2-2


 ◆


「……なぁ、アタシも持つぞ?」


 小さい声で、ネイがネッドに声をかけてきた。


「いや、いい」

「……でも、辛そうな顔してる」


 青年が辛そうな顔をしているのには、何点か理由がある。まず第一に馬車を破壊されてしまって、馬にも逃げられてしまったので、歩いて帰るしか無くなったこと。幸いにして、一頭で荷物のある荷台を引いていたので、そんなに遠くまでは来ていなかった。しかしそれに付随して二点目、暴走体を倒した証拠を持っていく必要があるので、ネイが切り落とした暴走体の巨大な針を運んでいるのだが、これがなかなか重いのだ。第三に、獲物は倒した上、すぐに出れば夜明け前には村に着けるかも、ということで、少し休憩してから、すぐに移動を始めたことである。どうせ休むなら、さっさと依頼を終えてから、ということだったのだが、寝ずに移動しているので、体力的にキツイものがあった。


 少女が心配しているのは、重い獲物の尾を、ずっと青年が運んでいるからであろう。輝石を起動させて運べば楽になるのだが、ずっと起動していてはすぐに使えなくなってしまう。一応、あと一息の所まで行ったら、最後は能力を使って一気に行くつもりではあった。


 しかし、青年が一番辛いのは、身体的なことではなかった。勿論、体も相当しんどくはあるのだが、一番は精神的な問題だった。それは、先の戦闘で自分がほとんど役に立たなかったということもあるのだが、やはり、少女の能力を知ったことによる所が大きい。


(……俺はネイに、なんて言えばいいんだよ)


 何か、気の利いた一言でもかけてあげたかった。だが、恐れてしまったのだ。それは当然、少女の能力のことであって、少女そのものに恐怖した訳ではない。しかし、少女が暴走体にトドメを刺した時に、青年の心は、一歩後ろに退いてしまった。そしてその事実が、青年を今も苦しめているのであるし、せめてもの償いに、こうやって荷物を引き受けているのである。


 この荒野には、それこそ死はそこら中に転がっている。青年自身は今までに多くの死を見てきた。自身の親しかった人の最後の時だって、その眼で見ている。死はそれ程、哀しい程に身近な存在で――そのはずなのに、やはり死が目の横たわっているとなれば――それが、自分のすぐ近くにあるとするならば、果たして平然としていられるだろうか。


 だが、青年はそれがたまらなく嫌だったのだ。ネイは、優しい子なのだ。馬に乗れない理由だって、今は分かる。もし誤って右手が触れてしまえば、馬の命を奪ってしまうから。賞金首の命を気にしていたのだって、死が少女にとってあまりにも近くにあるから――だからこそ、生を強く意識している。簡単に壊せてしまうからこそ、命を大切にしているのだろう。


 つまり、少女はこんなにも健気なのに、恐怖してしまった自分が、本当に許せなかったのだ。


 青年の心に比例するかのように、その足取りも重い。そんな青年を見かねてか、横をやや距離を取って――これも決して触れないように、気を使っているのだろうが――歩いていた少女が、ふと立ち止まり、小さく声をもらした。


「……あはは、やっぱりさ、アタシとなんか、居るべきじゃなかっただろ?」

「違う!」


 少女の自嘲的な笑みに対して、ほとんど反射のように青年は叫んだ。その大きな声に、少女は驚いた表情を浮かべている。


「違う……違うんだよ。俺は、自分が許せなくて……」


 なんて言えばいいかなど分からない。今、自分が少女を苦しめているのも分かっている。だけど、青年は少女を責めたい訳ではない。むしろ、笑顔でいて欲しいのに――それに対してネイは、少し困った表情をしてから、大きくため息を吐いて、青年に声をかけてきた。


「あのさ、ちょっと、休憩しないか? ずっと運んでて、疲れただろ?」

「いや、でも……」

「いいから! アタシが、コーヒーを淹れてやるよ……こう見えて、結構上手いんだぞ?」


 インスタントのコーヒーを作るのに、上手いも下手もあるのだろうか。だが、このままでは気も晴れそうにない。青年は少女の提案を受け入れることにした。


 座るのに丁度いい倒木に腰かけ、ネッドはネイがコーヒーを淹れるのを待つことにした。火を起こしてヤカンを見張っている少女の傍らで、青年は手持無沙汰の気晴らしに空を見上げた。荒蕪地こうぶちの上には、一面の星空が広がっている。あれから、何時間歩いただろうか――まだ、夜は明けそうにない。


「ほれ、出来たぞ」


 そう言って、少女から湯気の立つカップが差し出される。青年は一言礼を言って、黒い液体に口をつけた。


「……どうだ?」

「うん、コーヒーの味がするな」


 至って普通の味だった。


「……そーかよ」


 少女は、少し残念そうに小さく笑って答える。しかし、もうひと口飲むと、少し印象も変わったように思われた。なんだかこの酸味と苦みが、今の自分に相応しいように思われたのだ。


「いや、やっぱり美味いよ。才能あるんじゃないかな?」

「なんだよ……お世辞か? 即席のコーヒーなんぞ、誰が淹れたって味はかわらねーよ」

「おいおい、さっき君が自分で結構上手だって言ったんじゃないか?」

「うるせー。そんなもん、ノリだよ……お前がよく言ってるヤツだ」


 今度は、柔らかい笑顔になった。お互いに、少し調子が出た、というところだろうか。休憩を提案してくれた少女に感謝すべきだな、青年はそう思った。


 しばらく、沈黙が続く。それを紛らわすように、少しずつコーヒーをすする。青年としては、それは気まずいものではなかったのだ。


「……スプリングフィールド教会って、知ってるか?」


 それは、少女からの唐突な質問だった。ふと顔を見ると、真剣な顔をしている。


「……いや、聞いたこと無いな。それが?」

「まぁ、北軍にとっちゃ、負の歴史そのものみたいな場所だからな。知らないのも、当然……とにかく、アタシは物心付いた時には、そこに居たんだ。教会兼、孤児院だったわけだな」


 そして、右の真紅を青年に見せて続ける。


「そこでは、洗礼の代わりに術式が刻まれる……幼い子供にだ。どういうことか、分かるか?」

「えぇっと……」


 青年は、己の無知を呪った。きっと、続く言葉は、碌でもないことだ。それを、少女に言わせなければならない。


「体に直接術式を刻むのは、あまり推奨されてないのは知ってるな? 輝石と合わせて使うには、体に負荷が大きからというのもあるんだが……一番は、幼い子供に刻むと、術式が体を蝕むんだよ」


 何故だかまでは知らないけどな、少女はそう続けた。確かに、青年は師匠に術式の使い方を習った時、体に刻まぬ方が良いと、そう教わったことは覚えている。だから青年は、自身のコートと手袋の内側に刻んでいるのである。


先住民ネイティブは、体に刻むけどな。それは、十歳そこらになってからだ。それより若いと、多くは死に至る。だけど、ごく稀に、その負荷に耐えきって、生き残る子供もいる。その生き残った奴は、成長してから術式を刻んだやつより、強力な能力を扱えることが多いんだとさ」

「……ということは、何か? その孤児院では、人体実験を行ってたってことか!?」

「そういうこと……表向きは、戦争で行き場の無くなった孤児を引き取る場所。でも実際は、戦争のための人体兵器を開発する場所だったってわけさ。アタシは、そこの被験者だったんだよ」


 あっけらかんと、少女は答える。そして、そこから少しの沈黙を経て、少女の顔が少し何かを懐かしむような笑顔に変わった。


「アタシは気がつけばそこに居た訳だから……アタシにとっては、そこの生活が当たり前だった。石の壁で切り取られた四角い空間が全てだった。中は、礼拝堂になっててさ。神の選別によって生き残った、祝福された子供たち【エヴァンジェリンズ】……今聞けば、被験者の事をよくもキレイな言葉で誤魔化したなって思うけど……そいつらと、肩を寄せ合って生きてた。苦しいこともあったけど、同じ辛さを共有できる仲間が居て……」


