19-3


 別荘の一角に、大きなガラスケースが鎮座している部屋がある。そこには様々な機器を繋げており、ネッド・アークライトの死体がその中に収められていた。幸か不幸か、死体を損壊しないようにしておく技術は、ポワカとブラウン博士は持っていた。いや、それも何の意味もないのだが――そう、彼の魂は、ネイによってあの世に送られてしまったのだから。


「……ねぇ、パパ。死んだ人の魂が、この世に戻ってくることって、無いんデスかね?」


 グラントが出ていった次の日、ガラスケースを見つめながら、ポワカは近くに居る博士に問うた。


「可能性は……」


 娘の疑問に、機械仕掛けの狼は俯くように下を向き――だが、すぐに首は横に動いた。


「……確定的なことは言えんが、ワシが知ってる限りではあり得ん。そもそも、知っておるならアナが蘇っておる」

「でも、あのパイク・ダンバーってヤツ、死んでから蘇ったんじゃねーデスか?」


 そう、ポワカが博士に頼みこんで、ネッドの死体を埋めずに保管している理由はそれだった。博士は魂が大いなる意志の重力に引かれる間に自分が引きとめて、しかし元の肉体に戻ることを望まなかったのだけで――ネッドの体は、一度オーバーロードになったおかげなのか、ほぼ完全な状態で残っている。何より、蘇れるのなら、彼はきっともう一度戦う道を選ぶだろう。囚われたあの人のために。だから、一抹の望みにかけて、ポワカは父に頼んだのである。そしてそれはきっと、博士も同じだった。


「……それでも、ワシはどうやってダンバーが蘇ったのかを知らぬのだ。ワシらに出来ることと言えば、こうやって待つこと……位しかあるまいな」

「……そうデスよね」


 その日は、ポワカはただずっとそこに居た。もう、分別が無いほど幼くもない――というより、下手に希望を持った方が返って哀しくなるものだろう、そう思っても、娘はそこから動くことが出来なかった。




 それから二日後の夜、決定的なあの日から、すでに一週間が経過した。グラントが飛び出したのが三日前になる。

 一同は、一つの部屋の中に集まっていた。本来ならば、なかなか洒落た調度品のある、落ち着いた良い部屋なのだろうが、今はそんなことをとやかく思っている心の余裕もポワカには無かった。ジェニー、ブッカー、クー、ジェームズも介しており、そして父と、ポワカの計六名。集めたのはジェニファーだった。


「……そろそろ、これからどう動くか決めなければなりません。勿論、あんなことの後で、整理もついていないと思いますが……何か、意見のある方は?」


 重苦しい調子でそう語りかけてくるが、一同、ただ沈黙を返すだけだった。もしかすると、それぞれ意見があるのかもしれないが、絶対にこうすれば良い、そんな意見がある訳ではないのだろう。だから皆、とりあえずは黙っているしかないのだ。


「……それでは、とりあえず私の身の振り方から。私は一旦、この国を離れようと思います」

「えっ……?」


 ポワカは、既に大きくリアクションを取る元気もなかった。しかしただ、ジェニーの言葉が分からなくて――いや、字面は分かっていても、内容を分かりたくないから、ただ小さく疑問を返すしかできなかった。

 ジェニーは辛そうに目を伏せながら、声をポワカの方へと向けてくる。


「……例の連中は、放っておけば世界的な脅威になる可能性があります。だから海を渡り、今まで見聞きしたことを材料に、旧宗主国など列強の協力を仰ぐのが、一番確実なのではないかと考えました」

「ふむ……いや、その通りじゃ。もはや、我々五人に、どうこう出来る範疇を越えてしまったのかもしれん……フェイ老師は今だ傷が癒えておらず、ネイもネッドも失い、ヴァンは別行動……相手は黙示録の祈士が全員健在、しかもダンバーが、ややもするとスコットビル並か、下手をすればそれ以上の強さがある。その上、アンチェインドまで無数にいることを考えると……」

「ちょ、トーチャン!?」


 父の意見は、至極まっとうだったのだろう。彼我の戦力差は、それだけ絶望的だ。そもそも先の一件では、ダンバーが敵と知らず、スコットビルは落ちている物の上で行われた。だから勝算があった。だが実際は、こちらが戦力が落ちただけで、相手はほぼほぼ万全な状態で残っている。ブランフォード・S・ヘブンズステアの力はいかほどか良く分からなかったが、それでもリサがその遺志を継ぐというのなら、厄介なことこの上ない。


 だが、ポワカが一番嫌だったのはそんなことではなく、ネッドとネイを失った、そのことを再び口にされたことで、哀しさが溢れ出てきたことだった。


「……すまんな、ポワカ。ワシは、情けない……年長者なのに、大したことも分からず、若い命を散らせ……ただ焦るだけで、何も出来なかった。しかしだからこそ、次の一手をしくじる訳にはいかん」


 父の声は弱々しくも、まだどこかに強さがあった。


「でも、でも……それじゃ、ネーチャンは……!」


 敵にいいように利用されて、下手をすればグラントに殺される――どちらにしても、良い未来では無い。誰もが、そんなことは分かっているのだ。だからこそだろう、ブッカー・フリーマンが諭すように、ポワカに声をかけてきたのは。


