21-1


 ◆


 扉が開き、その奥から明かりが差し込んでくる。逆光でシルエットしか見えないが、その影は、この半年間、ずっと見続けてきたものだったから。


「……ネッド?」

「あぁ……そうだよ」


 声は抑えられていて、それでも聞きなじみのある彼の声で――影が、部屋の中に入ってくる。鉄格子の向こうに、確かにネッド・アークライトが立っていた。

 しばらく、二人で見詰め合った。どちらかというと、彼は冷静で、自分のほうが呆然と見つめている、そんな差があったのだが――事態を認識した瞬間、少女の頭は一気に混乱してしまった。


「え、え!? なん、なんで!?」


 なんだかもう一度会える気がしていたのも確かなのだが、実際に来るとは思っていなかったわけで――そう、確かに自分が殺した相手なはず、それが目の前に居ることに、少女の脳の処理能力では理解が追いつかなかった。


「言っただろ? 俺は不死身だからな。ちょっくらあっちで神様に呆れられて、こっちに戻ってきたんだよ」

「そ、それは……?」


 相手の言っていることの真意を手繰ろうと、少女は青年の目を見つめた。どこか、生気が失せてしまった様な眼光は、つい最近どこかで見た記憶があった。


「細かいことはいいよ。さ、ここから出るぞ」


 青年が部屋内の机をあさり始める。恐らく、鍵を探しているのだろう――少女はこの一週間、ほとんど無気力な状態で牢の中にいたので、残念ながら鍵の位置は分からなかった。

 しかし、鍵が見つかったとして、果たしてここから出るのが正解なのか――少女はそのことが不安になった。


「……ねぇ、ネッド、アタシは、このままでいいよ……」


 机を漁る青年の背中が止まった。会いたかったのに、いっそ抱きしめて欲しいのに――それでも、もう怖いから――。


「だ、だって、アタシが外に出たら、きっとまた、大切な誰かが死んじゃう……ネッドだって、また酷い目に……うぅん、多分ここまで来るのに、もう酷い目にあってるでしょ?」


 その証拠に、彼の衣服はまた埃まみれだった。だんだんと視界が歪んできて――少女は頬に熱いものが流れるのを感じた。


「あ、アタシは、もう辛い思い、しなくていいって、言ったのに……!」


 本当は、来てくれて、もう一度会えて嬉しいのに。しかし、もう無茶をして欲しくないのも本心だし、もう一度失う怖さを味わうくらいなら、いっそここで果ててしまったほうが――。


「アタシは、死神だから……やっぱり、誰かのそばに居ちゃ、いけなかったんだ……」

「……誰かさんが言ってたよ。面倒くさいのは、女の特権だってな」

「……え?」


 困惑する少女をよそに、鍵を探すのをとりあえず諦めたのか、青年は手ぶらで鉄格子の手前まで歩いてきて、その場に座り込んだ。

 そして、青年が鉄格子の間から左手を伸ばし、少女の右手を取り――指と指を重ね合わせ、強く握られた。


「ほら、なんともないだろう?」

「あ……え?」


 以前も、こんなことがあった。無理やり手を繋がれたのは、初めて出会った日の翌日だったか――しかし、あの時と今で決定的に違うのは、右手の拘束具の有無だった。

 いつもの、どこかへ魂を送り込んでしまう感じが無い――ただ、初めて素肌で握られた彼の手が、大きくて、でも冷たくて――。


「な、なんで……?」

「あー……まぁ、俺帰るとこが無くなっちゃったからさ」

「ぜ、全然わかんない!」

「大丈夫、すぐに分かる……ともかく、ほら、俺の手を握って」

「う、うん……」


 なんだかわからないまま、少女は青年の手を握り返した。


「……ネイ、君の能力は、君の本質は、『死』なんかじゃないんだ。ただ、初めて能力を発動させたとき、君はお母さんを楽にしてあげたくて、必死になった結果、あの世とお母さんの魂を繋げた……それで、ずっと勘違いをしていただけだ」


 繋いでいる手と手から視線を上げ、少女は青年の顔を見た。どこか固い、それでも自分を安心させるように、ネッド・アークライトは笑顔を浮かべていた。

 

「君の本質は、『繋ぐ』こと。だからやっぱり、君は死神なんかじゃないんだ」

「あっ……」


 何故だろうか、彼の言葉が胸にすとんと落ちてくる――そこで一度手が離れ、青年は立ち上がり、右手の親指を胸に押し当てた。


「……それでも君が自分を責めるって言うんだったら、俺は何度だってあの世から戻ってくる。君が、優しくて、どこにでもいるような……普通の女の子なんだって、証明する為に」