 きっとそれは、かつての仲間たちとの想い出なのだろう、少女の少し表情が柔らかくなっている。


 少女はそこでカップに口をつけて、昼間のように苦々しい顔をした。だが、今度はその苦味をかみ締めるためだろうか、砂糖を継ぎ足すことはしなかった。


「……初めて触れた生き物は、実験用のネズミだった。アタシの右手が触れた瞬間、ちょろちょろ動き回っていたそいつは、急に動かなくなって……温かかったはずなのに、冷たくなっていく感触が……訳は分からなかったのに、なんだか哀しくって。でも、周りの大人は凄い、素晴らしいって」


 再び、コーヒーを口にしている。何度口にした所で、その苦みが変わる訳ではないはずだ。まるで、その苦みで、別の苦しみを打ち消そうとしているようだった。


「でも、誰もアタシに触れてくれなかった。当然だよな? アタシは、能力の制御がきちんと出来てなくって……右腕に直に触ればそのままお陀仏。包帯の上からでもちょっと能力が暴走したら、触った自分が死んじまうかもしれないんだからさ……だから、なんとなくだけど、アタシはこの右手が本当は忌々しい物なんだって……怖い物なんだって、気付いてた」


 ここで初めて砂糖を入れた。彼女にとって、甘い想い出があるのかもしれない。


「でも、転機が来た。術式開発で後れを取っている南軍が、どこかで施設の情報を入手したんだろうな、少数精鋭で南部の軍人たちが修道院を襲撃したんだ……その時、アタシを連れ去ったのがコグバーンってわけさ」


 そして少女はもう一杯、砂糖を継ぎ足した。


「知らない男に、訳も分からず連れ去れて、怖くて……でも、その時アタシは初めて、誰かに手を引いてもらったんだ。包帯の上からだったけど、この右手を、コグバーンは必死になって引いて……当然、アイツはアタシの右手の正体を、その時は知らなかったはずだし、たまたま目に着いたのがアタシだったってだけだろうけど」


 更にもう一杯、それからカップを口に付けたと思うと、少女はそのまま一気にカップを傾けた。


「……施設だって、被験者を外に持ち出されないよう、当然抵抗した。オッサンの部下たちはそこでやられて、オッサン自身も、結構な怪我を負って……本当はアタシを南部に連れ帰って検査して、北軍の研究に追いつこうとしたんだろう。でも……オッサンは、アタシを南部には連れて行かなかった。それどころか、西部に来て、アタシに荒野での生き方を教えてくれたんだ」


 とうとう、飲み終わったらしい。少女は傍らにカップを置いて、それから夜空を眺め始める。


「今でも、忘れない。施設の外で始めて見た、広大な星空……ちょうど、こんな風だった」


 そこで少女は、右の手を夜空にかざした。


「四角く切り取られた空しか知らなかったアタシは、その時世界の広さを知って……荒野の生活は、幼い私には楽じゃなかった。でも、施設に居たころよりも、自由で……」


 そして、腰かけていた倒木から立ち上がって、一歩、二歩と進んだ。


「施設は、まるで天国のような地獄だったけど、この荒野はアタシにとって、地獄のような天国に感じられた……一人ぼっちに、なるまでは……」


 青年は何も言わずに、少女を目で追った。その背中は、なんだか先ほどよりも小さく見えた。


「コグバーンが……死んで……それから、アタシは一人で荒野をさまよった。でも、アタシはこんなだからさ……どこにも、居場所が無くって」


 それは、どういう意味であったのだろうか。単純に、性分のせいだろうか。それとも、混血である自分は、どこに行っても受け入れられないという意味か。はたまた、その右腕のせいなのか。


 青年には、ある光景が浮かんできた。慣れない笑顔で必死にどこかに馴染もうとする少女。ある場所では、混血であるというだけで故も無く蔑まれ、それを乗り越えて、右手をひた隠しにしても、どこかでばれてしまって、疎まれて――そして、諦めようとした。でも、なんだか諦めきれなくって、暖かい風景を、遠くから見守る――そんな少女の背中が。


 そして青年は、本物の少女の背中を見るべく、意識を現実に戻した。気付けば少女は星のパノラマを背景に、青年の方を振り向いていた。


「だから、アタシは探してるんだ。施設に居た連中を……孤児院はあの後移転したんだか、それとも潰れたのか、分からないけど……とにかく、もとあった場所には無くなってた。でも、アタシのこの右手の痛みを分かってくれるのは、同じ痛みを持ってる奴だけだから……」


 そう言う少女の笑顔は、やはり色々な物を諦めたような、でも、どこかにまだ希望を捨てきれないような……そんな笑顔だった。


「……わりぃな。なんだか、長々と自分語りをして……うざかったか?」

「いや、そんなことはないさ。色々聞けて、良かったよ」


 別に、これでネイの事が分かった、などと言うつもりはない。青年にとって今の話は、あまりにも壮絶だった。理解は出来ても、あまりに突飛で、共感も出来なかった。いや、本当はもっと分かってあげたいのだ。しかし、少女の言った通り、彼女の痛みを平々凡々な身の上の自分が分かったなどと、どの口が裂けて言えようか。そんな安い同情をする権利など、彼女の能力を恐れてしまった自分に出来ようか――むしろ、作り話であって欲しい位だった。


 青年の良かった、を聞いて、少女は少し安心したような顔になった。だがそれもすぐに、なんだか虚ろな笑顔にすり替わってしまう。


「うん、そっか……なんでだろうな、なんで話したんだろうな、こんなこと……でも、とにかくだ。アタシが言いたいことはさ……もう、終わりにしようってことだ」

「あ……え?」


 青年には、少女の言っていることの意味が良く分からなかった。そのせいで、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「だから、仲良しごっこは終わりだってことだよ……お前、そのデカブツは好きにしてくれ。頑張って村まで持ってけば、金にはなるだろうし、重いなら、まぁ……一応、その前にそれなりには儲けがあるだろ? 別に、諦めても問題ないだろうしさ」

「い、いや、ちょっと待ってくれ! 俺は……」


 そこで、少女は再び背中を向けてしまう。


「別に、お前が悪いわけじゃないよ。そういう目で見られるのも、慣れてるし……」


 そんなの嘘だ。辛いことというのは、確かに慣れる部分もあるのかもしれない。しかし、少女の声は、震えていたのだ。


「それじゃあ、なんで昔の話なんかしたんだよ……!」


 半分、叩きつけるような、怒りのこもった声を上げてしまう。だがその怒りは、果たしてどこへ向いているのだろうか。青年自身にも良く分からなかった。


「さぁ……でも、そうだな。多分、アタシの事が分かれば、踏ん切りもつくんじゃないかって思って……かな」


 結局、少女の方に気を使わせてしまったのだ。自分が、なんだか不機嫌な顔をしていたせいだ。ずっと飄々としていれば良かったのだ。そうすれば、互いにこんな思いをせずに済んだのに――。


「なぁ、アタシさ。お前の事、ちょっと羨ましいって思ってたんだぞ? お前のその能力さ……最初は、悪く言っちゃったし、お前はしょぼいと思ってるかもしれないけど、何かを紡げる、そんな能力だと思うんだよ……アタシみたいに、壊すしか能が無い奴と違ってさ」


 言われて、はっとする。自分で自信の持てない能力を、圧倒的な力を持つ少女は羨ましいと言った。ネイは、自分の事を認めてくれているのだ。


「……でも、アタシみたいなのと一緒に居ると、やっぱりロクでもねー事になるからさ。だから……!」


 だから、これで終わりということなのか、そこで少女は駆けだした。だが、青年の腹は既に決まっている。


(紡いで欲しいなら、紡いでやる……!)


