第2話 俺たちに明日はあるのか 中

2-1


 ◆


「いやだぁ……助けてくれぇ……」


 一人のみすぼらしい髭面男が、椅子に縄で縛りつけられて、許しを乞うている。それは、周りにいる無頼漢どもにしているのか――しかし、彼が恐れているのは、別の者のようであった。


 冷たい石の壁を切り通した小さな窓の奥から、夜の黒が覗いている。頑丈さだけが取り柄と言わんばかりのこの建造物は、国民戦争時に要塞であった場所。荒野の一角に作られて、戦後に放置された要塞は、このように無頼漢どもの巣窟になっていたりする。室内は乱雑極まる状態で、酒の瓶や男たちの衣服、銃やその他もろもろが足場のないというほどに散らかっていた。


 ふと、扉の開く音がする。その奥からは、革のコートにジーンズ姿、まさしく牧童とでもと言う出で立ちの人物が現れた。しかし、茶色のテンガロンハットから覗く髪は長い銀色で、腰にはガンベルトの代わりに刀の鞘をぶら下げている。そして何より、革製の外套を纏ってなおつん、と張っている胸が、この者が女性であることを示していた。


 その人物を見た瞬間に、髭面の男の顔がさっ、と青ざめた。対して銀髪の女は表情一つ変えずに、椅子を一つ持ち上げて、それを男の前に背の方を向けて置いて座った。そして女は、椅子の背に顎を乗せて、冷たい視線で男を眺めている。


「あ、あの……姉御……俺は……」


 沈黙に耐えられなくなったのだろう、男の方が先に声をかけた。そして、男の言い訳を遮って、女の方が声をかける。


「あぁ、あぁ、分かっているよ。お前にも、家族が出来て……それで、金が必要だったんだよな?」

「スイマセン! 俺は……」

「そう、理屈は分かる。理由も分かる……でも、知っているな?」


 やっと、女の表情が少し動いた。それは、微笑。しかし、それは相手を安心させる類いのものではない。男は、知っているのだろう――それが故に、答えられないのだろう。ただただ、押し黙っている。


「……私は、仲間は大切にする」


 女は立ち上がり、男の繋がれている縄をほどいてやった。


「あ、あぁ……ありが……」

「でも……」


 男の謝礼を、女はすぐに遮ってしまう。そして、男に背を向けて、距離を取る。


「裏切りだけは、決して許さない」


 そう言いながら、女は男の方へと振り向いた。女の意図を察したのか、周りの無頼漢達がそそくさと二人の間に割って入り、散らかしていた床のゴミを片隅へと追いやりはじめる。それを横目で見ながら、女は手の機械仕掛けの小細工のハンドルを、眼をつぶりながらクルクルと回し始め――そんなおかしな光景の中で、髭面の男はただ一人、椅子に座ったままびくびくと震えていた。


 二人の間の床が綺麗に掃除されると、足に包帯を巻いた男がゆっくりと髭面に近づき、一挺の銃を取り出したかと思うと、実包を一発込めて、ガンベルトのホルスターに仕舞いこんだ。そしてベルトごと、髭面の座っている膝の上に投げた。


「……このオルゴールの音が止んだ時に、抜きな。お前が私を殺せれば、お前は自由だ」


 女は、機械細工を顔の前まで持ち上げ、男にも良く見えるようにした。まだ、ハンドルは指先で摘まんだままである。


「お前に、選択権は無い。もし逃げようとするなら、お前を殺した上に、更に貴様の家族も皆殺しにする」


 女は少し移動して、先ほど使っていた椅子の横に立った。


「……決闘に、応じれば」

「家族は、見逃してやる……仲間、よしみだよ」


 女の言う事が、本当かどうかなど分かるはずもない。だが、男に選択権は無い。意を決した表情で立ち上がり、ベルトを腰に着けた。


 それを見て、女はオルゴールを椅子の上に置き、ハンドルから手を離した。鳴り響くのは、機械仕掛けの奏でる素朴な、どこか懐かしいメロディ。しかしそれは、これから行われる生殺与奪を、何かに祈って、救われようとするかのような――そんな旋律だった。


