25-6


 ◆


 ブリッジの外は、深い霧に覆われていた。厳密に言えば霧ではなく、夜に浮かぶ雲海の中に、黒い箱舟は浮かんでいた。そのせいか、視界は悪く――先はまったく見えなかった。時刻は午後二十三時、測的長の代わりをしているヴァンは、レーダーに段々と降下してくる浮遊城を確認した。


「ポワカ、お前の読み通りだ……ギャラルホルンが降りて来ている」


 艦首席に座るポワカは、ヴァンに向けて頷き返した。


「それでは、ブラックノアでギャラルホルンに接近します。向こうも、こちらの襲撃に備え、迎撃の準備はしているでしょう……それでも皆さんを、ボクが絶対に、ギャラルホルンへと届けて見せます」


 ポワカはポーチから懐中時計を取り出し、それを席の横に置いて――父の魂から、少しでも力を貸して欲しいと祈るように、しばらくじっと見つめていた。


「微力ながら、協力させてもらうぞ」


 ヴァンが声を掛けると、歳相応の可愛らしさと元気さで、椅子の上でポワカは両腕を上げながら小さく跳ねた。


「むしろグラントは、思いっきり役に立ってもらわねーと困ります! 測的は、貴方の仕事なんですから!」

「あぁ、承知した」


 ポワカはそれに頷くと、一息いれ、改めてブリッジにいる面々を見回した。


「それでは、まずはブラックノアをより高高度に浮上させます。ギャラルホルンは構造上、上が一番武装が薄いです」

「まさか空飛ぶ城が、更に上を取られるなんて、想定していなかったでしょうからね」


 ジェニファーの意見に、ポワカが頷いた。


「とはいえ、内部にあった小型の飛行船や、空を飛ぶアンチェインドなどの迎撃が予想されます。まずは、ブラックノアの武装で迎撃を試みますが、撃ち漏らした相手は、ネーチャンとジェニーに対応してもらいます。ネーチャンは、アンチェインドを相手を、ジェニーは飛行船の相手をしてください。グラントは測的を、ボクはオメーの指示に合わせて、オートマタにお願いして、攻撃をします」

「でも、操縦も武器の扱いも、ポワカがやるアルか?」


 恐らく、ポワカの負担が相当重そうだと思ったのだろう、クーがポワカの方を心配そうに見つめていた。


「大変だけど、だいじょーぶですよ! ある程度は皆が、勝手にやってくれますから!」


 ポワカが蒸気人形の方をちら、と見ると、心得ています、と言わんばかりにオートマタがブリッジの奥まで歩いていき、機材を操作すると、前面にモニターが現れた。そこには、ギャラルホルンの見取り図が描かれていた。


「目標着陸地点は、第一格納庫の昇降口付近です。ここは大きな出入り口ですし、電波塔への中心部に、一目散で向かっていけますから」


 ブリッジの面々が頷くと、ポワカは艦首席で右腕を振って大きく前に突き出した。


「さて、それじゃあ、往きますよ……機関部へ通達! エーテルエンジンフル稼働! ブラックノアを高度三千まで浮上させます!」


 ポワカの蒸気人形は船長の命令を復唱することなく、しかし着実に仕事をこなしている。エンジンの回転数が上がり、計器のメーターが一気に上昇し、船体を揺るがす稼動音が響き渡った。そしてすぐに上部プロペラの回転が増し、揚力を生み出して雲の中へと入り込み――雲海を突き抜け、ブラックノアが到達できる最高高度三千まで達した。ブリッジから見えるブラックノアの機体の下に、月光に照らされた雲海が広がっていた。


「……グラント、ギャラルホルンは?」

「終末の笛は二時の方角、距離五千、高度二千五百、こちらが上を取った」

「よし……操舵長、進路を二時の方角へ。機関長、両翼のジェットエンジンを稼動、微速前進。測的長……」

「進路クリア。今のところ敵影無し」

「ガッテン! それじゃ、速度を半速へ」


 少しすると、レーダーに反応が現れた。


「早速お出ましのようだぞ……小型飛行船に、認識不明の小型飛来物……数えるのも面倒だな」

「とりあえず、相手の有効射程の外から、でかいの一発くれてやるデス! 砲門開け! 小型霊子砲、発射準備!! 攻撃の後は、戦速を上げてぶち抜きます!!」

「了解、小型霊子砲、発射準備」

「エネルギーを霊子砲へ……セーフティ解除!」


 ポワカの命令の元、機関部からエネルギーが砲門に集められ、ヴァンの前に霊子砲のトリガーが現れた。男は標準を小型遊撃船が密集する辺りに合わせ、キャプテンに向かって頷いた。ブリッジの下にある二つの砲台が動き、敵が密集する方向へ砲口が向けられる。


