とある西部の街にて
外から聞こえる物音に青年は目を覚ますと、すでに時計の短針は八時を指していた。少し寝坊したか――三月も末、すでに陽気も穏やかになってきており、窓から差す明かりが、部屋全体を暖かく照らし出していた。こんな生活もすでに半年ほど続いているから、青年も慣れたもので、ベッドから一人起き上がり、棚から適当なシャツを出して羽織り、換気の為に彼女が開けていたのだろう、僅かに開いている窓を閉じて、青年は部屋を後にした。
階段を降りていくと、楽しげな鼻歌が聞こえてきた。向こうもこちらが起きたことには気づいたのか歌を止め、青年がダイニングに入ると、スカート姿で女性が、くるり、と裾と三つ編みを翻しながら振り返った。
「おはよう、ネッド」
「あぁ、おはよう、ネイ」
正面から改めてネイを見ると、品の良いケープに白いブラウス、腰に黒いコルセットを巻いており、とても女らしくまとまった着こなしになっていた。髪は以前のように長い髪は幾分か切り、今は緩く締めた三つ編みを、正面で胸の辺りに流している。ここまで来る間、色々な髪型を試していたのだが、結局今の形に落ち着いたのは、あまり長すぎると家事や作業がしにくいから、とのことだった。ともかくどれも似合っていたのだが、なんやかんやで今のが一番、彼女には似合っている――悪く言えば所帯じみたと言えるかもしれないが、良く言えば大人っぽくなったネイに、似合っていると思ったから。
「な、何? そんなじっと見て……」
「いやぁ、今日も可愛いなと思ってさ」
「あはは、もうちょっと捻ってくれないと、面白くないぞ?」
面白くない、といっている割には、ネイは嬉しそうにはにかんでいた。しかし、確かに可愛いという言葉には、青年もなんだか違和感があったので、一つ思案を巡らせて、より適切な解をたたき出すことにした。
「そうだな、可愛いってのとはちょっと違うか……うん、綺麗だよ」
率直な感想だったのだが、存外効いたらしい、ネイは頬を赤くして、ぷい、とそっぽ向いてしまう。
「ば、馬鹿、そんな真顔で言われたら、その、恥ずかしいって言うか……もう、朝から馬鹿なんだから」
短い中で二回も馬鹿と言われ、青年は気持ちが良くなった。青年は馬鹿は褒め言葉だと思っているし、何より彼女の使う馬鹿は可愛いので、とにかくもう朝から満足だった。
「って、ネッド、今日はそんな黒着てちゃ駄目だろ?」
青年はネイの言うことの真意を一瞬分かりかねて、相手の言わんとするところを理解しようと試みた。少しして答えが分かり、青年はわざとらしく左の手のひらに右の拳を上から打ちつけた。
「あぁ、そう言えば、今日はそういう日だったな」
「そうそう、そういう日なんだから。さ、着替えて着替えて」
「いや、せっかくだ、日課を終わらせてからにするよ」
「ん、分かった。日課が終わったらご飯にしよう」
「了解だ。それじゃ、行ってくる」
青年はそのまま勝手口から外に出て、外の冷たい空気を一身に浴び、裏庭で日課の演舞を始めた。演舞を続けている理由は二つ、一つはヴァンの奴に「次は負けん」といわれて、素直に勝たせるのも癪なので、最低限の鍛錬は続けようという理由。もう一つは、師匠との想い出を忘れないためだった。
体を動かし終わり、体もあったまってきたところで、青年は今度は裏庭のど真ん中で胡坐をかき、気を練り始めた。意識を集中させる前に、辺りに一度視線を送る――裏庭といっても荷物置きになっているこの場所は、多少動き回るのには不自由はしないが、定住をしたことの無い二人が「あれも必要、これも必要」と買い込んだ物や薪などが、簡易な屋根の下からはみ出して散乱しているところだった。そのうち整理しないとな、青年はそう思いながら、草を
とは言っても、今日は二人にとって新たな門出の日でもあるため、ついついあれもこれもと考えてしまう――ここストーンリバーは西部の玄関口辺り、比較的人の行き来も多い場所に、青年とネイは住居を構えることにした。そもそも、ギャラルホルンを鎮圧して後、リサとヴァンと別れてから、一行は一度ジェニーの進言通りにイーストシティに向かい、一連の騒動の解決に努めた。とは言っても、事実上スコットビルがほとんどの手続きはしてくれた上、晴れて指名手配も冤罪ということで解消された。その際、特に面々はギャラルホルン鎮圧に協力したことは、わざわざ公表しないでおいた。もちろん、青年は正義の味方でもなければ悪漢でもないので、変に注目されるのも嫌だったのは確かなのだが、進言したのは意外や意外、ジェニファーだった。曰く「JFKは一夜限り」だそうで、一番注目されたかなったのは彼女だったのかもしれない。ワイルドバンチの一行は『大統領暗殺の濡れ衣を着せられた』という建前で処理された。元々は陸軍の作戦を邪魔して指名手配されていたのだが、人の噂は七十五日とは言ったもので、大統領暗殺のインパクトの前にうやむやにされて、人々の記憶から色あせていってくれたらしかった。
