21-7


 ◆


 みんなでの食事が終わった後、いつの間にか一人ネイは姿を消していた。まぁ、そのうち現れるだろう、そんなことを思いながら、青年は自分に割り当てられた部屋へと向かっていた。別段、眠いわけでもないのだが、ダンバーの言っていたように、少しでも消耗を抑えるために、少し少女と話をしたら、すぐさま寝るつもりで居たのだ。

 だが、少し一人で考えたいこともある――そう思い、青年は部屋に向かうのをやめ、まず外の空気を吸いに行くことにした。どこぞかの名士が建て、いつの間にか放置されていたらしい、小さな街の奥まったところにあるこの屋敷は、夜になれば周りは暗く、考え事をするにはちょうど良い雰囲気だった。


 青年は手ごろな場所に腰かけ、のんびりと空を見上げた。やはり、夜空は良い――しばらくぼけっと眺めていると、青年に近づいてくる足音があった。


「……体はいいのか?」

「あぁ……ネイ・S・コグバーンと、マリア・ロングコーストのおかげでな」


 振り向けば、間に合わせの長袖を羽織って、袖を風に棚引かせながら、しかし一向に座る気配も無く、マクシミリアン・ヴァン・グラントが背後に立っていた。


「座らないのか?」

「あぁ、すぐ終わる……どれくらい燃やした?」


 そうは言われても、心臓を取り出すわけにもいかないし、そもそも元々がどれくらいだったのかも分からないのだ。ハッキリとどれくらい魂を燃やしたか、もっといえば自分の命が後どれくらい持つのか、具体的なことなど分かるわけがない。

 しかし、それをそのまま直に言ったところで面白みもないし、小粋なジョークの一つでも飛ばさないと、この真面目君のことだ、きっと余計に沈んでしまうだろう。


「あー……多分、寿命五年分だ」

「……本当か?」

「本当本当……俺がサボって、お前が頑張り続けた期間、それに追いつくための代償分さ」

「ネッド、お前……」


 すでに青年は視線を小さな街の灯に移しているので、相手がどんな顔をしているのかは分からなかったが、予想通りのため息が聞こえてきた。


「まったく……真面目に聞いたところで、真面目に答えてはくれないのだろうな、お前は。だが、お前がそう言うのなら、私はお前の寿命十年分は戦い抜いて見せよう。それが、せめても私に出来る償いだ」

「ばっか、お前、俺に気を使うくらいなら、ほかの事に気を使えよ……言っただろ? 護るものを絞らないと駄目だって」


 呆れた調子で返しながら振り返ると、ヴァンは迷いの無い、強い、しかし柔らかい笑みを浮かべた。


「私はお前に比べると、欲張りなんだよ、ネッド。結局、護りたいものがたくさんあるんだ」


 ヴァンの護りたいもの、国民の未来に、青年の命、それに恐らく――あの子のことを、諦めていない、そう言ったところだろうか。しかし、そうなるとクーのことが気がかりだが――今頃、ジェニーあたりがフォローを入れてくれているに違いない、青年はそう思った。


「……なるほどね。ま、いいんじゃないか? それで、お前が頑張れるならよ」

「あぁ。言いたかったのはそれだけだ……左腕がし次第、粉骨砕身の気概で戦おう」


 草が揺れ、男が踵を返す音が聞こえた。


「……考え事が済んだら、あの子にきちんと会ってやるのだな……お前が取り返したんだ、その責任を取る義務が、お前にはある」


 そう言い残して、ヴァンは屋敷に戻っていった。そして、最後に言い残した言葉は、まさしく青年が今から考えなければならない問題であって、それに釘を刺されてしまった、という状況だった。


(……とはいえ、これ以上あの子の傍にいて、いいものだろうか?)


