19-2
ポワカ・ブラウンは薄暗い廊下で一人うずくまっていた。場所は、ジェームズ・ホリディのアジトで――流石にソルダーボックスに留まるのもマズイので、また別のサウスロード州にあるちょっとした邸宅なのだが――しかし、ポワカは今、どこにも居場所が無いような、そんな気持ちであった。
「……だから、待ちなさいと言っているでしょう!? 貴方一人で出て行った所で、何が出来るというのです!!」
「だが、ここで手をこまねいて待っていても何もかわらんだろう!?」
扉の向こうで飛び交う罵声は、ジェニーとグラントの物だ。一旦身を潜めて相手の出方を見て、計略を練ろうというジェニーと、すぐにでも単身でも彼らと戦おうとするグラントの、二人の意見が衝突しているのだった。そもそも、ここに逃れてきたのが二日前、暗殺計画が――アレは成功というべきなのか、失敗というべきなのか――四日前である。最初の二日は、皆疲れ切っていたのか、はたまた何をすべきなのか、何を言うべきなのかも分からず、ただただ黙って移動してた。しかしここに着いてからというもの、二人の口げんかは留まることを知らなかった。
ふと、暗い廊下を誰かがこちらへ歩いてくる気配を感じた。ポワカが見上げると、そこにはクー・リンが、心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「……ポワカ。こんな所にいたら風邪をひいてしまうわ」
「でも……」
そこで続きを言うのを止めて、ポワカは扉の方を見た。クーも同様に、しかし静かな声で、ポワカに話しかけてくる。
「……喧嘩を聞いていたいわけじゃないけれど、どうなるのか不安で、心配なのね」
「うん……そうデス……」
たった数日前までは、みんなで協力しているという一体感があった。ポワカにとってはそれが心地よかったのであるし、屋敷に籠っていた時分を考えれば、アレは本当に幸せな時間だった。
対して、今は不幸のどん底だ。ハッキリと、こんな気分になるんだったら屋敷を跳び出すんじゃなかった――ネッドが化け物になり、そして死んだあの日の事を思いだしてしまい、枯らしたと思っていた涙がまた溢れて来てしまった。
「ポワカ……」
クーは、泣かないで、とは言わなかった。ただ、隣に座って寄り添ってくれた。それだけで、少しだけ暖かかった。
その後は、しばらく二人で黙っていた。しかし、扉の奥から聞こえる怒声は止むことはない。
「……グラント様、あんな御方じゃなかったのに……」
クーも膝に顔を埋めている。
「厳しい人だけど、優しくて、正義の心に溢れていて……でも、なんだか今は……」
怖い、それはポワカも感じていた。正確には、焦っているのか――。
「……ねぇ、クーネーチャン。まだ、終わってないんデスか?」
実際、ポワカからしたら全てが終わっているような心地がしているのだ。それは、二重の意味で――一応、首領であるブランフォードは倒した、しかしその対価として、大好きな二人を失ってしまったのだから。
いや、まだネイは助けだせるかもしれない。それでも、なんだかもう、戦う気力さえ起きない。それが正直なポワカの想いだった。
「……ごめん、分からない。ワタシにも、分からない……」
ポワカの想いに真っ直ぐに応えられなかったのか、クーはポワカの方へ目線を合わせてくれる訳では無く、ただ独白の様に呟いた。
◆
部屋の中では、ジェニファーとグラントの舌戦はまだ続いていた。
「……そもそも、奴らとこれ以上戦う意味もあるのですか? 一応、ブランフォード・S・ヘブンズステアは死んだのです。後は、放っておいても……」
「……スコットビルが居る。民族浄化を推進しているウェスティングスも残っている。仮にもはやミレニオンを目指さぬとしてもだ、奴らが居る限り、血と涙の道が続くだろう」
「それは……」
そこで、ジェニーは言い返すのをやめてしまった。グラントの言う通りなのであるが、なんだか戦う事に疲れてしまった、というのが正直な意見だった。今も自分達は指名手配されている訳だが、兄の力を使えば国外に逃亡することだって出来るし――。
「……ジェニファー・F・キングスフィールド。お前は、もう少し気骨のある人物かと思っていたのだがな」
その一言が、男の方から飛んできた。恐らく、こちらの本心を見透かしてきたのだろう。
「なっ……?」
「貴様は、もう抗う意思を無くしてしまった」
「だ、だからこれ以上戦う意味はあるのかって……!」
そう、戦う意味が無ければ、抗うもクソも無いのだ。だが、確かにここで逃げるのは、すなわち大陸支配層の勝利を意味し、それは今までの人生を全否定することである――だがそれ以上に、ジェニーは釈然としない気持ちになった。
「そもそも! お前が勝手に巻きこんで! それで、ネッドとネイさんが……ッ!!」
そう叫ぶと、グラントは一瞬、普段の調子からは考えられない位に弱い表情をした。もしかすると、本当の気性はこちらが正体なのではないか――だが、弱さを自覚しているのだろう、首を振りすぐに気を取り直したようだった。
「……分かっている! ハッキリ言って、今回の負けは私に責任がある!!」
グラントは何に対して怒っているのか、ジェニーに対してというよりも、自分に対してなのだろうが――ともかく叫びながら、椅子から跳び上がった。
「だからとて、ここで座して待っていても何かが変わるわけでもないッ!!」
そしてジェニーに背を向け、扉に手をかけた。
