21-6


 ◆

 

 フィフサイド砦襲撃後、半日かけてジェームズ・ホリディのアジトに到着した。みんなで最低限の食事を済ませた後は、移動中に車内で爆睡していたポワカと博士は、グラントの義手を作るのに部屋にこもってしまった。ブッカーには休むように言いつけて、ネッドとネイには二人でゆっくりしたいだろうし――ともかく、現在卓にいるのは、ジェニーとクーの二人だけだった。


「……いいのですか? グラントの看病をしなくても」


 ジェニーが紅茶のカップを置きながら見ると、クーは苦笑いを浮かべていた。


「心配なことは間違いないけど……多分、ワタシが傍にいるのも迷惑だと思うから」


 そこまで言って、クーは俯き、小さく頭を振る。

 

「うぅん、違うネ……ワタシは、ワタシの心を護りたいから、あの人の傍に居られないのかも」

「そう……」

「正直、うすうす感づいてはいたんだけどね……でも、あの子はグラント様が倒すべき敵でもあったから、勝ち目はあると思ってたんだけど……」

「……」


 ジェニファーは椅子から立ち上がり、後ろの戸棚にある瓶と、グラスを二つ取って席に戻った。


「……貴女、いける口?」


 瓶を上げながらクーに問うと、何故だか笑われてしまった。


「そういうジェニーこそ飲めるの?」

「飲める飲めないの問題ではありません。今は飲むべき時なのです」


 実際、ジェニーはそんなに強い方ではないことは自覚していた。しかし、それでも、何かぱーっと発散したい気分であったのも確かだった。


「皆、今日は疲れていますから、建設的な話はできませんし……グラントの腕の犠牲はありましたが、襲撃の無茶を考えれば作戦は成功といっても良いでしょう。だから、半分は祝いのお酒」

「もう半分は?」

「パイク・ダンバーの二人の馬鹿弟子の件で、例の姉妹に負けた、二人の女を慰めるための自棄酒やけざけや」


 そう言うと、珍しくクーは驚いた表情を浮かべていた。自分の本心はこの気を使える女にも悟られなかったのだ、なかなか良く立ち回っていたということだろう。


「ジェニー、貴女……」

「ま、ほんの一瞬の気の迷い……古い都から飛び出すとき、ほんのちょっぴり、いいなぁ、なんてね……」


 しかし思い返せば、やはりネッドのことは気にかけていたのだろう。カウルーン砦で「そういう関係にはなれない」と言ったのだって、ある意味自分の心を護る予防線だったのだ――これ以上近づいたら、きっと良くないと、そう自分に言い聞かせるために。


「……少し、思ったんです。もしネッドと出会う順番が、私とネイさんで逆だったらって……」


 これが、二日前に飲み込んだ言葉だった。しかし、ネッド・アークライトは他人の心の機微には疎くもない、言ったところで困らせてしまっただろうし、何より――。


「でも……私が好きになったネッド・アークライトは、あの子のために一生懸命なネッドだから……最初から、私が入る余地なんて、なかったんですよ」


 そう、きっと出会う順番が逆だったら、そもそも自分は彼を嫌悪しないにしても、あまり好意的に見なかっただろう。どこにでもいるような、そこそこ腕の立つ賞金稼ぎ、自虐的でどこか無気力で、同業者として一目置けても、それ以上にはならない、そんな評価で終わったはずだ。


「それに、一瞬のときめきは苦味に代わりましたけど、それを経験したおかげで、今ここで、貴女と同じお酒が飲めるんですから。それに……」


 車の中でのネッドの様子を思い出す。半分は疲れのせいだろう、しかしやはり半分は生気が無く――動く屍、そう形容するのが相応しいような雰囲気で――。


「あの人を想うのは、それはそれで茨の道でしょう」

「……そうね。それに、グラント様も……」


 そういうクーは、物憂げに窓の外を見た。確かに、リサの魂が残っているかも分からないし、況やどうにか取り戻したところで、元のリサに戻れるのかも分からないのだから。


「ともかく……良いことばっかりじゃないけれど、悪いことばっかりでもないわ。それに、まだ戦いは終わっていない……だから、明日への鋭気を養うため、今は馬鹿になりましょう」


