8-5


 それからは、朝はルイス邸で目覚め、セントフランへと向かうがてらにネイは台本の読み込み、昼になれば舞台の練習、その間青年は服飾の本を読み漁り、それが終われば日が暮れるまで暴走体を捜索し、発見次第倒して、夜になればまたルイス邸に戻り――という日々を過ごした。


 ドレスを作ると約束してから四日目、現在青年はサーカス裏手の掘立小屋の扉の前に座り込んで、装飾関係の本を読み漁っている所だった。近くで演奏隊が数名、曲を奏で、その音に合わせてネイが歌い、踊り、劇の練習をしている。

 ちなみに、劇は終日まで公演は停止され、テントの修復作業が行われており、現在はその他のトンデモビックリショーで人を集めている状態だった。


「……ネッドさん、調子はどうですか?」


 読書に集中している所に、こっそりと声をかけられる。見上げると、そこにはグレース・オークレイの笑みがあった。


「いやぁ、やっぱり難しいな……やっぱりセンスって奴は、一朝一夕で身に着くもんじゃないよ」


 青年はため息をつき、本をぱん、と閉じて、天を仰いだ。今日もカラッと晴れた、六月の青空が横たわっている。


「ふふ、そうですよね……あ、ごめんなさい、ネッドさんにセンスが無いって言ってるわけじゃないんですよ? でも、やっぱり大変だろうなぁって……とにかく、煮詰まっているネッドさんにプレゼントです!」

「んあ……? むぐ!?」


 空をぼう、と仰ぎ見ていた青年の口に、唐突に何かが押し込まれた。とは言ってもそれはとても甘く、口の中でゆっくりと解けていった。


「チョコレートです。甘いものって、頭にいいらしいんですよ」


 得意げに言うグレースに対し、頭にきたけどな、青年はそう思った。


「……あのなぁ。それなら普通に手渡してくれればいいだろ?」

「だってネッドさん、口をあんぐり開けてたんですもの。だから、入れて欲しいのかなぁって」


 グレースは小悪魔のような笑みが浮かべて、そのまま青年の横に座った。


「……ネイさん、羨ましいなぁ。ネッドさんにドレスを作ってもらえるなんて」


 その視線は、向こうで一生懸命稽古をしているネイの方を見ているようだった。現在ネイは、とりあえずマリアのお古、といってもサイズが合わないので、それを青年の能力で裾を改良したドレスで稽古を行っている。本番はスカートになるからという理由もあるが、何よりも腕の包帯を隠せるように、長袖が必要だった。包帯の上に袖と手袋ではかさ張るだろうし暑そうではあったが、仕方なしであった。


「いやぁ、君はすっごい綺麗な衣装を着てたじゃないか。あれ、似合ってたよ?」

「ホントですか? そう言われれば、嬉しいですけど……」


 はにかむような笑顔を浮かべたのも束の間、すぐに憂い顔になってしまう。


「でも、やっぱり……特別な人にプレゼントもらえたら、嬉しいじゃないですか。それこそ、頑張って作ってもらったモノなら、なおさら……」


 そう言われて、悪い気はしない――青年は気の利く方ではないが、鈍感でもないと自負している。勿論、この子は結構気まぐれそうで、自分を弄んでいるだけかもしれない。こう思うのは正当なのか、それとも被害妄想が激しいのか、はたまた自意識過剰なのか――しかし、どうにしても青年にその気は無いのだ。それは、如何に相手が世界最高の美少女であったとしてもである。なので気付かないふりをするに限る、青年はそう決め込んだ。


「あー、それって、どういう……」

「……ネッドさん、意地悪です。本当は分かってるんでしょう?」


 潤む瞳で見つめられてしまう。さすがに、やはりこんなに美しい子にそんな顔をされると、流石に悪いことをした気になってしまう。しかしここで言い訳するからいけないのだと自分に言い聞かせ――とは言っても、その視線を逸らすので、青年には手いっぱいだった。


「ネッドさん、こっちを向いてくださ……」

「おーいグレース! こっちに来て、コグバーンさんと一緒に振付をやってやってくれ!」


 演奏隊の声が、青年と金髪の少女の間に割って入ってきてくれた。


「……呼ばれちゃいました。それじゃあネッドさん、失礼します」


 立ち上がり、美しいブロンドを揺らしながら、グレースは青年から離れて行った。




 その日の夜、やはり青年は机に向かってあれこれと作業をしていた。図面にへたくそながらにデザインを書きあげ、あぁでもない、こうでもないと書いては紙を丸めていた。


 後ろのソファーから、小さな寝息が聞こえる――それもそのはず、連日の特訓、それに暴走体との戦いで、ネイは相当疲れているはずだった。しかし、こんな生活がまだあと六日程続くのだから、休める時にしっかりと休んでおいて欲しい――そんな風に思いながら後ろを眺めていると、机の上に何かが置かれる音がした。