「ちょ、まちぃや! まだ、話は……!」
「……お前と話していても、何も変わらん。だから、私は行くぞ」
「行くもクソも、一人であの化け物連中を相手する気か!? 無理の無駄、そんなんだったらまだアホづらこいた賞金稼ぎに捕まったほうが、有意義なんと違うん!?」
グラントにも、前大統領暗殺の件で、三十万の賞金が課せられている。コイツと同額なのも、まったく癪で――いや、今はそんなことを思っている場合でもないのだが――ともかくグラントは忌々しげに振り向いてきた。
「……私の一番の懸念は、やはりリサだ。ネイ・S・コグバーンを連れ去ったという事は……奴は、まだミレニオンを諦めていない」
そこで一旦区切って、今度は表情を一転させ、グラントは苦々しげというか、苦しそうな顔になった。
「……あの娘が、ネッドの大切な相手だというのは分かっている。私が勝手に巻き込んで、その上でどんなおぞましいことをしようとしているのか……それでも、私は……私は、こういう生き方しか、知らぬのだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 貴方は、まさか……!?」
グラントがやろうとしていること、それは相手の一番の思惑を潰す上では、この上ない手段なのかもしれない。確かにあの夜、ネイの力であの世とこの世が繋がっていた――要するに、ミレニオンを諦めていないリサと、そしてそのための一助となるネイを、暗殺するつもりなのだ。
「……この前だって、結局ネッドの機転で……いいえ、犠牲でどうにかなったのです。貴方、暗殺には向いていないんですよ。だから……」
だから、思いとどまりなさい。ジェニーがそういう前に、グラントは自嘲気味に笑って、扉を開けた。
「……恐らく、奴らはフィフスサイドの砦に居るはずだ」
「……それを私に言った所で……というか、そもそも待ちなさいって!」
ジェニーの制止も聞かず、グラントは扉を閉めて行ってしまった。
「だから……それを私に言って、どうしろって言うんや……」
いつの間にか自分も席を発っていたらしい、そんなことに今更気付いてジェニーは席に着き、机に突っ伏して一人ごちた。
「……お嬢、どうするおつもりで?」
ずっと部屋の片隅で事の成り行きを見守っていたブッカー・フリーマンの声が、ジェニーの背中に浴びせられた。その声は、自分を労わってくれるものだが、今はそれも辛かった。自分は優しくされて良い身分では無いし、もうどうすることが正解なのかも、分からないのだから。
はっきり言って、グラントの行動は浅はかというほかない。今、一人で動いた所で何が出来るというのか。しかし、それが蛮勇であっても、こんな風に身動きが取れずに居る自分よりは、もしかすると幾分かはマシなのかもしれない。
ともかく、もう考えるのも辛かった。いっそ、誰かに判断を委ねてしまいたかった。幼いころには、まだ自分も判断力が無かったし、かなりブッカーに頼っていた――いや、それは今も同じなのだが――ともかく、この男の言う事に委ねてしまえば、もう辛いこともないかもしれない。いいや、それはもっと浅ましい――行動権を委ねるというのは、不自由に見せかけて、責任を放棄することに等しい。仮にこれ以上悪くなったって、自分のせいではなかったと言い訳できる――駄目だ、思考がネガティブだ、ともかく、自分に出来る最大限の事は、とりあえず目先の責任から逃げないことだ。
「……もう少し、考えさせて」
だから、女はただ、こんな風に返すしか無かった。ブッカーはただ「そうですかい」と言い残して、再び壁に背をもたれ、こちらを見守ってくれていた。
◆
扉から、マクシミリアン・ヴァン・グラントが出て来た。暗くてハッキリとは見えないが、ポワカにはなんだか男が泣きそうな表情をしているように感じられた。グラントが何をする気なのかは、廊下で聞いていたのでポワカもクーも分かっている。だが、もはや抗議する気力も起きないというか、勿論大好きなネイが目の前の男に殺されるかもしれないと思うと、嫌な気持ちもあるのも確かだが、しかし、もはや頭の中が哀しくて、辛くて、ゴチャゴチャで――。
「……もう、酷いことしないで欲しいデス」
ポワカは、そんなことを言うことしかできなかった。そして、自分のやろうとしていることが酷いことだというのは自覚しているのだろう、ただグラントはポワカに対して、静かに首を振るだけだった。
「……クー。お前はどうする?」
「ワタシは……ワタシは、きっと甘かったんです。自分たちを虐げてきた者達に対して、ただ反逆するのではなく、悪を倒そうとしている自分に、酔っていたんです……自分だって、暴力に訴えているのに……」
「……それは、私もだよ」
「ねぇ、教えてください、グラント様。ワタシは、頭が良い訳ではありません。そう、もう、何が良いことで、悪いことなのか、分からない……貴方がやろうとしていることは、正しいのですか?」
「……私にもわからん」
そこで、男は踵を返し、廊下の先の闇をじっと見つめた。
「だが、歩みを止めることだけは出来ん。奴らを放っておけば、より多くの人間が苦しむことだけは確かなのだから」
そう言って、グラントは廊下の奥へと消えて行った。クーはただ、静かに涙を流していた。それにつられて、ポワカも再び泣きだしてしまった。
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