 青年が胸を擦り上げた瞬間、蒸気が立ち上り――鉄の柵がいとも簡単に切り開かれ、そして青年は目の前に座り込み、少女の目線の高さに合わせて顔を覗き込んでくる。


「……それに、俺だけじゃない。ほら、聞こえるだろ? 外でドンパチやっている音がさ」


 言われてみれば、先ほどから外がウルサイ――いや、こんなにうるさいのに気がつかなかったのは少々おかしいのだが、それだけ自分が沈み込んでいた、そういうことなのだろう。


「俺がここに来るのに、ジェニー、ブッカー、ポワカ、博士、クー、それにヴァンの助けがあって……」


 話を続けながら、青年は少女の右腕に、赤い紐を巻きつけた。それは、少女の母が唯一自分に残してくれた、形見の切れ端だった。


「……短くなっちゃったけど、君にとって大事なものだし……それに、それがあれば……聞こえないか?」

「え、えっと……?」


 青年の真意を分かりかねて、少女は困惑してしまった。しかし青年は焦らせることなく、微笑んできてくれた。


「……落ち着いて。今まで君は、自分のことを勘違いしてたんだから無理もない……でも、さっき俺が言ったこと、君の本質を思い出して」


 自分の本質は、繋ぐこと――そう自分に強く言い聞かせ、少女はしばらく腕の布を見つめ、何か自分に語りかけてくるものは無いか、心の耳を澄ませた。


『……イ……ネイ……!』


 どこからか、懐かしい声が聞こえてくる。聞き覚えはないはずなのに、聞くと安心する声――。

 一方で青年は再び立ち上がり、机の上に散らかっている少女の備品を取ってきた。


「……聞こえたかい?」


 言いながら、青年は少女の首に、マリアの十字架をかけた。


『……ネイ……聞こえる……?』


 優しい、大好きだった姉の声が聞こえてくる――だんだんと分かってきて少女は一度引っ込んだはずの涙が、また瞳から溢れ出してくるのを感じた。

 今度は青年が、肩に銃の入ったホルスターを掛けてくれた。すると、今度は男の声が聞こえてくる。


『まったく……五年も待ったんだぞ? このアホ娘め』


 誰がアホか、お前のほうがアホだ――きっと、今頃あの男は、凄くいい笑顔をしているに違いない。だんだんと生きる力が沸いてきて、自分の口元も上がってくるのが分かった。


「えぇっと、外は寒いし……これは、俺から」


 ボロになっていたポンチョのほつれを一瞬で直し、そのままそれを優しく頭からかぶせてくれる。頭が布から抜け出るのと同時に、頭の上にぽん、と何かが置かれた。


『……積もる話は後だよ、ネイ。さ、やらないといけないこと、あるだろ?』


 窓の外を見ると、少女の妹が、自分の仲間たち相手に戦っているのが見えた。アレを、止めなければならない――皆で、またもう一度歩むために。


「……ネイ」


 青年が、また優しい微笑で語りかけてきてくれた。深い深い黒い目が、少女を見つめている――そう、もう答えは分かった。


「……アタシは、死神なんかじゃない。見守ってくれている、大好きな人たちがいて……共に歩みたい、仲間がいるッ!!」


 叫んだ瞬間、少女は右の手を前に差し出した。今まで忌々しいと思っていた右手の文様が、妹の物と同じように消えていく――もちろん、完全に消えたわけではない。ただ、自分を理解したから、制御できるようになっただけだ。


「上等ッ!!」


 言いながら、少女の相棒は懐からエーテルシリンダーを取り出し、少女のグローブにはめ込み、まずそれを少女のほうへと放り投げた。少女はそれをキャッチして、右手にはめ込み、それを見てから青年はポワカがしつらえてくれたライフルに、ナイフを刺して少女のほうへ放った。


 受け取った武器を、自らの本質で繋ぎ合わせ――少女は思いっきり、銃剣を石の壁に突き刺した。グローブから蒸気が噴出し、引き金が引かれ、石の壁に巨大な穴が開いた。


 いつの間にか、外は曇りの無い満点の星空が浮かんでいた。夜風に彼がしつらえてくれたポンチョが棚引き――下に居る少女の妹が、こちらを見上げているのが見えた。


「……ねぇ、ネッド」

「なんだい?」

「あの子が、みんなに……ネッドに酷いことをしたって、分かってる。それでも……」


 みなまで言わせずとも、青年は少女の言いたいことは分かってくれていた。


「君がやりたいようにやってくれるのが、俺も一番満足するさ」


 青年の言葉に、少女は顔半分だけ振り返り、笑った。そして二階のから一気に飛び降り、銃剣を構えて、ヴァンを踏みつけジェニーと対峙している妹の元へと駆け出した。

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