25-8


 ◆


 船体を襲う黒い焔が晴れたのを確認し、ネッド・アークライトは扉の外へと飛び立った。パイク・ダンバーも力の使い方には慎重になっているのだろう、人の姿のまま剣を肩の位置に構え、青年が下りてくるのを待ち構えていた。


「……よくぞ、ここまでたどり着いたな、ネッド!!」


 こちらの着地を狩ろうとしたのだろう、ダンバーの剣が横なぎに繰り出される――しかし、それは青年も想定していた。掲げている右の拳に隠していたボビンを僅かに巻き上げ、着地のタイミングをずらす。師匠の一撃を寸ででかわし、ブラックノアの船体から糸を離し、息を吸って気を練り宙で一回転、青年は空振ったダンバーの隙だらけな側頭部にブーツの踵を叩き込もうとする。


「もらった!」

「やらぬ!!」


 ダンバーは剣を振った勢いのまま横に跳び、青年の踵をかわした。初撃こそ避けられたが、互いに間合いを取った状態で着地をすることには成功した。


「……もう一度言う、よくぞここまで来たな、ネッド」

「あぁ……だが、俺はアンタと戦いに来たわけじゃないぜ、パイク・ダンバー」

「思いっきり蹴りをかましておいて、良く言う……だが、それでは、貴様はここに何をしに来たのだ?」

「分からず屋のアンタに、教えに来たのさ。人間の可能性ってヤツを、示すためにな」

「ふっ……お前が? 私に?」


 改めて師匠の顔を見ると、青年と同様、幾分か人間らしさを取り戻しているようで――その調子は今までに見たことの無い、弟子の抵抗を笑うような、しかし同時に一人の男として、対等な立場で何かを期待しているような――パイク・ダンバーはそんな笑みを浮かべていた。


「あぁ、この前はウェスティングスに邪魔されて言えなかったが……アンタは、まるでガキだよ。一かゼロかでしか、物事を計れてないんだ」

「言い返す気は無い、ネッド……だが、私の精神のありようなど、どうでもいいのだ。問題は、人類の精神のあり方なのだからな……むしろ、私が割り切れれば、人の世に平穏が訪れるというのなら、喜んで鞍替えをしよう」


 男の「言い返す気は無い」という辺りに、青年は少女と話したことを思い出した。そう、ダンバーは自分と同じで、相手の言うことを納得した振りをして、内心では全然納得してないのだ――それが面白くて、青年はなんだか半笑いになってしまい、更に相手を煽り倒すことにした。


「はぁー! そういうところがガキだっつってんだよ!! テメェ一人の思想で、世の中の人間を思い通りにできるなんて、そんなのが間違いだっつってんだよ、俺は!!」


 青年の煽りに対して、ダンバーは肩をすくめ、わざとらしく首を横に振った。


「平行線だな、ネッド。私は、人類全体の心のあり方を見ている。対して貴様は、私個人の心のあり方を見ている……論点が違うんだ。だから、もう交わることなど無い」

「あー、そうだよ……俺は元々、どこにでも居るような、小物の賞金稼ぎ。誰かさんに師事を受けて、少しばっかり腕が立つだけで、血脈も無い、使命も無い、ちっぽけな男さ。だから、身近なものしか見えないんだ」


 一息つき、青年は師匠に対して、右手の人差し指を差し出した。


「でも、そんな俺だからこそ、アンタに教えてやれることはある……そもそも、俺一人じゃ、絶対にここまで来れなかった。いくらアンフォーギブンの力を使ったって、空を飛べるわけじゃ、ないんだからな。ポワカがブラックノアを操縦して、ネイとジェニー、クーとブッカーがかかる火の粉を払って、ヴァンが護ってくれたからたどり着けた。皆が力を合わせたからこそ、ここまで来れたんだ……人は、手を取り合える。人種や生まれの壁を越えて……」

「……認めるよ、ネッド。お前はいい仲間に恵まれた」

「いいや、アンタは納得してない」


 青年の言葉に、ダンバーは一瞬呆気に取られたように目を見開いた。だがすぐに毅然とした目に戻った。


「その通りだ。成程、お前の生き様、そしてお前の仲間、それが素晴らしい物だとは認める。だが、繰り返しになるが、一部の人間が正しい心を持っていたとしても、それでは駄目なのだ」