「……ポワカのお嬢ちゃん、残酷なようだがハッキリ言うぜ。仮にグラントと組んで襲撃をかけたとしても、勝てる可能性は限りなくゼロに近い。その上、ネイのお嬢ちゃんが残っていることは、ややもすると相手の利益にすらなり得る……最上の言っては、まぁあり得ないが、グラントがネイとリサの暗殺に成功し、その後に列強の力を借りて、奴らを倒しきることだろうさ。現状でオレらに出来ることなんて……なんもありゃしない」


 そう、ブッカーは汚れ役を買ったのだ。もはや、彼の言っていることが全部だ。そんなことは、ポワカにだってわかっている。それでも――。


「それでも! みんな、仲間だったんじゃないんですか!? それ、それなのに……冷たすぎます……」


 最後は、もう反抗する元気もなかった。どうにも出来ない現実が、ただ目の前にあるだけで――そう、言った所で、誰も得なんかしない。みんな、一様に目を伏しているだけだった。ただ一人、ジェニファー・F・キングスフィールドを除いて。


「どう言っても言い訳にしかならない。貴女の意見だって、人としては大切なこと……でも、敢えて棄却させてもらいます。ともかく、私とブッカーは、兄の助力でまず南大陸に抜けて、そこから旧大陸への船に乗るつもりです。クー、貴女は?」

「……ワタシは、グラント様を追うわ」

「く、クーネーチャン……」


 ポワカの声を、分かってて無視したのだろう、クーはジェニーの方へ向かっている。


「……ワタシも、色々と考えた。貴女の意見は真っ当よ、ジェニー。でも、それをするには、アナタとブッカーがいれば十分でしょう。私は同胞たちの居るこの土地を離れることは出来ないし、あの人は放っておくと、それこそ…………無駄に命を散らせるでしょうから」

「そう……うん、貴女の意見がそうなら、それを尊重しましょう」


 ジェニーもただ、眼を瞑って頷くだけだった。とにかく、このままではマズイ。みんな、散り散りになってしまう。それだけは嫌だ。


「……博士、ポワカ。貴方達はどうしますか?」

「うぅむ……クーの言う通り、旧大陸へはお主らだけ行けば十分じゃろう。とはいえ、ワシらはどうするべきか……一旦、グラスランズの屋敷に戻って、何か対抗策でも……」

「……イヤデス!!」


 ポワカの叫び声に、この場にいる全員、驚いているようだった。自分の心中は分かってくれているのだろうが、声が大きかったせいだろう――ポワカも、自身の声がイヤに悲痛で、部屋の中にイヤに響き渡っているのを感じた。


「ポワカ、落ち着くん……」

「イヤです! いやったらイヤなんデス!!」


 もう、大人たちと一緒に居たくない。ポワカは部屋から飛び出した。向かう先は――。


 ◆


「ジェニファー。お主が、そう気に病むことは無い」


 きっと、自分が酷い表情をしているせいだろう、博士が気を使って声をかけてくれた。


「でも……そう、私だって、私だって、出来ることなら、ネイさんを助けに行きたい……でも、私は……!」


 色々考えた挙句、逃げないこと、勝つこと、そうすれば、自然とこれ以外の手段は無いはずだった。


「だからこそ、お主の決断は立派じゃ……しかしもはや、どうすれば正解なんて無いんじゃろうな……あちらを立てればこちらが立たない、人の世というのは……などと、偉ぶれる立ち場でもあるまいな、すまん」


 最後には、博士の方がうなだれてしまった。もう、本当にこの世は地獄だ。どの道を選んだとしても、残っているのは茨の道しかない。果たして、どこで踏み間違ったのか――いや、そんなことを考えても仕様が無い、ジェニーはともかく気を取り戻し、博士に向き直った。


「い、いいえ……ともかく、私達は明日発つつもりです。博士は……」

「……もう少ししたら、ポワカと話して考えよう」

「分かりました……ともかく、兄はここに残ると言っています。えぇっと……」


 ジェームズの方へ窺いを立てると、兄は腕を組んだまま頷いてくれた。


「もしグラスランズに戻るというのなら、私が協力する。そうでなくとも、来たるべき日に備えて、貴方には協力しよう、博士……以前、貴方の邸宅を襲った、罪滅ぼしにもならないかもしれないが」

「いや、別にお主は、何を壊したわけでも、持ち去ったわけでもないからな……ともかく礼を言おう、ジェームズ・ホリディ」


 そう、まだ終わった訳ではない――兄は、まだ折れていない。ジェニーはその強さに驚嘆しつつ、しかし頼りになることを誇りに、そして幸いに思った。

 だが、先ほど思ったこともやはり事実だった。兄の身だって、果たして自分たちが戻ってくるまで無事であるかどうか。そもそも自分たちは旧大陸に辿り着けるのか。そして何より――二人の少女を見捨てること――ポワカを傷つけ、ネイを見殺しにすること、それはやはり、苦渋の決断だった。