 現世に戻ってくるまでは、そして少女を救い出すまでは、あの子に会いたい一心だった。しかし、この命は、奴らと戦い続ければ、遠くない未来には潰えてしまうかもしれない。そうでなくとも、気がつけば自分は化け物になっていたのだ。

 青年は、自分の右手を見つめる。元々は、少女の方が自分の力に脅えていた。だが、今では逆になってしまった。随分と頼りないと思っていた右手が、なんだか恐ろしいもののように感じられてきた。無限の荒野で悟った気になっていたが、やはり自分はこういう人間で――悩みは尽きないものだった。


 いっそ、自分はここから去るべきなんじゃないか。もう、ネイは大丈夫だろう。ジェニー達が居るし、母親やコグバーン大佐、ジーンにマリアだって居るのだ。もう自分がいなくたって、あの子は強く生きていける。

 後、自分の命はどれだけ持つか。分からないのなら、もうひとつの未練を清算しに行かなければならないのではないか。


(……パイク・ダンバー。優しい世界を目指すって……どういうことだ?)


 去って行ったダンバーは、優しい世界を目指すなら、ヘブンズステアに協力するといっていた。確かに、この世はクソッたれだ。それはあの荒野で青年がたたき出した結論だった。しかし、それでも抗う価値があると分かったから、自分は戻ってきたのであって――。


(……そうだな。俺は、あの子に会うために戻ってきたんだから……)


 ダンバーの気持ちは、どれだけ推測しても正確なことは分からない。考えるのは止めだ、青年は自分の衝動に従って立ち上がり――そしてすぐさま、しゃがみこんでしまった。


(……生半可に一緒に居たら、お互いに余計に辛くなるだけなんじゃないだろうか)


 青年の悲しいネガティブ思考が再発してしまった。しかし、今思ったのもきっと事実で――そう思えば、いっそ自分は化け物、しかし折角得た力だ、自分が奴らを倒しにいくのもいいのではなかろうか――。


(いやいや、今さっきヴァンに責任を取れって言われたばっかりじゃないか……それなのに去っていくなんて、勝手が過ぎるんじゃないのか?)


 現在青年の後ろ髪を引かれる思いは、あの世で味わったものと同等か、ややもすればそれよりも強烈だった。


(だけど……)


 自分の胸に、手のひらを当ててみる。果たして、動いているのか――先ほどは五年と適当に言ったが、多分一晩でもっと削っただろう。迫り来る消滅への不安、あの子の傍にいられたら、和らぐのかもしれないが――しかし、きっと自分の不安が相手にも伝わり、互いに沈んでいってしまうだけなのではないか。


 そう、やるべきことはやったじゃないか、ネッド・アークライト――いっそ、残る魂は闘争へと委ねて消滅すれば、幾分か恐怖だって薄まるかもしれない。


(……ジェニーたちには無茶をしてもらって、勝手に居なくなったら怒るかもしれないけれど……)


 青年は立ち上がり、前を見た。小さな街の明かりが、それでもイヤにまぶしく見える――そう、アレは生活の灯であり、今の自分と対極にあるもの――そして一歩踏み出そうとした瞬間に、先ほどと同様、しかし軽い足音が聞こえてきた。


「……オッサンの言ってた通りだ」


 青年は振り返らず、しかし足を進めずその場に立ち止まった。


「未来の見える御仁を相手にしちゃあ、こっちの行動も筒抜けだよな」

「うぅん。別に能力を使うまでも無いって、コグバーンが言ってる」


 なんと、大佐が言ってたという過去形から、言っているという現在進行形になる日が来るとは思わなかった。それがなんだか可笑しくって、青年は少し笑ってしまった。


「それに、コグバーンだけじゃなくて、ジーンもマリアもそうするだろうって言ってた」

「……俺って、単純なのか?」

「うん、単純……アタシは、言われるまで、気づかなかったけど……」


 そこまで言って、無言が続いた。振り返れば、きっと後戻りできなくなる――しかし後ろから感じる強烈な引力に、青年は動くことができず、ただ立ち止まっていた。


 少しして、少女の方から声があがった。

 

