第46話 違う、そうじゃない
予定よりも少し早い九時五十分頃、一宮雨莉はやって来た。
玄関で俺が小声でメールを読んだかと尋ねると、大丈夫だと一宮雨莉は頷いた。
「事情は把握したわ。これから誘惑して落とそうって時に、横槍を入れて台無しにするなんて酷い事はしないから安心してちょうだい」
俺の肩に手を置きながら、訳知り顔で一宮雨莉が言ってきた。
違う、そうじゃない。
何か一宮雨莉は俺が伝えようとしたのとは、かなりずれた解釈をしている気がする。
しかし、俺が口を挟む間もなく、一宮雨莉は靴を脱いでずかずかとリビングへ向かった。
「あら、あなたが噂のお友達ね。中々いい男じゃない」
「お褒めに預かり光栄です。僕はすばるさんの友人の篠崎といいます」
椅子に座っていた一真さんが立ち上がり、微笑みながら軽く会釈をする。
一宮にも適当に座るように促して、俺はリビングに面したキッチンで茶を用意する。
「話はすばるからのメールで大体聞きました。つまり、二人はただの友人で、特に恋愛的な関係はない、ということかしら?」
一宮雨莉は席に座るなり早速話を始める。
というか、俺にじゃなくて一真さんに話すのかよ。
「ええそうです」
「私としては、すばるがどんな男と付き合おうが、どうでもいいのだけれど、もし今付き合っている稲葉と別れるのなら、絶対にフリーの期間をつくらないで新しい恋人を作って欲しいのよね」
一真さんが頷けば、一宮雨莉がため息混じりに言う。
「……どういうこと?」
「咲りんがね、いたくすばるを気に入っているのよ。もし稲葉と別れたら自分が付き合いたいと言い出す位にね」
お茶を出しながら俺が尋ねれば、地を這うような低い声で一宮雨莉が答えた。
「待って、美咲さんは雨莉と付き合ってるんだよね……?」
「そうよ? だけど咲りんって気が多いというか、全部本気で本命なら浮気にはならないって考えの持ち主だから」
なんだその屁理屈、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「あ、雨莉は、それでいいの?」
呼び方は少し迷ったが、一宮雨莉が俺の事を下の名前で呼び捨てにしているので、俺もそれに習って下の名前で呼ぶことにする。
「いい訳ないじゃない。でも咲りんって、基本的に人の話は聞いても、自分の意見は曲げない人なのよ。だから、競合する相手は随時私が潰していくしかないのよ」
なんか今物騒な言葉が聞こえた。
「でも、それだって中々骨が折れるし、すばるの事は私も親愛的な意味で気に入ってはいるから、あんまりしたくないのよね」
俺も全くそんな気は無いので勘弁して欲しい。
「イメージガールの仕事を依頼する時にも咲りんが言ってたけど、うちのブランドのターゲットは若い女の子だし、別に不倫とかじゃないかぎり、恋人とかも普通に作っていいし、隠す必要も無いのよ」
そんな事言ってたっけ? と俺は思い返したが、そう言えばその話をされた時は頭が真っ白になってほとんど上の空で相槌だけ打っていたような気がする。
「ただ、稲葉ともし別れた場合、咲りんは真っ先にすばるを落としにかかるはずだから、仮に別れるにしても、次の彼氏ができてから別れて欲しいのよ」
「いや、でも心配しなくても私は美咲さんの事はそういう風には見れないというか……」
俺がそう言った瞬間、一宮雨莉の目が変わった。
「あら何、私の咲りんが不満だとでも言うの」
そう言うやいなや、一宮雨莉は目にも止まらぬ速さで俺にアームロックをかけた。
きめられた腕が一宮雨莉の豊かな胸に押し付けられるが、痛すぎて全くそれどころではない。
「すばるさん!?」
突然の事に一真さんが驚いて立ち上がる気配がした。
「一真さんは大人しくしていてください!」
アームロックをきめられていて一真さんの方は見えないが、俺は慌てて声を上げた。
お前はすっこんでろ!
