25-5


 ◆


 ついに前夜祭の日がやってきた。ブラックノアのブリッジには、ネッドとネイを除くワイルドバンチの面々が集まっており、上部のガラスの向こうには、空に映る荒地だけはくっきりと見えていた。


「……以前より、ハッキリと見えませんか?」


 ここが空の上だからというだけでなく、それにも増して、青い空の向こうにハッキリと見えるような――ジェニファー・F・キングスフィールドの質問に、ポワカ・ブラウンが頷いた。


「恐らく、今日が前夜祭だから……それだけでなく、日に日に原因不明の異常事態に救いを求めて、人々の聖典の神への求心力が増しているから……ヘブンズステアの思い描く世界が、徐々に近づいてるって事なのでしょう」

「……それじゃあ、単純にギャラルホルンの起動を止めるだけでは、徒労になるかもしれないってことですか?」

「えぇ、もしかすると……人々の神への求心力を、どこかに逸らさないとまずいかもしれません……まさか、最後の大戦と同時に、そんな問題まで浮上してくるなんて……でも、どうしたら……」

「……いい方法があるぜ」


 その声に、ブリッジに居た一同、ポワカ、グラント、ブッカー、ジェームズ、クー、そして自分の視線が、扉の方へ集まった。


「ね、ネッド……貴方……」

「起きちゃった」


 ジェニファーの言葉に、青年は舌を出しながら、なかなか気持ち悪い笑顔で応えた。


「いや、そんな『きちゃった』みたいに……はぁ、まぁ、相変わらずで安心しましたわ」


 そう言う自分は、顔がにやけるのを抑えられていなかった。最後にネッドが起きているのを見たときよりも、どことなく表情が豊かで――だが、女はすぐに気づいた。それは、最後に命の炎が燃え上がっているだけで、状況は悪くなっているのかもしれないと。そしてそのことを、ここに居る一同、なんとなく察したのだろう、最初は皆笑っていたはずなのに、どことなく重苦しい雰囲気になってきていて――ネッドがバツが悪そうに頭の後ろを掻いていると、気を取り直したのだろう、グラントが椅子の上で腕を組みながら声を上げた。


「それでネッド、お前の言う方法とはなんだ?」

「あぁ、ギャラルホルンは、大陸中に向けて演説できるんだろ? それなら、それを逆に利用してやればいい」


 成程、それは一つ妙案かもしれない。元々は人々の意識を神の国に向けるための装置として作られたものを、逆手に取るのは面白い――しかし、ジェニーは少し思案してから、やはり悪手ではないかと結論を出した。


「……それは、危険ではないでしょうか? この異常事態に、どこからともなく響き渡る声……逆に信仰心を、煽ってしまうのでは……」

「それをどうにかするのがお前さんの仕事さ、ジェニファー・F・キングスフィールド」

「……はぁ?」

「大統領就任演説の予行演習だ。全世界初のラジオでな」

「い、いやいやいや!? 貴方、何を言って……!?」


 全国に向けて演説をする準備などしていないし、そもそも就任演説だって、何日も期間を設けて練り上げるものなはずである。しかも、まだ堂に入っていない物を読み上げるくらいならいいだろう、せいぜい任期中に小馬鹿にされる程度で済む――もちろん国民のリーダーが、威厳が無いのも困るのだが――だが、今回のこれは、大陸どころか全人類の未来が掛かっている。そうなったら、失敗は許されないのだ。


「さ、流石に貴方の頼みでも、こればっかりは……」

「……これは、俺の私的な頼みでもある。俺には出来ないこと……お前に、やって欲しいんだ」


 その深刻な様子に、ジェニーはネッドの真意を知りたくなった。


「……どういう、ことですか?」

「人間は、神様に頼らなくても、なんとかやってけるって……お前の言葉で、証明して欲しいんだよ。人間の可能性ってヤツを、分からず屋のジジイにわからせてやって欲しいんだ。パイク・ダンバーは、人の心の成長を信じられなくて、無限に争い続けると思い込んでいるから……強い力が、弱者を踏みにじる世界が許せないから、それで、ヘブンズステアに協力しているんだ」


 強者が弱者を踏みにじる、それは、ジェニファー自身が直したいと思っている世界のあり方だった。しかし、パイク・ダンバーは劇薬を選んだ。対して自分は一歩ずつ前に進もうとしている、その差なのだろう。