 言いながらジェニーはクーにグラスを渡し、瓶の蓋を開けた。それだけで、結構なアルコール臭がする――まずい、これは結構強いお酒だったのかもしれない。


「……ちょっと、これは私の好みに合わないかもしれないですね」


 救いを求めるように見上げると、そこには慈愛に満ちた東洋娘の顔があった。


「あはは、馬鹿になるには強いお酒がぴったりヨ?」

「あ、あははぁ……お手柔らかに」


 こうなったら確かに自棄だ――ジェニファーは相手のグラスに酒を注ぎ、自分のものにも注いだ。


「……貴女の気遣いに」

「それじゃ、アナタの夢に」


 互いに言い合いながら乾杯し、一口呷り――なんだ、意外といける――そんな風に思ったことを、女は痛む頭を抑えながら、次の日に思い出した。


 ◆


 夕食を食べ終えて、少女は女性の使用人に声をかけ、湯浴みを出来ないかと尋ねた。お腹は一杯だが、もう十日近く体を洗っていなかったのだし――旅している時も、こういうのことはざらにはあったが、最低限、体は拭いていたし、これから青年の傍に行くのに、あまり汚れているのも好ましくないと言うことで――。


『あら、どうしたのネイ? そんな風に頭をぶんぶん振って』


 柔らかいが冷やかすよなこの調子は、マリアの声だった。こちらがどういう気か、知っているくせに、あえて分からないふりをして聞きだそうとしているのだから、まったく意地が悪かった。


「つーん。別に……ちょっと体を洗って、さっぱりしたいだけだよ」

『そうよねぇ、ネイも女の子だものね』

「……マリア、アタシの言うこと、全然本気にしてないだろ」

『貴女が本心を言わないんだもの』


 そう言った後に楽しげに笑う横から、男の声が入り込んでくる。


『ふむ……どれ、ジャリガキの成長でも、じっくりと観察することにするかな!』


 今の自分は心を開いているので、向こうから少女の視覚を共有できるらしい。ということは、鏡の前に立つと、即ち大変なことになるということだった。


「ばっ……おいコグバーン!! このエロジジイ!!」

『うへへへへぇ!! 結構育ってるみたいだからなぁ、おじさんたのし……ぐへぇ!!』


 打撃音とともに、コグバーンのうめき声が聞こえてきた。


『おいオッサン、もう片方の眼も眼帯になりたいのか?』

『いやぁ、じゃあジーンちゃんが代わりに……ごはぁ!?』


 なんだかあの世も楽しそうだ、少女は半ば呆れながらそう思ってしまった。


『……ネイ、貴女の方で、ある程度こちらとの繋がりを制御できない?』


 今のは、少女の母の声だった。物心ついたときには母はなく、自分は捨て子だと思っていたので、こうやって今更話すのも、なんだか奇妙な感じではあったのだが――それでも、魂の底に思い出が残っていたのだろう、やはり声を聞くと安心できた。


「えぇっと……うん、やってみる……見えるなー見えるなー……」

『……いや、必死なんだろうがな、馬鹿みたいだぞ、ネイ』


 ジーンの呆れたような声が聞こえてきたが、少女は感覚的に、向こうからの視覚だけを遮断することを意識し続けた。すると、なんとなくだが上手くいったような感覚があり、すぐにサカヴィアの声が聞こえてきた。


