第64話 父の紹介した友達
父からの急な呼出しを受けた翼はエレベーターに乗って上の階に移動し、明るい光の照らす屋敷の廊下を歩いていった。父の部屋の前で立ち止まり、ノックをして入る。
「失礼します、お父様」
「おお、待っていたぞ」
娘の入室に奥の席に座っていた父はにこやかな笑みを見せて答えてきた。
大鷹幻十郎。厳格なところもあるが、人当たりは良く、交友関係の広い父親だ。彼の瞳には娘を思いやる気持ちがあった。
「急に呼んで済まなかったな。お前に紹介したい人がいて呼んだのだ」
それは誰ですか? とは翼は聞かなかった。部屋に入ってきた瞬間から翼は彼女を気にして見ていた。
父の席の隣に知らない少女が座っている。
人形のように綺麗で整った顔立ちをした上品さを感じさせる少女で、年は翼より下に見える中学生ぐらいだったが、彼女の視線は年齢に見合わない大人びた冷たさと計算高さを持っていた。翼は言いしれない悪感のような物を彼女に感じていた。
少女はその冷たさを払拭するかのように穏やかな微笑みを見せて立ち上がり、育ちの良さを感じさせる上品なしぐさで礼儀正しく頭を下げて挨拶してきた。
「初めまして。三谷咲良と申します」
「初めまして。大鷹翼です」
気に食わないと感じた相手に粗暴な態度を取るほど翼は世間知らずな子供では無かった。
父が見ている。体面を崩すようなことは出来ない。表向きは友好的な態度を取って挨拶する。
それはおそらく相手も同じだろうと翼は見抜いていた。
子供ながらに社会的な立場があることをお互いに理解していた。
父は二人の間のぎこちない空気を初対面だからだと思ったのだろう。気にせず朗らかな声で話しに入ってきた。
「彼女、三谷咲良さんのお父さんと私は古くからの親友でね。今日はお前達にもお互いに友達になって欲しいと思ったのだ」
「三谷……あの三谷財閥の!?」
翼はふと思い出す。都会にそうした大企業があることを翼は知っていた。
学業を優先しこの町からあまり出たことの無い自分とはあまり関わりの無い事だったが、父は町の外にも交友関係を持っている。
三谷財閥のトップと知り合いだったとはさすがに驚いてしまったが。
咲良は人当たりの良い笑みを浮かべて答えてみせる。
「お恥ずかしながら、亡き父の後を継いで総帥を務めさせていただいております」
「不幸な事故があったのだ。私は親友の娘である咲良さんの力になりたいと思っている。お前も友達として彼女の力になってくれると嬉しい」
「それはもちろんですわ」
「至らぬ点はあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
咲良が手を差し出してくる。表向きは友好的な少女のその手を翼は拒むことはしなかった。
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
暖かく握手を交わす。
相手は大財閥の総帥とは言っても、結菜よりも年下のまだ子供だ。
翼は年上のお姉さんとして、優しく迎えてやることにした。
二人の友情が結ばれたのを見て、父は満足に頷いていた。
「さて、翼、お前はまだ自転車をやっているのか?」
「はい、お父様」
自転車の大会はもう終わったが、すぐに止めたというのも体面が悪いだろう。翼は話を合わせることにした。
翼と咲良はそれぞれに向かい合う席に座って、話し合いのテーブルについた。叶恵のことは気になったが、副会長の仕事を心配する必要は無いだろう。
翼はこの場を意識することにした。
咲良は品の良いお嬢様の態度で紅茶を一口すすり、置いてから話し掛けてきた。
「前の大会を拝見させてもらいました。みんな素晴らしい自転車の乗り手達でしたね。感動しました」
「ありがとうございます」
咲良がたいして感動も無さそうに言う。おそらく口だけだろう。父が見ているので、翼も礼儀を持って答えておいた。
二人の娘達の友好的なやりとりに、翼の父、大鷹幻十郎はにこやかな微笑みを浮かべて頷いた。
「翼、お前には前に話したことがあっただろう。咲良さんの会社は自転車のクラブのスポンサーをしているんだ」
「はい」
確かに翼は前に父から言われたことがあった。自転車をするなら知り合いを紹介すると。
あの時は自分達でやるからと断ったが、その相手がこの三谷咲良だったのか。
翼は上品な顔で澄まして座っている咲良の顔を見つめて、あの時断ったのは正解だったなと確信したのだった。
その咲良が今度は自分の口から提案してくる。
「あなた達がもっと自転車をやりたいと希望するなら、わたしの方で良い条件で迎えても良いですよ」
「前にも言いましたが、結構ですわ。わたくし達は自分達の力で頑張りたいと思っていますので」
あの時はそれが理由だったが、今は単純に咲良のことが信用できないから断っただけだった。
この少女を年齢だけで見くびると痛い目に合う。その予感を翼は感じていた。
また、迎えるとなると三谷財閥ほどの大企業の力がこの町に関わることになってくるだろう。
その結果がどうなるか。翼には想像することも出来なかった。
提案を正面から突っぱねる形になった翼の言葉に、咲良はたいして気を悪くした風もなく答えた。
「そうですか。良い選手になれそうな人もいるのに残念です」
「お心遣いだけ、ありがたく受け取っておきますわ」
さて、この友達と何を話せばいいだろう。翼は慎重にいくつかの選択を考えるが、決める前に咲良が立ち上がった。
「すみません、今日はこれから用事がありますので」
「そうですか」
翼は内心でほっとした気分になって肩の力を抜いた。
「引き留めて悪かったね。気を付けて帰りなさい」
父は別れを残念そうに応じる。彼は親友の娘である咲良のことを自分の娘のように思っているようだった。
そのことも内心では面白くなかったが、お互いに空気を悪くすることは望むところでは無かった。
咲良は礼儀正しく頭を下げた。
「また何かの折には。よろしくお願いいたします、おじ様」
「ああ、元気でな」
ふんわりした冷気のような雰囲気を残して咲良は退室していった。
しばらくして、父が真面目な顔をして話しかけてきた。
「お前はどう思う? 咲良さんのことを」
「それは……」
父を相手に言葉を言い繕ってもしょうがない。翼は正直に答えることにした。
「あまり子供らしくない子だと思いました」
「そうか……」
父はしばらく過去を思い出すかのように考えてから言った。
「辛いことがあったのだ。私はあの子を支えたいと思っている。お前も咲良さんの力になってくれると嬉しい」
「それはもちろんですわ」
咲良の境遇のことを翼はよく知らない。それでも年端の行かない少女が親を亡くして大財閥の総帥の立場に担ぎ上げられたのは大変だろうことは推測できた。
何を考えているのかよく分からない少女だが、あちらが友好的なうちは前向きに善処ぐらいはしてもいいだろう。翼は咲良のことを少し前向きに考えることにした。
お茶を飲んで立ち上がる。
「では、わたくしも。友達を待たせていますので」
「ああ」
翼は父に言葉を掛けて退室した。空気の重さが取れたような気分だった。
友達とはこんな緊張を掛け合うような関係では無いと思う。
「さて、叶恵さんだけを頑張らせるわけにはいきませんわね」
翼は足取りを早くして、友達を待たせている場所へ向かうことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます