グレース・オークレイからの書簡


 ◆


 この手紙は、旧宗主国の下宿先からしたためております。お姉さまの方はお変わりありませんでしょうか? こちらは、常に蒸気と霧とに包まれ、今は秋も深まってきており、冬の到来に備えているところです。

 さて、何故このような遠い異国の地にたどり着いたかというと……それは、彼の提案でした。先に断りを入れておくと、今は元気にやっています。ただ、そこまでには紆余曲折ありましたので、それと含めて落ち着いた今、少し近況を報告したいと思っています。


 お姉さまたちと別れて後、私はまず、ロングコーストを目指しました。ハッキリと、その時は、彼が着いて来る事をウザッタイと思っていましたが、それでもどこまでも着いてくるので、私の邪魔をしないことを約束させ、とりあえず同行を許可させました。

 ロングコーストを目指した理由は単純で、マリアの娘に会おうと思ったからです。会って何を言うべきなのか、どうするべきなのかも思い浮ばないまま、それでも、きっと会えば何かが変わると信じて……年内にはロングコーストに辿りつきました。

 それで、結局私は、マリアの娘に会うことは出来ませんでした。正確には、遠目に見ただけで、竦んで動けなくなってしまいました。母の墓前に立つ、保護者と娘を見て……謝れば良いのかしら、いいえ、謝って済むなら、そんな単純な話はありません。それならば、仇を討たせるつもりで、あの子に銃を握らせれば良かったのかしら……でも、それもなんだか違う気がしたのです。

 マリアの娘の手を血に汚させてしまうのがイヤだった、それも少しあります。それでも、私は結局、我が身が可愛かったのです……貴女にさんざ、浅ましいだなんて言っておいて、一番浅ましいのは私だったんです。私は、あの子に撃たれるのが怖かったんです。もし私が逆の立場だったら、きっと私なら引き金を引くと思ったから。

 そう、私がロングコーストを目指したのは、なんとなしに、あの子に許してもらえると思ったから。ギャラルホルンを鎮圧するのに協力したのだから、多くの命を救ったのだから、許してもらえるんじゃないかって……でも、本当にあの子を見た時に、そんな考えは甘かったんじゃないかって、それで、竦んでしまって……私は逃げ去るように、ロングコーストを離れました。


 ただ、そんな私に対して、彼はこう言ったんです。「会わなくて正解だ」と。


「ハッキリ言うぞリサ。お前がしたことは、到底あの子に許されるものではない」

「……えぇ、分かってるわ」

「私は、お前の後ろを追いっている時に、ずっと考えていた……許すか許さないかは、結局は個人の主観に過ぎない。成程、もしかすると、実際にあの子に会えば、お前はベルに許されたのかもしれない。だが、そんなものは、自分にとって都合の良すぎる妄想に過ぎない」

「……えぇ、そうね」

「そして、それ以上に……あの子を見ただろう? 彼女は、すでに母の死を受け入れて、それでも生きていくと覚悟を決めているのだ。それならば、死神はすでにいないのだから……下手にその影を見せて、彼女やその保護者を動揺させることはない」


 その言葉を聴いて、私は半分救われ、それでも半分は断罪された気持ちになりました。もちろん、彼が悪いわけではなく、優しい言葉を掛けて欲しかったわけでもなく……それでも改めて、自分の罪というものを考えるようになりました。もしかすると、自分が受け入れるべき罰こそ、これだったのかもしれないと。永久に許されることがないという苦悩。もちろん、奪ったのは私、だからそれを背負う義務があると、今では思っています。それでも、年が明けてからの私は、何をすればいいのか、どうすればいいのか、まったく分からず……今度は困った迷子のように、ただ彼の後を着いて行きました。

 気がつけば国境を越え、南の国へ足を踏み入れていました。後から聞いた話だと、彼はより広い世界を見るために、そして私の罪の象徴である大陸から抜けることを、ロングコーストを離れてからすぐに思いついていたみたいです。私にもマリアの娘、それに私が命を奪った者の全ての親族たちと、一旦距離と時間を空けることが正解だと、彼は考えていたみたいです。


 そして今年の二月には、私たちは船に乗って、旧大陸を目指すことにしました。南国と大陸の門戸である国は、比較的出入国の審査がざるなので、船に乗り込むこともそう難しくはありませんでした。

