27-7


 ◆


 ギャラルホルンからブラックノアで引き上げ、一行は東海岸の、ほどよく街から離れた地点で羽を休めていた。東の水平線が徐々に明るくなってきており、青年はバタバタとしている一同を背に、なんとなく海を眺めていた。


「……ほら、ネッド、そんな所でボケッと口を開けてないでさ」

「ん、あぁ、そうだな」


 少女に横から肩を叩かれ青年も立ち上がり、集まっている一行の方へ青年は歩いて行った。多くのものは疲労で座り込んでいるが、ジェニーは中心で凛と立っていた。


「……揃いましたね。それでは、これからのことについて軽く方針をまとめましょう。とりあえず、ブラックノアはここに置いて、海軍に回収してもらいましょう」


 女の意見に、青年は頷いた。


「あぁ、そうだな。変に俺らが乗り回してたら、それこそ本当に国の脅威になっちまうかもだしな」

「それで、我々は一旦、全員でイーストシティへ向かいます。スコットビルに今回の一件を全て釈明してもらい、我々の無実の罪を晴らしましょう」

「あぁ、任せてくれたまえ」


 少し離れたところで石の上に座って、火のついていないパイプを右手の上で転がしながら、シーザー・スコットビルは頷いた。


「その後の身の振り方は、その後に決めましょう……異論のある方はいらっしゃいますか?」

「……なぁ、異論があるのとちょっと違うんだけどさ」


 その声は、青年の隣から上がった。見ると、声と同様控えめな調子で、少女が手を上げていた。


「皆でイーストシティに行くとして、その……リサは、どうなるんだ?」

「それは……」


 ジェニーは手を口元にあて、難しい顔をしながら視線を逸らしてしまった。代わりにヴァンが立ち上がり、腕を組みながら首を振った。


「罪を犯したものは、正しき法の元で裁かれなければならない」

「お、おいグラント、お前それでいいのか? だって……」


 そう、アイツはリサの為に、ここまで奮戦してきたのだから――以前ヴァンが言っていたように、幼少の頃から人体実験を行われた被害者の面もあり、未成年であり、更にイーストシティを守り抜いた立役者でもあるのだから、情状酌量の大いにあるだろう。それでも、リサが全ての罪を認めてしまえば――そう、大統領暗殺の本人はリサであり、それを上気の事由で全てチャラにするのは難しいだろう。順当にいっても無期懲役、最悪の場合は死罪もあり得る――それを分かっているからこそ、ジェニーは黙り込んでしまったのであり、少女も不安に想っているのに違いなかった。

 そして、当の本人はそれを受け入れているのか、半ば諦めたような微笑を浮かべて、リサは小さくかぶりを振った。


「……いいのよ、お姉さま。それが筋なら、私は……」

「でも、でも……」


 でも、の後に何を続けるべきか、姉は上手い言葉が出てこなかったらしい。そこで青年は一度思考を巡らし――果たして、リサがどうするべきなのか、客観的な意見を――いいや、それよりも今は主観で良いか、青年はブロンドの乙女に声を掛けた。


「なぁ、リサ、今この場でお前を取り押さえられる奴はいない。俺のアンフォーギブンの力はもう無いし、ネイは大佐たちの助力も無い。スコットビルはその、一応左手を失ってるしな。それでスピード勝負で言えば、ヴァンやクーにだって負けないだろう?」

「はぁ? 貴方、何を言っているの?」

「俺個人の意見を言えばさ、そりゃ、お前はマリアさんを殺した上に、俺だって相当痛い目を見させられたわけだから、無罪放免っていうのは違うと思うんだけど……でも、お前が俺を一度殺してくれたから、俺は魂の荒野を渡って師匠ともやり合えたわけだし、それでお前がルールを壊してくれたおかげで、今こうやって俺はピンピンしてる訳だし、何よりもギャラルホルンの破壊だって、お前が居なかったら出来たかどうかも怪しい……そう思えば、個人的にはさ、被った損よりもらったもんのほうが大きいんだよ」


 青年がそこまでまくし立てると、今度はジェニーが一つ咳払いをし、みんなの注目を集めた。


「まぁ、そもそも黙示録の祈士という存在は、表ざたになっていたわけではありませんし……スコットビル?」


 疑問を投げかけられた紳士は、石の上で上品に足を組みながら、女の質問に応える。


「三百人委員会、とは言ってももはや二百人委員会だが、リサ・K・ヘブンズステアはギャラルホルンで命を落とした……そう報告すれば済むだけの話だ。何より、君の体を使って、ブランフォードが三百人委員会を壊滅させたからね……バカ正直に出頭したら、それこそ罪を償うまもなく、歴史の闇に葬られてしまうだろう」

「それは……」


 スコットビルは言葉の最後で、リサとヴァンの方を流し目で見ていた。二人はイーストシティに行き、正しい法の下でなら、罪も贖われる、そしてその結果が死罪であるのならば、と考えていたのだろう。だが、何の裁きも無く、ただ消されてしまうと言うのでは話が違うと――だが、まだ二人は決心が付いていないようで、ただ黙って地面を眺めていた。

