22-3


 ◆


 クラウドホース州の奥まったところにある別荘のテラスで、二人の少女が向かい合って座っている。しかしポワカの方は机の上で両手を所在なさげに動かしており、表情もいつもに比べるとなんだか固かった。


「ね、ネーチャンと二人でのんびりって、意外と久々な気がするデス……」

「うん、そーだな……ソリッドボックスに向かう途中に、歌を教えて以来かな?」


 この一ヶ月は、少女の方は青年に付きっ切りだった。もちろん、ポワカと会話そのものは毎日のようにしていたし、今まではそんなによそよそしくなかったはずなのに、今日になって急に態度が硬くなっていて、しかしその原因が少女には分からなかった。


「えーっと……ポワカは、気を使いすぎだよ。アタシは、確かにネッドの傍に居たいっていうのはあるけど、別にそんなにかしこまんなくても……」

「ち、違うんデス。別に、ネッドとネーチャンに気を使ってるって、そういう訳では……」


 緑の髪が垂れ下がり、女の子の表情が読みにくい――何か、思いもよらなかった爆弾を、この子は抱え込んでいるのではないか、少女はそれが急に心配になってきた。


「あ、あのさ。何か悩みがあるなら、アタシが……」

「……ママに、会いたいんデス」

「えっ……」


 ポワカは、両手を組んだまま微動だにしない――少しして顔を上げて、少し困ったような笑顔を浮かべていた。


「……なんて言ったって、どうしようもねーのは分かってるデス。でも、正直、ちょっとだけ……お母さんが待っててくれた、ネーチャンが羨ましいんデス」

「ポワカ……」


 母に会えなかった寂しさは同じ、それでも、幼い子には割り切れないところもあるはずだ。そのことを気にかけてあげられなかった自分が腹立たしかったし、同時に申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。


「あ、あはは……ね? やっぱり、こういうことは、言うべきじゃないんデスよ……周りの人を、困らせちゃうだけなんデスから……」

 

 きっと、少女が自らに腹を立てていることを見通して、というより、こうなると分かっていたから、ポワカは我慢していたのだ――再び視線を落として、緑の紙をゆっくりと横に振っていた。


「……分かってるデス。ボクは物心ついたときには、まだママは居ましたし、屋敷の中にこもりっきりでも、人体実験されたりはしなかった……不幸を比べたってどうしようもないのは分かってるデスけど、ネーチャンだって辛い想い、沢山してきたわけですから……それが、報われたんだって思えば、おかしなことではないと思います」


 ポワカが話をそこで切ると、なんだか気まずい沈黙があたりに漂った。どうしようか、何を言おうか、少女が悩んでいると、本物の意味での天の声が、少女の頭に響き始めた。


『……ネイ、聞こえないふりをして聞いて』


 聞こえてきた声は、マリアのものだった。少女は平静に努め、続く言葉を待った。


『下手に申し訳ないとか思ってはダメよ。詰まらない同情は、相手を余計に惨めにさせるだけなんだから……それより、話を聞いてあげるといいわ。それも、ポワカちゃんが思ってもいないヤツね。でも、露骨に話を切り替えるのもダメよ』


 なんと難しい注文だろうか、しかしマリアの声はそれから聞こえなくなってしまった。あの世の連中は、みんな少女に優しい。だから、これ以上の助言はしない――借り物の言葉で慰めても、それはきっと誠実ではないと、大人たちは自分に言いたいのだろう。

 しかし、マリアの言葉を聴いて落ち着いたのも確かだった。お互いに、持ってるものは違うのだから――マリアの言う通り、下手に謝ってもおかしいし、かといって自分を変に責めるのもダメだ。素直な自分だったら、今俯いてしまっている女の子に、どんな質問をするだろうか――あんまり気負わず、思いついた言葉をそのまま口にしてみることにした。


「……ポワカのママは、どんな人だったんだ?」


 言った後に、少女は壮絶に後悔した。思い出させたら、余計に悲しい思いをさせるだけなのではないか――しでかしてしまったことの大きさに、少女は思わず右手で自分の顔を抑えてしまった。


「えっと……実は、あんまり細かくは覚えてないんデス」


 その返事に、少女は右手をひゅ、と下げてポワカの方を見た。すると、まだ俯いてしまっているが、意外に悪くないチョイスだったらしい、ぽつぽつと話を続けてくれる。


「ボクが物心ついたときには、体の弱っていたママは、ほとんど寝たきりの生活でした。だから、覚えているのは……ベッドに横たわる、青い顔をした、それでも優しい笑顔を浮かべているママと、その横にそっと横たわる、パパの姿……」