「煮詰まってるネッドさんにプレゼントですよ」


 コーヒーカップの取っ手から、マリアの手が離れる。自らのカップも机の上に置いて、マリアは青年の正面に腰かけた。


「いやぁ、マリアさんはやっぱりお優しいですね」

「ふふ、よく言われます」


 お世辞は通用しないらしい、さらりとかわされてしまった。


「いや、今日なんかグレースって女の子にですね、同じセリフで無理やり口の中にお菓子詰め込まれたんですよ」

「あら、大変でしたね……その、グレースっていう子、一応ネイから聞いています。なんでも、リサに似ているとか?」


 マリアの顔には、何を想っているのか読みとれない、そんな微笑が浮かんでいる。


「そうらしいですね。まぁ俺はリサって子を見たことがあるわけじゃないんで……それにネイだって、別れた時も相当幼かったはずですよね? いくら面影があるからって、同一人物とは……」

「……そうね、その通りだわ。それにもしあの子だったら左腕に、こんな感じで術式が刻んであるはずですから……」


 そう言って、マリアは両の掌を広げて見せた。そこには複雑な文様が刻まれている。


「えっと、マリアさんの能力は……」

「それは、出会った時にお見せしましたよね? 私の能力は、治癒の能力です」

「でも、輝石エーテルライトの力も使わずに……」


 青年が怪我を治癒された時、マリアはエーテルシリンダーを使っていなかった。


「私もエヴァンジェリンズですから……ネイの右手と同じです。エーテルライトは、あくまでも出力の向上です。私たちほどになれば、輝石の助力がなくとも、ある程度の能力を発揮することは可能なんです」


 だから、少女は常に右腕に赤い戒めを付けておかなければならない――マリアのように優しい能力であったならば、そんな必要はなかっただろうに。


「……ネイの事、心配してくれてるんですね。ありがとうございます」

「い、いえ、そんな……」

「本当に、あの子は貴方に巡り合えてよかったと思っているでしょう。ネッドさん、不躾けなお願いかもしれませんが、あの子のことをよろしくお願いしますね」


 本当にこの人は、優しくて、ネイの心配をしてくれる。強力な味方が出来たことに、青年は安心した。


「実際、俺の方こそ世話になってるんですよ。でも、頑張ります……あ、そうだ、一つ聞いてイイですか?」

「はい、私に答えられることなら」

「その、答えにくかったらいいんですけど……リサの能力って、どんなだったんですか? ネイは言いたくないって……」


 青年の質問に、マリアはとりあえずまず自らのカップを口をつけ一息した。


「……あの子の能力は、エヴァンジェリンズの中でも最も恐ろしいだったかもしれません。ネイの右腕は、どちらかと言えば精神的な脅威です。しかしリサの能力は、物質的な脅威と言ってもいいでしょう」


 死というのは、ある意味では概念的である。活動の停止を意味する言葉。生命の終わりの象徴。では、物質的な脅威とは一体何なのか――マリアは再びコーヒーを一口、そしてゆっくりと口を開いた。


「リサの能力は、破壊そのものです。触れた物をバラバラに分解し、壊してしまう。それがあの子の能力でした」

「なっ……」


 エヴァンジェリンズはその能力の高さから、むしろそれが災いしてか、術式が刻まれた場所には常時能力が発動している――ということは、リサは碌に物にすら触れられない、そんな生活を送っていたというのか。

 しかし、納得もした。以前ジーン・マクダウェルが、あの子なら脱走できそうだけど、証拠が派手に残るだろう、というのはそういうことだったのだ。


「私も、あの子が今、どうしているのか分かりません。スプリングフィールド孤児院は、誰に知られるともなく消え去ったことは知っていますが……」

「……そういえばマリアさん、貴女は国民戦争が終わった後、どうしてたんですか?」


 マリアの表情が、大きく曇った。ふと思って、何の気なしに聞いてしまったが、確かに、触れられたくない所であったかもしれない。


「す、すいません。言いたくないなら、別に……」

「いえ、当然の疑問ですよね。あの子も気を使ってたらしく、聞いてはこなかったんですが……」


 マリアは青年の後ろを覗き見ている。そして少女がぐっすり眠っているのを確認してか、再び話を続けた。


「……私の能力は、戦闘向きじゃありませんし、生まれたばかりのベルを連れて逃げることも出来ませんでした。そして、私の能力を買われて、とある実験に参加させられていたんです」