 沈む二人に対して、スコットビルは大きくため息を吐き、しかし立ち上がって、柔らかい笑顔で近づいていった。


「マクシミリアン・ヴァン・グラント、それにリサ・K・ヘブンズステア、同じ元祈士として、君達二人に忠告だ。法が常に正しいとは限らない。秩序とは万人の為にあるべきものだが、それが常に誠実かつ公正に振るわれるとは限らないのだ。もちろん、本来ならば罪とは、然るべき場所で清算するのが常道だろう。しかし、君は特例だ……そもそも、スプリングフィールド修道院、それに黙示録の祈士、三百人委員会、その全てが超法規的な存在として生まれた、この国の暗部なのだからな」


 そこでスコットビルは、羽織っているだけのフォーマルの背中を二人に向けた。


「若い二人は、もう少し世界を見て回った方が良い。世界は白か黒かでは割り切れないということを知るためにな」


 そこまで言って、スコットビルは再び石の上に腰を下ろした。リサは一瞬、困ったような表情を浮かべたが、大人の意見に少しは納得がいったのか、微笑を浮かべて頷いて、改めて姉の方へと向き直った。


「……お姉さま、私は、貴女と共には行けないわ。私の手は、血で汚れてしまっているし……そう、マリアが言ったように、私は私で考えて、罪を贖っていかなければならないと思うから」

「リサ……」

「大丈夫、約束する。私は、もう誰かを傷つけたりしない……いえ、もちろん生きていれば、無意識に人を傷つけてしまうこともあるでしょうけれど、もう誰かの未来を奪うようなことは決してしない……貴女と神に誓うわ」


 そう言えば、スプリングフィールドの被験者達は、約束する時に神に誓う慣わしだったはず――誓うべき神は、彼女達が思っていたものと違っても、昔の慣わしに妹の決意を感じ取ったのだろう、しかしまだ寂しさからか、少女はどことなく煮え切らない表情をしていた。


「そんな顔をしないで、お姉さま……それじゃあ、もう一つ約束。もし私が、何か新しいものを見つけられたら……貴女に胸を張って会えると思えたら、絶対に会いに行く。だから……」


 リサは東から昇る太陽に横顔と髪を煌かせながら、姉の利き手に合わせて右手の小指を出した。


「これは、今生の別れではないわ。何が自分に出来るのか、考えるために行くだけだから……今はただ、静かに見送って頂戴?」

「リサ……分かった」


 ネイも微笑みながらミサンガの付いた腕を上げ、二人の少女の細い小指が絡み合った。


「約束だよ。きっとまた、会いに来てね? 破ったら、ハリセンボンなんだから」

「えぇ、約束……破ったら万本でも億本でも、好きなだけ詰め込んでください」


 東から昇る陽を背景に、姉妹の小指が紡がれ、そして離れ――二人の姉妹は名残惜しそうに互いを見詰め合って、そして離れた。その後、リサは一行から離れ、日を受けながら深々と頭を垂れた。


「……他の方々も、私が今、この場に立っていられるのは、皆さんがお姉さまを支えてきてくださったおかげです……もちろん、今の私がこんなことを言う権利は無いのかもしれませんが……それでも、ありがとうございました」


 頭を上げて微笑むリサの顔は、グレース・オークレイを扮していた時とも比べ物にならないほど自然で、美しい笑顔をしていた。そして、金の髪を翻し、乙女は一歩、また一歩と、陽の指す方向へと向かって歩き出した。

 そして、その後姿を腕を組んで見つめている旧友に対して、青年は声を掛けることにした。


「おい、ヴァン、いいのか?」

「……私は、この国の為に、やらねばならないことが……」


 そう言う男は、辛そうな顔をしていて――まったく、コイツは分かっていないな、青年はそう思った。しかし、ヴァン自身、護りたいものがたくさんあり、そして全てを背負う覚悟で戦って来たのも、青年は承知していた。だから、どうしようか――悩んでいるうちに、冬空の下に乾いた音が響いた。それは、クー・リンが、ヴァンの頬を叩いた音だった。


「……クー?」

「女の子一人護れないような奴が、国を護るとかちゃんちゃらオカシイと思わないですか?」


 青年が言いたかったことを、クーが端的に言ってくれた。しかし、クーにとっては最後のチャンスだっただろうに――ここまで気を使ったのか、しかしそのようには青年には見えなかった。むしろ、言いたいことを言ってやった、最後の最後に本心を見せた、そちらの方が正しかっただろう。

 そして、本気の想いだからこそ、唐変木のヴァンにも届いたの違いない、最初こそ呆気にとられていたものの、次第に相手の意図を理解し、そして自分が何をすべきなのか理解し、ヴァンは左頬を義手で押さえながらも、目に力を取り戻した。


