マジョの物語
今じゃない時、ここじゃない場所。
雪は白くて星はキラキラで、空気はおいしかった世界のお話し。
そこはアタシの住処、魔法使いの一族の家。
そこにはまだ魔法を使えない小さなアタシ。
机の上に置かれた大きな水晶の中には、美しい相貌の生首が浮かんでいる。
生首はアタシのお母さんのお母さんの、そのまたお母さんのお母さんのお姉さんで、
生首なモンだから子供も産めず、
正しくはないけどアタシは親しみと尊敬を込めて「ひいひいバァちゃん」と呼んでいた。
「その疲れたバァさんみたいな呼び方は止めておくれ」
ひいひいバァちゃんは一族の中でも一番の魔法使いだ。
そんなバァちゃんの夢は、人間たちの町に行ってみること。
「ねぇねぇ、どうしたらアタシもバァちゃんみたいにスゴイ魔法が使えるようになるの?」
「魔法を使える様になる為には、一番初めに取引をしなくてはね」
トリヒキ?
「魔力と引き換えに、何か自分の持ち物を生贄に捧げなくてはならないのだよ」
イケニエ?
「それが契約さ」
ケイヤク?
「アンタは何も漢字が読めないねぇ……言うなら交換だね。
捧げた生贄が大きければ大きいほど強い魔力を得ることができるのさ。
例えば私なら首から下を全部とかね」
「だからヒヒ婆ちゃんは歳を取らないくらい、スゴイ魔力を持っているんだね!」
「その猿みたいな呼び方も止めておくれ。
視力や聴力、五感なんていうはわりと定番だけど、アンタはどうするつもりだい?」
んー。
アタシは考えたの、うんうん唸って考えて、そして思いついたわ。
「アタシはねぇ……」
そこからあっという間に時間は過ぎた。
そして人生はチョロかった。
手に入れた強大な魔力と持って生まれた美貌で、まさに私は無敵も無敵の絶好調だ。
フランケンもオオカミ男も強い男は皆アタシの言いなりよ。
今日も二人を従えて、アタシの力を見せ付けるの。
「なんでそんなに少女漫画みたいな目をしてんのよ、ダサーッ!」
今日はナマハゲを虐げてやるの。
「このチキンやろう!」
「ケモノ臭ぇんだよ!」
オオカミ男の理不尽な一言で心に深い傷を負ったナマハゲは、
「君ホドジャナイヨッ!」と叫び、円らな瞳を潤ませて明後日の方向へと駆けていった。
今日も弱者を踏みにじるわ。ヒヒ婆ちゃん、アタシの人生勝ったも同然です。
完璧なアタシ。そんなアタシに必要なのは完璧なダンナ様だけ。
アタシは吸血鬼のハクシャク様に夢中。
フランケンにもオオカミ男にも求婚されたけど、もちろん断ったの。
「だって、アンタたちと結婚してアタシに何の得があるの?」
素直な感想をすなおに述べただけのつもりが、
二人は怪物にでも出くわしたみたいに目を見開いて硬直した。
「損とか得とか、結婚ってそんな物じゃないだろう?」
フランケンはそういうけれど、どうしたってコイツらとアタシじゃあ釣り合いがとれない。
「魔物番付でもハクシャク様はダントツの上位よ、
アンタたちなんてランキングに乗りもしないじゃない、税金払いなさいよ!」
「!!?」
先の長い人生を安穏と過ごせる保障なんてどこにもない。
だから楽しいとか好きとか、そんなその場のノリでつまらない相方なんか選んだら、自分の価値を活かすこともできずに、足を引っ張られて必ず後悔するんだ。
だからアタシは妥協しない。そんな選ばれたアタシだからこそ人生はチョロイんだから。
でもでも、完璧なアタシにもうまくいかない事が一つ……。
「ハクシャク様、好きですっ!」
「興味がありません」
「結婚してくださいっ!」
「無理です」
「さっさと観念しなさいよっ!!」
「怖いっ!?怖いからっ!!」
どんなに気持ちを打ち明けても、ハクシャク様は振り向いてはくれない。
アタシの魔力が足りないのかな……?そう思うとヒヒ婆ちゃんの言ってたことを思い出した。
「生贄はよく考えて決めなよ、二度と返ってこないからね。
私が身体と引き換えに手に入れた魔力でそれを取り戻そうとする、それはルール違反なんだよ」
ルール違反?
