23-5


 ◆

 

「……正直に言えば、私はポワカ・ブラウンを連れて行くのは反対でした」


 簡易な掘っ立て小屋の窓の外を見ながら、マクシミリアン・ヴァン・グラントは椅子の上に綺麗に収まっている狼に言った。


「実際、あの子はまだ幼いです。いくらエヴァンジェリンズと言えども、心が能力についていっていない……だから、下手に同行させても危険だ、そう思っていました」

「うむ……お前さんの分析は、間違っていないと思うぞ。しかし……やはり、屋敷の外に飛び出して正解だったのかもしれん。世間の風は厳しいが、時には穏やかな風も運んできてくれる。今日、あの子はその両方を体験できたはずじゃ」

「えぇ、そうですね……」


 そこで一旦会話を切り、ヴァンは窓の外を改めて見つめた。あの子がどんな結論を出すのか――自分の意思で戦う道を選ぶのか、それともこの場に留まるのか、別にどちらも正解であるだろうし、あの子の意見は尊重してあげるべきだろう。


「ともかく……このマクシミリアン・ヴァン・グラント。また一つ、護るべきものが増えました」

「うむ。お前さんにそう言ってもらえると、ワシも安心じゃ」


 一人と一匹が頷きあったところで、ちょうど掘っ立て小屋の扉がゆっくりと開けられた。扉の先にはネイとネッドが立っており、ネイが先行して中に入り、ネッドは入り口の所で一旦コートを脱ぎ、着いている雪を払ってから屋内に入ってきた。


「ネッド、どうだ?」

「どうだも何も……正直、そこそこ削られた」


 ネッドの言葉を裏付けるように、以前にも増して感情が表に出にくくなっているようだった。


「……まだ、やれるか?」

「そんな辛そうな顔すんなよ、ヴァン……やれるかやれないかで言ったら、まだやれる。だけど、お前の事だって頼りにしてるんだからさ」

「そうだな……この先の露払いは、私に任せてくれ」

「そういうこった。俺は優雅なヒモ生活に戻らせてもらいますよっと」


 そう言いながら、ネッドとネイが席に着いた。


 ◆


「さぁって、そんじゃあ悪だくみでもすることにしますか」


 少女の隣に座った青年が、机の上に広げられている図面の上に手を置いた。


「……というかそもそも、このギャラルホルンとやら、結局何のために使われようってんだ?」


 青年が博士の方を向きながら言うと、機械仕掛けの首が縦に動いた。


「うむ……ヘブンズステアの言う通りじゃ。ギャラルホルンで大陸全土の信仰心をかき集め、グレートスピリットを書き換えようとしておるらしい」

「いや、全然意味が分からないぞ……というか、俺はいつも全然意味が分からないって言う役回りなのか?」


 自問自答する青年は、声の抑揚こそ抑えられているが、いつもどおりのネッド・アークライトだった。そのことが少女にとっては少し嬉しく、少し面白く、少し笑ってしまった。

 ともかく、ネッドの疑問には、博士の代わりにグラントの方が応えた。


「概要はこうだ。ギャラルホルンのラジオ部分を活用し、大陸全土に向けて演説を行う。その演説で聖典の神に対する信仰心を煽り、ヘブンズステアがグレートスピリットを聖典の神に書き変える……そんな筋書きだ」

「いや、そんなこと可能なのか?」

 

 色々と知っていて頭が良くても、分からないことは分からないのだろうし、分かっていても説明しにくい事だってあるのだろう、今度はグラントが、博士の方を仰ぎ見ていた。


「可能か不可能か、ワシには完全な予測は付けられんが……ネイ、サカヴィアの意見を聞きたい」

『……グレートスピリットは、全ての魂が通じている場所。仮に雨水が石を穿つほどの小さな穴でも、ブランフォードがグレートスピリットの一部を支配しているのなら、そこからじわじわと侵食するように、グレートスピリットの情報を書き換えることは、不可能ではないかもしれない』


 博士に声を掛けられるのと同時に、少女の脳内に母の声が響き渡った。少女はそのまま、周りの面子に母の言葉の最後に「らしい」を付け加えて伝えた。しかしまだまだ納得がいかないのだろう、青年は改めて博士の方に向かい、手の甲で机を叩きながら口を開いた。


「いや、ちょっと待ってくれよ……大陸の宗教が、ネイティブや東洋人を除けば、聖典の神だってのは俺だって分かってる。でも、俺みたいに元々神様を信じていない奴だって沢山居るだろ? それともヘブンズステアは、そんなことも勘定に入れないほど、皆が神様を信じてると思い込んでるのか?」

「……信仰心というヤツは、その時置かれている状況によって上下するものじゃ。例えば、聖典における預言者は、奇跡を起こしたからこそ、周りの人々に神の存在を信じさせることが出来た」