「……逆に、教えてくれないか。アンタが、人類の心の有り様に、拘る理由をさ」


 パイク・ダンバーはまず言葉の代わりに、大刀を振り上げ、潰れた切っ先をこちらへ向けてくる。


「馬鹿弟子に、これ以上教えることなど無い。貴様など破門だ、ネッド……知りたくば……!」

「力尽くで吐かせろってか? 嫌だね、脳みそ筋肉で出来てるジジイはさ! 俺みたいに、文明人にならなくちゃ!」

「ふっ、貴様の言う文明人というのは……」


 ダンバーは顔を僅かに上げ、呆れたように息を吐き出しながら、青年のほうへ向けていた剣を横に振るった。さすが断ち切ることに特化した男、青年の硬化させて伸ばしていた黒い迷彩色の糸は、いとも簡単に断ち切られてしまった。


「こんな風に、下種な奇襲をかける人種を言うのか?」

「あら、あららら? バレちゃってました?」

「ふぅ……こんなこと、私は教えてなどいないぞ?」 

「うるせー!! 関係ねーだろ!? そもそも、破門だって言ったのはアンタだぜ!?」


 流石のパイク・ダンバーも、こちらの屁理屈に少々イライラ、いや、大分イラついたらしい、剣を構えて一瞬で間合いを詰め、巨大な刃をなで斬りにしてきた。


「……ガキはどっちだ!」

「ちょ、止めろよ!!」


 慌てたような声を出してみたが、顔のニヤつきは抑えられない――青年はすでに廃墟の出っ張りに糸を巻きつけてあり、ボビンを巻いて上に上がり、再び師匠の剣を避けた。


「……小癪なヤツめ」

「へ、小癪で済むなら御の字だろうよ! てっきり大癪かと思ってたぜ!」

「もうその手は食わんぞ……だが!」


 ダンバーが直立のまま剣を横なぎにすると、青年がぶら下がっていた糸が断ち切られてしまった。とはいえ、それだって想定済み、青年は難なく着地して、改めてダンバーと向き合った。


「……成程な、ネッド、貴様、時間稼ぎをしているな?」


 こちらの真意を簡単に見抜かれてしまい、青年は少し顔が引きつってしまった。それを見て、ダンバーは歳に似合わぬ無邪気な笑みを浮かべた。


「ふっ、貴様のそういう単純なところは、やはり変わらぬな……良かろう、少しだけ、貴様の話に付き合ってやる。先ほどの質問、人類の心のあり方に拘る理由……それは……」


 そこで男は言葉を止め、小さくため息を吐いた。


「……やはり、こんな詰まらぬ事は、言うべくも無いな」

「いや、詰まるか詰まんねーかは、俺が決めることだぜ」

「それを言うなら、私にも言うか言うまいか、決める権利がある。だが、貴様のその馬鹿さに免じて、少しだけ、貴様の策に乗ってやる」


 壮年は剣を両手で持ち、正段に構え、隙の無い所作と鋭い眼で、改めて青年と向き合ってくる。


「……許されざる者の力を使わず、私から一本とってみよ。そうすれば、お前の疑問に、一つだけ答えてやる……消耗も抑えられ、一石二鳥だろう?」

「へっ、人がいいこったぜ、パイク・ダンバー。アンタの隙を付いて、俺が許されざる者の力を使ったら、どう対処するつもりだ?」

「単細胞の考えることぐらい、お見通しだ……もっとも、貴様が使うのであるならば、私はそれでも構わん。同時に、力を使うまで……今日という日に潰える覚悟で、私はここに立っているのだから」

「あぁ、そうだろうな……アンタはそうさ、でも、俺は……」


 青年はコートの前を肘で開き、ボビンをいつでも抜き出せるように姿勢を落とした。丁度、ガンマンの早抜きような姿勢――銃を扱えない自分に、パイク・ダンバーに鍛え上げられ、この八年間、ずっとこのスタイルで戦い続けてきた、自分に最も合っているスタイルだった。