 女の子の言い方がなかなか叙情的であるせいか、少女にもその光景がまざまざと瞼の裏に浮かんだ。風にゆれるカーテンの下で、微笑みあうブラウン夫妻の笑顔――とは言っても、少女はトーマス・ブラウンの人間だったころの姿が分からないので、なんとなくの想像だが――。


「……ちょっと待って、できればもうちょっとがっつり想像したい」

「はひ?」

「ブラウン博士って、生きてるときはどんな感じの姿だったんだ?」

「えぇっとデスねぇ……結構、背が高くてデスね」

「ネッドくらい?」

「あんなデケーわけねーデス!」

「えー、それじゃあグラントくらい?」

「ほとんどかわんねーじゃねーデスか!?」


 なんだか、段々とポワカの調子が出てきたか、いや、自分が阿呆な質問をしているだけか――でも、たまにはこういう役回りもいいかもしれない。


「うーん、それじゃあジェニーくらいか?」

「た、確かにジェニーは女にしては長身ですけど、それよりももうちょい高いくらいデスかね」

「それじゃ、ブッカーと同じくらいだ」

「そうそう、そんな感じデス!」

「なるほどなぁ、あとは?」

「えぇっと、髪は灰色で、でもあんまり老けてるって感じでもねーデス。うーん、そんなにイケメンって感じでもねぇデスけど、えーっとぉ……」

「優しそうな感じ?」

「そうそう! そんな感じデス!」

「メガネは?」

「トーチャン、意外と眼は良かったんですよねぇ……」

「髭は?」

「結構綺麗にしてたデス!」


 そういわれると、段々とおぼろげだった博士の輪郭がしっかりしてきた――恐らく、言われた特徴にプラスして、白衣を常に身にまとっていたのに違いない。

 そして改めて脳内に出来上がったトーマス・ブラウン像で、少女はブラウン夫妻の姿を脳裏に浮かべはじめた。なんとなくだが幸せそうな二人の姿が思い浮ぶ。そして、その二人の間で跳ね回る、幼少のころのポワカの三人が、窓から差し込む陽光に照らされて、輝いている光景――。


「……そう、ボク達ブラウン一家の想い出は、遠いあの日で止まったまま……」


 きっと、少女と同じ光景を思い浮かべているに違いない、ポワカはどこか遠くを見つめるように、枯葉の舞う森の方を眺めていた。


「……分かってるんデス。寂しいのは、ボクだけじゃないって。ネーチャンだって、ネッドのこと、リサのこと、大変な思いをしてるのは分かりますし……みんな、何か辛いことを背負ってるってことは……ともかく、うん、ネーチャンごめんなさいデス。困らせちゃったみたいで」


 そう言うポワカは、今度は幾分かスッキリした表情をしていた。


「いや、いいんだ。アタシのほうこそ、ポワカのことをちゃんと見れてなかったって言うか……」

「ともかく、喋って少しスッキリしたデス……それより、ネーチャンの方は大丈夫デスか?」


 自分ばっかり沈み込んでいて申し訳ないと思ったのか、ポワカは済まなそうな上目遣いでこちらを覗き込んでくる。その仕草がいじらしく、可愛らしかった。


「アタシは、大丈夫……確かにネッドとリサのことは不安だけど、ポワカみたいに心配してくれる優しい子がいるんだからさ」


 少女は身を乗り出し、対面の緑の髪を右手で撫でた。自分のものよりも癖が強い、けれども柔らかい髪――そう言えば、以前同じようにこの子の頭を撫でようとしたときは、彼に念でも送っているのかと笑われたものだが――それをこんな風に撫でられる日が来たことが嬉しかった。


「あは、くすぐってーデス」


 はにかむように笑うポワカを見ながら、少女はあり得たかもしれない過去の日々を夢想した。ジーンにマリア、リサとポワカと一緒だったら――もちろん、恐らくコグバーンに連れ去られなかったら、自分が黙示録の祈士として洗脳され、もしかするとジェニーやグラント達と対峙していたのかも知れない――もしあの日、コグバーンが手を引いて行ったのが、自分ではなくリサだったら――彼やポワカと今こうしていたのは、もしかするとリサの方なのかもしれない。


「……ネーチャン、やっぱり辛そうデスよ」

「……うぅん、違うんだよ。どっちかっていうと、自分勝手なことを考えていただけ」


 そう、結局現実はこれで、辛いことがあって、だから今自分はこうしている。幸せもあるけれど悩みもある、その連続が人生なのかも知れない――妹分の頭を撫で続けながら、少女はふとそんなことを思った。

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