第40話 覚悟しておけ
「まさか、ああ来るとは思いませんでした」
一真さんが呆れたような感心したような様子で俺に言った。
対する俺は、まさかそう解釈されるとは思ってもみなかった。
二月も末、稲葉との合わせコスの写真をツイッターに公開してから三日後、朝の十時頃、一真さんが俺の部屋を訪ねてきた。
いきなり
「中々の一手でした。しずく嬢も今回は負けを認めたようです」
なんて言われても、俺としては全くの青天の
とりあえず、何かしずくちゃんサイドの情報を持ってきたようだったので、俺は一真さんをリビングに通した。
茶を出しながら話を聞いた所、どうやら先日上げた俺と稲葉のコスプレ写真にしずくちゃんが多大なショックを受けているらしい事が判明した。
稲葉の趣味を全力で理解し、それに合わせようとして、逆に拒否されてしまった(と、思っている)しずくちゃんは、今回俺と稲葉が二人楽しく趣味を共有している様を見て、どうしようもない敗北感を感じたらしい。
そして冒頭の一真さんの台詞に至る。
「それと、しずく嬢からの伝言で、今更だが、以前彼のコスプレに関してお願いした事はもう忘れてくれとの事です」
しずく嬢はそれだけ言えばすばるさんに伝わるから。と言ってましたけど、わかります? と一真さんは首を傾げた。
俺は大丈夫だと頷きつつ、そこでやっと、以前しずくちゃんに頼むから稲葉に女装コスプレをさせたとしてもそれを公の場に公開したりしないでくれと頼まれていた事を思い出した。
きっとしずくちゃんからすれば、バレンタインを台無しにされた俺の意趣返しのように思えたことだろう。
それはさて置き、今朝の六時まで今度のイベントのコスプレ衣装を製作していた俺としては、まだまだ寝足りないので、一真さんには早く報告を済ませて帰って欲しい。
「それで、しずくちゃんの様子は?」
「一時は部屋に篭って出てこなかった様ですが、今は持ち直して、今度は下手に相手の趣味に踏み込まず、正攻法で行くみたいですよ」
一真さんの言葉に俺は胸をなでおろした。
「良かった。それじゃあそこまで深刻なものではないんですね」
今更しずくちゃんに稲葉を諦められても、現在、他に稲葉を押し付けられる相手も手近にいないので、さっさとくっついて欲しいものだ。
「何が良かったんです?」
気が付くと一真さんが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
確かに、俺の立場で恋敵であるしずくちゃんの心配をするというのも、不自然かもしれない。
「ええっと、流石に私の趣味が原因で未来ある女子高生を引きこもりにしたとなると寝覚めが悪い、というかなんというか……」
慌ててそれっぽい理由を考えるが、正直苦しい。
一真さんもジト目で俺を見てくる。
「なんであんな事された相手をそこまで心配してるんですか貴女は……」
ため息混じりに一真さんが言う。
「なんとなくそうなんじゃないかとは思っていましたが、相当なお人好しですね。すばるさんは」
呆れたような笑みを浮かべながら、一真さんが静かに首を横にふった。
「だって、そう思っちゃったんだから、仕方ないじゃないですか……」
もうこのまま押し切ってしまおうとむくれた顔をしてそっぽを向いてみる。
「そうですね。きっとそういう人なんでしょうね、すばるさんは」
出されたお茶を飲みながら、一真さんはそんな褒めてるのか貶してるのかわからないような事を言っていた。
「ところで、今日は彼との予定は無いのですか?」
「ええ、特にありませんけど……」
「そうですか、それは良かった……きっと今頃彼はしずく嬢に裸エプロンで甲斐甲斐しく世話をされている事でしょう」
お茶の入ったカップを机の上に戻しながら、爽やかに一真さんが言い放った。
「は!?」
俺は一真さんの突然の爆弾発言に思わず素っ頓狂な声を上げた。
何それ羨ましい……
俺の眠気が一瞬飛んだ。
一瞬だけだったが。
「良い反応ですね」