「あぁ、そうだろうよ……でもさ、そのうち科学の力が、聖典の奇跡だって解き明かす日が来るかもしれないぜ?」

「その通り、奇跡の裏には大体根拠があるものじゃ……しかし、肝心なのはそこではない。奇跡が起これば、人は神の存在を信じる。それが一過性のものであっても問題ないんじゃ。一時でも信仰心を爆発させれば、グレートスピリットを改竄出来るのじゃからな」

「はぁ……ようはアレだろ? 現在、まだ大陸でラジオってのは公表されていない技術だから、どこからともなく聞こえてくる声を神の声に見立てて、それで奇跡ってほら吹くつもりな訳だろ? でもさ、それだけで普段神様を信じていないようなヤツが、急に神様を信仰し始めるもんかね」


 そこで博士と青年のキャッチボールは終わり、今度はグラントがボールを横から入れてきた。


「……だから、置かれている状況が肝心なのだ。普段は聖典の神を信じていないような輩でも、一年に一度、なんとなく、神聖な気分になる時があるだろう」


 グラントの言葉に、青年は口元に手を当てながら、しばし視線を泳がせて――そして解を得たのだろう、真っ直ぐにグラントの方を見て口を開いた。


「……聖誕祭の日、確かにこの日は、無神論者の俺でもターキーを食う」

「そういうことだ。聖誕祭の日なら、人々の信仰心は普段よりも高まっている。それは、この大陸だけでなく、旧大陸や、旧大陸の植民地でもそうだ……旧教、新教、東方教会に関係なくな。そして、大陸では奇跡の声が響き渡る。日ごろから神を確信しているものは、より厚く神を信仰し、神を信じていないものでも、奇跡の夜に奇跡が起きれば、なんとなくでも神を信じてしまうだろう」

「成る程な。理屈は分かった……信仰心で大いなる意志を書き換える、なんてのも胡散臭くはあるが、何にしても奴らの計画を潰した方がいいことも納得した」


 青年は眼を瞑りながら頷いた。青年にはヘブンズステアのやっていることが実行可能か疑わしいと感じられるのは、恐らくあの世を直に見てきたから――しかし、ともかく少しでも可能性があるのならば、奴らの好きにさせておくわけにもいかない、少女は少なくともそう思った。


「それで、具体的にはどう攻めるんだ?」

「それを決めるのにお前を待っていたんだ、ネイ・S・コグバーン」

「あ、アタシ?」


 疑問をグラントに真っ直ぐに返されて、少女は少々困惑してしまった。


「厳密に言えば、お前の後ろにいるコグバーン大佐の意見を仰ぎたい……そういうことだな」

「あ、あぁ、そういうことね……」


 確かに、コグバーンなら戦術、戦略に関しては自分達の中で一番頼りになるだろう。少女は机に少し身を乗り出し、眼下の見取り図をあの世にまで見えるようにした。


「……どうだ?」

『どうだ、って言われてもねぇ……良いと言えば良いし、悪いと言えば悪い、どっちかって言えば、お勧めはしねぇな』

「……なんでだ?」

『いいか? まず、ギャラルホルンの内部に襲撃をかける事自体、リスクが伴う。フランク・ダゲットが襲撃してきた時点で、こちらの行動はある程度読まれているわけだ。しかも、ダゲットは帰らなかった訳だからな』

「……向こうだって警戒してるって訳か」

『そう、だから戦力を割いている今の状況で突貫するのは……実際、悪くは無い』

「うん? そうなのか?」

『あぁ、見たところ、内部は複雑な構造で、かなり広いみたいだが、通路はそんなに広くねぇ。それなら、あんまり大人数でけしかけたって、身動きが取りにくい可能性がある。それなら三、四人で攻め入った方が、攻略はしやすいかもしれん』

「成程」

『……だが、問題はだな……このギャラルホルンとやらを阻止するためには、どうすりゃいいんだ? 徹底的に破壊するのか? ま、こんだけでかい機構だ、そりゃあんまり現実的じゃねぇやな。それじゃ、敵の首謀者をとっ捕まえるか? まぁ、それが出来れば一番だろうが、そうなると現状の戦力じゃちとキツイ。スコットビル、ダンバー、ヘブンズステアにウェスティングスとやらの発明品、一気に相手をするには、こちらの戦力が足りてねぇ』


 成る程、ダンバーの相手はネッドが、ウェスティングスの相手はブラウン親子がするとして、ヘブンズステアの相手は自分が――と言いたい所だが、この前の暴れっぷりを見る限り、自分ひとりでは太刀打ちできないだろう。その上スコットビルまで出てくるとなれば、現状の四人と一匹では太刀打ちできないのも頷ける。


「そうなれば、今このギャラルホルンの中に、敵の主力がどれだけ集まってるかによるわけだ」

『半分正解で、半分不正解さ、アホ娘。敵の主力が集まっているなら、そもそもそいつ等を叩けばこっちの勝ちだ。だが、勝ち目が薄い。逆に敵の主力が集まってねぇなら、ギャラルホルンを叩くチャンスな訳だが……その場合のこちらの勝利条件は?』