しかし、なかなか皮肉が利いていたのは、先の一件での謝礼金ということで、各々に掛けられていた懸賞金と同額が、生き残ったメンバーに支給されたことだった。ブッカーの分はジェニーが、ヴァンの分はクーが、ブラウン博士の分はポワカが受け取っており、青年とネイは本当に百万ボルが支給されたのである。
百万ボルもあれば、慎ましく生活する分には、すでに一生働かなくても良い分だけの蓄えが、ほとんどできたことになる。しかし、今後物価が上がる恐れもあるし、何かその資金で商売でも始めたらどうか、というのがスコットビルからのアドバイスだった。確かにその通りだとも思ったし、何より青年自身、ネイと語った夢を実現するため、今日まであれこれ準備を進めてきたのであった。
住む場所をここ、ストーンリバーに決めたのは理由は三つあった。一つは、青年もネイも西部が長かったため、住むには西部が性に合っていたこと。もう一つは、ここが比較的流通に便利であるが、かといって都会過ぎずに住みやすそうだったから。もう一つは――。
「……ネッド! ごはんできたよ!」
思考の途中で勝手口が開き、ネイが扉から顔をひょこ、と出してきた。
「あぁ、今行くよ」
青年は笑顔を返し、少女が開けてくれている扉から、中に戻ることにした。
朝食の前に白いボタンシャツに着替えて、青年はダイニングテーブルの定位置に腰掛けた。目の前にはネイの作ったスープに、簡単なサラダ、目玉焼きの乗ったパンと、湯気の立つコーヒーカップが置かれていた。これも結構見慣れた光景なのだが、青年は机の上に、普段は無い異物に気づいた。
「ふふふ……気づいてしまいましたか」
ネイが対面で、顎を組んだ両手の上に乗せ、何故だか不敵な笑みを浮かべていた。
「いや、こんな自己主張の強い、分厚い封筒があれば、誰だって気づくさ」
青年は左手でカップを取って、一口コーヒーを舌で転がしながら、右手での厚手の封筒を手にとって見た。郵便はイーストシティから、差出人は、ジェニファー・F・キングスフィールド、そう書かれていた。
「……成程、そう言えばこの前、こっちから手紙を送ったんだったっけか」
「そうそう、アタシ達、ずっと住所不定だったからさ。色々落ち着いて、連絡できるようにって、送ったのが一ヶ月前」
そこで切って、ネイは青年の後ろに掛けられている時計を指差した。
「今が八時二十分、開店は十時からの予定だから、ご飯を食べてからでも読む時間は十分にあるでしょ?」
「あぁ、そうだな……って、準備はもう済んでるんだっけ?」
「アタシが早起きして、準備しておいたよ!」
そう言いながらネイは、対面で胸を突き出してえっへん、とポーズを取った。やっぱり可愛い、青年はそう思った。出会った当初のつんけんした感じも可愛かったが、今のように女らしいのもイイ、どっちも捨てがたいが、それでも自分と一緒に居て、彼女自身がこうなる道を選んだのだから、やはり今の彼女を尊重するべきだろう。
「悪いね、埋め合わせはするからさ」
「うぅん、いいんだよ。ネッドも遅くまで準備してたし……ともかく、冷める前に食べちゃおう?」
「そうだな。そうしようか」
青年は促されるまま、スプーンを取ってスープを口に運んだ。舌一杯に、いつかの日に西海岸で味わった懐かしい味が広がった。
「うん、美味しいよ」
「本当にぃ? ネッド、なんでも美味しいって言うからなぁ」
「なんでも美味しく食べられる、幸せな星の下に生まれてきたんだよ、俺は」
「はぁ、まったく適当なんだから……」
「あんまりなんでも真剣に悩みすぎるよりいいだろ?」
「あはは、ネッドが言っても、あんまり説得力がないよ、それ」
少女は自分の皿に一口手をつけてから――以前と比べて、お上品に食べるようになった気もする――再び顔を上げた。
「でも、やっぱり色々意見は欲しいよ。駄目なら駄目で、ちゃんと良くしていこうって気はあるんだから」
「うーん、そうだなぁ。それじゃあ、改善点がある時には、ちゃんと言うよ。でも、このスープは、マリアさんのだろう? だから、これはきっと、このままでいいんだ」
「ん、そうだね」
そこからは他愛もない、あまり意味などない雑談を続け、二人は料理を片した。
食後、青年は先に店の方に移動して、カウンターの奥で帳簿の確認をしていた。ページをめくる音に、ガラス窓の向こうから聞こえる雑踏、食器が重なる音が混じり――生活音が、やっと腰を落ち着け、根を下ろしたんだという事実を証明しているようで、なんだか心地よかった。少しして、後片付けを終えたネイが、封筒を持って、青年の座るカウンターの前に立った。
