第62話 佐々木明美 VS 死堂蟹代

 美久は腕に抱かれながら彼女の顔を見た。

 佐々木明美は美久が知っているよりも大人びた顔をしていた。

 自転車の勇者あけぴょんが放送されたのは二年前ということだったから彼女もその分成長しているのだろう。

 伝説の勇者を名乗った少女を前にして、周囲には密かなどよめきが広がっていた。

 結菜は驚きながらその姿を見つめ、麻希の顔にも僅かな驚きがあった。クラスメイト達や闇烏隊のメンバー達はひそひそと相談を交し合い、友梨は近くにいた仲間に訊ねていた。


「おい、勇者はあいつじゃなかったのか」

「わたしに訊かれましても……」


 聞かれてもごく普通の下っ端に過ぎない者に知るよしも無い。

 みんなに注目される中で、明美は美久の体を静かに下ろした。


「もう大丈夫だからね」

「はい」


 離れようとして後ろにふらついた美久は、仲間達に支えられた。

 友梨は舌打ちして、目線を伝説の勇者と名乗った少女に戻した。

 すぐに行動することはせずに相手を見極めようとする。


「気に入らねえな。あいつの正体が読めねえ。花鳥の奴を連れてくるべきだったか」


 その言葉に闇烏隊のメンバー達の間に衝撃が走った。


「まさかあの者がそれほどの実力者だと言うのですか!」

「花鳥さんが相手をするほどの奴だと!?」

「しかし、花鳥さんは今日は家の用事で……」

「分かってるんだよ、そんなことは。お前らじゃあいつの力は測れねえだろうが」

「心外ですなあ、その言葉は」


 友梨の不満を表す言葉に闇烏隊のメンバー達が黙る中、声を上げた者がいた。

 美久を助ける時に明美に撥ねられた黒ローブだった。ずっと鋏をちらつかせていた。

 その彼女がのっそりと起き上がって、その手に持った鋏を数回鳴らした。


「花鳥さんを呼んでくるまでもありやせん、リーダー。ここはあたいに任せてくださいやしませんか?」

「死堂、お前に出来るか?」

「もちろんでげす。げへへ。勇者と言っても所詮は自称。あたいに言わせれば、ただ運動が少し出来るだけの小娘にすぎやせん」


 友梨は少し考え、あっさりと答えを下した。


「いいだろう。やりな」

「へへっ、ありがてえ、それでこそあたい達のリーダーだぜ!」


 黒いローブを脱ぎ捨てる。その人物は卑屈な顔をした背の低い少女だった。不気味なぎろりとした瞳で相手を睨み、自転車に乗って白銀に光る鋏を舌で舐めた。


「よくもあたいの顔を撥ねてくれたね、小娘が! お前の顔もいいようにしてやるよ! この死堂蟹代の鋏殺法でね!」

「おお、死堂さんの鋏殺法が見られるぞ!」


 闇烏隊のメンバー達の間では何やら歓喜の応援で盛り上がっている。

 結菜にはわけも分からず見ていることしか出来なかった。


「鋏殺法って何なんでしょう?」

「さあ」


 美久に聞かれても結菜には答えられる言葉が無い。


「今はお手並みを拝見させてもらいましょう。勇者を名乗る者なら損は無いはずよ」

「うん」


 麻希がそう言うので、結菜は今は状況を見ることにした。



 

