼はあたしの目覚めを待っていました。
でも、今のあたしは神様の判決待ち。
さて、今日は特別な月の夜。
ハクシャクはとっておきの獲物の血にありつく為、
とても美しいと評判の若い娘が眠る、寝室の窓に降り立ちました。
ハクシャクの気配に気づいた娘は、
部屋の中からハクシャクに呼びかけます。
「そこにいるのは誰?」
「お嬢さん、今日はこんなにも美しい月夜ですよ。
こんな素敵な夜には、私をパートナーに官能的なダンスを踊ってみるのも……」
「変態なの?」
「変態じゃねーよ!? 言葉選ぼうよ! ああ、ビックリしたっ!」
今の寒い台詞にツッコミが入るのは仕方がないとして、
ハクシャクは不思議な力で手を触れずに鍵を外すと、
部屋の中へと踏み込みました。
カーテンもハクシャクを避ける様に、フワリと舞い上がります。
「さあ、美しいお嬢さ……小っさっ!?」
そこにはまだまだ女性と呼ぶには年の若すぎる少女がいて、
ハクシャクを見上げていました。
「サンタクロース?」
しばしの沈黙。
「キミ、年はいくつ?」
「12よ、ロリコンなの?」
「ロリコンじゃねーよ、失礼だな!
私に比べたらキミなんかミジンコみたいなものだぞ」
ハクシャクの目当ての美女は、
病院にずっと入院している妹が一時的に帰ってきたので、
部屋を空けて貸しているとのことらしいです。
「じゃあ、噂の美女はミジンコのお姉さんなのか……」
「私の名前はミジンコじゃないわ、変質者さん」
「……キミ、私が何者か解っているかい?」
ハクシャクの正体がドラキュ……バンパキュ、
怪物であることを知っても少女は驚きません。
それは完全無欠のバンパ、吸血鬼であるハクシャクですら、
狼狽えてしまう程の落ち着きっぷりでした。
「お姉ちゃんの血を吸いに来たの?」
「そうだよ、絶世の美女にお目にかかる予定だったんだ」
ハクシャクが残念がると、ミジンコは俯いてしまいました。
少女の小さな顔には大きな眼帯が目立っていて、それを気にしている様子です。
「それは人間だって、盛り付けや器が綺麗な食事の方が食欲は沸くだろ?」
そう、吸血鬼のハクシャクにとってそれは食事の話、
美しい方が美味しそう、若い方が新鮮、それだけのこと。
「コレは病気で肌が弱いから、すぐに荒れちゃうのを隠してるの、
太陽にも弱いから、外を出歩いたりもできないんだ」
「私もだ」
ハクシャクは太陽に弱いに共感しました。
ハクシャクが「いつから病気なの?」と聴けば、
少女は「生まれた時から」と答え、
「いつまで病気なの?」と聴けば、
「死ぬまで」と答えました。
「いつ死ぬの?」
「もうすぐ」
ド、ハクシャクは「ふ~ん」といい加減な相槌を打っています。
死んでいるあたしが同情するのも変だけど、
ミジンコの病気はとても絶望的なものらしいです。
「例えば、アナタに血を吸われたら、
私はバンパイアになって生きていくことができる?」
もしかして、バンパんとかって呼び方は一般常識?
「色々あってね、普段は血を吸ってお終いなんだ。
けれど、その気になればキミを不死にすることはできる」
「私は死にたくないの。
お願い、血を吸って私の命を救ってちょうだい」
ああ、どこかで聞いたようなセリフ。
「バンパイアになってしまえば、普通の人と同じ生活はできなくなるよ。
それでもいいのかい?」
「生まれてから一度だって、普通の人と同じ生活なんてしたことないわ」
ミジンコはハクシャクを真っ直ぐ見詰めます。
彼は「私もさ」と言って少女に笑いかけました。
さて、一方ではそんな懐かしいやりとりがされていますが、
神様待ちの私が気になるのは、
死神さんの「天国か地獄か微妙」という言葉です。
出来損ないのあたしが自分の命を投げ打って、
落ちこぼれのハクシャクを一人前の吸血鬼にした美談は、
「自己犠牲だ!」「純愛だ!」「究極の愛だ!」「真理だ!」等と、
天界でも、それはそれは好意的に受け止められました。
自殺をしくじった流れなのに、結局死んでしまった最低なあたしでも、
天国行きがほぼ決定していたのです。
けれど、どうにもシックリ来ない。
そこであたしは、一つ神様に質問してみたのです。
「はて、あたしは本当に彼のことを愛していたのでしょうか?」
台無し?
