20-6
◆
夜の闇に紛れて、ネッド・アークライトはフィフサイド砦の壁の前までたどり着いた。壁の高さは三メートルほど、くぼみも無い平な壁は、本来ならば潜入不可能だろうが、青年の能力を使えば壁を越えるくらい造作も無い。もちろん、静かに侵入しなければならない――そうでなければ、せっかく表でジェニーたちが暴れて、敵の眼を引き付けてくれているのが無駄になってしまう。
青年は踵を擦りあげてから、壁の向こうにある、適当な木の太い枝に、黒い繊維を巻きつけた。それを起点に、壁に足を付けて、ゆっくりと平らな面を上っていく。塀から僅かに顔だけ出し、辺りの様子を覗い――辺りに見張りは居ないことを確認し、後は一気に上って、巻きつけていた糸を枝から外し、そのまま壁の向こうへ着地した。
しかし、潜入したのは良いものの、果たして少女がどこに捕らえられているのか皆目検討もつかない。いや、なんとなくだが、多分地下ではない――石の壁と、窓から僅かに差し込む月明かりが、なんとなくだがそんな記憶が、青年の魂に残っている。しかし砦の内部には、元々兵舎や武器庫であったのだろう、何個もの小さい建物があるため、どの建物が正解までかは分からなかった。
(……しらみつぶしに探してたら、時間がかからぁな)
最悪の場合は、黙示録の祈士が四人、全員この場に集結していることだ。そうなれば、あまり長く居ることもできないだろう。
(一か八か、直感に賭けるしかないか)
直感も何も、一番大きい建物に捕らえられている可能性が一番高いというだけなのだが、なんとなく、そこで良いという確信が青年にはあった。自らの胸に、青年は手を置き――別に、アンフォーギブンの力を使おうというのではなく、単純に――今の自分の魂は、微かだが、あの子に繋がっているはずなのだから、その絆を少しでも感じ取るために――やはり、あの大きな建物の中に少女がいる、そう感じた。
そうとなれば迅速に、かつ密やかに行動しなければならない。無駄に高身長で目立つことこの上ないのだが、それでも何とか物陰に身を潜めながら、兵舎を一つ、また一つと通り過ぎ、青年は段々と天守に近づいていく。
ふと、近くで大きな物音がした。表のほうらしい、音のほうを見ると、建物と建物の隙間から、一人の男が走っていくのが見えた。その後ろを、何人かの黒服が続いた。
(あ、アイツ……!?)
青年はそっとそちらの方へと駆け寄り、建物の壁から様子を覗き見た。見れば、ヴァンが黒服二体を相手に――ただいま、斥力の乗った拳で、一体灰に還った――戦っていた。
さて、どうしたものか、青年は少し考えた。ヴァンならこの要塞の間取りを知っているのだろうし、合流すれば益もあるかもしれない。しかしアイツは侵入がバレているし、アンチェインド相手に不足を取ることもないだろうから、援護する必要も無いだろう。確かにヴァンも心配だが、青年の一番の目標は、あくまでも少女の救出であるので、ネイがどこに居るのかを知るのと引き換えに、自分の存在を相手にばらすのが得策かどうか――。
(うん、すまん、せいぜい囮になってくれ、ヴァン!)
旧友のことをあっさり見限り、青年は改めて身を隠し、裏から進軍しようと決め――られなかった。ちょうど身を引こうとした瞬間、ヴァンの背後の建物の上に、単発式の銃を構えた黒服が狙いをつけているのが見えてしまったからだ。
「おい、後ろ!」
青年が叫ぶと、ヴァンは一瞬驚いた顔をして、だがすぐさま後ろを振り向き、盾で後ろから迫り来る凶弾をはじき返した。そのまますぐに盾を投げ、上部に居るアンチェインドを弾き飛ばす。そして、こっちも声を掛けたからにはフォローしてやらなければならない。元々ヴァンとやり合っていた黒服の体に繊維を巻きつけて動きを止め、青年はそのまま一気に表へと躍り出た。
「ヴァン!」
「言われなくともッ!!」
青年が相手を止めている間に、マクシミリアン・ヴァン・グラントは振り返り、手甲を縛られている黒服に突き出した。そう言えば、昔はこんな風に一緒に戦ってたか――自分が相手の足を止め、ヴァンが仕留める――相手が灰に還るのと同時に、ヴァンは戻ってきた盾を右手で受け止めた。
「……ネッド、貴様、死んだはずでは……」
怪しむように、ヴァンは青年を見つめてくる。それもそうだ、死んだはずの男が目の前にいるなど、少し前の青年でも納得しなかっただろう――同様に、向こうもどうやら合点がいったようだった。