 互いに、構える。男は肩を落とし、すぐにでも銃が引きぬけるように。対して女は腰を落とし、体を少し左に捻り、左の手で刀の鞘を持ち、右手はすぐにでも得物を抜けるよう、柄のすぐ近くに添えられている。


 どれ程の時間が経過したのであろうか、周りに多くの無頼漢どもが居るとは思えないほど、場は静まり返っている――ただ、オルゴールのメロディを除いて。空間に張り詰める、極度の緊張。そのせいで、一秒がまるで数時間にも感じられる。この旋律は永遠に鳴りやまないのかと思われる程、ゆっくりと流れる時間。


 だが、永遠なものはこの空間には存在しなかった。流れるように鳴り響いていた旋律が、少しゆっくりになり――その瞬間、男の緊張感は極限に達した。


 一瞬の静寂、鳴り響く銃声、そして、小さな何かが落ちる渇いた音。それは、刹那の出来事。既に女は刃を振り抜いた状態で、男の眼の前に立っている。鞘走りで発動させた輝石が蒸気をあげたかと思うと、そのまま女は刃を一振り、鞘にしまって踵を返した。そして、女が数歩離れるのと同時に、確かな質量を持った何かが、床に崩れ落ちる音がした。


「……銃弾を断ち切り、そのまま相手ごと一刀とはね。流石、十万の賞金首と言ったところか……なぁ、銀刀のジーン・マクダウェル」


 女が最初に出てきた扉の方から、一人の男から覗いていた。ローブに身を包み、フードを深くかぶり、ご丁寧に仮面まで被っているので、何者であるか、声を知っている人間でも無い限りには分からないだろう。


「……別に、大したことじゃない。この血も涙も乾かぬ荒野で、無頼を気取って汚い男どものアタマを張ってるんだ。とはいえ、一度捕まった後じゃ、格好もつかないかもしれないがね。それで? わざわざ助けられるよう、手配したのはアンタだろう……見返りに、何をお求めだ?」


 ジーンと呼ばれた女は、この男の事を、どうやら少しばかりは知っている調子であった。しかし、周りの男どものうち数人は、不思議そうな顔で二人の会話を見守っている。


「ここで話すには、少々血なまぐさいな……」


 男は仮面の下から覗く鋭い眼光で、倒れている髭面の男の体を見た。とはいえ、その体には、すでに髭面は付いていないのだが。


「分かった、分かったよ……おい、お前ら、掃除をしておきな。ついでに、きちんとそいつを葬ってやれ」

「へい!」


 女に答えたのは巨体の男である。それに頷き、ジーンは止まったオルゴールを椅子の上から拾い上げて、自らのポケットに突っ込み、男の居る扉の方へと歩いて行く。


「それじゃ、後は頼むぞペデロ……さぁ、行くか」


 テンガロンハットの女と正体不明のローブという珍妙なコンビが、外の扉をくぐり出た。外の空気は冷えているモノの、それを特に気にする様子も無く、二人は石の建造物を離れて、少し登った先にある木の元へと歩いて行く。その間は無言であったが、木に背を預けて、ようやく女の方が口を開いた。


「しかし、私の賞金は、何時の間に値上がりしたんだ?」


 その言葉に答える代わりに、男はまずその仮面をはずした。仮面の下に合ったのは、品の良い髭を揃えた、眼光の鋭い男性であった。


「今日の昼、当局にて決定した……どうだ、大台に乗った気分は」

「別に。やることは変わらない。むしろ、付き纏う連中が増えるから、余分なことをしてくれたよ……しかし、お前の名は聞いたことがある。ダゲット、山猫【ワイルドキャット】のフランク・ダゲット。旧北軍の一兵卒が、今は正義を気取った保安官様とは」


 互いに腕の覚えのある者同士、品定めをするような、だが決して油断はしない、そんな視線が交錯している。


「私も、君のことは多少聞いている。我々を、恨んでいるかね?」

「誰から聞いたんだか……だけど、その答えはイエスだよ。恨んでいるとも……しかし、北軍の全てを恨んでいたら、この国の半分を敵に回すことになる。そんな途方も無いこと、やってられないよ。それに今はなんやかんやでこうやって……楽しくやっている」