『うん、見えなくなった。これで安心してお風呂には入れるわね』

「あはは、うん、ありがと、お母さん」

『いえいえ、どういたしまして』


 自分を気遣ってくれる――そう、この人に愛されて、望まれて生まれてきた子なんだと再確認できて、少女は嬉しくなった。


『音だけのプレイ、そういうのもあるのか! なかなかマニアック……ぽげら!?』


 男の謎の独り言に、ネッドはコグバーンに似ている、そんな風に思ったことがあったことを少女は思い出した。しかし、少女はツッコミを入れるのに殴ったりはしないので、ジーンの方が意外とドツキ漫才の才能はあったのかもしれない、なんだか冷静にそんなことを考えてしまった。


 すでに給仕の人がお湯を沸かしてくれていたらしい、脱衣所のガラス戸が曇っている。少女はお気に入りのポンチョを丁寧にたたんでおき、汚れてしまった肌着を脱ぎ捨て、しかしなんとなく、あちらからの声が聞こえるので全てをさらけ出すのも恥ずかしかったので、タオルで前を隠してガラス戸を開けた。


 まずは、ゆっくり洗おう――泡立つ浴槽に一気につかるのも良いのだが、さすがに少しは体を洗ってからでないと、お湯が汚れそうでイヤだった。


『……マイノリティレポート!! 見える、俺には見えるぞ!!』

「……どんな未来が?」

『ふっ……ジーンちゃんとの激しいスキンシッ……ぷぁあ!?』


 ジーンがコグバーンの相手をしてくれている間に、少女はお湯を桶に入れ、髪と体に湯を流して少し洗った。顔を手で拭き前を見ると湯気で曇っている鏡が視界に入り――まず、右腕を伸ばして見た。あれだけまざまざと刻まれていた文様は、かなり注視しないと見えないほどになっている。

 ついで、右手で曇りを拭い、今度は鏡に映っている少女の写し身を見る。普段は少し跳ね返っている髪が、水に濡れてしっとりと伸びており、自分でも少し色気があるように感じられた。それに、なんだかんだで、結構胸には自信がある――マリア、クーほどでないが、ジーンとも互角にやりあえる武器、そして少女が唯一、リサに勝ってると、文字通り胸を張っていえる部分がそこだった。


『……ネイは俺が育てた!』

『オッサン……お前、それが言いたかっただけだろ? 大丈夫だぞ、見えてないから……ネイ?』


 半分くらい、途中からあちらの声が耳に入っていなかった。なんだか、少し浮かれている自分が申し訳なくなってしまったというか――。


「……ちょっと、リサのことを考えてて」


 そう言って、少女は視線を落とし、水場のタイルをじっと眺めていた。少しすると、マリアから声をかけられた。


『……ねぇ、ネイ。リサの事、私は正直に言えば、やっぱり許せないわ』

「……そうだよね」

『でも……許せないからこそ、あのまま終わらせたら駄目よ。あの子には、形はどうであれ、きちんと罪を償って欲しいから……』

「……うん」

『だから、ちゃんとリサを救い出してあげてね』


 マリアの言葉に、少女は幾分か気持ちが救われた。あの子の事を気遣ってくれる、マリアのやさしさが嬉しくって――。


「……うん、マリア、ありがと」


 少女は見られているわけでもないのに、優しい姉に頭を下げて、そして体も冷えてきた、湯船につかることにした。


「……そう言えば、お母さん、ネッドのことなんだけど……」

『あら、お母さんは認めてるわよ?』

「そ、そうじゃなくって! それはそれで、重要かもなんだけど……」


 あまり話したこともなかったはずなのに、いざ親に公認される、というのも変な感じで、恥ずかしくなり、少女は口元まで湯船に入れ、息を噴出しぶくぶくと更なる泡をたててお茶を濁した。


『……彼の体が、いいえ、魂が……どんな状況か、ってことよね』

「……うん、そう。それを、ちゃんと知りたい」


 ここに戻ってくるまでの間は、少女も周りの仲間達も、みな疲れてていてほとんど眠ってしまっていた。特に、青年の眠り方は深く――いくつもの夜を、彼とは一緒に過ごしてきた。寝相は悪くないが、多少はいびきを立てるほうだったはずなのに、あまりにも静かで――認めたくないのだが、あれは、まるで死んでいるようだった。


