17-10


 酒は少量でやめておいた。当たり前だが、二日酔いで大仕事に支障をきたしたらことだから――しかし、ちょうどほろ酔い気分で、青年はベッドに横になっていた。初めてこのベッドに横になった時には、あまりにも上等過ぎて、返って寝にくかった程であったのに、人間とは慣れる生き物なのか、今では逆に固いベッドや野宿に耐えられないのでは、と思うほどにしっくりくるようになっていた。

 しかし、寝入ろうにもなかなか眠ることも出来ず、青年はうっすらと目を開けたまま、天井を眺めていた。灯りを消して大分経つ。月の明るい晩だった。窓から差し込む光だけで、部屋の中がうっすらと見えていた。

 考えることは、やはり明日のこと、そして自分の体の事だった。別段、体の調子がおかしい訳でもないし、以前と比べてどこが変わったか、などということも感じない。だが、傷の治りが異様に早いのも確かで――そして何度思い出したか分からない、あの言葉――。


『……お前、死に魅入られてしまったようだな』


 大きな仕事の前に、縁起の悪いことを思い出して、弱気になったって仕方が無いのは分かっている。それでも、どうしても考えずにはいられなかった。自分の体に起こっている異変、輝石という、魂の結晶――スピリチュアルなことを信じる程、青年は信心深くも無いのだが、それでも今、自分の体に起こっている出来ごと、少女の能力――それがグルグルと頭の中で回って、どうにも抑えることが出来なかった。


 端的に言ってしまえば、不安だったのだ。だが、その不安の種はどこにでも、そして幾重にも重なっているようで――そう、不安なことは自分のことだけではない。明日の仕事で、必ずやリサとも対峙するだろう。彼我の実力差もそうだし、ネイとのことも心配だ。他にも師匠を倒した黒服達、それが無数にいる。最悪の場合、遺体の見つからなかったスコットビルが現れるかもしれないし――いや、やめよう、こんな弱気になっても仕方が無い、もう少し明るいことを――そうなると、また自分の体の事が心配になった。仮に明日、上手く行ったとして、この先自分はどうなるんだ? 輝石の力を取りこんだ魔獣が、オーバーロードだとするなら――自分も、ジーン・マクダウェルの様に化け物になってしまうのではないだろうか。


 仮に、そうなったら、自分はどうなるのだろう。いや、そんなことを考えても、理性無く暴走して終わりだ。だが、どう決着がつくのか――そう思った時に、少女の右腕が思い浮かんだ。せめて、終わるなら、彼女に幕を引いてもらいたい。しかし、それは彼女の心に、どれほどの傷を残すことになるのだろうか。自惚れかも知れないが――いや、自惚れでは無い、彼女は、自分を居場所だと言ってくれた。しかしそうならば、そうであってしまうとするならば――彼女の傍に居ることが、果たして正解なのだろうか。


 青年の胸中には今更になって、そんな不安が一挙に押し寄せて来てしまっていたのだ。哀しいことに青年は後ろ向きな性質なので、明日上手くいって、その後も幸せになれると、単純に妄想することが出来なかったのである。


(……それでも、俺はあの子と一緒に居たい)


 ただ、それだけが答えだった。何を考えても、結局行きつく先はそこであった。


 丁度その時、青年の部屋の扉が控えめに叩かれた。まさか、想いが通じてでもしまったのか、そんな風に思い、まず掛け時計に目を向けた。時刻は、夜中の一時で、逆を言えば、宴が終わったのが十時、かれこれ三時間も悩んでいたと言う事になるのだが、そんなことはどうでもいい。一度だけ控えめに叩かれた扉は、その後は叩かれることは無かった。きっと、遠慮しているのだ。しかし、一枚板を隔てた向こうには、確かに人の気配を感じた。

 青年は少々大げさにベッドから降りて、扉の向こうの人物に起きていることを知らせた。そして、あとは静かに歩いていき、鍵をはずして扉を開けた。想像していた通りの人物が、枕を抱いて口元を隠して、しかし恥ずかしそうにこちらを見上げて立っていた。


「……なんだか、眠れなくってさ」

「奇遇だな、俺もだよ」

「な、中に入っても?」

「あぁ、どうぞ」


 ネイを招き入れて、青年は一旦ベッドの横の備え付けの小さな灯りをともし、ソファーに座った。少女は中に入ってからというもの、ただ、所在なさげに、部屋の隅で立っていた。


「えぇっと……とりあえず、そんな突っ立ってないでさ」


 枕を持ってきたのだ、きっとここで寝るつもりなのだろう、青年はソファーに座ったまま、後ろのベッドを指差した。


「う、うん……」


 返事をすると、少女は枕を抱いたまま、ベッドの上に小さくなって座った。


「しかし、ポワカと一緒に寝てるんじゃなかったのかい?」

「いや、あの子は色々な部屋に行ってるよ……今日は、クーの番なんだってさ」

「成程なぁ……」


 その後はしばらく、無言が続いた。別段、何をしようという気も無いのだが――いや、もちろん青年は健全であるし、そういう想いが無いこともない。思い返せば不思議な物で、最初の内は全然異性として意識していなかった。西海岸界隈で自分の想いに気付かされた後は、マリアの事件の後という事にもなり――あの時の少女は痛ましくて、なんだか返って踏みこんではいけないのだと思っていた。ポワカ達と出会って、それが払拭された後は、青年は置いて行かれてしまい、合流してからは大人数での旅になっていたから――そして今になって、踏み込む好機が訪れた訳だが、多分、まだ拒まれるだろう。枕を抱く右手、その問題が解決するまでは、そういう関係になることを許されはしないのだ。

