第44話 待っててね(ハート絵文字)
その後も夕方まで俺達は、浅草寺にお参りに行ったり、色んな店を覗いたりしながら浅草をぶらぶらした。
日も暮れる頃になると、まだ夕方だというのに次々と店が閉まっていく。
浅草は閉店時間の早い店が多いらしい。
夕食は一真さんおすすめの店ですき焼きを食べることになった。
連れてこられた店の前で、俺は固まった。
どうかしたのかと一真さんに尋ねられたが、俺は静かになんでもないと答えた。
この店は、つい一ヶ月前に俺が美咲さんと一宮雨莉と一緒に、打ち合わせと言う名の女子会で連れてこられた店だ。
確かに出されたすき焼きは絶品だったが、その店の常連らしく、楽しげに店員さんと話していた美咲さんの事を考えると、店の人が俺の事を憶えていると厄介な事になるかもしれないと頭によぎる。
しかし、常連なのは美咲さんとせいぜい一宮雨莉ぐらいなので、一度しか来ていない俺の事は誰も憶えていないだろうと思い直し、店に入る。
店に入り、どこかレトロな感じのする洋間に通され、当然のように一番高いコースを二人分一真さんが注文する。
「一真さんって、人のお金を使うの容赦ないですよね……」
「まあ、しずく嬢の実家は最近特に羽振りが良いそうなので、問題は無いでしょう。役得と言うやつです」
注文を取った店員さんが部屋から出て行った後、俺が一真さんに言えば、しれっとした顔で一真さんは答えた。
「それに、随分と色んな場所や店を知ってるんですね」
「色んな人に連れて行ってもらいましたから。お金のある人に取り入ってついて行けば、色々と楽しめますしね」
「うわぁ……」
爽やかに言い放つ一真さんに、おれはしめやかにドン引きした。
そんな事もありつつ、先付、前菜、刺身ときて、いよいよメインのすき焼き、という頃だった。
この店では接客担当の店員さんがすき焼きを最初に肉を入れて食べる所までやってくれる。
俺たちの席に来てくれた店員のお姉さんと顔見知りらしい一真さんは親しげに少し話していたが、どうやらその人は前に一回だけ来た俺の事も覚えていたらしく、
「もしかして前、小林様といらしていた……」
と、声をかけられた。
俺の方は全くお姉さんの顔は覚えていなかったというのに、接客のプロってすごい。
あと、怖い。
する予定は無いけれど、悪い事とか迂闊にできない。
思わず名札を見れば『松谷』と書かれていた。
お姉さんにニコニコしながら
「彼氏ですか?」
と尋ねられた俺は、
「ただの友人です」
と力強く否定した。
「え、そうなんですか?」
直後、一真さんが茶化すように口を挟む。
ここ美咲さん達も来るんだよ!
変な事言ってお姉さんから美咲さんや一宮雨莉に伝わったら面倒な事になるんだよ!
と、俺は心の中で叫んだ。
「……当たり前でしょう?」
「まさか友人レベルまで昇格していたとは、嬉しい限りです」
お姉さんの手前、なるべく平静を装って一真さんに言えば、ニコニコと一真さんは笑って答えた。
この野郎、完全に俺の反応を見て遊んでやがる。
「一真さんって、絶対末っ子とか、一人っ子でしょう」
接客担当のお姉さんが戻って行った後、俺は口の中でとろける肉を堪能しつつ、今日一日で強く思ったことを口にした。
多分小さい頃から蝶よ花よと周りに可愛がられて育ったタイプに違いない。
「いえ、弟がいます。一応長男ですよ?」
しかし返ってきた答えは意外なものだった。
この人、弟の面倒とかちゃんとみたりするのだろうか。
「……長男がこんなプラプラしてて良いんですか?」
「弟は僕を反面教師に真面目に育っているので大丈夫でしょう」
嫌味を込めて俺が尋ねれば、一真さんは全く気にした様子も無くあっけらかんと答える。
「家族は何も言わないんですか?」
「いえ、というかこれは親へのあてつけなので。弟の情操教育にも役立ってますし、なんら問題はありません。一石二鳥ですね」
むしろ問題しかないような気もしたが、俺はこれ以上何を言っても無駄な気がした。
この人も中々複雑な家庭環境のようだ。
「すばるさんには、兄弟はいるんですか?」
「弟と妹が一人ずついます」
鍋に新しい肉を投入しながら今度は一真さんが尋ねてきた。
どうせ今後紹介する機会もないだろうしと、俺は素直に優司と優奈の事を答えた。
「家族仲は良いんですか?」
「……仲は悪くないとは思いますが、弟と妹とは連れ子同士なので、正直普通の兄弟の距離感というのは、良くわかりません」
答えながら、俺には友好的だが一真さんには敵意むき出しだった弟と妹の事を思い出す。
「仲が悪くないのなら、それだけで良い事だと思いますよ」
「仲は良いんですけどねぇ……」
まさかその弟と妹が女装した自分に思いを寄せていて困っているとは言えない。
