第63話 友達を家に連れてきた
生徒会の仕事を頑張りすぎて時刻が遅くなってしまった。
すでに日は暮れて、街灯が夜道を照らしている。
翼としては明日以降に回して良い仕事もいろいろあったのだが、叶恵が一生懸命なのでつい釣られる形で精を出してしまった。
明日からはゆっくり出来そうだ。
小高い丘の上に広がる屋敷の前まで来て、翼は押していた自転車を止めて、門の横のインターホンを押した。
「翼です。ただいま帰りましたわ」
お嬢様の帰還を聞いて門が開く。翼についてきていた叶恵は綺麗でおしとやかな少女の瞳をして屋敷を見つめた。
「ここが翼様が住まわれている場所なんですね」
「叶恵さんを連れてきたのは始めてでしたわね」
「はい、失礼の無いように気を付けます」
副会長が緊張しているようなので、翼はほぐすように言ってやることにした。
「大丈夫ですよ。あの渚さんでもここに来たことがあるのですから。わたくし達ももう人を迎えることにはなれています」
「渚さんが来たことがあるんですか……」
なんだろう。叶恵の気迫が強くなった気がする。
その強さを感じさせる視線をぶつけられて、翼はちょっと気おくれしてしまった。
「それはこれから調べようとする資料を渚さんも見たということでしょうか」
「いえ、あの頃のわたくし達はもっぱら外で遊んでいましたから。ああ見えて幼い頃の渚はやんちゃな子でしたから。それはわたくしもなんですけど」
「そうなんですか」
「叶恵さんは渚よりもずっと礼儀正しくて良い子ですから、わたくしも安心して迎えられますわ」
「はい」
叶恵は何事かを考え始めてしまった。どうも最近の彼女とは上手くいけてない気がする。
休んでいた理由も結局聞けていない。
まあ、大事なのはこれからだ。
翼は気持ちを切り替えて屋敷の駐輪場に自転車を止め、玄関へ向かうことにした。
「では、行きましょうか、叶恵さん」
「はい、翼様」
叶恵を連れて翼は屋敷の玄関から中へと足を踏み入れた。
叶恵は別に始めて来た時の渚のように豪邸が凄いとかシャンデリアが綺麗とか喜んだり、探検に行こうと走り出したりはしなかった。
「普通の家でしょう?」
「そうですね」
騒がれるのも困り物だが、反応が薄いのも物足りないなと思うのだった。
「叶恵さんはこういう屋敷には見慣れているんですか?」
「いえ、始めてです。ただ翼様が屋敷に住んでいるとは聞いていたので」
「想定内でしたか」
さすがに叶恵は利巧なようだ。もう小学生でも無いんだし。高校生なんだし、礼儀も知っているだろう。
まあ、今日叶恵を連れてきたのは屋敷の自慢をするためじゃない。時間も遅くなってるし、早く用件を始めよう。
翼は気持ちを切り替えて案内することにした。
「こっちです、ついてきてください」
「はい」
叶恵は礼儀正しく言うことを聞いてくれる。渚と違って廊下を先に走って急がせたりはしなかった。
それは楽なのだが、黙って後ろをついてこられるのも落ち着かない。
渚ほど元気でなくても、叶恵にはもう少し気楽にして欲しいと翼は思っていた。
「叶恵さん、もう少し近くを歩いてくれませんか?」
「すみません、考え事をしていて」
「考え事ですか」
彼女はやはり緊張しているようだ。手を繋ごうかとも思ったが、それはさすがに馴れ馴れしすぎるだろう。彼女は渚ほど近しい友達では無いのだから。
翼は彼女の手から目を逸らし、目的地の方へ向かって歩みを再開することにした。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま」
通りかかる家の使用人達と挨拶を交わし、叶恵も礼儀正しく頭を下げていた。
絨毯の敷かれた廊下を歩き、エレベーターの前に着く。
「屋敷の中にエレベーター」
「珍しいですよね?」
「いえ」