 今度は、首にするのはやめておいた。何せ、結構本気で走りだそうとしていたので、首に巻いては止まった時に痛めてしまうだろうと思ったからだ。青年の手から紡がれた糸は、少女の腹の部分に巻きつかれた。


「……あのなぁ、お前。いいかげんに……!」

「いい加減にするのはそっちだろ!」


 青年の口から、大きな声が出る。しかし、別に怒っている訳ではない。いや、本当は少々怒っているのだが、どちらかというと嗜めるつもりで大声を出したのだ。


「まったく、言いたいことだけ言って、すたこらさーとはなんだ? そんなの、ずるいだろ?」

「……あんだよ、何か言いたいこと、あんのか?」

「あぁ、あるね……まずこの依頼は、君が受けた物なんだぞ? それを途中で投げ出すなんて、とんでもないんじゃないのか?」


 言った後、青年は自身が何度か依頼を途中で投げ出した経験を思い出した。だが、命には変えられなかったのだ、あんなものは時効だと、今は自分のことは棚に上げておくことにした。


「つったって、村の奴はお前が依頼を受けたと思って……」

「それだけじゃない……その、人間、あれだろ? 初めてのことって、ビックリするだろ?」

「はぁ? お前、何が言いたいんだ?」

「それは、あの、つまりだな……多分、そのうち君の能力にも慣れると思うんだよ!」


 そう、前情報なしだから度肝を抜かれただけである。少女の事を少し知って、今なら受け入れられる気がしてきたのだ。


「はぁ!? テメー、何言ってやがるんだ!?」

「いや、むしろ絶対に慣れてみせる! というかもう慣れたね! だから、大丈夫だ!」

「……慣れるもんかよ! お前は、何も分かってない!」


 いい加減なことを言ったせいか、ネイは御立腹のようであった。確かに、今の青年の言葉は大分思慮に欠けていたかもしれない。


「この力のせいで、アタシの周りの人は皆死んじゃうんだ! だから……!」

「……あぁ、もう! まどろっこしい!」


 青年は、糸でぐるぐる巻きになっている少女を自分の方へと引き寄せた。そして束縛をほどいてから、自身の左手で少女の右手を取り、力強く握ってみせた。


「……え?」


 少女は驚いて、呆気に取られている。


「ほら、慣れてるだろ?」


 勿論、先ほどの話の中で、コクバーン大佐が握った、という話があったから試せたことではある。こんなものは、一時の慰めにしかならないかもしれない。それでも自分の覚悟を示すには、これ以外の方法が思い浮かばなかったのだ。


 しかし、小さい手だな、そう思った。武骨な赤い包帯さえなければ、年相応の――それにも増して、華奢な腕だ。こんなに小さな手で、この荒野で一人で生きてきて、本当に苦労したことだろう。


「……馬鹿! 離せッ!」


 しばらくすると、やっと少女は我に帰ったのか、青年の手を振りほどいた。


「お前、自分のやったことの意味が分かってるんだろうな!?」

「あぁ、分かってる……むしろ、君こそ俺の意図が分かるかな?」


 質問を質問で返され、予想外だったのだろう、少女は豆鉄砲でも喰らったような顔をしている。


「……どういうことだよ」


 更に質問で返され、青年も少し戸惑ってしまった。ただ、とにかく少女を一人にしたくなかっただけで、そのために捕まえただけなのだし、君を一人にしたくないだなんて歯の浮いたセリフを真顔で言えるような気分でも無ければ、その度胸も無かった。


「えっと、その、つまりだな……とにかく、この仕事が終わるまでは、俺たちはコンビなんだ。勝手に抜けだしたりしないでくれよ」


 そう言って、青年は暴走体の尾の所まで歩いて行って、キョトンとしている少女の方を向いた。


「……ほら、一緒に運んでくれよ。一人だと、重くて敵わん」


 一瞬、言われた意味が分からなかったらしい、しかし少しして飲みこんだらしく、小さくはにかんだ表情を浮かべ、自らの右手を眺めてから、ネイはやれやれ、といった表情で笑った。


