25-7


 ◆


「ふっ!」


 クー・リンがブラックノアの船体の上で回し蹴りを放つと、空気の刃が飛び、アンチェインドに括り付けられた爆薬が宙へと吹き飛んだ。そのまま連続して真空の刃を繰り出し、蝙蝠のような羽を両断する。飛ぶ力を失った魂無き化け物は、そのまま雲海の下へと沈んでいった。

 だが、息をつく暇も無い。他のアンチェインドが上空から一気に飛来してきて、爪を回転させながら突撃してくる。


「甘いッ!!」


 寸での見切りで襲撃をかわし、目の前でブラックノアの屋根に爪をつき立てた化け物の腹部に、クーは炎を纏った具足で全力の蹴りを入れた。アンチェインドの爪が割れ、凶器だけ屋根に突き刺さった状態で、敵の体は空中で灰になった。

 だが、何も敵側も、強化された体だけが能ではないのだろう、宙空を舞っている化け物の腕が変形し、グロテスクながらに銃口のようなものへと姿を変えた。それも、複数体――それが、自分を狙っている。


「ちぃっ!?」


 クーはバク転し、一回屋根に手をつけ、もう一度後ろに大きく跳んだ。もと居た位置には局地的な弾丸の雨が降り注いでいた。恐らく、血液か何かを凝固させて飛ばしているのだろう、ブラックノアの鋼鉄のボディを易々と抉るほどの威力はあるのだから、当たったらただでは済まないだろう――しかし着地した瞬間、少し足場が悪かった、というより船体ギリギリの所に着地してしまい、女は一瞬体のバランスを崩した。


「うぉ、とととと……!?」


 間抜けな声が出てしまうが、何とかバランスを建て直し――そう、そもそもフェイ老子直伝の洪華拳は、船の上で戦うことを想定され、練り上げられた拳法だ。それが、水の変わりに空の海になっただけである。それに、自分の腰には、命綱がまかれているのだから、安心して――いや、これは自分の命綱ではなく、もしかするとネッド・アークライトの命綱なのかもしれない、ここで自分達がやられてしまっては、彼に無駄な消耗を強いることになる――そう思い、クーは己に活を入れなおし、船体のアンテナ部分を回り、命綱のあまった尺を巻き付けて、再度自分を狙っている銃弾を避けるため、思いっきり前進した。


 背後で甲板がひしゃげる音が聞こえ、しかし相手が狙いを外しているうちに上へと飛び――異形共が飛び交う中心で、気合を入れるため「ホアチョォ!!」と叫びながら、炎を纏った具足を振り回した。すぐさま異形たちに取り付けられていた爆弾が誘爆を起こし――クー自身は、ネッドの束ねた頑丈な命綱を手繰り、アンテナ部分を一周し、綺麗に甲板の上へと着地した。


「……炎でも燃えない糸、きっと、貴方なら、どんな困難にも立ち向かえるわ。そして、ワタシも……!」


 クーはネッドの糸を見つめ、自らが戦わなければならない強靭な壁を思い浮かべた。ロマンスグレーの男の背中、それを乗り越えなければならない――のだが、その前に小型艇、とは言ってもクーの何倍もの質量のある鉄の函が、こちらへ向かって飛んできていた。


「ちょ、アレはさすがに、ワタシの手に余るアルよ!?」

「貴女の手に余るなら、私にお任せを!!」


 頓狂な声を上げて直後、ブリッジの方からジェニーの声が聞こえ、下から銃弾が飛び、小型の遊撃船が真っ二つに割れた。そして一息つくのと同時に、ブリッジに居るポワカの声が、甲板に備えられている拡声器から聞こえてきた。


「敵の数も減って、距離も近づいてきました! 後は最大戦速で振り切ります! ブッカー、クー、中へ!!」


 ここからでは返事をしても聞こえないだろう、クーはネッドの綱を手繰って、下来た入り口のほうまで跳んだ。飛び降りた先には、黒い雲がどんどんと流れていて――ともかく、入り口の真横で、ネッドが吃驚した顔で手を差し出していた。


「クー!?」


 驚くネッドの顔が面白いが、クーはきちんと入り口横の取っ手を掴み、船体の横で静止した。


「……普通に戻って来いよな」

「そういうお前は、四千年の歴史を舐めすぎアルよ」


 呆れ顔の青年の手を取って、クーが先に中に入った。開いたままの入り口の外で、機関銃の連射音の後に、宙を舞う白い流線が走り、残っていたアンチェインドを巻き込んで爆発させていた。直後、ほとんど横向きでブッカー・フリーマン走ってきて、入り口の扉を蹴って中へと入り、棺おけを立てて着地した。