「……それは?」


 マリアは一旦、なにか諦めたように息を吐き出した。


「……すいません、少し話はずれますが、ネッドさん、予定説ってご存知ですか?」

「うーん、聞いたことはあるような……どんなものですか?」

「ふふ、知ったら後悔するかもしれませんよ? それでも聞きますか?」

「いや、自分からふっておいてそれはないでしょう。もっと気になっちゃいますよ」

「そうですよね、ごめんなさい……まぁ、知ったところで何も変わらない……はずなんですけどね」


 マリアがカップの中身を見つめている――近くを見ているはずなのに、なんだか遠い目だった。


「予定説というのは、人が死後に救済されるかどうかは、生まれる前から、既に決定されている、という神学の学説です」

「……というと、アレですか? とんでもない極悪人が天国に行くかもしれないし、逆に素晴らしい慈善家が地獄に落ちるかもしれない、そういうことですか?」

「えぇ、そういうことです」


 青年は幼いころ、よく母親に「悪いことをすると天国へいけませんよ」などと言われたものである。だが、もしその予定説が正しいとするならば――。


「……生きてる間は、好き勝手に生きたほうが得じゃないですか。悪いことだってし放題だ」


 しかし、宗教というのはやはりそういうもので、悪人ですら救われるというような説のほうが、返って信仰も集められるのかもしれない。人は誰だって、後ろめたいことの一つや二つ、持っている物なのだから。


「えぇ、そういう風に考える人も居ます……むしろ、そう考えられる方が、健全なんじゃないでしょうか」


 マリアは小さく笑った。自嘲的な笑みだった。そしてカップを置いて、落ち着いた調子で話を続ける。


「しかしこの考え方は、実は我が国の成り立ちに深く関係しています。旧宗主国で迫害された抗議派の信徒たちが、自分たちの約束の地を作ろうとして入植してきたのが、現在の北部諸州です。その子孫たちが、現在も聖典を護り、そして社会を発達させている……この意味が、お分かりですか?」

「……いえ、どういうことでしょうか」

「彼らは、確信したいんですよ。救済されるかどうかはあらかじめ決められていても、滅私奉公で働き続け、社会を発展させていくことこそが……自分がそういう人間であるならば、きっと自分は救われる側の人間であると……そして彼らの最終的な望みは現世ではありません。永久の王国【ミレニオン】へと到ることです。ですから、自分のために貯蓄をするだとか、子孫に富を残すという考えも希薄です。そういった精神が、この国を発展させてきたんですよ」

「……成程」

「分かってしまいましたか?」


 その言い方は、なんだか含みがあった。


「えぇ、言葉の上では理解できました。ですが、その思想に共感はできません」


 そう言うと、マリアは嬉しそうに笑った。


「それでいいと思います。人間、多少は自分勝手な方がいいんです。だって、自分があるから他人が分かるわけでしょう? 自分をおろそかにして、誰かのためにだけ……それは、ある意味では押し付けで、とても歪なんだと思います」


 今のマリアの目を、青年はなんだか見たことがあった――そう、ジーン・マクダウェルやジェームズ・F・キングスフィールド、彼らにそっくりだった。


「……私は、いえ、エヴァンジェリンズは、小さな礼拝堂で過ごしていましたから。私がある程度大きくなって、分別がつくようになってから、この予定説を教えられました。そして私も一度は賛同したんです。例えこの世が地獄でも、きっと自分は最後には救われるから……だって、そうでしょう? 人間生きても百年はなかなか生きません。現世を対価に永遠の安寧を買う、それは誰が考えたって、悪い取引では無いはずです。だから私はどれ程の苦難にも耐えて来ました。辱められても頑張ってきました。そして……」


 そこで一旦区切って、マリアは窓の外を見つめた。そこには、真っ暗な闇が横たわっているだけだった。そして今一度、青年の方へと向き直った。変わらぬ瞳で、懺悔するように――。