「そう、ルールを破った魔女はこの世にはいられない」
この世にいられない?何処に行くの?
「何処にも行けやしない。ただ消えて、無くなってしまうのさ」
大丈夫。
アタシは一生懸命考えて、人には大きな大きな物だけど、アタシには決して必要の無い物を選んだんだから。
それに消えて無くなってしまった魔女を、ヒヒ婆ちゃんだって見たことないんでしょう?
そうやって、アタシの願望が一つだけ叶わないまま月日が過ぎた。
フランケンは宇宙飛行士になって宇宙へ行ってしまい、今や時の人だ。
アタシは何の変化も無くただ歳だけをとって、オオカミ男も相変わらず私の後ろをついて歩いている。
アタシの完璧なはずの人生は歪み始め、アタシのイライラは募っていた。
「フランケンっていうのは科学的な生き物だよね。魔女や吸血鬼は特殊な趣味を持ってるけど基本的には人間?じゃあ、狼男はなんなんだろうね?これらを一つのカテゴリーで括れるものだろうか?そもそもなんで天使とか出てくるのかって思うよ」
オオカミ男のつまらない話には飽き飽きした。それはアタシを焦らせる効果しかない。
「うるさいなぁ!何でアンタはいつまでもアタシの近くにいるわけ?アンタとアタシじゃ格が違うハズなのにっ!」
私はオオカミ男を黙らせる。
「もうすぐハクシャク様の誕生日なの、何か特別なプレゼントをしなくちゃ……。
そうだ、アンタちょっと街に下りて人間の生き血を採ってきてよ。ハクシャク様が喜ぶような極上なやつをお願いね」
弱っちい人間の一人や二人捕まえるのなんて、オオカミ男にかかれば簡単なこと。
オオカミ男は二つ返事で人間を狩りにでかけた。
なのに……街に下りたオオカミ男は、ハクシャク様の誕生日までに戻っては来なかった。
ハクシャク様の誕生日。
すっかり当てにしていたオオカミ男が戻って来ないせいで、
アタシは有り合わせのつまらないプレゼントしか用意することができなかった。
「ごめんなさいハクシャク様、今日はせっかくのお誕生日なのに……」
あの役立たずのニート野郎。戻って来たらタダじゃあおかない、ぶっ殺してやる。
「本当はハクシャク様が御喜びになるようにって、新鮮な血を採りに街に使いを出したんです」
「街に?……それはマズイ」
ハクシャク様の顔が曇った。
「人間たちは僕たちを恐れているというよりは、刺激の一つとして楽しんでいる節があるからね。彼らに見つかってしまえば生きて帰るのはとても難しいんだ」
ハクシャク様が冗談を言うなんて珍しかった。
「だって、オオカミ男は人間なんかよりずっと強いんですよ?」
「じゃあ、その人間よりずっと優れた能力を持つ僕たちが、
住処を追いやられているのはどうしてだい?」
オオカミ男が出て行ってから何日も経つのに、アタシは自分のことばかり考えていて、
アイツの身に何か恐ろしいことが起きたなんて微塵も想像していなかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……アタシのせいだ。
アタシのワガママのせいで、オオカミ男は死んでしまったかもしれない。
そうだ、バァちゃんだ!アタシを助けてくれるのは、ひいひいバァちゃんしかいない。
バァちゃんなら何とかしてくれる。
バァちゃん!バァちゃん!バァちゃん!
アタシは必死で走った、今まで一度だって出したことのない本気を出して走った。
魔法を使えばもっとずっと早く家に帰れたけど、そんなことが思いつかないくらいにアタシは必死だった。
「バァちゃん!」
アタシはバァちゃんのいる部屋に駆け込む。
そして駆け込んだ瞬間に、部屋の雰囲気がいつもと違うことに気がつかされた。
視界に飛び込んできたのは痛いくらいの赤い色。
壁の方々が乱雑に塗りたくられて、塗り直したというよりは性質の悪いイタズラにでも遭ったような有様だ。
気が動転している私にも、それが悪戯なんかじゃなくて事件だということがすぐに解かった。
バァちゃんの首の入っていた水晶は割れて、そこにバァちゃんはいなかったから。
……。
割れた水晶と、そこから赤いペンキ……血?ベッタリと床に張り付いた数歩の赤い足跡。
アタシは思い当たった。
バァちゃんはきっと、失った身体を取り戻して人間の街に行こうとしたんだ。
何で?
