23-4


 ◆


 冬の落陽は早く、ダゲットの襲撃から数時間後にはすっかり日が落ちていた。とはいえ、振り落ちてくる結晶と、辺りに積もっている雪が光を反射しあっているため、夜でも暗くは無く、サーカスの敷地はどことなく幻想的な明るさを帯びていた。


『……ネイ、大丈夫?』


 優しく声を掛けてきてくれたのはマリアだった。恐らく、ネッドのことで気に病んでいると思ってフォローしてきてくれたのだろう、しかし少女は首を振って答えた。


「アタシは、だいじょーぶだよ……ネッドは、ちゃんと戻ってくる、約束は護ってくれるから。それよりも……」

『ポワカちゃんのことね』


 サーカスに着いて、少女は重症人の解放に努めていた。そしてそれもひと段落して後、ポワカの姿がどこにもなかったのである。恐らく、先ほど自分が拒絶されたのが――それは、ネイティブであるあの子も含む――堪えたのだろう、きっとどこかで落ち込んでいるのではないか、心配になって探している最中だった。


『……考えてみれば、あの子はベルとそんなに歳も変わらないわけだから。それなのにこんな過酷な戦いに巻き込んで、辛くないわけないわよね』

「うん……ただ、それだけじゃないと思うよ。ポワカは強い子だから……それこそ、だれかを護るために、悪い奴とだったら戦える、そういう強さは持ってる子だ」


 少女は雪で重くなった帽子を右手で取り、左の手で叩いた。それに呼応するように、今度は帽子本来の主が声をかけてきた。


『……それが、護ろうと思ってた人々に拒絶されたんじゃ、何が正しくって、何と戦えばいいのか、分かんなくなっちまうって話だよな』

「うん、心配なのはそこだよ」


 少女は再び帽子を被り、サーカスの中をうろつき始めた。昼間の爆発の影響で、すでにサーカスは閉まっているのだが、中は団員で大盛況だった。別に遊んでいるわけではなく、設営しているテントを護ろうと、テントの上の雪を下ろしたり、雪に濡れたらまずい機材などを片しているからだった。


「お、ネイじゃないか」


 呼び止められた声に振り返ると、そこには本来のメリル役だったリリアンが、笑顔で手を上げてたっていた。


「団長から話は聞いてるよ、大変だったんだねぇ……」


 フレディには、言って差し支えない範囲で全て話してあった。別に信用していないとかそういうわけではなく、言っても信用できそうな範囲である。一応、グレース、つまりリサと少女が腹違いの姉妹だったことは伝え、今はグレースを助けるために行動していると伝えてある。その話を聞いたからだろう、元々人情深く、女性としてはそこそこ恰幅の良いリリアンは、雪をのっしのっしと踏みつけて、少女の体を抱きしめてきた。


「こんなか細い姉妹に、神様はなんだって、こんな困難をおあたえになるんだろうねぇ……」


 強い力で抱き寄せられ、しかし、この人は本当に自分のことを心配してくれているのが伝わってきて――少し痛む背中より、彼女の優しさが暖かかった。


「……アタシは、大丈夫だよリリアン。心配してくれて、ありがと」

「なに、心配くらいしか出来なくて、歯がゆいんだけどね……しかし、もう一度グレースとネイの舞台を見たいねぇ。そのときは私も一緒にさ、皆で立つんだよ。それで、今度はみんなの衣装をネッドに造ってもらうんだ。アイツ、結構センス良かったもんねぇ」


 元々はネッドはジェニーにさんざセンスが無いとこき下ろされていたのだが、それでも努力の甲斐あってか、彼のセンスが認められたことに少女は半分喜び、しかしリリアンの夢想する未来の困難さに、半分悲しさがこみ上げてきてしまった。