 

「……アタシもさ、何も知らないわけじゃないんだよ」


 無頼漢どもの跋扈する、治安の悪い西部を一人で生きてきたのだ。恋心は知らずとも、それを一足飛びで超えた先は、残念ながら知ってしまっていたのだろう。


「でも、多分そっちも考えてると思うけど……アタシは、そういうの、まだ駄目だから」


 振り向くと、やはり少女は右手を見つめていた。その眼には、悲喜こもごも――恐らく、自身の右手に対する憎しみと、それを封じ込めてくれている母の愛情とで、


「それで、ネッドの部屋に来るの、悩んだんだ……なんか、申し訳ないような気もするって、でも……」

「いや、申し訳ないだなんてことはないさ」


 青年は立ちあがって少女の前まで行き、少し身をかがめて黒い髪の上に手を置いた。少女は相変わらず枕を抱いて口元を隠したまま、上目遣いで見つめ返してくる。


「俺も、君と話がしたかった……いや、違うな。傍に居て欲しかったんだ」


 頭をなでると、少女は恥ずかしそうに、枕に顔を埋めてしまった。何度も恥ずかしいやり取りはやってきたのに、一向に慣れてくれないのが、少女の可愛らしところだった。

 同時に、青年は自分の気持ちが随分軽くなっていることに気付かされた。そして、少し笑ってしまった。


「ど、どうしたの?」

「いや、俺って君が言うように、馬鹿なんだなぁって思ってさ」


 少女を見た瞬間、この子を喜ばせてあげたくって、元気になって欲しくって――同時に、自分も嬉しくて、不安もなくなった。


(そうだ……くよくよ考えることなんかないんだよ、ネッド・アークライト……とにもかくにも、まず明日のことをしっかりと終わらせるんだ)


 明日の戦いは、自分のためだけのものではない。もっと言えば、明日戦うことは、実際青年個人だけの立場で見たら、何の得も無い。危険度やその他もろもろ勘定すれば、参加しないのが正解なのだ。


 だが、むしろ自分の事だったら、いっそ逃げ回ることも出来た。それでも、立ち向かおうと思えたのは、仲間たちが――半年前には考えられなかったことで、少々むず痒くもあるのだが――それだけ、大切だから。

 何より、ただいま青年が絶賛頭を撫でている少女、この子のためだったら、なんでも出来る覚悟が自分にはあった。


「……ねぇ、ネッド。お願いがあるんだけど……」


 少女の方は枕で眼まで隠してしまい、しかしその後ろから、確かに声を上げてきた。


「なんだい?」

「その、矛盾してるかもしれないんだけど……あの時みたいに、抱きしめて欲しいんだ」


 あの時というのは、果たしてジーンの件の時とマリアの件の時、どっちだろうか。しかしいずれにしても、自分が必死な時だったのには違いない。青年がそんな風にぼんやりと思っていると、少女は再び右手を見つめていた。


「お母さんが、力を貸してくれてるから。少しなら、多分大丈夫だから……」


 そう言って、枕を離して、少女は顔を上げてきた。綺麗な碧の瞳が、青年を見つめていた。


「……この前言ったように、アタシ、すぐに逃げちゃうからさ……だから、逃げ出せないように……しっかりと、捕まえて欲しい」


 そこで、青年は少女の隣に座り、体を抱きしめた。別に、青年自身には少女を抱くことにまったく抵抗が無いのだ。しかしいつもと違う点もあって、以前は二度とも、少女を覆いかぶせるように――顔が自分の胸に来るように抱いていたのだが、今回は肩に顔が乗るように抱きしめた。すると、少女の方も、青年の背中に腕を回してきた――やはり右腕の力は控えめであったが。


「……正直さ。アタシ、もうちょっと身長欲しかったよ。お前、大きいんだもん……」


 その言い方はなんだかまずい様な気がする、雰囲気をぶち壊すようだが、青年はそんなことを思ってしまった。


「でも、座ってもらえば……こんな風にもなれるんだな」


 青年の左耳が、すぐそばの音を拾い上げる。息遣いまで聞こえる程、もっと言えば、接している胸の鼓動まで聞こえてくるほどで――不思議と、そういう気持にはならなかった。ただただ、この時間が愛おしい、それだけだった。

 細くて、小さい少女の体。力を込めたら、折れてしまいそうであったが、それでも、自分の想いが少しでも伝わるようにするため、可能な限り自分に引き寄せていた。


「……痛くない?」

「うぅん、大丈夫……むしろ、もっとぎゅってして欲しい」


 そう言われて、青年は腕にもっと力を込めた。多分、少し痛いくらいだろうに――逆に、少女の腕にも力が籠った。どうやら、これくらいが互いに取ってちょうどいいらしかった。