「俺は最後まで諦める気は無い!! 俺に、俺達に、明日はあるんだから!!」


 そう、最後まで、諦めないと、少女と約束した――絶対にもう一度、少女の下へとたどり着いて見せなければならない――叫びながらボビンを引き抜き、師匠に向かって一気に駆け出した。対するパイク・ダンバーは、青年の啖呵に不敵な笑みを浮かべ頷いた。


「だが、弱者が喚いたところで、何の説得力も無い!!」

「だから、見せてやるって言ってんだッ!! 俺達の悪あがきをなッ!!」


 青年は自らの決意を師匠に見せ付けるため、ボビンから帯を伸ばし、繊維の刃を作り出し、師匠に向かって一気に駆け出した。しかし、相手の一撃は、如何に許されざる者の力を使っていなくとも、青年の繊維を易々と断ち切るだけの威力はある――リサと対峙しているときに、ネイが言っていた事を思い出す。グーはパーに勝てない、それならば、パーはチョキには勝てない。こっちの刃が鋼鉄並みの強度でも、所詮繊維は繊維、相手の断ち切るという本質の前では、紙切れに等しい。


「……ふっ!」


 掛け声と共にダンバーが取った行動は、青年にとっては意外な一手だった。攻撃力は遥かに上回っているのだから、その錆付いた刃を振り下ろしてくると予想していた――勿論、それを見越して帯の刃を見せつけ、こちらは寸でで硬化を解き、紙一重でかわして、相手の剣の内側に入り込み、練気を乗せた肘を叩き込もうと思っていたのだが――ダンバーは、背後に跳んだのである。


「なっ……!?」

「……大方、懐に入り込んで勝負を決めようとしていたのだろうが……功夫を教えたのも私だ!」

(……だけど、そっちの着地より、こっちの足の方が早い!!)


 そう、物理法則を無視して走って飛びまわる、どこぞかの自由な男と、目の前の老剣士は違う。ダンバーが後ろに飛ぶよりも、こちらが間合いを詰めるほうが早い――だが、そう、無策で突っ込んだら危ない、あのパイク・ダンバーに――そう心がブレーキを掛けてくれたお陰で、空中から放たれた相手の斬撃を、鼻先を掠めるだけでギリギリよけることが出来た。


「……猪突猛進だけの馬鹿ではないか、だが!」


 ダンバーは着地すると同時に、今度は刃を横なぎにした。勿論、ダンバーの剣閃は飛び道具に等しい。考えるよりも早く、青年は「うへぇ!?」と叫びながらブリッジの姿勢で真空の刃をかわした。だが、折角ならばこのまま次の行動に移る――地面に手をつけた勢いをそのまま活かして、青年は腕の力だけで体を宙に押し上げた。そして、すでに相手の動きは読んでいる――青年はすぐさま視界に入った廃墟の柱に繊維を伸ばして巻きつけ、ボビンを回し始めた――が、すぐに自分を引っ張る力が無くなった。


「んなにぃ!?」

「貴様が一手先を読むなら、私は二手先を読まなければな!!」


 そう、自分と柱を繋いでいた糸を、パイク・ダンバーの一撃が切り落としていたのだ。青年の体は重力に従って落ち、しかし敢えて受身を取りながら寝たままの姿勢で落下し、縦に走る剣閃を転んでかわした。


(クソッ!! 地べたを這いつくばってるだけだな、俺は!?)


 しかしそう思った瞬間、この泥臭い戦い方が、なんだか無性に自分に合っているような気もした。情けないけれど、格好悪いかもしれないけれど、それでも自分らしい戦い方――そう思い、青年は気を引き締めなおし、今度は大きく跳ばないよう、腕が下になった瞬間に地面を押し、すぐに体を起こした。当然、慈悲の無い一撃が眼前に迫っており、それを横に軽くいなしてギリギリでかわした。


「ふぅ……鬼ジジイが、弟子に対する手心ってもんがねぇのかよ」


 そう言って青年が師匠の方を見ると、ダンバーは再び剣を正段に構え、呼吸を整えていた。

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