「ご、ごめんよ……わたしったら、そっちの事情もよくわかってないのに、勝手なことを言って……」

「うぅん、いいだよ。リリアンの言うとおり、そう、皆がもう一度集まれれば、いいんだけどね……それより、ポワカを見てないかな? ネイティブで、緑髪で、可愛い服を着た子なんだけど……」

「あぁ、その子なら、あっちの建物の裏で見たよ……寒いから中に入りなよ、って声をかけたんだけど、もう少しここにいるって、聞かないからさぁ」

「ん、後はアタシに任せておいて。ありがとう、リリアン」


 少女はリリアンの腕をそっと解き、努めて笑顔を返して、ポワカの居る方へと歩みを進めた。

 設営されている木造の小屋の後ろは、拓けた場所になっていた。降り積もる雪と、淡い光との中、確かに考え事をするのにはちょうどいいかもしれない――少女はポワカの後ろに立ち、頭の雪を優しく落としてあげた。


「あ、ネーチャン……」

「まったく、こんなところに居たら風邪をひくぞ? さ、どこかあったかいとこにでも……」


 そう言って、少女はポワカの手を取った。しかしポワカは首を振って、前髪を垂らしたまま少女の手を穏やかに払った。


「……もう少し、ここに居たいデス。ここに、一人で……」

「それはダメだ」

「でも、一人で居たいんデス」

「分かった、じゃあお願いだから、ポワカの傍に居させてよ」

「ぜ、全然分かってねーデス!? ボクは、少し一人で考え事を……!」

「うーん、そこを何とか!」

「はぁ……ネーチャン、子供ですか?」

「うん、アタシ、精神年齢三歳なんだ」


 ふと脊髄反射で出てしまったのだが、こんなことを以前ネッドが言っていたのをふと思い出した。成る程、聞き分けの無い子相手だとこんな感じになる気持ちが、少女にも今更ながらに理解できた。


「……ネーチャンはキャラ変わりましたね。なんかうらやましーデス」

「まぁ、色々あったし……それに、一人であれこれ考え込んでも、あんまり良い方にはいかないもんだよ」


 それに、カウルーン砦の時には、ポワカが随分自分のことを励ましてくれていた。きっと今が、その恩を返すときなのだろう、少女はそう思っていた。


「ともかく、雪に濡れないところに行こう……あそこなんかどうだ?」


 少女が指差した先には、簡易の屋根つきの機材置き場がある。本当は、屋根つきで火を起こしている場所で服を乾かしながらにしてあげたいのだが、火がある場所は人が多いし、ポワカが嫌がるであろうから、とりあえずの妥協案だった。


「……分かったデス」

「ん、それじゃいこっか」


 再びポワカの手を握ると、今度は小さく握り返してくれた。それに安心して、少女は妹分を屋根つきの下へと連れて行った。二人して座り、しばらくは無言のまま、互いに雪を見つめていた。


「……ネッド、遅いデスね。心配じゃねーデスか?」

「うん、まぁ心配じゃないって言えば嘘になるけど、ネッドなら大丈夫、信じてるからさ」

「……ネーチャン、強いデス」

「そんなことないよ。皆のおかげで、やっと人並みになったってくらいだと思う」


 少女の返答に、ポワカは小さく「そうデスか」と返して、再び雪を眺めていた。しかし、先ほどからチラチラとこちらを見たり、妙に大きく息を吸ったりしている――つまり、言いたいことはあるのだが、どうにも踏ん切りが着かず、どこで言い出そうか、言わない方がいいのか、悩んでいるのは明白だった。ネイは少し悩んだ挙句、別に相手が何で悩んでいるのかは予測がついているのだから、いっそこっちから切り出してあげた方がポワカも話しやすいかもしれない、そう思い、こちらから声を掛けることにした。