「エネルギー充填百二十パーセント……総員、対ショック、対閃光防御!!」

「えぇっと、私たちはどうすれば……?」


 艦首席の後ろで狼狽えるジェニーに対して、隣に居るネイが声を掛ける。


「……たぶん、すっごい揺れるから我慢しろってことだよ」

「それだけじゃねーです! メッチャ光るから、目ぇ瞑ったほうがいいですよ!!」


 ネイの後に続いたポワカの号に、ブリッジの一同は思いっきり目を瞑った。ヴァンは準備していたので、横に備えていたゴーグルを付けた。


「よっしゃ、最終セイフティーリリース!! グラントッ!!」

「霊子砲、発射!」


 男がトリガーを引くのと同時に、二つの砲台から同時に、夜の闇を切り裂いて進む、鼈甲色の粒子を纏った光線が発射された。光る流線の向こう側で、敵の戦力が幾ばくか削がれているのだろう――揺れる船体の中で男はレーダーを見続け、しかし驚愕に目を見開いた。もちろん、レーダーを返してくる浮遊物は減ったのだが、霊子砲がギャラルホルンの丁度正面で、何者かにかき消されたのである。


「……俺は、準備をしておくよ」


 そう言いながら、ネッド・アークライトはブリッジの扉を開けた。その後を、ネイ・S・コグバーンが追おうとすると、ネッドは振り向き、微笑を浮かべながら少女の頭を撫で、そして機銃の操作室の方を指差した。少女はしばらく頭を垂れ、だが何やら口元が動くと、ネッドが頷き、ネイも頷き返し、そして少女はブリッジに戻り、青年は扉の外へ出て行った。


「……グラント、状況は?」

「恐らく、ダンバーだろうな……敵の数は確実に減ったが、霊子砲はかき消された」

「ちっ、成る程なぁ……外から落とせるほど、甘くはねぇってことか!」


 ブッカー・フリーマンが右の拳を左の手のひらと打ち合わせて、子気味のいい音を立てた。


「そういうことです! 予定通り、最大戦速で振り切りますよ!! エネルギーをエンジンにまわして!! 残存戦力は実弾で対応します! ネーチャンとジェニーは機銃の準備を! グラントはホーミングミサイルの発射準備!」

「あぁ!」

「分かりました!」

「ホーミングミサイル、発射準備」


 キャプテンの指示に従って、女二人はサイドの梯子付きの機銃の操作室へと飛び降り、ヴァン自身は次の攻撃の準備に移った。レーダーを見ると、小型の遊撃船が、既にこちらの有効射程に入っているのが見えた。


「ターゲットロック、キャプテン、いけます」

「ホーミングミサイル!!」


 ポワカが腕を振りかざすのと同時に、ヴァンはミサイルの発射ボタンを押した。船の側面からミサイルが一斉に発射された。筒状のミサイルは煙を噴出して空中に幾何学的な文様を描き出し、夜の闇に吸い込まれていき――向こうの空が、爆発で一瞬明るくなった。


「でも、こちらの攻撃が届くってことは……」

「そうだ、向こうの攻撃の有効範囲でもある」


 その証拠に、今度は向こうから補足されているのが、レーダーに映し出されていた。


「戦速を落として、浮上します……ネーチャン!」

「任せておけ!」


 ネイが勢いよく返事を返すと同時に、今度は向こう側から煙の噴出すミサイルの渦が飛び込んできた。だが、そのミサイルは、すでに軌道を読んでいたコグバーン大佐の助力により、少女の機銃の弾が撃ち落した。前面に激しい爆風が吹き荒れるが、すでに船は浮上を始めており、逆に熱風がブラックノアの黒い機体を押し上げる形になった。


「……今度は上から来るですか!?」


 ポワカが見上げるブリッジの上、羽の生えた化け物――例のシリンダーの中で眠っていたアンチェインドどもが、上空から飛来していた。


「グラント、対空砲を!」

「承知した」

「ネーチャンとジェニーは、撃ち落せるだけ撃ち落してください!」

「そ、そうは言っても……」

「上にはあんまりとり回しが効かないからな!?」


 そう言いながらも、二人の銃士の手によって、何体かのアンチェインドは沈んでいくのだが、やはり全てを撃ち落すには足らず――対空砲で護られているブリッジには敵を寄せ付けずに済んだが、それでも取りこぼしが、船体の横に付いてしまった。最初のうちこそ、強化されているのであろう手足で船体を殴っていたのだが、効果のないことを察すると――恐らくアンチェインドの体に取り付けられていたのであろう爆弾が起爆し、ブラックノアの船体を揺るがした。