「……もう、逃げられないね」

「あぁ、逃がす気も無いけどね」

「うん……そうして?」


 後は、お互いに言う事も無かった。青年は肘を曲げ、少女の後ろ髪を撫でていた。しばらくすると、自然と互いに腕の力を緩めて、密着していた体を離した。とはいえ、まだ腕は背中にまわしている状態で、自然と見つめ合うような形になり――青年の視界に、少女の唇が映った。それくらいはいいんじゃないか――いや、そこまで行くと歯止めが利かなそうだ。少女もそう思ったのだろう、互いに小さく笑って、体を離した。


「今日は、ここまで……ね?」


 窓から差し込む淡い光でも、少女の頬が上気しているのは見て取れた。しかし、その表情の柔らかさが、また印象的だった。


「しっかし……初めて会った時からは考えられない素直さで」

「むっ……なんだよ、そういう方がいいのか?」


 青年の言葉に、少女は唇を尖らせてしまった。しかし、それも可愛らしかった。


「まぁ、たまのスパイスはあった方がいいかなぁ、なんて思う」

「成程? 甘いだけじゃ飽きるってことか……いい勉強になったよ」


 そう、こういうジョークのやり取りが出来るのも、少女のいい所だ。しかし、良い意味で緊張感がほぐれたおかげか、少女が小さく欠伸をした。青年もやっと睡魔が来た所だったので、お互いに丁度良かった。


「それじゃ、君はベッドを使ってくれ」

「い、いや……アタシが邪魔しに来たんだし、ネッドがこっちで……」

「いいや、あんまり柔らかいのに慣れると、今後貧乏くさいベッドで満足できなくなりそうだ。そういう意味で、ちょっと昔の感覚を取り戻すためにだな、俺はこっちのほうが丁度いいんだよ」

「で、でも……」

「いいから。特に、明日は君が大変なんだ。しっかり寝てもらわないとな」

「……その言い方だと、やっぱりこっちの方が寝やすいんじゃないかってなるんだけど……」


 じと、とした目で見られたが、すぐに少女は笑って、そのまま勢いよく横になった。


「ま、お前も結構頑固な所、あるしな。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「あぁ、そうしてくれ……それじゃお休み、ネイ」

「うん……お休み、ネッド」


 そう言って少しすると、少女は寝息をたて始めた。思い返せば、二人で旅をしている期間の方がよっぽど長かったはずなのに、なんだかこの感じは久しぶりだった。

 そのおかげで安心できたのか、青年の意識も、徐々に睡魔に覆われて行った。


(……ともかく、絶対に、君だけは……)




 次の日の朝、気がつけば少女は部屋からいなくなっていた。確かに、一緒に部屋を出るのも、他の奴らに見られたら勘ぐられるし、その処置は正しい物だっただろう。

 だが、恐らくネイは気を使ってか、青年を起こさずに出て行ってしまったのはまずかった。昨晩あんなに悩んでいたのに、いったん寝に入ってしまえばぐっすり眠ってしまったらしく、気がついた時には時計の短針が十の前を指していた。

 青年はソファーから飛び出し、すぐさまボビンを収納しているベルトを巻き、コートを身に着け、部屋から出てホテルの入り口を開けはなった。

 そこには、青年を除いた五人と一匹――ジェームズとその部下は、裏方なので、それを除いてだが――全員揃っていた。


「寝坊ですね、ネッド。ま、そんなにぐっすり寝られるくらい肝が据わってなら、本番もしっかりとやってくれますよね?」


 ジェニファーの言葉と笑顔の皮肉のダブルパンチが、速攻で青年の頬を殴ってきた。


「まぁ、お手やわからにね……」


 そう言いながら、青年は入り口から踏み出し、仲間の待っている場所へと歩みを進めた。


「それじゃ、みんな……手はず通りに」

「あら? なんで貴方が仕切ってるんですか?」

「いや、なんか昨日、俺がリーダーっぽく纏まってただろ?」

「いいえ、ただ単に乾杯の音頭は貴方が取るべきってだけで、貴方がリーダーだなんて誰も言っていませんよ?」


 ジェニーの言葉に、皆頷いていた。なんだか変に仕切った自分がバカみたいで、青年はなんだかいたたまれない気持ちになった。


「ふふっ……ちょっときつかったですかね? ま、別に私がリーダーなわけでもありませんし……そう、皆平等、それでいいんじゃないですか?」

「……あぁ、そうだな。その通りだ……それじゃ、行きますか」

 

 それから、誰が言うまでも無く――六人と一匹で並んで街の方へと歩き出した。勿論、こんな風に移動しては目立つし、各々持ち場があるので、横並びになっているのは少しの間だけだった。

 しかし、上も下も無い、様々な生まれの、様々な境遇の者達が、手を取り合い、ことを成そうというのだから――短い間でも、各々がこの絆をかみしめるように、進むべき道が違っても、今はただ一つの目標に向かって進んだ、それだけのことであった。

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