第11話 理解に苦しみます
俺と稲葉が小林家に挨拶に行ってから一週間が経った。
あの日から俺は一旦生活の拠点を稲葉から借りた部屋に移し、しずくちゃんがいつ来ても良いように普段から女装するようにした。
稲葉にも数日に一度はこの部屋に来る事と、常に連絡が取れる状態でいるようにと言ってある。
それなりの仕込みと演技練習もしつつ、後はしずくちゃんの襲撃を待つだけとなった。
季節は秋に差し掛かり、九月もあと少しで終わろうとしている平日の午後だった。
この一週間ですっかりファンシーな部屋に様変わりした部屋でくつろいでいると、インターフォンが鳴った。
稲葉から借りているこの部屋は、一階のエントランスと玄関にそれぞれインターフォンがついているオートロックマンションの一室だ。
インターフォンに出ると、高校生くらいのショートボブの女の子の姿があった。
「朝倉すばるさんですよね。稲葉おにいちゃんの事でお話があります」
俺はすぐにエントランスのドアを開け、
「お待ちしてました。とりあえず中へどうぞ」
と、俺が高校の頃最後に見た時より幾分か大人っぽくなったしずくちゃんを迎え入れた。
しずくちゃんが部屋まで来る間に、俺は稲葉にしずくちゃんが来たのでできるだけ早く来るようにと電話する。
正直、このまましずくちゃんが突撃してこずに、学校が始まったらどうしたものかと考えていたので、俺は内心ガッツポーズをしていた。
しばらくして玄関の方の呼び鈴が鳴り、俺がドアを開ければ、しずくちゃんとボディーガードかと思われる黒服の屈強な男が二人立っていた。
流石にそれにはちょっと身の危険を感じたが、しずくちゃんが二人で話したいからと二人には部屋の外で待ってもらう事になり、少しほっとした。
しずくちゃんをリビングに通して、女子力の高そうなイメージのハーブティーを出す。
ちなみにこのローズマリーは神経を興奮する作用があるそうなので、作戦が上手くいくようにと濃いめのものを淹れた。
今回の作戦を思いついてから生まれて初めてハーブティーというものを飲んだが、正直匂いがきつくて味に独特の癖があるので、俺はあまり好きではない。
しかし、そんなことは顔には出さず、
「これ、私のお気に入りなの」
と、女子力アピールをする。
対してしずくちゃんは、
「そうですか」
と、クールに流しながらハーブティーに口をつける。
「単刀直入に言います。稲葉お兄ちゃんと別れてください」
ストレートに言ってくるしずくちゃんに、俺は笑顔で答えた。
「嫌です」
しばらく沈黙が流れた後、しずくちゃんが苛立ったように立ち上がって声を荒げた。
「元々お兄ちゃんは私と結婚する予定だったんです! それを貴女が後からかっさらっていったんですよ!?」
「彼からは、しずくちゃんとは政略結婚みたいなもので、そこに恋愛感情はなかったと聞いているけれど?」
「家の事なんてどうでも良いんです! 私の方が貴女よりお兄ちゃんのこと好きだし、幸せにできます!」
「幸せ……かぁ」
良い感じにしずくちゃんが興奮してきたところで、俺はおもむろに席を立ち上がる。
「しずくちゃんは、稲葉のこと、どれ位知ってるのかな」
ちょっと切なそうな、しんみりした感じで俺が言えば、しずくちゃんは一瞬たじろいだが、
「なんでも知ってます! 誕生日も、身長も体重も、お風呂でまずどこから洗うのかだって!」
最後のはなんで知ってるんだよと思ったが、ここでつっこんだら負けなので、ここはスルーする。
「そう、じゃあ稲葉の中身が可愛い女の子だって事も、知ってるかな」
「は?」
しずくちゃんは何言ってんだこいつ、という目で俺を見る。
「最近撮ったやつだとこんな感じかな」
そう言って俺が+プレアデス+用のスマホに表示したのは、一昨日撮った女装した稲葉と俺のツーショット写真だ。
しかし稲葉は元々背も高く、体格もそこそこ良いため、女の子らしい服が絶望的に似合っていない。
普段のチャラチャラした格好なら十分イケメンの部類に入る顔つきも、やはり女の格好をするには少しゴツかった。
衣装、化粧、小物は全て可愛らしくて調和しているのに、それを着ている人間が台無しにしていた。
衣装とモデルが個性の殴り合いどころか、ガチの殺し合いをして互いの魅力を相殺していた。
当初から全力で気持ち悪くしようと意気込んで稲葉の女装をプロデュースした俺だが、途中からは完全に悪乗りしてしまった。
しかし、こうやって見ると元々コンプレックスだった俺の童顔や男にしては低すぎる背や貧相な身体も、女装のクオリティを上げる大きな要因になっていたようだ。
「嘘よ……、だってこんな、どうせ罰ゲームか何かの写真でしょ!」
しずくちゃんは目の前に出された画像が信じられないらしく、必死で否定しようとしていた。
掴みは上々だ。
「この部屋、可愛いでしょ? ここは元々稲葉の使ってた部屋だったの。最近この部屋に住まわせてもらう事になったのだけれど、部屋の内装はほとんどいじってないのよ」