(……なんでやろな。お前がいたところで、きっと状況が変わるわけでもないのに……)


 彼が居てくれたら、なんとかなる気がする――しかし、ネッド・アークライトは不死身ではなかったのだ。もう、頼ることが出来ないのだから――ジェニファー・F・キングスフィールドは小さくかぶりを振った。


 ◆


「はぁ……はぁ……うぅ……!」


 そんな距離を走った訳でもないのに、ポワカはともかく疲れていた。というより、泣きながら走ったので、余計に呼吸が乱れて、それで余計に苦しいのかもしれない。

 だが、肉体的な苦しさなんてどうだってよかった。ともかく、今の気持ちさえ晴れれば――。


「……駄目デスね。ここに来ても、もっと苦しくなるだけなのに……」


 そう、目の前にはネッドの死体が――死が横たわっているだけだ。きっと、ネッドが居れば、何か変えてくれるような、そんな確信があるのに、それでもそうしてくれない現実が、ただあるだけだった。


 それでも、すがらずには居られなかった。かつて母の死を受け入れられなかったのと同様に、今、この苦しい想いを、晴らしてくれるかもしれない可能性に――ポワカはただ、賭けるしかなかったのだ。

 ともかくともかく誰かと居ると心が苦しく、それでも誰かと居たい寂しさを紛らわせるため、こうやって青年の前に座っているのだった。


「……グラントは、出ていっちゃったデスよ。ジェニーと、喧嘩して……」


 ポワカはガラスケースの前に膝を抱えて座り、膝に額をつけて、現状をネッドの遺体にぽつり、ぽつりと報告し始めた。


「……皆、落ち込んでます。ボクも……ねぇ、ネッド。皆、ネッドが居ないと駄目なんデス。ネッドが、紡いだこの絆は……ネッドが居ないと、バラバラになっちゃうんデスよ……」


 そういうと、ポワカは自身の眼がしらが熱くなるのを感じた。ポワカは、仲間たちと居る時間が大好きだった。大切なピースが欠けてしまったことで、それが無くなっていくのが、どうしても哀しくて、耐えられなかった。


「分かってるデス……ボクだって、そこまで子供じゃないデス。ママも、ネッドも、帰ってこないことは……それでも、ねぇ……ネーチャン、捕まっちゃったデス。ネーチャンを助けるのは、ネッド、オメーの仕事じゃ、ねーんデスか?」


 そういった所で、ガラスケースの中の男は答えてくれる訳も――いや、くれた。ポワカには、確かに感じられたのだ。ケースの中に、宿ろうとする魂――しかし、それは、思い通りに戻ることが出来なかったのだろう、ケースの近くに漂って、困っているようだった。


「……ネッド?」


 その魂は、確かにポワカが感じたことがある物だった。しかし、魂は答えてくれない。


「ちょ、ちょっと待ってるデス! 今、とりあえずの体を持ってくるデスから!!」


 そう言って、ポワカは一度部屋を飛び出し、そして戻ってきた。


 その手には、彼が一時しのぎに宿るには相応しいであろう、かの死んだ魚の様な眼をした人形が握られていた。


「とりあえず、これに入るデス!」


 そう嬉々として魂に語りかけるのだが、何だか躊躇しているようだった。もしかすると、これがブサイクなので嫌なのかもしれない。


「……四の五の言ってる暇じゃねーデス! テメー、それでも男デスか!?」


 そうやって怒ってみると、どうやら納得してくれたのか、魂が人形の中に籠った。ポワカの手の中で、人形が一人で動きだす。


「ねぇ、ネッド、ネッドなんデスよね!?」


 人形の首が縦に動いた。


「ネッド! ネッドデス! ネッドぉ!!」


 ポワカは、再び眼がしらが熱くなるのを感じた。しかし、それは先ほどの様に哀しいから流れ出るものでは無かった。とにもかくにも嬉しくて、その小さな人形に、頬に擦りつける。ネッド人形は苦しいのか、必死で抵抗して、小さな手でポワカから離れようとしたのだが、次第に諦めたのか、それともポワカの気持ちを察してくれたのか、しばらくはなされるがままになってくれた。


「オメー! 帰ってくるならとっとと帰って来やがれってんデス! でも、いいタイミングデス! ともかく、みんなに報告して……て、なんかいい加減喋りやがれデスよ。なんか一人で馬鹿みてーじゃねーデスか」


 ポワカがじと、とした目で見つめても、人形はなんだか困ったようにうなだれるだけだった。


「……あ、そっか。声を出す器官が無いんだから、喋れなくて当たり前デスよね」


 そういうと、ネッド人形は全力でコクコクと首を縦に何度も振った。その仕草がなんだか間抜けで、ポワカはつい笑ってしまった。


「……オメーが居ると、なんだか緊張感というか、そういうのが吹き飛びますね。ちょっと待っててください、良い考えがあります」


 ポワカはネッドを肩に乗せて、自分の部屋へと移動し始めた。普段は大きくて、こんなこと絶対に出来ないのに――しかも、なんだか気を使っているのか、妙に大人しく鎮座しているのことが、やはりなんだか面白かった。

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