「……オッサンの動きは、何時見ても人間のそれじゃねぇな」

「足さえ着けば、どこだって走ってみせるさ……うん?」


 ブッカーがニヤついた顔を抑えて、階段の方を見上げた。階段から降りてきたのは、マクシミリアン・ヴァン・グラントだった。


「……最後の一撃に備える。ネッド、お前も出る準備を」


 グラントは右腕のシリンダーを起動させて、左手に盾を取り付けた。


「お、おい、なんかお前、船を動かすのに重大な役割をしてたんじゃないのか?」

「後は、突撃するだけだ……それよりも、ダンバーの一撃を防がなければならない。そして、お前は……」

「ダンバーの真上に降下する、か」

「あぁ、その通りだ……お前を、必ず師匠の下にたどり着かせてみせる……」


 パイク・ダンバーの弟子二人は、互いに頷きあって後、扉の外に浮かぶ黒い雲海を見下ろしていた。


 ◆


「……来ましたね」


 ポワカ・ブラウンは目を瞑り、グラントの代わりに側的をしているオートマタからの報告を受けた。距離は千、ギャラルホルンの砲門の有効射程――つまり、向こうの砲台が一斉にこちらを補足可能な範囲まで近づいたのだ。


 ポワカはマイクを取り、全艦内に向かって通達する。


「全乗組員に告ぎます! 機体を急降下させた後、最大戦速でぶち抜きます!! 全員、対ショック準備、エーテルエンジンフルドライブ!!」


 ポワカの指示の元、機関長を務める蒸気人形が、機材のボタンを操作し――艦体が大きく揺れ始め、一気に高度を下げ、黒の箱舟は再び雲の海に隠れた。しかし、既に相手はこちらを捕捉しているから、艦体を下げることにはあまり意味は無い。狙いは、相手の砲撃に合わせて急上昇し、直線型の砲撃を回避すると同時に、フレアを撒いて追尾性の攻撃を凌ぎ、爆風に乗って雲海を出る――その後のパイク・ダンバーの一撃は、グラントに任す、そんな算段だった。


 勝負は一瞬――機体は暗い海を裂いて進み――ポワカは自然と、父の懐中時計に手を置いていた。


(……パパ、ママ、どうかボクに、皆を送り出せるだけの力を……!!)


 祈った瞬間、自身の魂の形が刻まれた額と、懐中時計が熱くなり――瞬間、ポワカは眼を見開いた。


「浮上ッ!!」


 実際は叫ぶ必要など無く――ポワカの想いだけで、ある程度蒸気人形は動いてくれる――今度は相手の霊子砲が黒い海を裂き、箱舟を打ち抜かんと襲い掛かってくる。だが、亜光速にも匹敵するはずの霊子の一撃は、ほんの一瞬だけ遅くなり――箱舟は大きく艦体を揺らしながらも、何とか雲海の上に再び浮上することには成功した。


「フレア射出!!」


 ポワカの指示通り、船体下部からデコイが発射され、下方から迫ってきていた誘導弾が、雲海を赤く照らし出した。そして、ポワカの胸から下げているペンダントから一気に蒸気が噴出して、エーテルライトの輝きは、上に浮かぶ大地へと還っていった。


「……トーチャン、ありがとうですよ」


 言葉と同時にポワカは右手を懐中時計から離すと、刻まれた父の魂の形が白く輝いており――しかしすぐに、黒い文様へと戻った。


 ◆


「さっきの、博士の……」


 爆風が巻き起こり、船体が一気に上昇する浮遊感に襲われながら、ネイは先ほど見た不思議な現象について、思わず口から漏らした。するとすぐに、あちら側から母の言葉が返ってくる。


『大いなる意志に還っても、魂は不滅よ。きっと、ポワカちゃんの共感という本質が、血の絆を越えて、トーマス・ブラウン博士の能力を体現させたのね』

「成程、それで一瞬、外の世界がゆっくりになったのか……」

『えぇ、そういうこと……それでね、ポワカちゃんの真の能力ね、博士の特別な愛情【スタンド・バイ・ハー】、なんていうのはどうかしら!?』

「いや、勝手に決めるのも良くないって言うか……お母さんさ、意外とそう言うの好きだよな」


 祝福された奇跡の右腕【エヴァンジェリンズエーテルライト】も、思えば母の命名だった。ルンルン気分で恥ずかしい名称を語る母親の声に対して、少女は反射で呆れた声を返してしまった。


 ◆


 男は、剣の切っ先を地面に立て、柄の先端を両手で抑えながら、上に広がる大地と下に広がる雲海、逆転した世界の向こう側、闇夜を照らす炎の輝きを見つめていた。それは、段々とこちらに近づいてきており――そして、黒い鳥の先端から、ライトに照らされる雲海を眺めた。距離にして千メートル、今から力を解放し、気を練り、構えた瞬間、ギャラルホルンの砲門から、まずは牽制がてらに一斉射撃が行われた。しかし、ブラックノアは急浮上し、霊子砲をかわし、誘導弾をも凌ぎぎきった。そして、丁度五百メートル――そこならば、剣閃の有効範囲になる。