理由は分からない。でも契約違反をして取り戻したバァちゃんの体は二、三歩あるいた辺りで弾け飛んだ。
部屋にはバァちゃんの身体どころか欠片も見当たらない。
「ルールを破った魔女はこの世にはいられない、消えて無くなってしまうのさ」
本当だったんだ……。
どうしよう……大好きなバァちゃんが消えてしまった。オオカミ男も助けられない。
助けられないどころか、もう生きていないかもしれないんだ。
アタシはすっかりテンパって、一つの感情に支配されかかっていた。
駄目だ!それはアタシが魔法を使えるようになるために、契約で手放した物なのに!
頬を涙が零れた……。
「視力や聴力、五感なんてのはわりと定番だけど、アンタはどうするつもりだい?」
アタシは五つもある感覚の一つを手放して手に入る力より、四つしかない感情の一つを手放して手に入れる力の方がより強力に違いないと考えた。
だったらアタシは『哀しみ』を手放したい。アタシの人生に『哀しみ』なんていらない。
だからアタシは笑って浮かれて、時には怒って生きてきた。
悲しくなってはいけない、悲しくなってしまったらアタシは消えてしまう。
考えるとますます涙が止まらなかった。
パンッ!
何かが弾ける音がして、アタシの頭から血が流れて地面に落ちた。
もう駄目だ、アタシは消えてしまう。目の前に持ってきた掌の先の床が透けて見えた。
アタシはオオカミ男に無理を言ったことを後悔しながら、消えていく……。
「どうしたの?」
突然の間の抜けた大声と肩を掴まれた感触に、失いかけていた意識が覚醒する。
獣がアタシの顔を覗き込んでいる。
ええーっ。
すっかり死んだものと決め付けて、悲しみのあまり消えそうになっていた自分が恥ずかしい。
「ゴメン。人間を捕まえるどころじゃなかったんだ」
オオカミ男は怪我をしていて、手には多分人間の街で摘んできた見たこともない花が握られている。
そんな貧相なプレゼントを渡しづらそうにしているけど、正直アタシだって欲しくはない。
「それは……もう、いい」
涙はすっかり止まって、アタシの消滅も免れたみたいだ。
アタシは安堵した勢いと、取り乱したば場面を見られた恥ずかしさに任せて、
思いつく限りの言葉を駆使してオオカミ男を罵倒してやった。
「アホ!アホアホアホアホアホっ!!」
「師匠?」
「何の師匠よっ!」
アホしか出てこなかった。
オオカミ男は困ったような顔をしてアタシの顔の血を拭ってくれたけど、
血は気が利かずにグイーって伸びただけのはずだ。
「アンタなんかね、アンタなんかこんなに心配かけるくらいなら、いっそずっと傍にいればいいのよ!
そしたらアタシを絶対悲しませたらいけないのよ。悲しませたらアタシ消えて無くなっちゃうんだからねっ!!」
「うん」
即答だった。
月日が経って、やっぱりアタシはオオカミ男と一緒にいた。
ハクシャク様は誰が言い寄っても振り向く気配がまるでないから、アタシのプライドは何だか満足してしまった。
コイツはコイツでこんな馬鹿なかなか他所では手に入らないぞと、一点ものだぞと、そう思う。
最近気づいたのだけど、どうやらアタシの消滅は止まっていないのだ。
少しずつ少しずつ自分の存在が失われていく確信、と言うと大げさかな、予感があった。
いつか止まるのかな?それとも、このままゆっくり消えてゆくのかな?
それに危機感を感じるにはあまりにもゆったりとした変化で、どこかで覚悟ができてしまった。
オオカミ男の手を握ってみる。
言わないけど、きっとコイツはアタシの手の質感が以前より頼り無いのに気付いてる気がする。
好きよ。
ここから遠くに見渡すアタシたちを受け入れない大きな人間の住処は、朝焼けに照らされて、まるでバァちゃんが弾けとんだ部屋みたに不自然な紅色に揺らめいている。
それはこの先、広がって広がって、全てを不自然な紅色に染めていくんだ。
オオカミ男は「幸せだね」と言って微笑みかけてくれる。
うん、幸せだね。今ここにこうしていられることは、こんなにも幸せだね。
アタシは頼りなくなっていく手の感触を補うように、握る手に力を込めた。
それはね、今じゃない時、ここじゃない場所。
雪は白くて星はキラキラで、空気はおいしかった世界のお話しなの。
ep2 END
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