5


 あれから、どれ程の時が流れただろうか。なんだか、思い返すのも面倒になってきた。体感的には、一カ月は歩いていると思うのだが、しかし時間を知る術もないこの空間では、正確なことなど分かりようもない。


 ともかく、別に肉体的な疲れは無いし、ただただ無心に歩こうとも、今の自分が魂のみの存在なせいか、あれやこれやと考えてしまう。いや、考えるというのは脳の働きなのでは無かったか? しかし、ブラウン博士は魂できっちりと動いていたし――成程、もしかすると肉体も魂も記憶を有しているのかもしれない。


 いや、そんな話はどうでもいいはずだ。だが、こう、とりとめもなく、色々なことを考えてしまう。進んでいる実感もあまりないし、ともかく、考えることくらいしか楽しみもないし、また考えることが自分を苦しめている。


 背中に感じる引力は、どんどん強くなっているようだ。無駄な抵抗はやめろと、大いなる意思が語りかけて来ているようだった。自分は割とひねくれているので、こっちに来い、と言われると行きたくなくなる性質で幸いだったかもしれない。


 だが、もういっそ歩みを止めてしまいたいのも確かなことだった。単純に、疲れてるのだ――心が、疲れてしまっている。


 コグバーン大佐は、よく五年もあそこで待っていたものだと感心する。いや、あすこはここよりは大分マシだ――この辺りは何も無い、行けども行けども荒野で――しかし、実際の荒野はもう少しマシだ。不毛に見えて、まだ生き物の息吹を感じる所もある。苔の様な植物や、少量の雨でも成長できるように進化した仙人掌さぼてんのようなモノ、他にも甲殻類や爬虫類などの変温動物など――過酷な環境に合わせて生きている生物だって居る。


 だが、ここはどうだ? 行けども行けども、ただ荒れ地が広がっているだけで、すでに魂など、自分の他に感じない。あそこだったら、まだ人間観察というか、魂観察というか、そういうことで気も紛れそうだ。


 ともかく、ここは本当に何も無いのだ。ただ、焦燥感だけが募って――孤独だ、これが本当の孤独なんだ、何も無い、何の息吹も無い、これが本当の孤独だ。


 景色は、全然変わらない。ただ、地平線が遠くにあって、進めども進めども、そこに近づくことは出来ない。黄昏色の空は、色も変わらない、色彩があるだけましなのか、いやむしろ視えている分余計に絶望を感じるのか。もしこの光景を見るのが一瞬か、もしくは数時間くらいならば、圧倒的なスケールに感動できたかもしれない。だが、今この光景はただただ、自分を打ちのめしにきている――この何も無い、ただ空と大地が広がるこの光景が、自分の心を折りにきている。


 終わりが無い道をひたすら行くという苦行は、もしかすると人生も同じかもしれない。皆、気付いていないだけで、いや、もしかすると気付かないふりをしているだけなのかもしれないが――駄目だ、こんなことを考えていたら気が滅入るだけだ。もう少し、楽しいことでも考えよう――そう思っても、負の思考は止まることを知らない。


 あぁ、なんでったって、自分はこんな辛い想いをして、ただ歩き続けているのだろうか。そういえば昔、聞いたことがある。真っ白い部屋の中で、一人で居続けると、人は発狂してしまうと。聞いた時はなんだ、そんなものが拷問になるのか、そう思ったモノだが、なるほど、それはかなり辛い。何故なら、自分がただいまやっているのは、恐らくそれと同じようなモノだから。


 いつまでも変わらない風景、単調に、ただ歩き続ける――思考を続ける。誰と話せる訳でもなく、ただただ、思考の渦に落ちていく感覚――嫌なことばかり考えてしまう。


 もう、何日歩いたんだ? さっきは一カ月は歩いたと思ったが、実はもっと歩いているような気もする――間にあうのか? もう外の世界では、自分の思っている以上の時が流れていて、帰った時には全てが無駄になっているかもしれない。


 考えても見ろ、ネッド・アークライト――いや、自分は果たしてそんな名前だったか? なんだか、奇妙な感じがする――自分が自分で無くなる様な感覚。いや、自分は確実に居るのだが、もう一人の自分が要る様な――いけない、この考えはかなりマズイ、とにかく思考を戻そう。


 そう、もし仮に戻れたとして、それでも既に、自分の知っている人たちが居なくなっているような、それだけ時間が進んでいたらどうなんだ? こんなに辛い想いをして、その苦労が全て水泡に帰すかもしれない。それだけじゃない、なんだかもう、ここでは何でもありな気もする。下手すれば、過去に戻る可能性だってあるような気がしてきた――いや、それは無いか、ダンバーはしっかりと戻ってきたのだから。


 そう、ダンバー。彼の前例があるから、自分はまだ賭けられる。もちろん、同じように帰れるとは限らない。それでも――背後から感じる引力に逆らうだけの、帰るだけの価値は、きっと、ある。


 そう、思い出そう――この荒野は何とも味気ないが、共に歩んできた少女の事を。半年間、一時離れたこともあったが、ずっと一緒だった。そう、あの子のことを考えよう。


 男勝りかと思えば、とても可愛らしくて、自分が可愛くないと思って、それでも可愛くなると必死で、それがまた愛らしかった。さびしがりやで、きっと何時だって誰かに甘えたいのに、右腕のせいでそれが出来なくて――。


 そうだ、やっぱりあの子を笑顔にしたい。あの子は自分のことを、色々と勘違いしているのだ――その誤解を解いてあげなければ。


 そう、あの子の笑顔をが見れるだけで、この辛さに耐える価値だってあるじゃないか――きっと、また数日後には辛さが勝って、そして後悔し始めるだろう。それでも、少女の事を思い出せば、きっと抗う事が出来る。


 そう思うと、不思議と自分の進む道に自信が持てた。歩む先に、あの子がいる――なんだか、そんな確信があった。


 景色は、相も変わらず変わらない。時間は、果たしてどれ程経っただろうか――もう、四十日間は歩いているに違いないな、青年はそう自分に言い聞かせながら、歩き続けた。


 しかし、ゴールはまだ見えなかった。

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