第21話 絡み合う縦糸と横糸 下

絡み合う二つの糸


 ◆


 薄暗い部屋の中で、少女は壁をじっと見つめていた。正確には、何も見ていない――焦点は心の底にあるのであり、ただ眠っていないから、眼を開けているのに過ぎなかった。

 あとどれほどの時間が経てば、自分の魂はこの世から消え去ることが出来るだろうか。少女の焦点は、ただその一点に絞られていたのである。


 思えば、本当に自分は疫病神だ。父だと慕ってた男を送り、自分を世話してくれた姉二人も手にかけ――もちろん、大切な人たちを苦しませないために相手の手を取った、それだけなのだが――そもそも、自分がいなければ、大好きな人たちが苦しむこともなかったのではないか、この一週間、そればかりを考えてしまう。

 もちろん、自分の絶望の原因はそれだけではない。少女は自分の右腕を見る――そこには、いつも巻かれていた赤い布が無い。自分を包んでくれていた優しさは、母のもので――でも、母親だって自分が手にかけたというのだから、本当に自分は死神そのものだ。

 思い返せば、なぜここまで生きてきてしまったのだろうか。ネイティブでも白人でもない自分、中途半端で、どこにも居場所が無くて――そしてこの呪われた右腕のせいで、大切な人たちが死んでしまった。自分がもっと早くに死んでいれば、みんなを苦しませずに済んだのではないか。


 それでも、ここまで生きてきたのは――コグバーンの遺言があったから。


『……いつか必ず、ホントに信頼できる奴がお前の前に現れる。だから、それまで旅を続けろ。俺には、それが見えたから……』


 ただその言葉だけを頼りに、荒野を歩んできた。怖がられても苦笑いを浮かべながら、なんとかごまして生きてきた。人殺しと罵られても、化け物と蔑まれても、それでも――もしかしたら、いつか自分の右手を握って、手を引いてくれる人が現れるんじゃないか――それを信じて、一人で生きてきた。


 ◆


 薄暗い廊下を歩きながら、青年は考えた――黄昏の荒野で随分と色々と考えたのだが、それでも悟るには遠いらしい――何度も思っているが、この五年間は生きていなかった。死んでいなかっただけだった。それが、今はむしろ逆になってしまってしまい、死んでいるが生きているとという奇妙な状況になってしまった。


 それは、ある意味では他の魂に対する冒涜なのかもしれない。あるべき所に還るのが、本来の筋であって――それでも、自分の決断に後悔はない。無念に潰えたほかの魂に恨まれても、自分が消え去ってでも、護りたいものがあるのだから。


 死んでいなかった五年間は、今となっては意味があったと分かる。師と旧友と失い、別れの苦しみを知り、一人で生きていこうと決めた幼い自分――だが、結局耐えられなかった。一人で生きていくには、この世界はあまりにも残酷で、寂しいものであると、それが分かっただけでも、孤独に生きてきた甲斐もあったというものだ。


 ◆

 

 しかし、私の手を引いてくれると思った人も、結局自分と居たせいで死んでしまった。自分が殺した。それを思い返すだけで、胸が苦しくなり、枯れたと思っていた涙が、また溢れてくる。


 ふと、いつかの日の星空が、少女の瞳の裏に映った。それは、南軍の猛将が修道院から自分を連れ出したあの夜――コグバーンは、瞳から滴る血を左手で抑えながら、自分の頭に銃口を向けている。そう、彼は自分を最初は殺す気だったのだ。


 あの夜、どうして男が銃を下ろしたのかまでは、少女は覚えていなかった。ただ、これでこの世界から解放される――地獄のような現世から解き放たれると思っていたのに、気づけば男は銃を収め、私を連れて、西部の荒野を渡り歩いていた。


 父親の愛情を知らなかった、施設から壁から見える四角い空しか知らなかった私に、彼は広い世界を教えてくれた。ぶっきら棒で不器用で、ガサツでいい加減で、それでも私を気遣ってくれていたことは分かるから――コグバーンには、感謝している。

 でも、あの夜、私を殺してくれていれば良かったのに。そうすれば、こんなに苦しい想いだって、しなくて済んだのに。誰も傷つけずに済んだのに――せっかく育ててくれたのに不義理だと言うのは分かっていても、彼の残した技と武器、そして遺言を頼りに、なんとか行き着いた果てがこれならば――あの時私が死んでいれば大好きなあの人に、苦しい思いをさせずに済んだのに。

 

 ◆


 青年はなんとなくボビンを一つベルトから取り出して、それをじっと眺める。糸というものは、一本では弱いものだ。しかし、束ねることで紐になり、縦糸と横糸が重なり合い、紡がれあって、布になる。


 人というのは不思議なもので、ちょっとしたものを自分と重ね合わせる癖がらしい、左の手で糸を摘み、引き伸ばし、それをピンと張ってみる――成る程、これが自分だ。今の自分がどれだけ強い力を有していたとしても、一本では磨耗し、いつか擦り切れてしまうだろう。そして、それはあの子も同じで――きっと今、弱りきって、擦り切れてしまいそうになっているに違いない。


 以前は、自分のことが好きではなかった。自分の能力の弱さに、何度打ちのめされたか分からない。自分の力の至らなさに、何度絶望したか分からないけれど――別に、今だって不安定で、恐ろしい力を手に入れたとしても、結局自分ひとりでは不安で、寂しくて――そしてそれは、きっとあの子も同じだから。


 ◆


 それでも私が未だに生にしがみついているのは、なんだかまだ、彼が来てくれる気がするから。この前、一瞬だけ感じた、懐かしさが――ネッド・アークライトは不死身だから、いつだって、私が哀しい時に駆けつけてくれて、助けてくれる。自分が送ったというのに、そんな幻想から離れられず、少し生きる気力を沸かせては、しかしすぐに罪悪感がそれに勝り、消えてしまいたくなる――なんどもなんども思考が堂々巡りをしてしまっているのだった。


 少女は一旦壁から眼を逸らし、もっと深い闇にこもるため、自らの顔を膝にうずくめる――理屈ではもう会えないと分かっているのに、何故だか会える気がしてしまう。貴方を想う愛おしさが見せる幻影なのだろう、それでも――。


 ◆


 ついで、青年は昨日編んだミサンガを取り出してみた。それを、少し引っ張ってみる。確かに編みこまれた自分の作品は、ちょっとの力では千切れそうにない。糸と糸が絡み合う強さに、自分が作った物ながら感心した。一本では弱くても、絡み合えば強くなれる。


 自分が縦糸だとするならば、あの子は横糸。一人ぼっちだった二人、弱かった二つの糸が出会って、そして紡がれてきた物語――もし遠くない未来にこの身が消えてしまうと知っていても、会えば余計に寂しくなってしまうかもしれないと分かっていても、それでも――。


 ◆


「もう一度、君に会いたい」

「もう一度、あなたに会いたい」


 縦糸は扉に手をかけて、横糸は膝から顔を上げた。

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