 死堂蟹代と名乗る不気味な少女に挑戦された明美は動じることもなく、ただ冷静に相手を見据えた。

 戦いが始まる。その緊張感に結菜は息を呑む。

 先に動いたのは蟹代の方だった。自転車に跨ったまま懐から何かを取り出した。白い紙のように結菜の目には見えた。

 明美は眉を少し動かしただけでその場を動かなかった。

 蟹代は不気味な笑いを浮かべながらその紙を鋏で切っていった。

 器用な指裁きで紙を回しながら切っていき、その紙はやがて自転車に乗る少女の形に切り取られた。

 蟹代はそれを明美へと向けた。


「これがお前だ。そして……」


 紙が離されるとともに鋏が一閃される。結菜の目には白銀の光が縦に走ったようにしか見えなかった。それほどに凄まじい鋏のスピードと切れ味だった。

 自転車に乗る少女を象った紙は一瞬のうちに真っ二つにされて、地面にハラハラと落ちていった。

 死堂蟹代は鋏をぺろりと舐めて宣言する。


「これがお前の運命だ」


 その言葉に闇烏隊のメンバー達から喝采が上がった。


「さすがは死堂さんだ!」

「そのかっこよさに憧れるう!」

「相手は震えて手も動かせませんぜ!」


 だが、明美は別に震えているわけでも動けないわけでも無かった。ただ短く言っただけだった。


「で?」


 その言葉に死堂のこめかみがピクリと震えた。


「察しの悪い小娘だねえ! にぶちんは嫌いだよ! 震えていればいいものを。分からないなら、体に刻みこんでやるよ!」


 自転車のペダルに足を乗せて急加速する。凄まじい加速に結菜はびっくりした。

 明美は動揺しなかった。死堂が突進しながら振ってきた鋏をただ自転車に乗ったままハンドルを引き、その場で跳躍して回避した。

 結菜は見上げる。自転車でどうやったらその場ジャンプが出来るのか分からなかったが、ただ凄いと思った。まるでサーカスを見る観客のような気分だった。

 避けられた死堂は自転車にブレーキを掛けて振り返った。


「やるね、小娘。お前みたいな奴は嫌いじゃないよ。良い悲鳴が聞けそうで。ククク」

「あなたの方が小さいわ」

「ああ!?」


 死堂の顔が怒りに歪んだ。闇烏隊のメンバー達からは呆れた声が上がっていた。


「あいつ馬鹿だ」

「死堂さんを怒らせやがった」

「もう死んだな」


 死堂は笑いを消して鋏を懐にしまった。そして、自転車のフレームへと両手を下ろした。

 何をするのかと思って結菜が見ていると、死堂はそこから二本のパイプのような物を引き抜いてきた。

 上に掲げるとともにそのパイプから白銀の刃が跳ね上がる。死堂はそれを上でクロスさせて重ねた。

 その不穏な武器の正体を闇烏隊の声が教えてくれた。


「出た。死堂さんの大鋏」

「あれを見るのは久しぶりだな」

「終わったな」


 死堂は両手で持ったその大きな鋏を明美へと向けて、数回感触を確かめるかのように開閉した。


「ちょっきんちょっきん、ちょきちょきちょっきん。お前には大サービスだ。直接これを食わせてやるよ。さあ、びびって震えて後悔しなあ!」


 死堂が奇声を上げるとともにペダルを強く足が踏む。死堂はハンドルを握ることもせず急加速した。

 正確に進路を取って明美へと接近する。直前で大鋏を下へと向けた。明美の目も引きつけられるように下へと向いた。

 大きな鋏で視線を引きつける。それは死堂のテクニックのうちだった。


「フッ、掛かったなあ!」


 死堂は相手の目線を下へと誘導した瞬間、自転車で跳躍して上から大鋏で斬りかかってきた。どちらも凄い自転車テクニックの持ち主だった。それは明美も同様だった。

 慌てることもせず自転車の前輪を跳ね上げると、それで死堂の大鋏を受け止めた。


「なに!? 受け止めるとは愚かだねえ。切り裂いてやるよお!」

「その前に終わらせるわ」


 明美は相手が鋏を閉じないうちに自転車の前輪を素早く横に振る。


「ぐへあっ」


 横へと投げ捨てられた死堂は木にぶつかって潰れた蛙のような声を上げた。


「やりやがったな、この」

「そこまでだ」


 まだ立ち上がろうとする死堂を友梨の声が止めた。


「リーダー!? くっ」


 反論は許されない。友梨の強い視線で死堂は黙らされてしまう。

 続けて、友梨は気さくな言葉を明美に掛けた。


「悪かったな。あたしらは別に誰かの気分を害したくて来たわけじゃないんだ。ただ最近話題の子らと遊びたかっただけなんだ。ほら、今日は星の綺麗な夜だからさ」

「そう」


 短く答える明美と友梨の視線が交錯する。友梨は自分の自転車のハンドルを握って言った。


「……帰るぜ」


 友梨が自転車を走らせて去っていく。闇烏隊のメンバー達も後に続いて去っていった。


「あなた達も遊びはほどほどにして帰りなさい」


 結菜が何かを話す暇もなく、明美も自転車で去っていった。

 後には静寂が残った。

 誰もがすぐには何も言わなかった。

 夜空に星が瞬いている。綺麗に見える黒い空だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る