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 果たして大佐達と別れてから、どれ程の時間が流れただろうか。自分の体感としては、すでに三日は歩きどおしている感じがした。大いなる意思へ辿り着く為の列も、少し前から見なくなった。振り返りもしないが、本当にただ、ただ荒野が広がるのみで――青年に見える世界は、ただ黄昏時の様に淡く光っており、暗くもなく、だが明るくもなく、しかしずっとこんな調子で、どれ程の時間が経ったのか、正確なことは一切分からなかった。


 青年は、段々と疲れてきていた。別に、肉体的に疲労していることを意味しているわけではない。普段ならば数時間も歩けば結構来るのだが、今は全然そんなことは無く――だが、後ろ髪引かれる想いは、時を刻むごとに増して行った。というのは、恐らく魂の本能みたいなものなのだろう、大いなる意思の引力が、青年の心とは裏腹に、こちらへ来いと、ただひたすらに誘って来ているような、そんな感覚だった。そういう意味で――そう、まだゴールは見えない、果たして本当に帰れるのかもわからない。大佐は、絶対に辿り着けると言っていたが――いや、絶対だなんて言っていたか? たかだか数日前の話なのに、その記憶すら確信が持てない――ともかく、青年は精神的な意味合いで疲れて来ていた。そしてそれは、肉体のないこの世界においては、致命的な意味を持つように思われた。


 先ほど三日は歩いていると思ったが、多分、実際は一日くらいか、下手をすればそれよりも短いくらいだろう――何故なら、あまりにも単調で何もなく、時間が長く感じるからである。それでも、青年は三日は歩いていると自分に言い聞かせた。自分を欺いているのは分かっていても、それでも、自分はもう三日も歩いたのだと――頑張っているじゃないか、ネッド・アークライト――そう褒めてやらないと、やっていられなかったのだ。


 しかし、このままではいけない、一つ楽しいことでも考えなければやっていられない。帰ったら何をしようか、自分を労うために、美味しい物でも食べるのも良いかもしれない。普段は節制のために我慢しているような、高い酒に手を出すのも一興か。きっと、ここであったこと話せば、みんなだって労ってくれて、それで自分をもてなしてくれるに違いない。


 だが、そんな折に、ふとパイク・ダンバーの姿が青年の頭をかすめた。再会した後の彼は、なんだか生気もなく、感情の動きも小さくなっていたようだった。自分も、そうなるのでは――そう思い始めると、青年の不安は大きくなっていった。


 戻れたとしても、もしかすると以前の様な人の楽しみは出来なくなるのかもしれない。許されざる者というのは、ちょっとした幸せの享受すら出来なくなるのかも――そう思った瞬間、青年の後ろ髪惹かれる想いは、より一層強くなった。


 だが、それでも戻るのか、ネッド・アークライト――そう、彼は自分に尋ねてみた。その質問に、足は勝手に動いた。結局振り向くこともなく、青年はただ前に進み続けた。


 ダンバーは、酒の旨みが分からなくなっていたのかもしれない。だが、結局話には花が咲いたじゃないか――あの時のダンバーの笑顔は、ぎこちなくても本物だった。魂が消えるまでは、自分の想いは、感情は自分の物なのだ。だから、戻る価値は、絶対にある。


 そして青年が思い浮かべたのは、やはり少女の事だった。戻ったら、どんな反応をするだろうか? 喜んでくれるだろうか、それとも更に心配をさせてしまうだろうか――でも、きっと、あのまま終わるよりは、ずっといい結果になるはずだ。青年はそう思い、さらに足を進めた。


 景色は、相も変わらず変わらない。時間は、果たしてどれ程経っただろうか。もう、四日は歩いているに違いないな、青年はそう自分に言い聞かせながら、歩き続けた。


 しかし、まだゴールは見えなかった。






 あれから、どれ程の時間が流れただろうか、あれからというのは、一度猛烈な不安に襲われた時からだが――きっと、あれから更に一週間は経過したくらいだろう。もっと言えば、四人と別れてから十日程経ったということになるか、いや十一日か――ともかく、それだけの時間、もっとも自分の感覚ではあるが、それでも休むことなく、青年は歩き続けていた。