「まさか、お前も、パイク・ダンバーと同じように!?」
「ま、そんな感じさ……それよりヴァン、てめぇがヘマこいたせいで……」
周囲からどんどん、こちらへ足音が近づいてくるのが聞こえ――。
「俺まで見つかっちまったじゃねぇか!」
青年は繊維の刃で、ヴァンの背後から迫る黒服の首を跳ねた。もちろん、これくらいでは再生してしまうのだが、そのまえにもう一閃、今度は縦に相手を両断する。
「……別に、誰も助けてくれなどと言っていない!!」
青年の背後で、鈍い音が聞こえた。恐らく自分と同様、背後から来ている相手を倒してくれたのだろう、青年はそう思った。
「はー? でもでも、俺が声をかけてなかったら、お前今頃、頭の中身その辺にぶちまけてんぞ!?」
今度は二体、青年は息を吸い込んで震脚し、相手を引き寄せたところで一回転、強化したコートの裾で相手を一気に吹き飛ばした。
「貴様に声を掛けられずとも、背後からの狙撃には気づいていた!!」
翻ったついでに、青年はヴァンのほうを見た。盾で一体を強打して吹き飛ばし、そのまま流れるような動きでもう一体を蹴り飛ばしていた。
「嘘こけ! 声をかけた瞬間驚いてただろうが!」
「それは貴様が唐突に現れたからだ!」
成る程、確かに死んだやつが鉄火場で唐突に現れたら、自分だって驚いていたに違いない。そこだけは青年も納得して「あー」と間抜けに言いながら頷いてしまった。
一瞬静寂が訪れ、互いに何を言えばいいのかよく分からなくなってしまい――意識を切り替えたのは、ヴァンが先だった。
「……言い争いなどしている暇ではない! 私は往くぞ!!」
「あ、ちょ、待て! 待ちやがれ!!」
走る金髪の男の背中を、青年は追い出した。しかし、ヴァンのほうが足が速い――もちろん、例の力を使えば追いつけるのだろうが、あまり無闇に消耗するのは得策ではない。そもそも、単純に追いつけないのが、やはり実力差があるようで腹が立つ。こうなったら意地でも追いついてやる、青年は気合で走って、ヴァンの横に並んだ。並んだついでに正面からアンチェインドが二体、前方から走ってくるが、片方はヴァンの投げた盾で沈み、もう片方は青年が繊維を巻いて引き寄せ、鉄山靠で吹き飛ばした。
「おい、ヴァン! ネイがどこに捕まっているか分かるか!?」
「……」
隣を走る旧友の顔が、暗く曇ってしまう。それを聞かれるのがイヤだったと言わんばかりの表情で――急にヴァンのほうが立ち止まったせいで、青年の方が男を追い越す形になってしまった。
「……ネッド、私はリサ・K・ヘブンズステアとネイ・S・コグバーンの両名を暗殺するつもりでここに来た」
「そんなん知ってるよ……だが、俺にはお前の目的なんぞ関係ないね。俺はあの子を助けに来たんだ」
青年も立ち止まり、だが振り返らず、背中でヴァンの返答を待った。
「あの姉妹が生きている限りには、この国の……いや、世界の危機に関係するのだぞ。貴様だって、もう子供ではないのだ……分かるだろう、本当に大切なことが、何かということが」
「あぁ、分かってるぜ……俺にとって本当に大切なことが、何かってことはな」
そこで、青年は振り返った。案の定子供のように、何かを耐えている男の顔が、そこにあった。
「俺がガキなのは、敢えて否定しないぜ……だけど、それはお前もだ、ヴァン」
「……何?」
「正義のヒーロー、大いに結構……だけどな、器じゃねーんだよ、俺も、お前も、誰だって……自分一人で全部救えるなんて、そんな風に思ってるのが、まだまだお前もガキだって証拠さ」
そう、自分は一人を救うので手一杯だ。だけど、青年はそれでいいと思っている。
「そもそも、お前の正義ってヤツは、暗殺だなんて狡い真似をして、貫けるもんなのかよ?」
狡い、という言葉は、今までの生き方を考えれば、自分にだって返ってくる言葉で――相手の肩が、ピクリと動いた。どうやら貶されて、イラついたらしい。しかし、それは青年も同じだった。
「あー、怒るか? いいぜ……下手に大人ぶるよりもよ、ちょっとは素直なヴァンちゃんを出したらどうだ?」
「……黙れッ!!」
相手の手甲が蒸気と共に変形し、ボウガンに盾が設置され、青年に狙いを付けている。
「……いいだろう、ネッド・アークライト。貴様がパイク・ダンバーと同じ力があるといのなら、ちょうどいい予行戦になる」
その一言に、青年は自分の口元が釣りあがるのを感じた。ハッキリと、冷静な自分は、こんなことをしている場合ではないとは分かっているのだが――。