「……それでも、私がしたことは……私が携わった実験は、仮に私がもともとは救われる予定であったのだとしても、それが覆るくらい、おぞましい物だったと思います」


 そこで、彼女の目の理由に納得がいった。マリアは、自分が地獄へ落ちると確信しているのだ。自らが行ってきた罪の大きさに、すでに諦めてしまっている。


「だから、私は意を決して逃げ出したんです。優しい人の手助けで……ベルが、五歳の時でした……私は、もういいんです。でも、ベルだけは、幸せになって欲しかったから……そして、最果てのこの地に、私の生まれたロングコーストへ戻ってきたんです。ここは、以前にも暴走体に襲われて、そして、私は孤児になって……今居る住民の方々は、知らない人ばっかりになっていましたけど……」


 青年はとりあえず、成程、と頷いた。気になる点は何点かあって、今言った、優しい人とは誰なのか、それに、もっと根本的に――。


「……気になりますよね、私がどんな実験に携わっていたか」


 気にならないと言えば嘘になる。青年はマリアを、本当に聖女のようだと思っていた。その人がこんなににも思いつめて、死後の救済を諦めざるを得ない程の実験――だがマリアに、これ以上の告白は辛そうだった。


「それは……正直に言えば。でも、大丈夫ですよ。本当に辛いなら、言わなくても」

「そう……ごめんなさいね。私も、あの内容を言うのはちょっと、ね……」


 そして、カップを空にし、マリアは胸の十字架をいじりだした。


「……最後に、一つだけ。ネッドさん、私は予定説の話をしましたけど……知っていますか? 、天国って存在してないんですよ?」

「……え?」


 青年は、マリアが何が言いたいのかよく分からなかった――青年は、天国や地獄の存在を信じている訳ではない。だから天国があるとか無いとか言う話は、ナンセンスだと思っている。


 しかし、マリアは違う。食事の時にお祈りもするし、今だって――天国が存在しないと言うのならば、何故十字架を握りしめているのか、それが分からなかった。


「ふふ、ごめんなさいね。なんだか、煙にまいちゃって……さて、それじゃもう少し明るい話でも……あら?」


 マリアの視線を青年が追いかけると、その先にはベルがぽつん、といった感じで、扉の所に立っていた。どうやら一度は眠ったのに、起きてしまったらしい。


「ママ……ルイスは?」

「えぇっと、ルイスさんはね、村の人たちとの会合に出席してるから……それじゃあ、今日はママと一緒に寝る?」


 愛する娘を見つめる優しい笑顔――やはり、その微笑みは、聖母と言うに相応しい物だった。


「うん! ママと寝るの、久しぶりー」

「……そうね、いつも一緒に寝られなくって、ごめんなさいね。それじゃあ、久しぶりに本でも読んであげましょうかね」

「うぅん、私もう一人でも読めるもん!」


 そういってエッヘン、とするベルは、年相応で可愛らしい。


「そう、そうね。ベルはもう大人だわ。一人で寝れない所以外は」

「ま、ママが意地悪だ……」


 先ほどの得意顔はどこへやら、ガーン、といった調子で落ち込むベルを見ていると、確かにこの子は幸せになって欲しい、青年もそう思った。


 マリアが席を立ち、ベルの方へと向かって行く。だが何か思い出したように振り返った。


「ネッドさん。コーヒーはお好きに飲んでくださいね。あと、これは一つ助言なんですけど……服飾の研究だけじゃ、きっと良いドレスは作れませんよ。貴女がネイに、どんなドレスが似合うのか……着て欲しいのか、それを考えるとイイと思います」

「え、えぇ? だって、大人数の前で、それも大統領が来るようなショーですよ? そんな、俺の一存で……」

「いいんですいいんです。大切なのは、ネイがドレスを気に入ることなんですよ。女っていうのはね、好きな服を着てれば、自然に可愛くなるんですから」

「そ、そんなもんです?」

「そんなもんです。魅力っていうのは、見かけだけじゃないんですから。仕草、表情、立ち振舞い、そういうのまで含めて魅力なんです。好きな服を着ていれば、自然と自信も出て来ますから……だから、あの子に自信を持たせてあげてください。あとネイが起きたら、いつもの部屋を使って大丈夫って、伝えておいてください」


 そして、マリアは階段を上って行った。ベルはすぐに母を負わずに、青年に向かって手を振ってくれた。青年も手を振り返すと、ベルは笑顔になって「おやすみ!」と一言、その後軽快な足取りで階段を登る音が聞こえた。


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