 ギャラルホルンを叩くにはどうしたらいいか、少女が博士に問うと、機械仕掛けの狼の細い腕が、図面の中心部に置かれた。


「メインの動力部を叩く……無論、これほどの機構じゃ、サブの動力も所々に点在しておる。しかし、メインを潰せば、恐らく聖誕祭に起動不可能なほどのダメージには出来るはずじゃ」

『そうだよな。だけど、それはそれで難しい……ネイ、なんでか分かるか?』


 少女は目を開けたまま首を横に振ると、なんやかんやで教えたがりの養父は、すぐに答えを出してくれた。


『最初に言ったように、俺がお勧めしない理由はな、こういう作戦は退路の確保が肝心だからだ。それこそ、玉砕覚悟なら話は別だぜ? だが、お相手はこちらの襲撃を予想済み、どんな罠を張っているとも限らん』


 そこでコグバーンの大きなため息が聞こえた。それは、状況を悲観しているというより、自虐的な感じのため息に聞こえた。


『……俺は、自分で言うのもなんだが、戦術家としてはなかなか優れていたかもしれん。だが、物量で負ける南部は、緒戦こそは押していたものの、すぐに防戦が多くなった。俺は撤退戦や防衛戦は得意だったが、攻めるのは苦手だったんだよ……情けないことにな。それは、俺の目を思いだしゃ分かるだろ?』


 確かに、男の言うことを証明するように、攻め入ったスプリングフィールドでは、コグバーンはダンバーに返り討ちにされていた。


『ともかく、課題は二点だ。まず、敵の主戦力がどこにいるか、少なくとも現在ギャラルホルン内にいるのかいないのか分かること。もう一つは、仮に現状の戦力で襲撃をかけるとしても、退路をきっちり確保できるかどうかだ。幸い、内部の構造はある程度分かっているわけだから、俺がスプリングフィールドを襲撃したときよりは、まだ幾分か逃げ道は確保しやすい……ま、いい材料はそんくらいさ』

「オーケー、それじゃ、それを皆に伝えるよ」


 少女が大佐から聞かされた内容を二人と一匹に伝えると、まずグラントが口を開いた。


「コーウェン殿の話によれば、現在スコットビルは首都イーストシティに居るとの事だ。そして、それは恐らく間違いない」


 言いながら、グラントは机の脇にある新聞紙を机の中央に移動させた。確かに、紙面にスコットビルの写真があり、「行方不明だった大資産家、事の真相を語る」と一面を飾っていた。


「恐らく、コーウェン殿を筆頭に、原理主義者の内部分裂に歯止めが利かなくなったため、スコットビルをスポークスマンとして、ギャラルホルンの放送に備える算段なのだろう」

「成程……それじゃ、ギャラルホルンの内部に居るのは、多くてもヘブンズステア、ダンバー、ウェスティングスの三人か」


 少女が言葉に出して現状を確認すると、ネッドが腕を組みながら、深く頷いた。


「それなら、俺がダンバーを、博士がウェスティングスを、ネイとヴァンがヘブンズステアの相手をすれば、ギリギリ太刀打ちできるかもしれないな」

『……実際は、それでも勝算は薄いかも知れねぇが、まぁ、仮に総力戦になったときでも同じような振り分けになるだろうからな……』


 コグバーンの声は青年には聞こえていないはずだが、実際その通りだろう。だが、一つ一つの壁は厚い。しかし、弱音を吐いても仕方が無いし、少女自身は父との因縁に決着をつけ、リサを取り戻すという決意がある――改めて自分の中で想いを固めて、少女は青年の意見に頷き返した。


「……コグバーンも、ネッドの意見に同意だってさ。それじゃ、次に退路はどうするか……」


 少女が周りを見回すと、図面に、太くて長い、マクシミリアン・ヴァン・グラントの銀色の指が置かれた。


「これが、使えるかもしれないな」


 そこには『格納庫』と記されていた。




 次の日の早朝、少女たちはWWCに盛大に、とは言ってもカウンティマウントの住民には気づかれない程度に、厚く見送られた。とくにポワカは、サーカスの面々と打ち解けたらしい、最後まで声を掛けられ、そしてポワカ自身も別れを惜しむようにいつまでも手を振っていた。


「ネーチャン、ボク、まだ何が正解かは、良く分からないです」


 WWCが用意してくれた幌馬車の中で、ポワカが小さく声を漏らした。しかし、その声は沈んだものではなく、どことなく柔らかさがあった。


「でも、昨日の晩は、楽しかったデス」

「うん、それなら、良かった」


 だから、ポワカは自分達に着いて来る決心が付いたのだろう。この国の全てが女の子の味方でなくとも、一握りでも理解者が居るならば、戦う価値がある――それが正解かどうかは、ネイ自身にも分からなかったが、少なくとも自分はそれでいい、そう思った。

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