「……ネッド、帰る場所が無くなっちゃったって言ってた。それで、制御できてなかったアタシの右手を触れるのっていうのは……」


 そう、少女もうすうす感づいてはいるのだ。彼は確かに、あの水晶の夜に一度死んでいる。それなのに現世に戻ってきて、帰る場所が無いとは、すなわち――。


『……彼はパイク・ダンバーと同様、グレートスピリットの加護から離れ、自らの魂を燃やし……ネイ、アナタを護る道を選んだの』


 その先は、聞かずとも分かった。つまり、彼は魂が帰るべき場所が無くなってしまった――そう、今まで自分は、あの世に、還るべき場所に相手の魂を繋げてきた。彼に手を握られて、それでも繋がらないと言うことは、自分の魂を繋ぐ能力より、彼が大いなる意志に許されず、見放されてしまったルールの方が上だということなのだろう。


「……アイツは、ほんとに馬鹿だよ……」


 口では悪態づいたものの、少女は頬を伝うものは押さえられなかった。


『……泣かないで、ネイ。まだ、可能性はあるかもしれない』

「……え?」

『彼の魂は、確かに大いなる意志から見放されてしまった……それでも、本当に帰る場所はなくなってしまったのかしら?』


 そう言われて、少女は自分の胸に右手を乗せてみる――確かに、サカヴィア、コグバーン、ジーン、マリアの気配を感じ――だがもう、自分と繋がる魂があるのを感じた。一つは弱弱しく、吹けばすぐにでも消えてしまいそうで、もう一つは、まだ熱く燃える感じがあるものの、それでも、そんな勢いで燃えていたら、きっとすぐに尽きてしまう――そんな、二つの魂。


「……これって……リサと、ネッド?」

『そう、あなたはとリサちゃんネッドさんと手を繋いだから。二人とも、迷える魂となってしまっているけれど、微かに、アナタと繋がっている……そこに、何か糸口があるかもしれない』

「そっか……うん、まだ、やれることはある……」


 そう言われて、少女は右手の上に左手も重ね、二つの魂が壊れないように、そっと両の手で握って見せた。


「うん! そうだ、アタシは今までネッドに散々助けられてきたから……今度は、アタシがお返しする番なんだ!」


 浴室の中で叫ぶと、声が反響し、しかしなんだか自分の決意が大きくなったようで、意外と悪くない気分だった。


『そうね。だから、そんな風に泣いてたら駄目よ、ネイ』


 母に諭されて、少女は濡れている腕で瞳の下を拭った。


「こ、これは水滴が滴ってきてるだけだから……」

『……成程、私の娘は、こんな風に育っているのね』


 独り納得するような母の声に、少女はなんだかバツが悪くなった。照れ隠しに頬を爪の先で掻いていると、男が露骨に息を吸い込むのが聞こえた。

 

『……あー、お取り込みのところ悪いんだがな。ちょいと一つ、オッサンからアホ娘にアドバイスだ』

「あー? 誰がアホだ、お前の方がずっとずっと……」


 言い返そうとしても、いつものお茶らけた風ではなく――こんな雰囲気のときのコグバーンは結構重要なことを言う。それを少女は知っていた。


「……なんだ?」

『男ってヤツはな、みんな馬鹿なんだ』

「知ってるよ……それで?」

『……男の馬鹿さで性質が悪いのは、良かれと思って変なナルシズムに走っちまうところなんだよな』

「前置きはいい。早く本題を話せ」

『決意を固くしたんなら、さっさと風呂から上がったほうがいい。今頃、あの男は……』


 続く言葉を聴いて、少女は湯船から跳ね上がり、髪も体もろくに拭かないまま用意されていた着替えを着て、外へと駆け出した。

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