第18話 もう帰りたい
その日、俺は朝から気が重かった。
やる事と言えば、せいぜい小林家のパーティーに出席して美咲さんに稲葉と仲良くやっている所をアピールするだけなのだが、間違いなく隣で目を光らせているであろう一宮雨莉の存在が問題だった。
また何かしら奴の機嫌を損ねて変な因縁をつけられてはたまったものではない。
再会当初は一瞬女神に見えたが、その後起こった出来事を思い出せば、やっぱりあいつは悪魔だった。
「まあ、雨莉は自分と姉ちゃんさえ良ければ、極論、他が幸せになろうが地獄に落ちようが興味ない奴だから……」
小林家に向かう途中、そんな良くわからない慰めを稲葉はしてきたが、そう言えば本人もそんな事言ってたなと俺は妙に納得してしまった。
小林家に到着すると、美咲さんが左側から一宮雨莉、右側からは父親である
三人とも笑顔でいらっしゃいと迎えてくれたが、どうやら三人の様子を見ると、話の途中で退出しようとした美咲さんにそのまま二人がくっついて来たようだった。
リビングに通された後も離れない二人の様子を見て美咲さんは、
「すばるちゃんもいーくんも、今日は来てくれてありがとう。後で改めて話したいことがあるから、それまでは料理でも食べて適当にくつろいでて」
と、陽気に笑った。
せっかくなので俺は稲葉とテーブルに並べられた豪華な食事をつまみつつ、その後ろで料理そっちのけでソファーに座って話している三人の会話に耳を傾けてみることにした。
「それで、そろそろ父さんも支店長とかでまた働こうと思ってるんだけど」
「だからいつも言っているでしょう、父さんは働かなくていいの。何か問題起されてチェーン全体が大打撃受ける位なら、私が一生養うから」
どうやら正弘さんは美咲さんの経営しているチェーン店の支店長になりたいらしい。
その話を聞いて稲葉がまたかよ、とため息をついた。
以前、美咲さんの経営する飲食店の一号店の経営が軌道にのり、支店を出そうという話になった時、正弘さんがその支店の店長をやると言い出したそうだ。
美咲さんはとりあえずアルバイトから入って店の基本的な事を把握して、少しずつ仕事を覚えてもらう条件で、正弘さんを採用したそうだ。
結果、正弘さんは二週間で店をクビになった。
稲葉は詳しい事は聞いていないようだが、美咲さんが直々にクビを言い渡したそうだ。
もう五十過ぎたという正弘さんは、背も高くすらっとしていて、セットされた髪と切りそろえられた髭も格好良く、一見ダンディーなチョイ悪親父風な見た目だが、稲葉曰く、頭の出来もチョイ悪らしい。
いつまでもバブル気分が抜けておらず、酒を飲むとバブル期の自慢話を頻繁にしてきてウザイらしい。
以前経営していた会社がバブル崩壊まではやっていけてたのも、単純に今と違って景気が良かったから馬鹿でもどうにかやっていけていただけに違いないと稲葉はうんざりした様子で言った。
稲葉が生まれた頃には既に一家の大黒柱は美咲さんだった事もあり、稲葉にとって正弘さんの話は全く現実味が無いようだ。
「咲りん、私達にもそろそろ二人だけの愛の巣が必要だと思わない?」
「そうね~私も今色々探してる所だけれど、今度一緒に探しましょうか」
「嬉しい! 愛してるわ、咲りん」
そして一宮雨莉は、美咲さんが父親と話しているのをものともせずに会話に割り込んでいく。
流石、図太い神経をしている。
「咲りん、父さんも今度はうまくやるからさ、お店ちょうだい」
しかし、神経の図太さなら正弘さんも負けてはいなかった。
美咲さんの恋人との話に平然と乗っかるように自分の要求を主張する。
「今から働いても、年齢的にもうしばらくすれば定年なのだし、早めに引退したと思えばいいのよ」
「だからこそ父さん、最後に一花咲かせたいんだよ」
「大丈夫、私といーくんをここまで育てたという功績は、既に十分偉大で、他に並ぶべくも無い偉業だわ」
だがそんな二人を相手にする美咲さんも肝が据わっていて、もはや貫禄さえ感じる。
「それに今はセミリタイアやアーリーリタイアも流行しているんだもの。流行の最先端をいっているのに、父さんったら時代遅れな定年とかにしばられたいの? もったいないと思わない?」
「そ、そうかな」
美咲さんの言葉に正弘さんはまんざらでもない表情に変わる。
稲葉に聞くと、小林家はいつもこんな感じなんだそうだ。
この家の人達、色々物言いとかストレート過ぎるだろ……と思っていると、稲葉の母である雪子さんが台所から料理を持ってきた。
雪子さんはお嬢様育ちらしく、上品な雰囲気の人だ。
ただ、お嬢様育ちゆえか時々ちょっとずれた行動をする事がある。
中学時代、稲葉が中二病を患い、実物大の髑髏(貯金箱)やモデルガン等を集めだした時、息子が非行に走ったと言ってさめざめと泣き出し、本気で心配して知り合いや親戚中に相談し、結果、稲葉の中二病を周囲に広め、ある種の公開処刑したのもこの人である。
ちなみに美咲さんと正弘さんはそんな稲葉を温かく見守りつつ擁護してくれたそうだが、稲葉的にはむしろそれがトラウマの一つになっている。
今でも家に帰るとたまにその時の話をされて、その度に死にたくなるらしい。
「いらっしゃいすばるちゃん、今日は楽しんでいってね」
ニコニコと笑顔で俺に挨拶する雪子さんは、俺が中学の頃初めて会った時とほとんど変わっていない。
正弘さんと同い年らしいので五十過ぎのはずだが、三十代位に見える。
「……ところで、いきなりな話なのだけれど、ちょっと良いかしら?」
「はい、なんでしょうか」
雪子さんは料理を乗せてきたお盆をテーブルの隅に置いて俺に向き直った。
「すばるちゃん、我が家は学生結婚も授かり婚も歓迎だからね!」
「え」
本当にいきなりな話に、思わずぽかんとしてしまった。
「突然何言ってるんだよ母さん!?」
稲葉も焦りながらつっこみを入れる。
というか、いつの間にか嫁認定されてないかこれ。
「ごめんなさい、流石に唐突だったわよね、でも昨日お父さんが、今の子には言いたい事はストレートにちゃんと言わないと伝わらないって言うものだから……」
雪子さんは照れながらそう言ったが、多分それは美咲さんが話をはぐらかしたり、遠まわしに断っているのを正弘さんの方が理解出来ていないからではないだろうか。
やだ、もう帰りたい……と俺が思っていると、すぐ横で稲葉が雪子さんには聞こえないくらいの声で、そのまま同じ言葉を呟いた。
それはこっちの台詞だ。という意味を込めて、俺は稲葉に密着するフリをして誰にも見えないように全力でわき腹をつねっておいた。
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