「そうだな……ありがとう、クー。お前の言う通りだ」


 そう言ってヴァンも一行を離れ、程よい距離の場所で振り返った。


「私は、リサ・K・ヘブンズステアの後を追う。そして……今しばらく、世界を見て、見識を広げようと思う。皆、世話になったな」


 男の別れの挨拶に、まずはポワカが跳ねて挨拶をした。


「グラントの料理、美味かったですよ!」

「あぁ、お前と共に過ごした時間は、短くとも楽しかった……ありがとう、ポワカ」


 ポワカに対して笑顔を返し、男は今度はジェニーのほうに向き直った。


「ジェニファー、お前の演説、素晴らしいものだった。いつかの日に、この国の為に、お前とは手を取り合う日も来るだろう」

「お褒めに預かり恐縮ですわ、マクシミリアン・ヴァン・グラント。その日には、是非よしなに」


 ジェニーは右手で相手を指差しながら、ウィンクを返していた。それに対して真顔で頷き返した後、今度は青年の方に向き直った。


「ネッド……次に会うときは、負けんぞ?」

「いや、そこは俺の勝ち越しで終わりにしようぜ?」


 今のはほぼ脊髄反射で出た返答だった。多分、アイツも自分に負けて悔しかったのだろうが、ヴァンに勝ったのはそもそも反則技を使ったからなのであって、ギャラルホルンの電波塔を中央から破壊するような人外ともう一度やりあって勝てるわけが無い、もう絶対やり合いたくない、それが青年の偽らざる本心だった。

 だが、そんな心はいざ知らず、ヴァンはシニカルに笑った後、今度は青年の隣に居る少女に声を掛けた。


「ネイ、ネッドを頼む。何せ、こんな奴だからな」

「あぁ、こんな奴だからなぁ。任せておけって」


 なんだか二人は青年のあずかり知らぬところで分かり合って、何が面白いのか笑いあっていた。

 そして最後に、ヴァンは一行の正面に立つ東洋人の部下に向き直って、やはり腕を組んだまま、微笑を浮かべた。


「……クー、もう一度、ありがとう。お前には苦労ばかりかけ……いや、何も言うまい」

「そうそう、態度で返してくれればイイアルよ」


 かつての上司と部下は、此処に来て初めて対等になったのだろう、お互いに柔らかい笑みを浮かべ、頷きあっていた。


「それでは改めて……ワイルドバンチの一員として、貴君等の未来に幸多からんことを祈っている」


 金髪の美男子は敬礼を解き、リサの背中を追い出した。その背中に向かって、ポワカが両手を頬に乗せて、息を吸い込んでから大きく叫んだ。


「また会いに来て下さいよー!!」


 その言葉に、男は右手を掲げることで応え、そこからは徐々に早歩きになっていき――そう言えば、既にリサの背中は見えないから、内心ちょっと焦っているのかもしれない――ヴァンは走り出しそのまま背中が見えなくなっていった。


 そして男の背中が見えなくなるのと同時に、ジェニーが再び一同の音頭を取り始めた。


「……さて、細かいことは色々とありますが、まずはイーストシティに向かいましょうか」

「そーですね、ボク、へとへとですよぉ……」

「ふふ、ですよね……まずは、美味しいものでも食べて、それから泥のように眠りましょうか。細かいことは……」


 ジェニーが後ろを振り向くと、ロマンスグレーの紳士が頷き返した。


「あぁ、任せてくれたまえ」

「無駄に強い資本家がああ言ってくれてますから、私たちは二日、三日はノンビリさせてもらいましょう」


 無駄に強い資本家、確かにと少し笑ってしまったが、確かにアイツなら、このイザコザの後でも元気に処理に動き回ってくれそうだ、青年はそう思った。

 ともかく、後はジェームズが作ってくれた車に乗って凱旋するだけ、運転手はヴァンとジェームズの部下達がそれぞれやってくれるから、青年はVIP待遇で後部座席にふんぞり返っていればいいだけだった。


「……ふぁ」


 走り始めた車の座席、隣に座る少女が、やはり疲れもたまっていたのだろう、可愛くあくびをしていた。


「寝るかい?」

「うん、そーしようかな……」


 なにやら口元をむにゃむにゃとさせながら、少女は小さくそう言った。しかし、何か思いついたのか、少女ははっ、とした表情で青年に向き直ってきた。


「ネッドも、寝る?」

「あぁ、そうだなぁ……久々に、良く寝れそうだ」

「ふふ、そーだよね……やっと安心して、寝られるんだもんね」


 少女はそこで言葉を切って、青年の左手をその右手で取って、顔の高さまで持ってきて優しく笑った。改めて見るネイの顔は、一年前にあった時よりも、どこか大人びていた。


「それじゃ、お休み、ネッド」

「あぁ、お休み、ネイ」


 青年は少女の手の暖かさに安心し――そうだ、人の手は、暖かいんだったな――改めてそう想い、眠りにつくことにした。

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