「……置き去りにしたことがある経験者として、一つ忠告。やったあと、すっごい後悔するんだぞ? それこそ、上の空になって、なーんも手がつかなくなっちゃうんだから」


 成る程、言われてみれば、かつて自分が少女にやられたことを、やり返そうとしていたのか。しかし、自分は善意で――いや、それは相手も同じか。


「そうだな。俺もあの時は荒れたよ」

「だろ? アタシ、荒れちゃうぞ?」


 うがーって! と付け足され、なんだか不思議な逆脅しをかけられてしまい、青年は困って頭の後ろを掻いた。


「……うん、アタシの方から一度、うぅん、何度も逃げようとしてた訳だから、止める権利なんかないのかもしれない……だから、そのままでいいから、アタシの話、聞いて?」


 青年の後ろで、少女が息を吸い込むのが聞こえる――しかし、すぐに話が始まらず、少女はまた少しのあいだ黙っていた。


「……ちょっと待って……脳内外野がウルサイから……うん、これでオッケー」


 なんということか、今までの会話は、あの世に筒抜けだったらしい。なんだか気恥ずかしくなって、青年は一気に前に駆け出しそうになったが、それはぐっと堪えた。


「それで、ネッドのこと、お母さん達から聞いた……ネッドの師匠を見て、なんとなく分かってたけど、実際に聞いて……さっき、また少し泣いちゃった」


 言いながら、少女が一歩、自分の背中に近づいてきた。


「それでも、アタシはもう泣かないって決めた。みんなに助けられて、やっと自分のこと、認められたから……強くなって、みんなにお返しするって、そう決めたんだ」


 少しずつ、足音が自分の方へ近づいてくる――ゆっくりだけど、着実に一歩ずつ――。


「……そして、諦めないって。アタシは、リサと手を繋いだ……だから、分かるんだ。あの子の魂は消えてないって。凄く小さくて、弱々しくて、今にも消えてしまいそうだけれど……それでも、まだ残ってる。あの子を助け出すまで諦めないって、そう決めた」


 そして、青年の胸の下あたりに、白い腕が巻きつかれ、少女に背中から抱きしめられた。とは言っても、身長の差があるので、抱きつかれた、というより、しがみつかれた、という感じではあるのだが――。


「……もう一つ、アタシの一番大事な人を……離さないって、そう誓った」


 決意を現すかのように、少女の白い二つの腕に力がこもる。

 

「あなたは、自分のことを諦めているかもしれない。もう、長くは無い命だって……でも、まだ何か手段があるかもしれない。それは、アタシにとっても、あなたにとっても、残酷な答えかもしれないけれど……それでもアタシは、諦めたくない」


 青年は、少女の話を聞きながら、自分を離すまいとしがみついている、二本の白い腕を見つめていた。そして、少女が呪いから救われたことを嬉しく思いながら――そうだ、自分がこの子に奇跡を運んできたのだ、それならばもう少し、甘えてもいいんじゃないか――そう思った。


「……君はずるいな。そんな風に言われたら……なんだか、希望が沸いてきちゃうだろ?」

「あはは、ずるいのは、お互い様だろ?」


 そう言えば、何度かずるいとも言われたっけ――青年はなんだか柔らかい気持ちになり、もう少しこのこと一緒に頑張ってみるか、空の星を見ながら、そんな風に思った。


 それならば、ずっと言いたかったことを、今この場で言おう。青年は振り返り、少女の目を見ながら、自分の想いを告げる覚悟を決めた。


「なぁ、ネイ、俺、君のことが……」

「……おらぁ!!」

「あ……?」


 ちょうど振り返りきったところで、気合の入った掛け声と共に思いっきり押され――芝生の上に、ちょうど青年が押し倒され、少女の体もその上に覆いかぶさり――互いの手と手が繋がれ――唇に、やわらかいものが触れた。