どうも叶恵にとっては珍しくないようだ。子供の頃の渚のようにスゲーとか言ったりしない。
さっきから渚と比べてしまうのは不謹慎だろうか。彼女は渚とは違うのだから、同じ反応を期待するのは叶恵に対して失礼だろう。翼は気持ちを切り替えることにした。
叶恵と一緒にエレベーターに乗って地下へ向かった。
「今更ですけど、翼様の貴重な資料をわたしなんかが見せてもらっていいんでしょうか」
降りていくエレベーターの中で叶恵が本当に今更なことを口にする。翼は気にしていなかった。
「貴重といえば聞こえは良いですが、ただの古い本ですよ。叶恵さんにとっては町の新しい本の方が楽しめるかもしれません」
エレベーターが着き、地下の廊下を歩いていく。
「静かですね」
「地下には倉庫や設備室ぐらいしかありませんからね。二人きりですよ」
「二人きり……」
叶恵が呟き、翼はふと足を止めた。
さっきから覇気の無い叶恵に対して何かしてやろうと思ったのだ。脳裏をよぎったのは子供の頃に町の暗いトンネルで渚とした悪ふざけだった。
あの頃は暗い場所でお互いにおどかしあいをしたものだった。
「叶恵さん、実はこの地下の廊下にはですね」
「地下の廊下がどうかしたんですか?」
叶恵の瞳には一切の邪気が無い。真面目な性格の副会長だ。会長を信頼している。大人の眼差しをしている。
今の翼には立場があった。もう子供の頃とは違っていた。
「いえ、滑らないように気を付けてください」
「はい」
翼は言おうとした悪ふざけを呑み込んで、真面目な足取りで先へ進むことにした。
突き当たりのドアを開く。
翼がただの古い本と言ったのは謙遜だった。立派な本棚の並んだ部屋には貴重な資料が収められている。
叶恵は驚いた顔をしていた。
「これほどの物を。これが古の賢者の残された資料なんですか?」
「正確にはそれと前後したわたくし達の先祖や関係した者達の資料もありますけどね」
「これをどこかに発表されたりはしないんですか?」
「昔からある物ですから。お父様に頼めば許可はいただけるでしょうが、わたくしには子供の勝手な思い付きで先祖代々からの貴重な資料を動かす意思はありません」
「そうなんですか」
「叶恵さんにはこの資料の価値が分かるのですか?」
「見てみないことには」
「では、見てみましょうか」
「いいんですか?」
「そのために来たんでしょう」
叶恵のやっと見せてくれた驚いた反応に笑いそうになるのをこらえ、翼は歩みを進めた。叶恵は後をついてくる。
「ついてこなくても。自由に見て回ってくれて結構ですよ」
「どれから見ればいいのか分からなくて」
叶恵の困惑ももっともだろう。翼には見慣れた景色だが、叶恵は始めて来た場所なのだから。
翼は少し考え、
「必要なのはこれからのことですわね。勇者を導くにはどうすればいいか。まずは勇者の挑んだ試練についての記述から見ていきましょうか。こっちです」
「はい」
翼が案内して叶恵は後をついてきた。そんなに広い場所ではない。すぐに到着して本棚を見上げた。
「この辺りですわ。さーて、探しましょうか」
真面目な顔の副会長に気楽な声を掛けて本棚の本に手を伸ばそうとする。
その時、声を掛けられて翼は手を止めた。
「翼様、旦那様がお呼びです」
「お父様が?」
執事が礼儀正しく礼をする。叶恵も静かに礼を返した。
翼は少し迷ったが、すぐに考えをまとめて返事をした。
「分かりました。すぐに行きます。叶恵さん、先に調べ物を進めてもらっていいですか?」
「はい」
もう彼女も一人を怖がるような年では無いだろう。
生徒会の仕事も任せている彼女なら何の問題も無いはずだ。
翼は叶恵を残して、父の待つ部屋へ向かった。
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