「……しっかたねぇなぁ! まったく、根性がねぇんだから……でも、この仕事が終わるまでだぞ?」

「あぁ、それでいいから。しっかり持ってくれよ?」


 きっと、向こうだって名残惜しかったのだ。勢いで衝動的に紡いだ絆は、この仕事が終わるまで――少し時間を延ばしただけだった。それでも、きっとその間に出来ることはあるし、向こうだって、それを期待している、青年には、なんだかそんな気がした。


 そして、今度は二人で肩を並べて歩く。青年は左手で、少女は右手で尾の端を持っている。最初ネイは左で持とうとしたのだが、青年がそれを頑なに拒否した結果であった。


「……なぁ、あのさ、その、村からもらう報酬の事なんだけどさ……」

「大丈夫、分かってる。俺に任せてくれないか」


 続く言葉が分かりきっていた青年は、そこで少女の言葉を切った。少し歩いている間に、きっと皆幸せになれる、良い考えが思いついたのだ。


「それに、君は口下手だからな……俺が話した方が、何かと手っ取り早いだろ?」

「ぬがっ!? ……まぁ、口下手なのは否定しないが、テメーに言われるとスッゲームカツク!」


 横から飛んでくる怒声が、青年には心地よかった。小さい犬が、キャンキャン吠えているあの感じである。


「そうだ、何点かちょっと聞いてイイか? まずなんで暴走体専門の賞金稼ぎをやってるのかってことなんだけど」

「あぁ、それね……まあ、隠す様なことでもないし、いいよ。話してやるよ。さっきも言ったけどさ、アタシはこんなナリだから、真っ当にお金は稼げない。でも、には自信があったんでね」


 そう言って、少女は空いている左の手で、力こぶを作るポーズをとった。その細い腕は全然強そうではなかったが、確かに青年より余程やる腕であるのは確かだった。


「コグバーンからの受け売りなんだけどさ。暴走体は、この世に強い未練を持って、あの世に行けない魂が暴走してしまったんだって。だから……」


 だから、終わらせてあげる。どこまでもネイはネイなのだ。きっと誰よりも、世の中を恨む権利があるのに、それでもその力を、少しでも誰かのために使おうとしている。


「まぁ、ホントかどうかなんて、わかりゃしないんだけどな……せめてそう言って自分を慰めないと、引き金が引けないんだよ」

「……君は、優しいんだな」

「ばっ、やめろよ! そんなんじゃねーよ! 金を稼ぐのに、いいも悪いもあるかよ!」

「それなら、悪い奴を掴まえてお金もらってもいいんじゃないかな?」

「……いいも悪いも無いから、それを選択する自由があったっていいじゃねーか」


 その通りだ。なかなか、少女はいいことを言う。青年はそう思った。


「それじゃあ、次の質問……その右手の包帯って、結局何なんだ?」


 少女の右手に触れていた暴走体は、間違いなく絶命していた。だが、先ほど青年が包帯の上から触る分には問題無かった。少女は拘束具と呼んでいたが、実際はどういうことなのだろうか。


「えっと、アタシも詳しいことはよく分かんねーんだ。さっきも言ったけど、物心付いた時には、もう巻かれてて……あの頃は、アタシの腕の長さに全然あって無くって、余りまくってたなぁ……って、聞きたいのはそれじゃねーよな。とにかく、コイツのおかげで能力を抑えてるんだよ。刻まれてるのは、アタシのじゃなくて、誰かの術式なんだけど……」

「うん? 他人の術式を、君が扱えてるってことか?」


 本来術式は、自分に合ったモノしか扱えないはずである。だから、一人につき能力は一個までと決まっているのだ。


「あぁ、なんだかそういうことらしい……でもまぁ、本来アタシのじゃないから、こうやって右手の能力を抑えることしか出来ないんだけどな。それに、何時力が暴走するとも限らないから、絶対にアタシの右腕にに触れるんじゃねーぞ?」