「不思議だな……これが、最後のかがり火か。お前もそうか? ネッド……」


 今日に目が覚め、不思議とアンチェインドになる前の活力を取り戻しているお陰か、パイク・ダンバーは自身が久々に笑っていることに気づいた。


「だが、これは賭けだ……全力を賭さなければ意味が無い!」


 男は右手の親指で、自らの胸を擦り上げ、最後の戦いに備えてその身を変化させる――命の燃える焔が自らの表皮を焼き尽くし、体に普段では出せないほどの力が漲る。それは、いつも以上の力で――恐らく、魂の核の部分が近いからだろう、しかし変化が済んでいつもと違うことに気づいたのは、自らの腕を見たときだった。今までは変身すると黒い墨のような色だったのだが、今は白い、灰の様になっていた。


「……終わりの時が、いよいよ近づいてきたということだな」


 だが、悲惨な感じはしなかった。どうなっても、きっと、も正解だから――男は剣を正段に構え、己の魂をその刀身に乗せた。


「この身は既に灰の白なれど、剣に宿る焔は未だ黒く――さぁ、この一撃を飛び越えて、終末の笛にたどり着くか、見せてみろ、荒野の無頼漢共【ワイルドバンチ】!!」


 予定通り、距離五百、パイク・ダンバーが振り下ろした刃から、夜の闇をも喰らい尽くす漆黒の焔が放たれた。


 ◆


 急浮上を終え、マクシミリアン・ヴァン・グラントはブラックノアの先頭に立ち、最強の一撃に備えていた。既に雲の間に浮かぶ巨大な要塞は、男の肉眼でも捉えられる程に近づいている。高度は予定通り、ギャラルホルンの上部、しかし先ほどの霊子砲の相殺をするほどのダンバーの一撃を迎撃するため、高度は少し下げてある。完全に上部を取ると、下からの剣閃を防ぎようが無い――つまり、ダンバーの高さで、真正面からその一撃を受け止めなければならない。


「……私は、貴方に戦い方を教えてもらった……」


 ヴァンは右手に盾を持ち、腰を深く落として――そして、予想していた位置から、漆黒の焔が強襲してきた。


「この力は、何かを護るためにッ!!」


 男は目を大きく広げ、自分が抑えなければならない魂の炎に向き合った。引いていた右拳を思いっきり突き出し、その先にある盾でパイク・ダンバーの一撃を受け止めた。


「……焔の形を取っているが、これはあくまでも剣から放たれたエネルギーの一種……それならば!! 私の力で、押し返せぬ道理など無いッ!!」


 右腕に掛かる力の負担は、以前ネッドに蹴り飛ばされたとき以上の重みを感じる。だが、あの時は身動きが取れなくされていたし、何よりも心に迷いがあった。だが――。


「今の私には、護らなければならない仲間が居るッ!!」


 盾が悲鳴を上げ始め、右手の手甲の表面にヒビが入り始め、受け止めていた黒い斬撃が、自らの体を飲み込もうとしている――。


(……ここで私が止められなければ、ここまでの道のりが……皆の想いが、無駄になってしまう……しかし、それだけではない……!!)

「私は、貴方に成長を認めて欲しいんだッ!! パイク・ダンバァァァァアアアアッ!!」


 そう、この身では、自分では、ネッドとダンバーの間に入っていくことは出来ずとも――それでも、師匠の下で学んだ五年間、そして一人で磨き上げてきた五年間――何より、新たに紡いだ絆の力を、師匠に、パイク・ダンバーに認めて欲しかったのだ。

 目の前にぶつけるのは、単純な力ではない。ネッドは単純ゆえに強かった――それでも、色々、すべて乗せて戦うのが、自分だ。マクシミリアン・ヴァン・グラントの生き方なのだ――護りたいもの、救いたいもの、そして何より男の意地。自分の魂が輝石の力を、右腕の手甲の力を上まり、一瞬だけ赤く光っていた魂の形が白く輝き――盾が割れ、手甲が砕けるのと同時に、最強の一撃は中空に霧散して、後に残ったのは自分の右腕から滴る血と、風を切る音だけだった。


 そして、ブラックノアが僅かに浮上し、前進し始め――下を見ると、古代人の都市に立つ、一人の白髪交じりの男が――消耗を抑えるため、アンフォーギブンの力は解いているのだろう――微笑みながらこちらを見つめていた。その口は「やるな、ヴァン」と、そう動いているように見えた。


「……当たり前です。私も、パイク・ダンバーの弟子なのですから……後は頼むぞ、ネッド」


 ヴァンがそういい残した瞬間、下へと飛び出す友の姿が見えた。その背中を見送り、ヴァンは右腕を抑えながら立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る