 航海のうち、私は多くの時間、海を眺めていました。青空の下、曇天の下、茜色の空の下、夜空の下……空は色々な空の色をその身に受けて輝き、波の音は考え事をするには、丁度よかったから。でも、考えは、どうすればやり直すことが出来るのか、むしろこれは逃避行で、自分の責任から逃れているのに過ぎないのではないか……気分の良い時にはもう少し明るいことも考えていましたけれど、多くの時間を考える時間に当てていました。

 でも、やはり意外なところから答えというものは出るのかもしれませんね。一人だと思考の迷路に彷徨っていても、他人がふと、壁を壊してくれることもるのでしょう。ある日、甲板で海を見つめる私の隣に、彼がいつもの仏頂面で語りかけてきました。


「お前の思考の論点は、許されるという一点に集約されている。だから、負の連鎖に絡め取られてしまうのではないか? やり直すということの本質は、きっとそこではない。壊れてしまったものは、もう元には戻らないのだからな……私が別の国へ行こうと言ったのは、新しい場所で、まず自分に出来ることを、改めて見つめなおして欲しかったからだ」

「……でも、それは自分の罪から、逃げることになるのではないの?」

「そうかもしれん。だが、言ったように、許すか許さないかは、個人の主観の問題だ。質の問題は、解決が難しい。それならば、まず量で贖いをしてみたらどうだ? お前が百の命を奪ったのなら、今度は千を救う気で頑張ればいい。それならば、私も協力しよう」

「……別の誰かを救った気になって、救われた気になって、それでいいのかしら?」

「良いか悪いか判断するのはお前とその被害者だ。私が決めることではない」

「何よ、それ、言ったことには責任を持ちなさいよ」

「勿論、持つつもりだ……少なくとも、私はお前の努力を見守り、支えるつもりなのだからな」


 そう言われた時、なんだか爽やかな海風が通り抜けたような気がしました。私が許されない存在だとしても、私のことを見放さないでくれる存在が居ることに気づいて……お姉さまももしかしたら、こんな気持ちだったのかもしれませんね。


「……ねぇ、私は、きっと自分のことを、永久に許しては駄目なんだと思うわ」

「あぁ、そうかもしれないな……しかし、世界の果てでは、許されざる者すら許された。お前がお前自身を許さずとも、お前のことを許さない相手が居たとしても、一方でお前のことを必要とする人が居るように、歩んでいけば良いんだ」

「えぇ、そうね……ところで貴方、マクシミリアン・ヴァン・グラントで良いのよね?」


 私がそう聞いたときの彼の顔、お姉さまにも見て欲しいくらい間抜けでした。もしかすると私が普段から冷たすぎて、本当に名前がうろ覚えなのではないかと、心配になったのかもしれませんね。


「あぁ、その通りだが……」

「それで、皆は貴方を、グラント、ないしヴァンと呼んでいた。つまり、誰も貴方のことを、ちゃんと名前で呼んでなかったのよね?」

「そうだな……父やそのともがらは、私をマックスと呼んでいた」

「そう。それなら、私は貴方を今度からマクシミリアンって呼ぶわ」


 私がそう言った後、彼は相変わらず腕を組んだままで、でもまず驚いて、それから嬉しそうに笑ってくれました。だって、誰も彼のことを、ちゃんと名前で呼んでいなかったんですもの。そう考えたら、きっとマクシミリアンも喜んでくれたんだと思います。


「……私は、お前をなんと呼べばよい?」

「好きに呼べば、と言いたい所なのだけれど……そうね、私が何かを見つけるまでは、グレースって呼んでくれないかしら? 自分で考えた名だけれども、結構気に入っていたのよね。勿論、過去を捨てるわけではないわ。貴方の言うとおり、新しい自分を見つけるため……これからをやり直すために、少し気分を変えたいだけ。それに、私の過去も、本当の名も、貴方が覚えていてくれれば、それでいいから」

「承知した、グレース。だが、まさかまたあの小芝居をするつもりなのではあるまいな?」

「ふふ、それも悪くないけれど……貴方の前では止めておくことにするわ。かまととぶって猫被るのもイヤではないのだけれど、私と貴方の関係じゃ、もう違和感しかないでしょうから」

「あぁ、そうしてくれ」

 

 それから、二月中には旧大陸の西端にたどり着き、その後は更に、旧宗主国を目指すことにしました。理由もマクシミリアンが決めてくれたのですが、言語が一緒だから生活しやすいというのが一点。そしてもう一つが、旧大陸と新大陸を繋いでいた暗部を暴くつもり、だからだそうです。