 さっきみたいに、安易にな。そう付け足された。


「ちなみに、能力を抑えてるってことは、包帯をした状態で輝石を開放した場合、身体能力の方はどうなってるんだ?」

「んー、体感では、普段が十、包帯をはずした時に輝石を使うのを百だとするなら、巻いてる状態だと七十って感じかな」


 当社比三割減で、列車ではあれほど見事に立ち回ったと言う事である。多分、少女の言った数字に自分の数値をあてはめるならば、普段は二十、輝石を使って五十というところだろう、青年はそう思った。ちなみに普段は二十という自己申告は、男として普段の地力は少女に負けたくないという、ただのプライドである。


 しかし、本当に不思議な少女だ。片方は不完全と言えでも、二つの能力を扱えるとは。それこそそれが解明できたら、術式界にセンセーショナルが起こることは必須である――が、そんな考えはすぐに忘れてしまう事にした。それを究明すると言う事は、再び少女に人体実験を施すのと、ほぼ同義であるから。


 そして、ここまでは青年の単なる好奇心である。最後の質問は、自分も少女の役に何か立てるかもしれない、そんな淡い期待を抱いて口を開いた。


「あと一個、質問だ。もし良かったら、その施設に居た奴のことを教えてくれないか? もしかしたら、俺の知ってる奴もいるかもしれないしさ」

「んー……」


 話すべきか、ネイは少し悩んでいるようだった。


「まぁ、そうだな。正直、アタシはお前の言う通り口下手だから……やっぱり、一人で探すにも限界はあったしな。えぇっと、リサっていう子なんだけど、知ってるか?」


 わざわざ、と言ったのに青年はやや違和感を感じた。きっとこの少女は施設の中でも最年少の部類であっただろうし、何よりなんとなくだが、末っ子気質だと思ったからである。


「いや、すまん。知らないな……でも、どんな子なんだ?」

「なんていうか、アタシの妹分だった子でさ……そいつも、赤子の時にすでに術式が刻まれて生き残った子なんだけど、だからかな……お互いに、一番仲良しだったんだよ。綺麗なブロンドで、キラキラしてて、いっつもアタシの後ろをついてきて、甘えん坊でさ……」


 そう言うネイは、優しい笑顔を浮かべている。きっと、大切な、暖かい想い出なのだろう。


「そう、そいつはアタシと同じように、包帯を巻いてたよ。その子は、左腕だったけどな……と、こんなとこまで話しても仕様がねーよな? 他には、そうだな……ジーン、赤毛のジーンとか。そいつは外から連れてこられてきた奴で、アタシより年上で、みんなの良い姉貴分だった奴なんだ。施設の生活での気晴らしに、アタシ達に歌を教えてくれたりしてたんだ」

「ふーん、ジーン、ジーンね……」


 つい最近、似たような名前を聞いたばかりである。しかも、強力な能力者――だが、別人だろう。あの列車に居た賞金首は赤毛ではなく、光を反射する強烈な銀髪だったのだから。


「知ってるのか?」

「すまん、俺が知ってるのは、男のジーンだったよ」


 結局、青年は何の役にも立たなかった。


「そっか、残念……まぁ、地道に探すさ」


 この広大な大地を探すだなんて、随分骨の折れる作業だろう。確かに、強力な能力者であるならば、それが目印になる可能性もあるが、少女がポンチョの下に隠しているように、他の被験者達も普段は隠している可能性が高い。そうでなくとも、秘密裏に行われていた、それも人道に反するような実験をしていたわけである。もう、被験者たちはこの世には――最悪の場合だってあり得るのだ。


 色々と思考を巡らせていた青年の横で、ふと少女が歌を歌い始めた。きっと、先ほど姉貴分とやらに習った、という歌なのであろう。聞いたことの無い曲であったはずなのに、青年にはその旋律が、どこか懐かしいモノに感じられた。


 恵みの薄い、広大な荒野に、少女の優しい歌声が響く。それを聞いていて青年は、ある種のノスタルジーを感じた。二人の周りには、ただ空と大地が広がるだけなのに、そこに歌が加わることで、どうしようもない程懐かしく気持ちになった。まるで、ここが人の還るべき場所なのだと感じさせるほどに――。


 気がつけば、東の空から僅かに明りが射してきている。もうすぐ、夜は明けるのだ。


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