「それはこっちもだぜ、マクシミリアン・ヴァン・グラント……許されざる者の力の使い方を予習するには、お前くらいの実力のやつがちょうどいいってもんさな」
青年も、自身の左胸に、右手の親指を重ねた。先ほど、無駄な消耗はしないと思ったばかりだが、これは無駄な戦いではない。このウジウジなやんでいる旧友に、きついお灸をすえてやらなければ、気がすまないのだから。
「……
胸を擦り上げると同時に、青年は心臓が――魂が燃え上がるのを感じた。魂の焔に体の表面が焼かれ、同時に黒い繊維が体と同化し――青年はその身を唯一つの武器へと変え、次いで相手を顔を思いっきり指差した。
「てめぇは、俺の魂を燃やすに値する相手だッ!! かかってこい、ヴァン!! てめぇのすかした面ぁ、ボコボコにしてやんぜッ!!」
「のぼせ上がるなよネッド!! お前の! お前のそういうところが! 昔から気に食わなかったのだッ!!」
引き金が引かれ、ヴァンの盾が射出される。対して黒衣の異形はその盾を、右の拳で殴り返した。
◆
入り口まで制圧が終わり、ジェニファーたちも砦の内部に侵入した。しかし、入ってすぐに異変に気づく――大路のど真ん中で、マクシミリアン・ヴァン・グラントと、顔まで黒衣に覆われたネッドとが、思いっきり互いを罵り合いながら喧嘩しているのが見えた。
「あ、あいつら、この緊急時に何やっとんの!?」
思わず、素の訛りが出てしまうほど、ジェニーは叫んでしまった。
「……いや、オレには分かりやす」
車を降りた先で、ジェニーの横に並んだブッカーが、ポツリとつぶやいた。
「は、はぁ? アレは、一体全体どういうことなん?」
「それは……」
従者は口元をニヤつかせながら、サングラスを人差し指で押し上げた。
「男だからですぜ」
「いや、全然分からん!」
叫んで隙だらけになっているお嬢様の後ろで、ブッカー・フリーマンのパイルバンカーで、一体の黒服が土へ還った。
「……男には、ひけねー時があるってことデスね」
女の子の癖に、「ボク、分かってますよ」みたいな顔で、ポワカ・ブラウンは腕を組みながら頷いた。
「ワタシたちは、ただ見守ることしか出来ないアル……」
クーが裏拳で敵を沈めながら、何か悟ったようにつぶやいた。
「え、なになに、分かってないの私だけなん?」
「大丈夫じゃ、ジェニー、ワシも男じゃがよぅ分からん……」
この場にいる常識人は、自分と博士だけのようだった。いや、冷静に見ると博士もパーフェクトブラウンとかいうわけの分からない形態になっていて、しかも「ウィーンガショーン」のような変な物音を立てているので、その存在が非常識だった。
(……ネイさん、早く戻ってきて!)
きっと、あの子が居れば、この非常識空間の全てにツッコミを入れてくれるはず――ジェニファー・F・キングスフィールドは、哀しいかな、今ほど少女の帰還を願ったことは無かった。
◆
「な、何々? なぜあの二人、唐突に仲間割れを始めたの!?」
窓の外を眺めていて、あまりの意味の分からなさに、部屋に一人だというにも関わらず、リサは思わず叫んでしまった。実際、自分の精神が他人よりおかしい事は、リサ自身も自覚している。しかし、それでもあの二人の行動は、まったくもって理解できなかった。
いや、先ほどダンバーが言っていたではないか、無意味な行動にも、意味があると――もしかしたら、アレは自分を欺くための策なのかもしれない。
いやいや、最後に「馬鹿ほど何をするか分からないから怖い」とも言っていた。もしかすると、あれは単純に馬鹿なだけで、意味などまったく無いのかもしれない。
「というか、ネッド・アークライト……まさか、アンフォーギブンになって戻ってきたということ? それで、えぇっと……あぁ! もう、何なの、何なのよ!!」
考えれば考えるほど混乱してしまい、リサは頭を抱えた。別に自分が割り込んで、二人とも壊してしまっても構わないはずなのだが――。
「……互いに争わせて消耗した隙を叩けば良いだけよね」
少し冷静になれば、答えは単純だった。向こうに策がある場合、下手に手を出すのは危険だし、ただの馬鹿なのなら、今思ったように疲弊したところを叩けばよいだけだ。そう思ってリサは自分を取り戻し、窓の外の馬鹿二人の喧嘩を見守ることにした。
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