「……昼間のこと、辛かった?」


 姉分の言葉につかれ、ポワカは一瞬驚いたような顔になり、しかしすぐに、再び表情を曇らせてしまった。


「……ボクより、ネーチャンの方が辛かったはずデス」

「いや、あん時も言ったけど、アタシは別に気にしてないよ」


 そもそも、今までだってああいうことはあったし、その上、少女自身は今は居場所があることを確信している。だから、別に拒絶されても気にならなかった訳なのだが――しかし、この子はずっと屋敷の中で生活をしてきて、行動を共にするようになってからはすぐに賞金首として指名手配されていたから、あまり人目につくこともなかった。ウェスティングスのようにネイティブを嫌っている人間が居るのは知っていても、あの博士は敵だから納得も出来だろう。だが何の関係も無い一般人に、いくら指名手配犯だからからといえど、あからさまに人種で拒絶されたのは、この子にとって始めての出来事だったのだ、傷ついても仕方がないことだった。


 しかし、この子の痛みが理解できるからと言えども、ポワカの悩みはポワカだけのものである。だから、少女は答えを変に押し付けたくも無かったし、自分なりの答えを出して欲しかったのも確かだった。

 だから、せめて考えを纏められるように、それでも一人で悩んで、暗い闇にポワカの優しさを落としてしまわないために、傍に居ること――少女に出来るのは、それくらいのことしかなかった。


 だが、何か答えを求めるように、ポワカの方がふ、と顔を上げてきた。


「……ボクは、どうすればいいのか、分かんなくなっちゃったデス」

「うん……でも、ポワカはさ、そもそも何で戦ってたんだろう?」

「えっ……?」

「うん、多分さ、ポワカは博士やアタシ達が戦ってるから、それでなし崩し的にって言うか、協力してくれてた部分はあると思うんだ。もちろん、アタシはポワカと、ここまで一緒に来れて嬉しかったし、たくさん助けてもらってきたって思ってる。でも、ポワカ自身がどうしたいかは、あんまり考えてこなかったんじゃないかなって」

「……ネーチャンは、なんで戦うんデスか?」

「それは、リサを助けてあげたいから……」

「でも、でも……そう、フィフサイド砦のあとから、ずっと思ってたデス。ネーチャン、本当はネッドと二人で、どこか静かに……暮らしたいんじゃないかって」

「……うん、そーかも、でも……」


 そう、ポワカの言ったこと自体は、少女だって考えたことである。今日だって、彼は命を削りに行ってしまった。もし最初から二人で逃げていれば、もっと長く居られたかもしれないのに――。


「……でも、逃げても解決しないって、そう思ったってのはあるよ。それに多分、アタシは……ネッドが好きだから、逃げたくなかったっていうのはあると思う」

「え、えっ?」


 少女の言葉に、ポワカは先ほどから鑑みると一番の間の抜けた表情をしていた。きっと、意味が分からなかったという以上に、平然とネッドのことを好き、と言ったことにも違和感があったのだろう、確かに今までの自分は素直じゃなかったから、ポワカが驚くのも無理は無かった。


「ふふっ……ネッドだけじゃないよ、アタシはポワカのことも大好きだよ」

「にゃー!? ね、ネーチャン、とち狂ったデスか!?」


 顔を真っ赤にしているポワカが可愛らしく、しかしこんなに熱くなっていたら、周りの雪が解けそうだな、少女は暢気にそんなことを思った。


「と、ともかく……それとこれとが、何の関係があるんデスか?」

「関係大有り、なんだよ。もしも奴らの思うような世界が来たら、人の心が操られちゃうわけだろ? そうなったら、アタシの想いは、気持ちは……全部、嘘になっちゃうかもしれない。だから、アタシが戦うのは、自分のため。もしかしたら、アイツ等が勝った方が、世界は平和になるのかもしれない……でも、アタシはアタシの想いを護るため、アイツ等の好きなようにさせたくない……うん、これが一番かもしれないな」