「くっ……損傷は!?」


 姿勢を崩しながらも椅子にしがみつくポワカは、機関長のオートマタの方を見て叫んだ。主人しか分からない機械の言葉が返されたようで、ポワカは頷いて後、改めてブリッジに居る面々に損傷を通達する。


「損傷は軽微、でも、何発もくらったらヤバイです!!」

「……それなら」

「ワタシ達の出番ネ!」


 ヴァンが振り向くと、後ろでブッカー・フリーマンが棺を背負い、クーが片足で立ち、両腕を広げる姿勢で――攻家拳のポーズを取っていた。


「オッチャン!? クーネーチャン!? 外、空ですよ!? やばいですよ!?」

「なぁに、こう見えて、走るのには自信があるんだ……足場があれば、どこだって駆け抜けて見せるぜ」

「それに、無茶して出て行きそうな彼に、命綱を握っててもらえば、まぁなんとかなるアルよ」


 成程、クーの意見はなかなかに一石二鳥だった。恐らく、ネッドは今にも外に飛び出そうとしているだろう――だが、アンチェインドの相手だけなら、クーとブッカーで十分に対処できるはずだ。その上、ネッドの出撃を止められるのならば、生存しているダンバーに対して、無駄な消耗を抑えることも出来る。


「……クー、頼めるか」

「お任せアレよ、グラント様!」

「だから、様付けはいらんのだが……」

「こまけーことは気にすんなアル! さ、ブッカー、行きましょうか?」

「あぁ、それじゃ、行ってきますぜ、お嬢」


 クーはウィンクをしながら、颯爽と扉の外へ出て行き、ブッカーは機銃の操作室の方へ向かって人差し指と中指を振って、クーの後を追った。


 ◆


 ブッカーとクーがブリッジから下ると、船体の中でオートマタやグラントの部下、ジェームズの部下達が走り回っていた。それは慌てふためいているというわけではなく、特に機関部の出火や、内部からの修理を行っているようだった。


「……おい、坊主、ここはオレ達に任せちゃくんねぇかい?」


 ブッカー・フリーマンが声をかけると、船内の柱に紐をくくりつけ、今にも飛び出しそうになっていたネッドの背中がピタ、と止まった。そして少し思案して頭を掻き、苦笑いをしながら青年が振り向いてきた。


「確かに、アンタなら船体の外でも平然と走れそうだ……っと」


 話しているうちに、また他の場所で爆発が起きたらしい、廊下が激しく揺れた。ブッカーもクーも器用に踏みとどまったが、ネッド・アークライトは少し体をよろめかせていた。そもそも、アンフォーギブンの力は規格外だが、元々も身体能力は、そこそこやる、程度なのだ。逆を言えば、今までかなり無理をさせてきた――いや、この先には、最後の鉄火場が、この青年を待ち構えているのだ。


「……アナタには後悔の無い様にしてほしいから……ワタシにも任せて?」


 ブッカーの内心もクーが代弁してくれ、青年は小さく笑い、踵を擦りあげてボビンを取り出し、頑丈そうな紐を自分とクーの腰に巻きつけた。


「分かった。それじゃ、俺はここであんた等じゃじゃ馬の手綱を握っておくことにするよ……だけどブッカー、アンタのその重いからな、落ちそうになったら使うぞ?」

「はっ、オレが落ちるとでも?」

「いいや、万が一のためさ……アンタの強さは、俺も良く知っている、頼む」


 男同士で話し合っている間に、クーが入り口のハンドルを回し、外への扉を開け放った。


「じゃ、先に行くアルよ! ワタシは右舷に!!」

「それじゃ、オレは左舷に行くぜ!!」


 クーが外に出た直後、上に上がるのを見届けて、ブッカー・フリーマンはそのまま船体のサイドを走り始めた。


「ふぅ……こいつぁ、なかなかスリルがあるな。タマが縮み上がりそうだ」


 冬の空気と、船体の切る冷たい風とが、男の頬を吹きぬけた。下は雲海、落ちたらいくら輝石の助力があれども、ただでは済まないだろう。


「だが……これでこそ、生きている実感も沸くってもんだぜ!!」


 男は自らの頬の肉が吊り上るのを感じながら、得物に付けられた鎖を器用に振り回し、船体に取り付きそうになっていた羽の付いた化け物を横なぎにして吹き飛ばした。そしてすぐさま棺の首をアンチェインドに向け、トリガーを引いた。

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