面白そうにクスクスと一真さんが笑う。
「正攻法で攻めようと考えた結果が裸エプロンというのもかなり知識が偏っているような気がしますが、しずく嬢もあれで十六歳とは思えないようなプロポーションですから、案外何か起こってしまうかもしれませんね」
楽しそうに言葉を続ける一真さんだが、俺としてはそのまま何か起こって結納まで行ってくれれば何も言う事は無い。
そういうことなら、俺は心置きなく眠れる。
「報告はそれだけですか? 実は私、まだ寝足りなくて、そろそろ本気で眠いので……」
稲葉の事はしずくちゃんに任せるとして、そろそろ瞼が限界の俺としては、さっさと寝てしまいたい。
「しずく嬢が彼の元へ向かった時間的に、今から駆けつけても手遅れだと思いますよ」
「……」
何言ってるんだコイツ……と、しばらく一真さんの言葉の意味がわからずボーっとしてしまったが、どうやら一真さんは俺が一真さんを部屋から追い出した後、稲葉の元へ駆けつけようとしていると思ったようだ。
そんなことしても何も俺の得にはならないので絶対しないが。
「…………しませんよ、そんなこと」
「今の間は絶対行く気でしょう」
やっと言葉を理解した俺は、にっこりと笑顔を作って答えたが、下手に間が開いてしまったせいであらぬ疑いをかけられてしまった。
「ただの不貞寝ですよ」
そっけなく俺は答えた。
とにかく、俺は今ものすごく眠い。
春休みで学校も無く、モデルの仕事もひと段落着いて撮影もしばらくは無いというのに、なぜこんな事で貴重な睡眠時間を削られねばならないのか。
「流石に、今すばるさんを彼の元へ行かせる訳には行きません。十時過ぎまで寝てたような人がまたすぐ寝付けるとも思いませんし、せっかくですから僕と気晴らしに行きませんか?」
やれやれといった様子で一真さんが言う。
うるせえよ。俺は今朝の六時寝だからまだ五時間しか寝てねえんだよ、俺はいつも最低八時間は寝ないと寝足りないんだよ! と、俺は心の中で悪態をついた。
そもそも、俺は稲葉の所には行かないし、寝るだけだって言ったのになんでそんな結論に至ってるの、人の話聞いてないのかよと、自分でも理不尽な事を思っているという自覚はあったが、眠気が最高潮に達した俺の機嫌は最悪だった。
「今そんな気分じゃありません」
「だからこそですよ」
「下心が見え見えですよ」
「なら今日一日、僕からはすばるさんに指一本も触れないと約束しますよ」
「……」
だんだんと言い合っている内に、俺は一真さんに対して静かに怒りが湧いてきた。
なぜこうも俺の睡眠を阻むのか。
それならこっちにも考えがある。
「わかりました。そこまで言うなら、私を車でどこへでも連れてってください。助手席で寝てますから。それでいいでしょ」
心底面倒臭そうに俺は返した。
「ええ、いいですよ」
対して一真さんは余裕の笑みで了承した。
なんだか上手いように乗せられたような気もするが、もうなるようになれだ。
「もちろんレンタカーを借りてくださるんですよね?」
一真さんにレンタカーを借りる手間と費用を押し付けようとしたら、
「ああ、僕の車が駐車場にあるので、とってきます。逃げないで待ってて下さいね」
と笑顔で返された。
「……30分経ったら、迎えに来てください」
俺は不機嫌丸出しの声で言う。
「わかりました」
一方一真さんの方は楽しそうである。
だんだん腹が立ってきたので、罵られた時の精神的ダメージがより大きいようにと、俺はばっちり可愛らしいすばるの格好で出かけることにした。
こうなったら全力で一真さんがうんざりして、二度と一緒に出かけたくなくなるようなデートにしてやる。
しかし、なぜか三十分後俺を迎えに来た一真さんは、妙に上機嫌だった。
だが、笑っていられるのは今だけだ。
覚悟しておけ、と俺は心の中で啖呵を切った。
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