だってさ、あたしはそもそも「自殺をしよう」なんていう、
命の惜しくない人間だった。
それが命を投げ出したからってそんなに感動とかされたら、
何だか申し訳なくなってしまうじゃないですか?
死にたかった、彼に血を吸われれば死ぬ可能性があった、
あたしがそれを選択したのは誰の為?
そこに打算が無かったなんて、絶対に無かったなんて言い切れるの?
自殺は例外なく地獄行きが規則。
でも神様に「キミは自らの命を絶つ為に、彼を利用したのか?」と問われて、
あたしは「いいえ、彼を一人前にしてあげたかったんです」と答えました。
それは本当。
それから審議は複雑になってしまい、あたしの所在は右往左往している。
楽になりたくて死んだのに、行き先が地獄だなんて悲惨すぎるから、
ぜひとも天国には行きたいのですけれど……。
だから動機も曖昧なあたしは、神様の判決の待ち惚け。
結局、ハクシャクはミジンコを夜空の下へ連れ出しました。
人里離れた隠れ家にある、自分の屋敷に連れて行くことにしたのです。
巨大な蝙蝠の羽を生やしたハクシャクは、少女を抱えて夜の空を飛びます。
「あはは! 凄い、本物だ!」
ハクシャクは何度も「家族に会えなくなるよ」と念を押しましたが、
ミジンコの考えは変わりません。
「ウチには誰にでも自慢できる、完璧なお姉ちゃんがいるから!
すぐ死んでしまうのに、お金ばかりかかる私なんて必要無いの!
どうやったって、愛情を平等になんて注げないもの!」
「そんなの分からないじゃないか!」
「分かるの! ずっと一人だったから分かるの!」
ミジンコは上機嫌です。
閉鎖された世界で死を待つだけだった人生は今日、自由を手に入れます。
いつも部屋に閉じ込められてきたミジンコは、
初めての自由が楽しくて仕方がありませんでした。
日が昇ってきたので、太陽が苦手な二人は、
避難するように屋敷にたどり着きました。
「立派なお屋敷」
「カーテンは締め切ったままだけどね」
ハクシャクは簡単に屋敷の間取りなどを説明しながら、屋敷の奥へと入って行きます。
最深部には中央に棺桶が一つ置かれただけの部屋があって、
其処にあるのは彼の力で時間の止まったアタシの身体。
ハクシャクはその棺桶の前に来ると一言、
「ただいま」と挨拶をします。
それが日課なのです。
「コイツは今日からここで生活する新入り。
え? いや、別に幼女趣味とかじゃあないからね」
まるであたしが側にいるのを知っているかのように、
話しかけてくるのが彼の癖。
「あそこには誰が寝ているの? 恋人?」
「さあ、どうだったかな?」
ねえ、どうだったかな?
「私が初めて血を吸った人だよ。
でも、血を吸った時から眠りに落ちて100年間、一度も目を覚まさない」
「ええっ!? まさか、失敗とかあるの?」
「キミは大丈夫だよ。
彼女の時は殺してやろうって思って血を吸ったからさ、きっと」
改めて聞くと、刺激が強いんですけどソレ。
「どうだい、新しい環境は?」
「大丈夫、うまくやっていけそう」
「とうぜん私たちの世界にもルールはある。
何よりバンパイアは強力な能力を持っている半面弱点も多いからね、
太陽だとか、ニンニクだとか、十字架だとか、覚えて」
「姿とかは変わる?」
「むしろ変わらなくなるよ、成長が止まってしまうからね」
「楽しみだな」
ついにハクシャクはミジンコの血を吸います。
生まれてからずっと脅えていた死との決別です。
「死ぬのが怖かったんじゃないの、
愛されたこともない、何もできない、ただ産れて、
意味も無く終わってしまうのが怖かったの……」
ハクシャクはミジンコの肩を抱いて、引き寄せます。
「あと5年生きたら、何か変わったかな?」
ミジンコは不安や恐怖を紛らわす様に、言葉を発し続けました。
「短命だって長寿だってけっきょく私たちに終わりはくる。
愛されたって、愛されなくたって、私たちは何も残さない。一緒さ。
ミジンコは後5年がんばって生きるんだね、そうすれば絶対に姉さんより綺麗になるさ」
ハクシャクは彼女の首筋に牙を突き立てようとして、それを中断しました。
ミジンコの小さな肩が震え、小さく「パパ……ママ……」と呟いたのが聞こえたからです。
そんな少女を怪物に変えて、家族と引き離すのに抵抗がない訳がありません。
しかし、ハクシャクが帰るように言っても、ミジンコは引き下がりませんでした。
「あと半年だってもたないもの、すぐ死ぬもの!
あっという間に死ぬのも、延々生きるのも同じだと言うなら、
それをアタシに思い知らせて!!」
考え直している時間すら少女には無かったのです。
ハクシャクは観念しました。
「さっき、5年あればお姉ちゃんより綺麗になるって、言ってくれて嬉しかった。
それは叶わないことだけど、そう言ってくれたからもう十分」
ミジンコは微笑みました。
「それと私の名前はミライ、覚えて」
ハクシャクはミライの首筋にキバを突き立て、血を啜り、
今度こそ少女を吸血鬼に変えたのでした。
「おめでとう、これでキミも晴れて私と同じ怪物だ」
それから二人は、これからのことについて話し合いました。
話し合いは上手く纏まらなかったけれど、
ハクシャクは延々と続く時間の道連れに、
今まで通り退屈でも今までと違って孤独じゃない、
そんな時間をミライとの生活に期待しているんじゃないかと思います。
でも、ハクシャクのそんな期待が実現することはありませんでした。
ミライが吸血鬼になった翌日。
ハクシャクが目を覚ますと、少女の姿は屋敷の何処にも見当たりません。
ハクシャクが探しに出ると、ミライが何処に行ったのかはすぐに解りました。
屋敷のすぐ外で太陽の光を浴びたミライは、
灰になって消滅してしまっていたのです。
「だから言ったのに……」
あたしは屋敷を出て行こうとする彼女を呼び止めたのだけど、
存在しないあたしの声が彼女に届くはずも無く、
ミライは太陽の下に出てしまったのです。
そして、死神が彼女の魂の回収を兼ねて、あたしに神様の判決を伝えに来ました。
で、なんで百年も待たせた判決を伝えに来るのが、
あの子を迎えに来たついでなの?
もしかして忘れられてました?
「まあでも、お客さんはめでたく天国行きが決まりましたよ」
まあ、でもって……。
天国行きが決まった要因もどうやら曖昧で、
動機はやっぱり「愛による自己犠牲」だったことにしておいた方が、
収まりが良いということらしかった。
何せ、忘れられていたくらいですから。
死神さん、あの子はどうなるんですか?
「審議はこれからですけど、残念ながら、自殺は地獄行き確定ですからねぇ」
ミライは死後行き。
でも彼女はホームシックになって、家へ帰ろうとしただけなのよ?
死にたかったあたしが天国に行くのに、生きたかった彼女が地獄に行くの?
「滅多なことは言わないでくださいよ、
せっかく天国行きが決まったんですから」
こうして、あたしは百年の待ち惚けの末に、
念願の天国へ行けることが決まりました。
良かった、何も干渉できない百年は、
本当にただただ長くて孤独だったから。
あの、最後に彼に挨拶をしてきてもいいですか?