 景色は、相も変わらず変わってくれなかった。黄昏時の様な薄暗さ、そして荒れ果てた大地が、どこまでも続いているだけだった。いっそ、もう少し景色にメリハリがあれば、進んでいるという実感も出てくるのに――そんな風に思っても、変わらない者は仕方が無かった。


 そんなおり、再び強烈な不安に襲われた。果たして、方角はこちらで良かったのだろうか? コグバーン大佐は、こちらで良いと言っていた。だが、ダンバーだって途中で進路を変えたのかもしれないし、何せ五年前のことだ、大佐も記憶があいまいになっていたのかもしれないし、仮に方角が合っていたとしても、距離がかさめばかさむ程、ちょっとした角度のずれで行く先は大きく代わるもので――そう思うと、自分の進むべき道が果たしてこちらで良いのか、そういう意味で青年は不安になってしまったのである。


 仮に、こちらが駄目だったとして――それならば、戻るか? 来た道を――いや、それはあくまでも自分の感覚だ。もしかしたら、戻る時は一瞬で戻れるかもしれない。何せ、魂が辿り着く場所などという、生前の自分の想像を遥かに超えた場所なのだ、そうあってもおかしくは無い。その証拠に、背中に感じる引力は、時間を追うごとに強くなっていっている。それこそ、これが最終警告だぞ、と言わんばかりに――これを振りきれば、もうお前の事など知らないぞと、神に警告されているかのように――そう、ここまできて、再び青年は疲れて来てしまっていたのだ。


 何故、現世に戻らなければならないんだ? こんな、辛い思いまでして――もちろん、四人の所を発った時には、それが正しいことだと思っていた。しかし、自分は生前、よくやった方なんじゃないか? 戻って、これ以上の痛みを、苦しみを受けるのか? 今だって、孤独だ。孤独は、人を殺すんだ――現世では長い間一人だったけれど、自分は結局それに耐えることが出来なかった。今戻れば、安らぎをえることが出来る、そんな確信があったし、事実そうなのだろう。大いなる意思とやらは、生前の魂に対して優しくもないが、別に厳しくもない。聖典の神の様に人を試す様なことはしない。ただ来る者を拒まないし、そして安らぎを与えてくれる、そんな存在に違いない。なんだ、そう考えれば、自分のやっていることなど、ひどく間違えているんじゃないか、今からでも遅くないさ、ネッド・アークライト――きっと、大佐たちだって許してくれるさ――。


 しかし、青年は結局歩みを止めなかった。ふと、一つ思い付いたのでからである――パイク・ダンバーは、自分と同じようなことを思ったのではないか? それでも、彼は現世に帰ったのだ。きっと同様に不安だったはずだ、迷ったはずだ――しかも、自分はまだいい。帰れるという確証こそないものの、少なくとも師匠という前例があるのだから。きっとダンバーの不安は、自分以上だったはずだ。つまり、ここで振り返るという事は、すなわち師匠に負けたことになる。負けるのがイヤだ、そんな子供みたいな負けん気が、青年の歩みを進ませてくれた。


 しかし、方角はこちらでいいのだろうか。何よりもそれが不安だった。そこでふと、コグバーンの言っていたことを思い出す。自分の思う道が正解であると――背後からの引力が強烈なため、その強さに薄まってはいるのだが、そう、青年には何故だかこちらで良いという、逆の引力も感じていたのだ。それが、少しでも強くなってくれればいいのだが、如何せん後ろからの力ばかりが増すばかりで――それでも、サカヴィアが認めてくれた強さを嘘にする訳にもいかない。青年は自分の足に鞭を撃ちながらも歩み続けた。


 景色は、相も変わらず変わらない。時間は、果たしてどれ程経っただろうか――もう、二週間は歩いているに違いないな、青年はそう自分に言い聞かせながら、歩き続けた。


 しかし、ゴールはまだ見えなかった。

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