「てんちょーさん、調子はどう?」
「あぁ、問題ないよ」
そもそも、最終チェックというか、ネイが来るまでの暇つぶしに眺めていただけなのだ、青年は帳簿をパタン、と閉めて、改めて三つ編みの女性の方に向き直った。
「それじゃあ、手紙を読み上げてくださいますか、店員さん」
「それは構いませんが、てんちょーさん、折角なのでそこで読みませんか?」
わざわざ敬語を使って、ネイは店の隅に置いてあるソファーの方を指差した。店内は服だけでなく、色々な雑貨が取り揃えられている。あれもコレも手を出すのは危険も承知だったのだが、何せ西部はそこまで服にこだわりを持つ人もいないだろうし、人の行き来が多い場所であるならば、とりあえず雑貨で人を呼び込み、段々と本職に切り替えていくという算段だった。ソファーは、オーダーメイドを受けるときの相談用に設置していたのだが、確かにリラックスして聞くのも悪くない、青年はカウンター側から出て、ソファーに腰掛けた。
「それじゃ、アタシも」
ネイはそう言うと、対面ではなく、青年の隣に腰掛け、封筒を破らないように丁寧に、その封を開けていた。
「対面の方が広く座れるんじゃないかい?」
「ちっちっち……分かってないなぁ、ネッド」
ネイは一旦封筒を、目の前に長机にゆっくりと置き、指を振って不敵な表情を浮かべた。
「お店を開けてさ」
「うん」
「あんまりイチャイチャしてたら、お客さんの機嫌を損ねるかもしれない」
「成程、確かにその通りだ」
「そう、ちゃんと場をわきまえないといけない。だから、今のうちに甘えておこうと思って」
「いい考えだな」
ネイの言うことに納得して、青年は近くにある柔らかい黒髪を撫でた。割と毎日撫でている気もするのだが、飽きもしないし、何よりネイの方も飽きもせずに喜んでくれるから、撫で甲斐もあるというものだった。案の定、ネイは嬉しそうに小さくはにかんで、そしてそのまま前にある封から便箋の束を取り出した。
「……あれ? もう一個、封筒が入ってる……」
ネイは封筒の中から出てきた別の封筒を裏返しにして、差出人の名前を確認して、そして表情をまた一段と輝かせた。
「うん? 誰からの手紙なんだい?」
青年が身を乗り出して封筒に書かれているサインを見ようとすると、ネイはぱ、と封筒を胸元に引き寄せて、青年に見えなくしてしまった。
「えっへっへー! 秘密! 大丈夫、後でちゃんとこっちも読むから!」
「はは、分かった、それじゃあ後で頼むよ」
ネイが見て喜ぶ名前というのならば、青年は誰からの手紙であったのかもなんとなく察しがついていた。しかし、わざわざそれを言い当てて、ネイの高揚を冷ますことももあるまい、青年はネイの言い分に乗ることにした。
「うん! それじゃあ、ジェニーからの手紙を読むね……あ、難しい言葉とかあったら」
確かに、あの女はネイにあまり馴染みの無い言葉を使いそうだ。ネイは読み書きできるといっても、それは日常生活に支障の無いレベルであって――もちろん、学校教育を受けていないことを鑑みれば、素晴らしいことなのだが――ジェニーの言語レベルとは、また違うのも確かだった。一方青年は、十になるまでは普通に学校に行っていたし、何より師匠には色々と叩き込まれたから、専門書などで無い限りには読むのには支障のないくらいに学はある。
「大丈夫、その時は俺が読むよ」
「うん、よろしく!」
ネイは笑顔で頷き、何枚も束になっている便箋の一番上に視線を落としていた。
「えぇっと……この手紙が届く頃には、春もた……たけ……?」
「たけなわ」
「た、たけなわ、お二人はますます、そ、そ……?」
「壮健」
「そ、そうけんのことと思います……多分……」
そこで一旦ネイは読むのを止め、一瞬呆気に取られたような顔をして後、今度は不満そうな顔をして、しかしすぐに小さく笑って、青年の方に向き直った。
「…………多分、この手紙はネイさんが読み上げると思いますので、意地悪はここまで、普段どおりの言葉遣いで、近況等を書き綴ることにします……だって」
「あはは、相変わらずみたいだな」
「まったく! でも、これだけでらしさを出してくるんだから、ジェニーは流石だよ」
ネイはそう言いながら、再び重ねられている便箋に視線を落とし、声を上げて文字を読み始めた。
「えっと、『二人とも元気にお過ごしでしょうか。念願のお店を立てられたということで』……」
ネイの声に、なんだか懐かしいジェニーの声が重なるような感じがして――もう一年以上、アイツの声を聞いていないのに――その声は明瞭に、青年の耳に聞こえ始めた。
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