 少女は自分で言って、自分が一番納得していた。やはり、人と話すのは大切だ。自分の想いを整理できる。しかし、目の前の女の子の方は、むしろ重い表情を浮かべていた。それもそうだろう、今の言い方は少々卑怯だったかもしれない。「アイツラを倒さないと、自分が無くなっちゃう」なんて言い方は、脅しのように感じられるものだ。それこそ迷っているポワカに話すには、重すぎる内容だったに違いなかった。


「ご、ごめんポワカ。アタシの方が一人で納得して、重いこと言っちゃって……」

「う、うぅん、ボクの方こそ、なんだかごめんデス……」

「ともかく、アタシが言いたいのはさ、別に誰かのために戦う、なんて考えなくってもいいと思うんだよってこと。別にアタシが正しいわけじゃないし、きっとポワカの中にはポワカの正解がある。だから、押し付ける気はないよ」

「うん……」


 その返答を最後に、ポワカはスカート越しに膝を抱えて黙ってしまった。慰めるつもりだったのに、全然慰めることが出来ていない――むしろ、なんだか相手を責めて、余計に悩ませてしまったような気さえする。実際、戦うことに悩んでいるのだったら、無理に戦わなくていい、そう言おうとも思っていたのだが、それも返って逆効果に感じられた。ポワカは結構しっかりした子でもあるが、まだまだ歳相応に幼いのだから、決断を任せるのも残酷なのかもしれない。とはいえ、彼女自身が納得できないことのため、手を引いていくのも、これもまた残酷なのではないか、と少女自身の思考も堂々巡りを始めてしまった。

 少女がそうこう悩んでいるうちに、こちらの雰囲気をぶち壊す陽気な音楽が流れてきた。片付けもひと段落下からなのだろう、火を起こして集まっている簡易な屋根の下で、WWCの連中が演奏を始めたようだった。ポワカの方を見ると、やはり楽しそうなことに興味があるのだろう、曲の流れる明るい方を、なんだか切なそうな視線で眺めていた。


「……よし、ポワカ。一緒にあっちに行こうか」

「え、でも……」


 陽気な世界と今の自分は不釣合い、そんな風に考えているのだろう、ポワカは驚いたように少女の方を見返してきた。


「いいから……さっき馬車の中でさ、サーカスを一緒に見ようって話もしたろ? それに、一旦気になっちゃたら、人間って奴はもう駄目だ。ここでちゃんと見なかったら、後で後悔するんだから」


 そう言うとポワカも、不承ながら承知したようで、少女が先に立ち上がって手を差し出すと、弱弱しくも握り返してくれた。


「……また、アタシの話になっちゃうけどさ」

「……?」

「うん、さっきポワカが言ってくれたように、アタシは随分変わったと思う。元々、こんな風に誰かの手を引くなんて、引けるなんて、全然夢にも思ってなかった……みんなと出会うまではずっと一人で、きっとこのまま、誰とも居られずに、いつか一人で寂しく死んでいくんだろうなーなんて、本気で思ってたよ」


 そして手を引いて、小さなお祭り会場の手前で――この先に行くと、きっと言葉が音楽にかき消されてしまうから――振り向いて、銀色の世界を背景に佇む女の子に対して、思いの丈をぶつけることにした。


「アタシは、今のアタシが好き。でも、そうさせてくれた人の中には、間違いなくポワカがいる。一生懸命みんなを励まして、ここまで一緒に来てくれたポワカが居るから、今のアタシがあるんだから……だから、ありがとう」


 少女の言葉に、ポワカは一瞬きょとん、として、しかし恥ずかしくなってきたのか、頬を赤らめて俯いてしまった。


「ね、ネーチャン、なんだかネッドに似てきたデスね……」


 その一言は、最初は意味を理解できなかった。しかし段々と真意が分かってきて、少女の方もなんだか恥ずかしくなってきてしまった。


「あ、あはは、そーかも……ネッド、キザだもんな」

「しかも、無自覚なんデス」

「うん、あはは……」


 ともかく手を引いて、二人は屋根の下へとたどり着いた。お客様として気を使ってくれているのだろう、面々は笑顔で道を空けてくれ、雪に濡れている二人のために火の傍の場所を空けてくれた。いうなればそこは一番音楽の聴ける、一番の特等席でもあり――ポワカはしばらく、一座の織り為す陽気な空間を、真剣な目で眺めていた。