 確かに国民戦争の時、十年にも及ぶ内戦に、旧大陸を干渉させなかった勢力がある。つまり、この度の新大陸における一連の騒動に、協力していた者共が、旧宗主国を中心に存在しているはず、とのことです。私自身は彼ほどの危機感を覚えているわけでは有りませんが、確かにそういった勢力が存在する可能性は、大いに考えられます。父が亡き今、詳細を知るものは少ないかもしれませんが……今度、スコットビルにも確認を取ってみるつもりです。


 ともかく、そんなこんなで、私達も春先には旧宗主国にたどり着き、霧の都で下宿を始めました。当面は生活を安定させるため、安い賃貸を借りて、彼も私も働きに出ています。昔取った何とやらで、私はとある小さな劇場で、女優をやらせてもらってます。幸い、演技はそこそこ得意なので……でも、主演はいつも断っています。理由は色々とあって、私はあまり、正面でスポットライト浴びるべきではないと言うのが一点、それに、私の先輩なんですけれど、年下で頑張っている子が居るんです。実際、歌も踊りもまだまだなんですけれど、いつも一生懸命で、輝いているので……こういう子を支えられるのも、一つ誰かを護ることになるのかな、なんて思いながら、その子のレッスンに日々付き合っています。

 何にしても、私も小さなことで人に対してイライラすることも無くなりました。多分、私自身に余裕が出てきたのだと思います。何をしても見捨てない人が居てくれると言うのは、本当に素晴らしいことで……ただ、その当人があまりにも鈍いので、彼にだけは多少イライラしてしまうのは内緒です。というより、私がイライラしていても気づかないことの方が多いですし、気づいたとしても困った顔をされるので、私のほうまで困ってしまうと言うか……とにかく、そんな感じです。

 それで、その肝心の彼の方は運転には自信があるらしいので、昼は御者として働いています。それで、夜は読書や情報収集をしています。ただ、あまり建設的な情報は集まっていないようで……それでも、旧宗主国で閲覧できる図書は多いので、日々勉強にはなっているようです。焦る事はせず、とりあえずは目の前のことを精一杯やろう、ということで落ち着いています。


 それで半年間経って、ようやっと腰も落ち着けましたし、改めて近況を報告しようと、こうやって筆を取った次第です。多分、すぐには返事をいただけないと思うのですけれど、しばらくはこの下宿先に居ますので、お姉さまも落ち着き次第、お手紙を書いていただけるとありがたいです。

 霧の都は、少々雨こそ多いですが、西風のおかげで、高緯度の割には過ごしやすいです。それでも都の西の果ての下宿は壁が薄く、暖炉も用意できないので、すでに少々寒いのですが……それでも、今までの暮らしの中で一番、心が暖かいのは事実です。もちろん、自分の罪を忘れたわけではありません。それでも、自分の罪を許してくれる人が居るから、私は今も絶望せず、元気にやれています。それに、私達の次の世代を見守ること、何かあったときには、誰かの手を取れるように、頑張って生きたいと思っています。


 それで、返信をいただきたいのは、是非お姉さまから助言を頂きたいからでして……ついでに、ネッド・アークライトからもいただければと思っています。

 マクシミリアンは、私のことを憎からずには想ってくれていると思うのですが、朴念仁と言うか……そう、仲が発展しないのです。えぇ、これを書いていて、なんだかムシャクシャしてきました。そう、彼には勿論感謝の気持ちの方が余程大きいのですが、だからこそでしょうか、なかなかこちらの気持ちも分かってくれないので、正直やきもきします。

 でも、このもどかしさも、どことなく心地よいのは確かです。それでも、やっぱりもう少し分かり合いたいな、と想っています。私自身、幸せになる権利は無いのかもしれませんが……それでも、支えてくれるって言ったのだから、彼にも責任を取る義務があると、そう思いませんか?


 ともかく、私とマクシミリアンのことは置いておくにしても、お姉さまの近況を知りたいのも確かです。今の私なら、少しはお姉さまに顔向けも出来ると思いますので……何かありましたら連絡を下されば、すぐに貴女の下に駆けつけます。きっと次にお会いするときには、めでたい日になると思うのですが……それとも、この手紙が届く頃には、すでに式も終わっているかもしれませんね? それならそれで、少し残念ですが、それでも後々お祝いしたいと思います。


 なんだか最後は取りとめも無く書き散らしてしまいましたが、お返事、待っていますね。


 それでは、遠い空の下から、お姉さまとヒモ男の幸運をお祈りしています。


 グレース・オークレイより

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