 青年がそれを、少女の唇だと判断するのに、少しだけ時間がかかり――驚きのあまり、青年はなされるがままになってしまっていた。しかし、きっと少女の方もどうすればいいのか良く分かっていないのだろう、ただ、唇が触れるだけの、たどたどしい口付けだった。


 少しして少女が顔を真っ赤にして離れ、少し潤んだ目でこちらを見ていた。


「……ネッドが言ったら駄目」

「え、えと、それは、一体どういう?」

「ネッドは、全部終わったら言いたいことがあるって、そう言ってたでしょ? まだ、終わってないんだから……だから、ネッドが言ったら駄目なの」


 成る程、確かに想いを伝えたら、なんだかやりきった気になってしまう気がする――しかし、きちんと動いているのか怪しんでいた心臓の動悸が激しい――ともかく、青年は上半身を起こし、膝の上に少女を乗せる形になった。恥ずかしさのせいか、少女はしばらく目を泳がせていたが、碧の眼に決意を乗せて、青年をまっすぐに見据えた。


「だから、その代わりに……アタシが言う」


 少女は一度眼を閉じ、小さく息を吸い、そして深い碧で、青年をまっすぐに見つめてきた。


「ネッド……あなたのことが好き……です。あなたがどんなに遠くに行ってしまおうとしたって、あなたを、絶対に離したくない……」


 そこで少女は青年の首に腕を回し、耳元で続きを紡いだ。


「そう……死んでも離さないんだから」


 主語が欠けているせいで、「私が」なのか「あなたが」なのか分からなかったが――いや、きっと両方だ。青年はふと、黄昏の荒野で少女の頭を撫でたかったことを思い出し、自分も彼女を抱き寄せて、告白の代わりに少々癖のある黒い髪を撫で始めた。成る程、夕餉の後には湯浴みをしていたらしい、少し髪が湿っていて、縛る暇も無かったのか、黒く長い髪が、自分の編んだポンチョの背面を覆っていた。


「……えぇっと、ネイ、ごめんな、勝手に行こうとして」


 青年が謝ると、少女は青年の肩の上で首を振った。


「うぅん……ネッドの気持ちも、分かるから……でも、それでも、やっぱり傍にいて欲しい」


 耳元から聞こえる、少女の小さな、しかし想いのこもった声がまた愛おしかった。

 

「しかし、何も押し倒すことはないんじゃないか?」

「むっ……だって、ネッド、大きいんだもん」


 なんだかくらっと来る表現をだなそれ、青年は半分冷静にそんなことを思った。しかし、青年の残り半分をよそに、少女は頭を一旦離し――とはいえ、まだ腕は首に回されたままで、恥ずかしそうに俯いた。


「それに、き、き、キス、するのに……飛びつくのも、なんか変だし」


 あれだけ大胆なことをしておいて、自分で恥ずかしがってしまう少女が可愛らしくて、おかしくって――。


「あはは、確かに、ぶら下がるような感じになっちゃ、変な感じだよな」

「そうそう……」


 少女は一度納得して、今度ははっとした表情になり、しかしすぐに微笑を浮かべて――首のところにあった少女の腕が、今度は青年の後頭部まで上り、少女はそのまま青年の頭を胸のところに引き寄せた。


「……うん、アタシの方も、ごめん……やっぱり、心配なのも間違いなくって……今朝から、ネッド、表情の動きが硬かったって言うか、不自然な感じだったから……でも、今の笑い方、自然だった」


 多分、今少女が自分の頭を抱いているのは、半分は顔を見せないため、そして、もう半分は安心させるためで――今度は逆に、青年の方が、頭を撫でられる流れになった。


「……大丈夫、ネッドは、生きてるよ」


 そう言われて、青年は瞳の奥が熱くなるのを感じた。少女の言葉に、今までの不安が一気に消し飛び――こちらも、恥ずかしくて顔を見せられないから、今はただ、少女の胸に甘えることにした。

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