「……ここでは、みんな仲良しデスね」


 ふとポワカが漏らした一言に、少女は改めて周りを見渡した。ここには白人もいれば褐色肌も居るし、東洋人にネイティブも居る。男も女も陽気に歌い、笑い、踊っている――以前はあまり意識していなかったが、成る程、ここはこの大陸の中で、数少ない優しい世界なのかもしれない。

 少女がポワカに何か返そうとする前に、一人のトランペットを携えた陽気そうな褐色肌が、曲を吹きながらポワカの隣に近づき、マウスピースから口を離して笑った。


「ここは、この大陸のつまはじき者たちが、肩を寄せ合って出来た掃き溜めさ」


 言っている内容は至極暗いのに、言い方はどこまでも陽気だった。そして歌の続きを接ぐ様に、今度はネイティブの女性が、ポワカの左隣に現れた。


「楽しいことばっかりじゃないさ。世間の連中は、わたし達を道化として見てるんだ。見下してるから、笑って見ていられるのさ」

「……でも、それって、なんだか寂しくないデスか?」


 ポワカの疑問に対して、今度は東洋人の男性が皿を回しながら応える。


「生まれた時代が悪いのさ。生まれた場所が悪いのさ。でも、嘆いたって仕方が無い」


 東洋人が皿を宙高く舞い上げた後、その隣でポンチョを羽織った顔の彫りの深い黒髪の男が、汚い歯をむき出しながら笑った。


「オレたちゃ、色々諦めちまったのさ。だから、今が楽しけりゃいいのさ」


 そして締めに、座長のフレディがギターをかき鳴らし、ポワカの後ろに立っていた。


「それでも、俺たちにだって意地はあるのさ。せめて、誰かを笑わせていようってさ。仕返ししたってしかたねぇやって……ようこそワイルド・ウェスト・サーカスへ、お嬢さん、せめて今宵は嫌なことを忘れて、楽しんでいってくれ」


 そう言って深々とお辞儀をする一同に、ポワカは慌てたように手を振り、しかし陽気な笑みを浮かべて顔を上げた座長としばらく視線を合わせて後、何か思いつめたように口を開いた。


「あ、あの、フレディのおっちゃん……おっちゃんは、白人で、男で、だから、この国の中でも、そのぉ……」

「……別に、こいつ等みてぇな連中をまたぞろ引き連れて、チンドン屋なんかする必要はないだろうってか?」

「あ、うぅ……く、口汚く言えばその通りデス。おっちゃんはなんで、WWCの座長をやってるんデスか?」

「そりゃまぁ、お前さん、単純に言えば、これになるからよ」


 フレディはギターのネックを持つ方の手の指で、小さく丸を作った。


「お金のため、デスか?」

「そうとも! オレ達にゃあ、別に正義も思想も何もねぇ、あるのは今日と、明日だけ。明後日のことはしらねぇ、だから、明日を生きる金さえありゃあそれでいいのさ……でも、さっきも言ったように、意地があるのは本当だ。オレも若い頃ぁ、名の知れた賞金首でね。それこそ国民戦争よりも前の時代だから、術式とかぁ使えねぇけどよ。ともかく、白人だからなんだからとか、オレだって元々社会に居場所が無かった口さ。それでもこうやって、色々すげぇことの出来る連中を集めて、それでなんやかんや楽しくやってる……今は、それで満足している」