 そこまで思考して、女の中で大きな葛藤が渦巻いてきた。ここまで来たというのに、自分のあり方に、急に自信が持てなくなってしまったのである。一歩ずつ進もうとしている間に、今もどこかで誰かが泣いている――そう考えれば、ダンバーの選んだ道は毒ではあっても、即効性があるのは間違いない。だが、同時に、やはり自分の信じた道を駆け抜けて生きたいという想いもまた、女の胸中には確かにあった。誰かに与えられた平穏に、何の意味があるのか――そう想うから。


 気が付けば、いつの間にか目を瞑って、深い思考に落ちていたらしい、ジェニファー・F・キングスフィールドは瞼を開けて、いつの間にか目の前に立っていた長身の男の顔を見上げた。数ヶ月一緒に行動してきたのに、今までこんなに視界の高さが違うことには、気づいていなかった。


「……私に、出来るでしょうか?」


 それは、半分は不安だから出た言葉だった。もう半分は、一度だけでいいから――ネッド・アークライトに甘えたかったのかもしれない。青年はただ、アンフォーギブンになる前の暖かい笑顔と深い黒い瞳で、ジェニファーをしっかり見据えて応えた。


「あぁ、絶対出来る……だって、ここに集まっている連中は、お前さんが説得して、集めてきた人間だ」

「でも、私の気持ちは……全員には、届きませんでした」

「そんなに、難しく考えなくったっていいんだ……これは、一緒に戦ってくれってのとは訳が違う。単純に、皆の不安を解消すればいいだけなんだから。だから、お前さんの気持ちをぶつければさ、きっと皆、分かってくれる。何せ、俺自身……お前さんの背中の強さに、何度救われた、分からないんだからな」


 自分が彼を救えていたなら、成程、ここまで走ってきた甲斐もあったのかもしれない。女はそこで、いつもの自分に戻ることにした。そう、あくまでも自分の往く道に、たまたま彼の願いが重なっていただけ――ジェニファーは夢を追う一介の賞金稼ぎの精神を取り戻した。


「分かりました、善処しましょう。ですが、一つ条件があります」

「お、なんだ? 俺に出来ることなら」

「えぇ、出来ますよ……決して、ネイさんを悲しませないでください。最後の一瞬まで、足掻き続けてください……きっと生き返ってみせるって、それくらいの意気込みでいてください」


 青年は一瞬遠い目をしたが、だがすぐに微笑を浮かべて頷いた。


「……あぁ、大丈夫、最初からその気さ」


 その返答に満足し、女が拳を作って前に突き出すと、男も拳を作り、二人の拳が重なった。そう、自分達の関係は、これが正解だ――ジェニファーは自分の中の恋心に決別を決めた。


「……ところで、肝心のネイさんは?」

「死ぬほど疲れてたみたいだから、起こさずに来た。ま、起きた時に俺がいないと泣いちゃうかもしれないから、そろそろ戻るよ」

「はぁ、そんな子供じゃないんだから……でも、ネイさん寂しがり屋ですから、そうしてあげてください」

「あぁ、それじゃあ……不躾な頼みですまないが、頼むぞ、ジェニー」

「えぇ、任せておきなさい」


 ネッドがブリッジから去っていくと、控えめな調子でとことこと、ポワカがジェニーの近くに来た。改めて見ると、この子は小さい――いや、それでも、始めてあったときに比べたら、身長も伸びた気もする――しかしそれでも、成人の男女ほど身長差があるので、こちらはポワカを下を見下ろす形になっている。


「……ジェニー、さっき笑顔、すっごい綺麗でしたよ」


 その言葉は、どこか控えめだけれども、それでも確実に、自分を励ましてくれている暖かさに満ちていた。


「ふふっ……きっと、女として一皮剥けたからでしょうね」

「はぇー……ジェニー、まだでっかくなる気ですか」


 ポワカはこちらの見上げながら、感心したように言った。私は昆虫か甲殻類の類か、そう突っ込もうとも思ったが、この子はネイのように天然ではないので、恐らくジョークなのだろうと解釈し、女は「そういうことにしておきましょうか」と返しておいた。

 それに、大きくならないといけないのは、事実なのだから――女は外の青に目を見やり、今晩の大勝負への決意を新たにした。

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