という強い意思を込めて。
「あらいいの? すばるを助けようとしてくれたみたいじゃない。それとも、男の人には興味ないのかしら。ということはもし、咲りんに言い寄られたとして、結構満更でもなかったりするのかしら?」
一宮雨莉はそう優しく語り掛けてくるが、それと同時にきめた腕を思いっきり締め上げてくる。
「いや、違う……」
言いかけた瞬間、更に俺の腕は締め上げられ、肩と肘の関節が悲鳴を上げた。
「違く、ないです、でも、その……もし付き合えても、雨莉に勝てる自信ないです」
早く逃れたい一心で、俺は言い訳という名の命乞いをする。
「まあ、もしそうなったら全力で潰すけど、私としては、咲りんの心が他に向いているだけでも、我慢なら無いのよねえ」
まるで世間話でもするかのように言いながら、同時に俺の腕がみしみしと軋みだした。
「痛い痛い痛い痛い痛い! わかったから! 言われた通りにするから!」
「そう、わかってくれて嬉しいわ」
一宮雨莉はそういうと、晴れやかな笑顔で俺を解放した。
関節外されるかと思った。
……つまり、一宮雨莉の言い分をまとめると、彼氏持ちなら美咲さんも自重するだろうから、手を出されないように自衛しろ、という事なのだろう。
「という訳だから、何かあったら真っ先に私の方に連絡頂戴ね」
やっと開放され手近な椅子の背もたれによりかかる俺に、視線を合わせるように屈みながら一宮雨莉が言った。
俺が了承すると、満足そうに一宮雨莉は俺の隣の椅子へ座った。
「それはさておき、すばるはインスタグラムって知ってる?」
「知ってはいるけど、急に何?」
突然の話題転換に、俺は一宮雨莉を見る。
「咲りん曰く、ブランドの発表の後、宣伝もかねてすばるには毎日その日のコーディネートを毎日載せて欲しいみたい。今度会う時に詳しい説明が咲りんからあるけど、それまでに適当に触って使い方を覚えておいてってさ」
「待って、美咲さんになんて言ってこっちに来たの」
美咲さんからの伝言をいきなり伝えてくる一宮雨莉に、思わず俺はつっこんだ。
「ちょっと相談事があるってすばるに呼び出された事にしたわ。今日の事を知ったのは、たまたま二人と近い時間にお店に行ったからだけど、咲りんには上手い事ごまかしておいたから心配は要らないわ」
たまたま……さっきの一真さんの話を聞くと、とてもたまたまとは思えないが、そもそも本当に店に行ったのかも怪しいが、ここでそのことについて何か言っても良い事は起こらなそうなので、結局俺は黙っている事にした。
「そうは言っても、やったことないから私も良くわからないんだけど……」
「あ、それなら僕わかりますけど」
今まで黙って見ていた一真さんが手を上げる。
「あらそう、じゃあ細かい操作とかは篠崎さんに聞いたらいいわ。それじゃあ私はそろそろ帰るわ」
一真さんの言葉を聞くなり、一宮雨莉は満足そうに立ち上がって帰り支度を始めた。
「え、もう帰るの……?」
それは名残惜しさからではなく、思ったよりも簡単に引き下がる一宮雨莉への不信感からくる問いかけだった。
「言いたい事はもう全部伝えたし、一応見たいものも見れたからもういいわ。それじゃあ、今夜はごゆっくり」
意味深な笑みを浮かべ、一宮雨莉は帰って行った。
というか、絶対あいつはあいつであらぬ誤解をしている気がする。
「……案外平和に終わりましたね」
「私は肩と肘をきめられましたけどね」
一宮雨莉が帰って静かになったリビングで一真さんが拍子抜けしたように言った。
俺はアームロックされたけどな!
「大丈夫ですか?」
「平気です……あれ、絶対色々誤解してますよね……」
「いっそ、誤解を誤解でなくしてしまうのはどうでしょう?」
うるせえ、帰れ。と言いかけるのをぐっと我慢して俺は言う。
「今日はもう疲れたので寝ます」
暗に帰れと言えば、一真さんは気にする様子も無く口を開いた。
「そういえば、結局彼氏からは連絡ありませんでしたね」
「……何が言いたいんです?」
なんとなく言わんとしている事も察しはついたが、もはや色々とめんどくさくて適当に返事を返しながら一真さんを睨む。
「僕だったら、一人にさせませんよ」
「むしろ今は無性に一人になりたいです」
「そうですか、残念です」
一真さんは案外あっさりと引き下がった。
そうして一真さんが帰った後、そのままベッドに潜り込んで眠った俺は、翌朝十時に一真さんの鳴らす玄関の呼び鈴で起された。
そのまま一真さんの用意した遅めの朝食を食べ、インスタグラムの投稿の仕方や使い方等を軽く教わった。
完全に流されまくりである。
嫌われようと、酷評するつもりで食べた一真さんの料理が予想外に美味しくて、結局文句を言えなかったのが敗因だろう。
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