 女は背を木の幹に預けたまま、ふっ、と空を見上げた。


「……こんな一面に空があるんだ。悪い気分なわけが無い」

「人を一人切っておいて楽しくとは、穏やかではないな」

「落とし前と言ってくれ」

「そうか……まぁ、君の流儀は私には関係ないことだ。そして、君は義理堅い人間であると言う事を確信している」

「だから、脱走の手引をした見返りに、仕事を一つ引き受けろ、か? 私のようなならず者に頼むとは、穏やかじゃないね。まあ、話は聞いてみようじゃないか……さぁ」


 男は少し歩きだし、女からやや距離を取って、ローブの袖からタバコを取り出し、火を付けた。


「アンダーゲートの北に、ストーンルックという村がある。そこから先日、暴走体オーバーロードの討伐依頼が出された」

「はっ。まさか私たちに、世のため人のために鬼退治を頼もうってのか? そんなのは、賞金稼ぎどもにやらせておけば……」

「半分は正解。だが、君たちにやって欲しい仕事は、まだ二つある」


 保安官は、眼を細めて続ける。ただでさえ鋭い眼光が、余計に鋭くなる。


「そのうちの一つは、ストーンルックの迷える子羊どもを、追いまわして欲しいのだよ」

「……成程、マーシャルのものとは思えないセリフだ。ただ、どういうことだ?」

「勿論、説明はする。が、その前に一つ質問だ。暴走体がどのように生まれるか知っているかね?」

「私が知っているのは、生物の死体がごく稀に、突然変異する……それくらいだが」

「うむ、それはそうなのだが、もう一つ、重大な条件があるのだ。暴走体を、見たことはあるかね?」

「いや、無いな。だけど、その体は鼈甲色に包まれて……あぁ、もしかしてそういうことか?」

「あぁ、そういうことだ。暴走体が生まれる条件は、近くに豊富な輝石があることだ。つまり、村の近くには、輝石の鉱脈がある可能性が高い」

「成程、つまり鉱脈を村人なんぞに渡さずに、いただいてしまおうって算段か」

「うむ……だがまず、鉱脈が無ければ意味が無い。そこで、君たちにはまず鉱脈を探してもらいたい。もし探索中に暴走体にあったら、勿論排除してもらって構わん。君を雇うのは、暴走体に単身で勝てる程の実力者など、そうはいないからだな」

「その上、一族郎党根絶やしにする肝が据わった悪党でもある……所で、既に暴走体が倒されてたらどうする?」


 マーシャルは煙を吐きながら鼻で笑い、少し大げさに肩をすくめて見せた。


「まさか。たかだか三千の賞金で、命をどぶに捨てに行く馬鹿など、この世に存在するのものか」


 ジーンも笑った。だが、その笑みは何かを嘲るものではなかった。


「さぁ、どうだろうね……世の中、物好きもいるからね……しかし、鉱脈さえ見つければ、所有権は見つけた奴の物だ。もっとも、まっとうな奴が見つけたら、の話だけどさ。だが、それなのに村人を根切りにするのは、ちょっとやりすぎじゃないのか?」

「……」


 そこで、男はタバコを放り捨て、踵で火種を消した。答える必要は無い、ということだろうか。しかし一方で、ジーンは少し考えてから、何か合点がいったらしい。


「……あぁ、読めたぞ。鉱脈を採掘するための鉄道を引くには、給水するための場所が必要。それには、村が良い場所に、いや、邪魔な場所にあるってことだね。それこそ鉱脈が見つかって余計に土地の価値が跳ね上がりでもしたら、村人たちは梃子テコでも動かない。だからならずどもの私たちを雇って、排除させようってわけだ……つまり、私たちは孫請け、お前は下請け、元締めは鉄道屋、そうだろ?」