「どのみち聞こえないですけどね」
ハクシャクはミライのことでも考えているのか、
今日は食事をしに出かける様子もなく、
あたしの肉体が収められた棺桶にもたれかかっています。
あたしは最後の挨拶をします。
ねえ、アナタは知らないけど、もう百年もアナタを見てきたよ。
とは言っても行く所が無かっただけなんだけどね……。
あたし、やっと天国に行けるんだよ。
何かゴメンね。
正直アナタをそうしてしまったことが、今になっては良かったのかどうか判らないや。
何で、アナタはそんなにあたしを愛してくれるの?
もう100年だよ、アナタと暮らした時間の何100倍以上が過ぎてる。
…………。
「それじゃあ、行きましょう」
お別れのタイミングが判らないあたしに、死神が切欠をだしてくれる。
死神が急かして、あたしはそれに従って後を追った。
じゃあね、さようならハクシャク。
「行かないでよ」
それはあんまりなタイミングで、振り返ると彼とあたしの目が合った。
それは偶然なのに、無いハズの心臓が跳ねた、そんなイメージが駆け巡った。
「何処にいくのさ、行かないでくれよ」
完全無欠のハクシャクは、オチコボレだった頃の瞳であたしに呼びかける。
いつもみたいに、存在しないはずのあたしに話しかける。
そうなると、あたしはもう駄目だった。
ねえ、死神さん。
あたしの天国行きの権利をミライに譲ってあげて。
「旅行のチケットとは違うんだ、そういう訳にはいきませんよ」
そこはがんばってよ!
「がんばってって言われてもね!」
死神は必死で説得しようとしてくれるけど、
あたしはやっぱり行けないよ。
どうしようもないよ、
此処から動くことがもう、意志や理屈じゃどうにもならない。
灰になってしまうのに、外に出ずにはいられなかったミライも、
きっとそうだったに違いない。
死神は、
「後悔したって、次も天国を許されるなんて思わないでくださいね」
そう言って念を押してくれた。
でもあたしは天国には行かない。
だって其処には、神様があたしに食わせた100年の待ち惚けが無いんだから。
ハクシャクが、
此処から本当にいなくなったあたしに、語りかけ続ける未来が訪れてしまうなら、
あたしは神様の作った天国なんていらない。
あたしは神様からの救いの手を追い返して、此処に残りました。
「此処にいてよ、今日はもう、此処から動く気がしないんだ……」
ハクシャクは、見当違いな方向に話しかけていました。
体温の無いあたしの抜け殻が収められた棺桶が、ただ置かれただけの広い空間。
体温の無いハクシャクの姿だけが、ポツリと取り残された冷たい部屋。
此処にいるよ、あたしはずっと傍にいるよ。
死ぬことの無いアナタに、あたしは気付かれることなくずっと寄り添っているの。
いつか神様があたしを罰してしまうまで。
でもそれはきっと100年もほおっておいた神様だから、
きっとずっと先のことよ。
ねえ、お互いに干渉することのできないあたしたちは、せめて同じ夢を見よう。
ほら、あたしの魂はその抜け殻に宿ってもう少しで目を覚ます。
それは御伽話のようなハッピーエンド。
ねえ、せめて二人の訪れることの無い未来を夢見て、一緒に待ち惚けよう。
あたしはハクシャクと出合った時に選択を誤って、
ここでもまた選択を誤ったに違いなかった。
何でだろうね、何だかいつも納得ずくで選択を誤ってしまうよ。
ほらハクシャク、もうすぐあたしが目を覚ますから、
二人で絶望に泥を塗りたくって、叶わぬ未来を一緒に待ち惚けよう。
孤独を型に詰めて、高く高く積み上げて、そこに生クリームを塗りたくって、
ウエディングケーキみたいに飾り立てて、甘い甘い夢を見よう。
今じゃない時、ここじゃない場所。
朝は明るくて夜は暗くて、
水がおいしかったのはかなり昔になってしまった世界のお話。
そこにハクシャクという名の、完全無欠の恐ろしい吸血鬼がいました。
ハクシャクはとてもとてもとても、長い歳月を生きているバンパイアで、
たくさんの強力な能力を持っている、恐ろしい怪物です。
今じゃない時、ここじゃない場所。
ハクシャクは毎日ずっと、
あたしの棺桶に「ただいま」と声をかけ続けています。
あたしは今もそれを見守っています。
ep4 END
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