感慨深そうにぬいぐるみや、可愛いらしい小物が取り揃えられた、ピンク基調のファンシーな部屋をわざとらしく見回す。
しずくちゃんが固まる。
「お姉さんとね、小さい頃よくお人形遊びやおままごとをして遊んだらしいの。たまにお姉さんの服を着せてもらう事もあったらしくて、それがきっかけだったみたい」
しずくちゃんはフリーズしたままだが、俺は更に畳み掛ける。
「大きくなってからもそういう可愛らしい物に興味はあったらしいんだけど、周りにはずっと言えなくて、頑張って男の子らしく振舞ってはいたけど、やっぱり好きな気持ちは消せなくて、一人この部屋でだけは本当の自分でいられたらしいの」
もちろんそんな事実は無い。完全に俺がでっち上げたデタラメである。
「待ってよ! それならなんでおにいちゃんが女の貴女と付き合うのよ! 中身が女の人なら男が好きなはずでしょ!」
「え? 稲葉の恋愛対象は女の子だよ? 女の子が好きすぎて自分も女の子になりたくなっちゃんたんだって」
「なっ」
俺の言葉に理解が追いつかないらしく、しずくちゃんが一歩後ずさる。
しかし俺の攻撃はまだ終わらない。
「稲葉の理想としては、こんな感じらしいよ」
そう言って俺は本棚から一冊の本を取り出して渡す。
可愛らしい女の子達が艶かしく絡み合う、いわゆる百合漫画だった。
それもかなりディープでハードなやつだった。
「なっ、なななななななななな」
その本をめくり、ながらしずくちゃんが目を白黒させていると、玄関から何か言い争う声が聞こえた後、リビングに稲葉が飛び込んできた。
「無事か!?」
慌てた様子でやって来た稲葉にしずくちゃんがびくりと肩を震わせた。
完全に動揺している。
「お、お兄ちゃん? さっきこの人から色々と聞いたのだけれど、これは、その、ホントなの……?」
しずくちゃんが震える手でさっき渡した漫画の表紙を稲葉に見せる。
そこで稲葉はどうやら台本通りに事が進んでいることを察したようで、
「どこまで聞いたのかは知らないけど、詳しい事は俺の口から話すよ。とりあえず十分程で戻るから、ちょっと待っててくれ」
と、神妙な顔つきをしてリビングを出て行った。
しずくちゃんは最初ポカンとした様子だったが、少しして稲葉が何のために部屋を出て行ったのか察したらしく、慌てて部屋を出て稲葉を追いかけようとしたので、俺はそれを全力で止めた。
それから十五分後、雑な女装をした稲葉がリビングに戻って来た。
写真で見るのと実際に見るのはインパクトが違う。
しずくちゃんが、
「こんなの嘘だ、そう、きっと夢なんだ……」
と現実逃避をし始めたが、無慈悲に現実を突きつける。
「夢じゃない、コレが稲葉の本当の姿なんだよ」
さりげなくそっとしずくちゃんの肩に手を置いて、逃亡を阻止する。
「しずくちゃん、確かに俺のこの趣味は一般的に受け入れられるものではないと思う。だけど、そこに居るすばるはこんな俺を受け入れてくれた。それどころか一緒に服を選んだり、積極的に俺の趣味に付き合ってくれる。そんなのは彼女だけなんだ!」
稲葉はキリッとキメ顔で言ったつもりなのだろうが、化粧と服装のせいで絵面が酷い事になっている。
だが、だからこそ格好良い稲葉お兄ちゃんが大好きなしずくちゃんには効果絶大だろう。
しずくちゃんは呆然としばらくその場に座り込んだが、しばらくして静かに俺の方を振り向いた。
「……あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なあに?」
「すばるさんは、どうしておにいちゃんからアレを打ち明けられた時、受け入れられたんですか?」
眉を寄せて不思議そうにしずくちゃんが俺に尋ねる。
「だって、稲葉も私も、好きなものは好きで、嫌いになれなかったんだから、しょうがないじゃない? それに、私は結構可愛いと思うんだけどな」
「………………理解に苦しみます。私にはついていけません。……だから」
俺の返事に、しずくちゃんは苦笑しながら立ち上がった。
「もう勝手に二人で幸せになってれば良いんじゃないですか」
そう言ってしずくちゃんはさっさと立ち去ってしまった。
どうやら稲葉の事を諦めてくれたようだ。
案外あっさりした幕引きに、俺達はしばし呆然としたが、ようやくこの警戒態勢を解いて自由になれるとその日はポテチとコーラで祝杯を上げた。
後日、ネットで俺のコスプレ写真を発見したらしいしずくちゃんから、俺のツイッターに、お願いだから稲葉には女装コスプレをさせないでくれ、したとしても二人の間だけで留めて外に公開しないでくれ。という内容のダイレクトメッセージが来ていた。
稲葉の事は一応諦めたものの、やはり初恋の人の動向はまだ気になるらしい。
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