 そこで、男の肩が少し震えた。だが、決して油断はしていない――鋭い視線を女に返し、質問を投げかける。


「何故、そう思う?」

「答えは簡単。私が捕まったのは、隣の州なんだから、搬送せずにその場で縛り首にすればよかったんだ。いくら根城がこっちだからって言ってもね。それじゃ、何故わざわざこっちに運んできたか……そして、私の部下たちは、何故か何時、どの列車で私が搬送されているか知っていた。これはつまり、鉄道が情報をリークしてくれたおかげだからだ」

「成程、十万の首は伊達では無いということか」


 ダゲットは、ため息を一つ吐く。だが、ジーンの話を否定しない所からすれば、その推理は当たっていたという事なのだろう。


「おかげ様で、私の価値は無駄に上がりまして。まぁ、お前としては、賞金額が上がるのも計算の内なわけだ。私たちならず者が、如何に土地の権利を主張した所で、採掘権は得られない。そして今知った事実を話した所で、誰も信じちゃくれない。だから、私たちはお前の言う報酬を、ここでやる最後の悪事の対価として受け取って、それこそ国境を越えて逃げるのが賢いやり方……放っておいたら、この首の十万目当てに、大陸のかしこから私を狙ってくる奴が居る訳だから」

「そういうことだ。報酬も、きちんと私の依頼主から出る。まぁどの道、北へ鉄道を伸ばすのに、あの村の存在は以前から問題になっていたのだ。それが少々早まった、それだけの話だよ」

「しかし、アンタの依頼主も災難だったね。表面上、ならず者が列車を襲撃、鉱脈と邪魔もの排除の対価として格安の、一番後ろの車両だけで被害がすむはずだったのが、後ろ三台まるまる駄目にしちまったわけだから」

「……まさか、術者が二人も乗って居るというのは、計算違いだった。思わぬ被害が出て、私も偉い人に絞られたよ」

「あぁ、そう言えば、居たな。あの時は、部下の安全のために、逃がしてやったが……」


 そう言って、ジーンは列車で対峙した、二人組を思い出した。一人の背の高い男の方は、冴えない感じでどうとでもなりそうであった。後一人は、最後に狙撃してきた小さい少女。確かに、黒髪と碧眼は見えたが、それ以外はポンチョに隠れていて、良く分からなかった。


 だが、あの顔に、なんだか懐かしいモノを感じたのも確かなことだった。


「なぁ、山猫。その術者の事なんだが……」

「うむ? ネッド、とか言っていたと思うが……初めて聞く名だった。まぁ、小悪党狙いのこすい賞金稼ぎだろう。逆に、君を捕まえた二人組の方はなんかは、結構な手だれでで……」


 ジーンは、苦々しい表情を浮かべる。きっと捕縛された時のことを、思い返したのだろう。


「罠に嵌められただけだ。裏切り者が、情報を賞金稼ぎどもに漏らさなければな……正面切ってやれば、私が勝ってたよ。それより私が聞きたいのは、鉄道の一件の、あと一人の方だ。どんな奴だった?」

「……フードを深くかぶって、あまりじっくりとは見なかったが……碧眼で、黒髪で……」


 そこで区切って、男はなんだか合点のいったような表情になり、指を立てて続ける。


「あぁ、何故だか右手に赤い包帯を巻いていたな。ちらと見えただけだが、印象的だった」


 それを聞いて、銀髪の女は、はっとした表情を浮かべた。そして、頭を垂れて、一人事のように何かをつぶやき始める。


「そうか……あいつ、あいつか……アイツが……!」

「……知り合いかね?」


 そうダゲットが聞いても、ジーンはしばらく押し黙っていた。そして、わなわなと体を揺らし始める。


「あぁ、知り合いだよ……十年以上前のね……」

「つまり、被験者か? 道理で、あんな若くて賞金稼ぎなどやっているわけだ」

「そうか、しかも賞金稼ぎ……くっくっ……あはは……」


 そして、揺らしていた体がぴた、と止まり、銀の髪を振りあげて叫び出した。


「ネイ! 一人で抜けだした裏切者! あの雑種、生きていやがったのか!」


 その叫びは、荒野に佇む石の要塞の中にまで響き渡った。外での親分の狂騒に、中の男たちが驚いたのは言うまでもない。


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