言いよどむ俺に、何かあったのかと一真さんは尋ねてきたが、そうそう人に言える話でもないので、適当にはぐらかしておいた。
食事を終えて店を出た俺達は、今日はそろそろお開きにしようと車を止めてある駐車場に向かって歩いた。
街灯は灯っているが、ほとんどの店はシャッターが降り、昼間の活気が嘘のようだった。
「今日はすばるさんのいろんな一面が見られました」
「私も今日は一真さんの清々しいまでのクズっぷりを見た気がします」
「そんなに褒められると照れちゃいますね」
「どこをどう取って褒められたと解釈したのか謎です」
そんな下らない事を言い合いながらだらだらと駐車場への道を歩き、一真さんの車に乗り込んだ時、俺のスマホのメール着信音が響いた。
なんの気無しにそのメールを見た俺は、まず差出人の名前で硬直し、その内容に戦慄した。
差出人『一宮雨莉』
タイトル『松谷さんに話は聞いたわ』
本文『なかなか面白い事になってるのね。今夜10時にすばるの方の家に行くから、待っててね(ハート絵文字)』
松谷さん、確か俺達の接客を担当してくれたお姉さんの胸についていた名前だ。
一宮雨莉と松谷さんが個人的に繋がっていたのか、俺たちが店に居たのとほぼ同じタイミングで一宮雨莉がさっきの店に来店したのかは知らないが、大方あのお姉さんから、俺が稲葉じゃない男とあの店に二人で食事に来ていた、とでも聞いたのだろう。
駐車場の料金を払い終えた一真さんに、顔色が悪いがどうかしたのかと聞かれたが、なんでもないと俺は答えた。
「しずく嬢から何か面白いメールでも届きましたか?」
運転しながら一真さんが尋ねてきたが、むしろそれならどんなに良かった事だろう。
「しずくちゃんは関係ありませんよ。ただ、もっと厄介な事になりそうなだけです」
「もっと厄介な事とは?」
車を出しながら一真さんが聞いてくる。
しずくちゃん相手なら、せいぜい稲葉がしずくちゃんに手篭めにされる位で、俺自身に何か重大な被害がある訳ではないが、一宮雨莉が相手の場合、最悪俺が精神的にも社会的にも肉体的にも死ぬ。
「ちょっと面倒な人にあらぬ疑いを持たれているようで、今夜その疑いを晴らすことができないと、最悪私が死にます」
「また随分と物騒な話ですね……その疑いというのは、今日僕と出かけたことと関係がありますか?」
半ば自棄になりつつ、ため息交じり俺が答える。
「正に、それが原因ですね」
「ああ、なるほど、すると相手は小林美咲さんか、一宮雨莉さん、といった所でしょうか」
「なんで知ってるんですか…?」
予想外に的確な指摘に、俺は思わず一真さんの方へ振り向いた。
「この仕事を受ける事になった時、しずく嬢に要注意人物として顔写真付きで説明されましたので」
「ああ……」
運転を続けながら淡々と一真さんは答える。
そして俺はその回答に納得した。
稲葉の高校時代、散々稲葉を巡って数多の女達と争ってきたしずくちゃんだが、現在も稲葉の側にいる姉の美咲さんと、かつて散々煮え湯を飲まされてきた一宮雨莉の事はかなり警戒しているようだ。
「二人から僕と浮気しているという疑惑をかけられている。という所でしょうか」
「正確には一宮雨莉の方だけです。美咲さんに伝わっているかは解りませんが、今夜話を聞きに私の家に来るそうです」
察しの良い一真さんに少し感心しつつ、俺は補足を入れる。
こうなったら、この程度の説明はしてやっても良いだろう。
しずくちゃんから一宮雨莉の話も聞いているのなら、下手に隠して後々乱入されるより、そのまま話して、だから間違っても今夜は俺の部屋を訪ねてくるなと釘をさしておいた方が効果的かもしれない。
「では、僕もそれに同席しましょう」
「は!? なんでですか!!?」
しかし、そんな俺の思惑は一瞬で砕かれる事になった。
おいやめろ、何をする気だお前、これ以上事態をややこしくしようとするんじゃねえ!!
「そんな不安そうにしなくても、何も事態を引っ掻き回そうって訳じゃありませんよ。こうなった責任は僕にありますし、僕もその場で一緒に釈明した方が誤解もすぐ解けるでしょう」
一真さんはそう言うが、むしろ新しい誤解が生まれそうである。
「いやいやいやいや、そういうのいいので一真さんはもう家に帰って休んでください。そして今夜はもう自宅から一歩も出ないで下さい」
「随分と信用がないんですね。無理もありませんが。大丈夫ですよ、一宮さんにはちゃんとただの友達だと説明します」
「説得力ありませんよ!? 大人しく家で寝ててください!」
結局、その後しばらくの押し問答の末、とうとう俺はなぜか、すばるの部屋で一真さんと一宮雨莉を待つ事になってしまった。
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