 眼を瞑り、皮肉も一切無く、本当に満足げに男は笑い、そして周りの多種多様な人種を見渡して、ポワカの髪の上に大きな手のひらを優しく置いた。


「別にオレは、WWCの連中を家族だ、仲間だ、なんて変に綺麗にお膳立てる気はサラサラ無い。ただ、同じように居所が無かった連中が、都合がいいから肩を寄せ合ってる。でも、その距離感でちょうどいいのさ。ともかく、あんまり暗い顔をしてちゃ、幸福だって逃げてくってもんよ。折角の可愛い顔が台無しだぜ? ポワカ」


 きっと、言葉にならなくても、何かしらの答えは得たのだろう、ポワカの目に、見る見ると輝きが戻っていくのが分かった。そして女の子は、前縛りの髪のちょうど前辺りに、小さな拳を作って、興奮気味にフレディと向き合った。


「ふ、フレディのおっちゃん、さっきは礼を言い忘れてデス……ボク達をかくまってくれて、ありがとデス」

「はっはっは! 礼儀のなっているお嬢ちゃんだ。こいつぁ上客だぞ、お前ら! しっかりともてなさねぇとな!!」


 フレディの言葉に、一座の者たちは皆笑った。それは、誰かを馬鹿にするような笑みではなく、暖かい笑みだった。そしてすぐに再び陽気な演奏が始まり――ポワカはただ、柔らかな表情で、一座が歌い、踊り、奏でる世界に入り込んでいた。


 ポワカが少し元気になったことに安心して、少女は少し席を立つことにした。そろそろ、ネッドが戻ってこないか気になり――再び雪下に踏み入れると、ちょうど遠くから、肩に雪を積もらせたダスターコートの長身が、こちらに歩いてくるのが見えた。本当は走って駆け寄ろうとも思ったのだが、あまり騒ぎを立てると、周りの空気を壊してしまうかもしれないから――少女はゆっくりと歩いて、青年を出迎えた。


「……遅かったから、少し心配したぞ?」

「ごめん、割と手間取っちゃってね……」


 謝る青年の顔を覗き込むと、硬い表情の中に、なんだか暗い影が見えた。


「……ダゲットは?」

「……やりたいことだけやって、逝っちまいやがった」

「そう……」

「……軽蔑するかい?」


 どうやら、ダゲットが死んでしまったことに対して、青年は自分が負の感情を抱くと思っていたらしい。それは少女にとって、半分はショックな出来事だった。だから、彼の勘違いを、不安を、少しでも溶かしてあげなければならない、そう思った。


「……たぶん、アタシが前に『死んでいい命なんかない』って言ったこと、気にしてるんだと思うんだけど……別に、それは今でも意見を返る気はないし、ネッドが好き好んで、ダゲットを殺したんだったら軽蔑するよ。でも、ネッドがダゲットを殺したとは思ってないから」


 それよりも、青年の生気が、今日の昼にも増して無くなっていることのほうが問題だった。フランク・ダゲットは命がけで、ネッド・アークライトの魂を削りに来た――そういうことだったのだろう。


「……ともかく、アタシは、どこまでいっても、いつまでも、ネッドの味方だからさ」


 そう言いながら少女は、青年の右の手袋を両手で強く握った。すると、青年の強張っていた表情が、少しだけ柔らかくなったように見えた。


「……俺は、やっぱり単純だな。なんだか、少し救われたきになったよ……それに……」


 青年が見据える先には、一座とポワカと、そして隠玉まを出してきたのだろう、蒸気人形達とサーカスの者達がが、陽気な楽曲に合わせてに踊っているのが見えた。


「……あの光景を見たら、この世はやっぱり辛いことだけじゃないって、そう思えた」

「うん……そうだね。アタシも、そう思う」


 ネッドとダゲットは、どこまで行っても平行線な二人だった。きっと、決して分かり合えない相手とは居るもので――それでも、今宵は雪の下で、人種も性別も関係なく、笑い合えているこの光景だって、この世に確かに存在している――それもまた事実だった。

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